この一撃に全てを

まさかミケ猫

この一撃に全てを

 その歓声に、世界が軋みを上げていた。

 聖アスタチア王国、聖王記念武闘祭。
 約七百年の間、五年に一度開催されてきた伝統的なこの祭は、普段であれば国内で盛り上がる程度の規模である。大きな娯楽ではあるが、諸外国が関心を寄せるほどでもない、そんな祭であった。

 だが、今回は違った。
 世界中、山奥の寒村から海底の神殿都市にいたるまで、あらゆる国の民衆がこの祭を待ち望んでいた。
 それは祭を、武闘トーナメントを、そこで戦う英雄の姿を見るためである。


 時はまさにトーナメントの決勝戦。
 ある者は会場に足を運び、ある者は最寄りの映像宝珠へ集まり、みな一様に拳を握りしめて彼らの英雄を応援する。

 剣が走る。
 鎧が砕ける。
 その度に世界が震える。
 一瞬を見逃すまいと、時が速度を落とす。


「青龍騎士様……」

 祈るように呟く王女の視線の先には、ボロボロになった一人の若い騎士がいた。

「負けないで」

 海のような青色の短髪に、鋭い瞳。表情の薄い彼の顔にも、さすがに疲労の色が浮かんでいる。
 鎧は既に砕け散っていた。


 幼少期の彼はよく笑う子であった。
 高位貴族の身で冒険者に憧れて剣を振り、身分によらず友人を作り、勝手に森へ出かけては魔物を担いで帰ってくる。
 大人たちにいい顔はされなかったが、四男という微妙な立場がそれを許していた。

「貴族の誇りはありませんの?」
「兄貴たちがいれば家は回るからな、俺は冒険者にでもなって自由にやりたいんだ」
「王族の私に言うことかしら」
「あはは、タヌキ親父たちには内緒な」

 ある日、王女がさらわれた。
 護衛までもが殺される事態に、彼は動けなくなった。
 代わりに、文官をしていた彼の父が、重い腹を抱え慣れない剣を持ち、賊に立ち向かった。

「王女を守れ……国を、民を守、れ……それが貴族……お前なら……」

 彼の父はそう呟くと、彼の腕の中で息を引き取った。

 剣を持ち、賊を追った。
 怒りのままに剣を振り、首を跳ねた。
 彼の活躍で王女は無事救出された。

 そして、彼は笑わなくなった。


 月日が流れ、彼は騎士になった。
 剣の腕で彼に敵うものはおらず、精力的に遠征に参加しては各地で活躍を重ねた。
 国内外から名声は上がり、救われた者たちはみな一様に彼を褒め称える。

「……父に謝りたい」

 彼の口から零れた本音を、王女だけが聞いた。

 父を馬鹿にしていた。
 政治の世界の汚さを知り蔑んだ。
 自由こそが善であると思っていた。

 だが父は国を、民を背負っていた。
 権力を持つ者の責任を知っていた。
 父はそれを最後の行動で示したのだ。

 王女は何も言えず、ただ寄り添って共に墓参りをした。



「ま、魔物の大発生です!」

 それは300年ぶりの出来事だった。
 騎士は初動部隊を率いて襲われた街に急いだ。


 領主館が大きく頑丈に作られているのは、そもそも権力を示すためではない。こうした緊急時に住民を匿い籠城するためだ。
 だが、それが有効活用されるかは領主次第であることもまた事実である。

「へ、平民を館に入れるなんてとんでもな――」

「聖王から全権を任されていますので」

 既に街には魔物が入り込み、少なくない被害が出ている。時間の余裕はない。
 彼は部下とともに住民の救出へ向かった。


 襲い来る魔物を一太刀で下しながら、唇を噛む。 
 子供を見つけて抱えたが、頭部がなかった。
 互いを守るように折り重なる遺体もあった。

「怒るのも落ち込むのも後だ」

 生存者を見つけ、部下に託し、捜索を続ける。

 しばらくして、別動隊からの連絡があった。
 神殿に多数の住民がおり、ギリギリで冒険者たちが守っているというのだ。
 騎士は案内に従って急いだ。

 様々な場所に生存者がいた。
 神殿に治療院、商館やギルドなど、比較的大きな建物には籠城者が多かった。
 移動できる場合は領主館まで護衛し、無理な場合は物資を運び込み部下を残した。


 一晩中戦い続けた。
 彼は多くの魔物を葬ったが、流石に無傷とはいかない。また、休みなく働き続けた体はとうに限界を超えていた。

「少しはお休みください」

 頑なに休むことを拒んでいた彼を、見かねた部下が強引に休憩所へ連れていく始末であった。

 休憩所には密かに王女が待機していたことを、彼は知らない。
 傷ついた彼に、本職顔負けの回復魔術をかけたのが彼女だということも。彼女が眠る彼の頭を自らの膝にのせ、頭を撫でていたことも、彼はついに知ることはなかった。
 ちなみに周りは全員知っていた。



 幼い頃、自由を夢見た彼は、騎士の道を選んだ。
 黙々と技を鍛え、愚直に民を守ってきた。
 そんな彼はきっと何者にも負けない。
 負けてほしくないと、王女は思う。

「きっとお父様が見守っています」

 王女にとって騎士は幼馴染みであり、命の恩人であり、思いを寄せるただ一人の男性だ。
 婚姻を結ぶにはいささか爵位が足りなかったが、これまでの功績や今回の大会の結果をもってすればその状況も変わる。
 聖王も愛娘の思いを理解し応援していた。


 声援を背中に受け、騎士は大剣を構えた。

「ふん」

 肉体に魔力を込める。
 巨大な剣を降り下ろす。
 風が荒れる。

 観客から音が消えた。
 皆、口を開いたまま固まっているのだ。
 それも無理はない。


 騎士の大剣が根本から折れた。
 だがそれだけではない。
 相対する冒険者の双剣も、同時に砕けたのだ。


「あんのバカ……」

 会場の片隅で女性が呟いた。
 視線の先には、冒険者の持つ砕けた双剣。

 それは、魔法鍛冶士としての彼女の最高傑作であり、乙女としての彼女の思いの込められた一品であった。

「その武器を犠牲にしたんだ、負けたら殺すからな……」

 言葉とは裏腹に心配そうな彼女の視線の先で、冒険者の青年は笑っていた。
 白銀の髪に浅黒い肌、獰猛な獣の目を輝かせて。
 左腕に力が入らないことなど、些細なことだとでも言うように。


 彼女が昔を語るとき、一言目はいつも同じ文句から始まる。
 常に腹が減っていたなぁ、と。

 スラムの片隅で、少年と少女はカビたパンを取り合い、泥水を奪い合って生きていた。
 お互いのことは気にくわなかったが、年上のヤツらの縄張りを避けて生活するための選択肢は少ない。
 口汚く罵り合い、殴り合った。

「こんのバカ、大っ嫌い」
「知ってる。パンうめぇ」
「殺す……」

 そんなやり取りを何十回、何百回と積み重ねた。
 それでも、風雨と寒さを凌ぐため、仕方なく寄り添って寝た。


 ある冬、少女は病に倒れた。
 スラムで病めば、待つのは死のみ。

 少年が少女の前から消えた。
 仕方ない、感染すれば自分も危ないのだ。寝床を譲ってくれたのが最後の優しさだったのだろう、と少女は判断した。

 しばらくして、少女の元に男が現れた。
 潰れた蛙のような顔を下品に歪め、少女の体をなめ回すように観察する。

「あのガキ、自分だけイイ思いしやがって……」

 少年は少女を襲ったことはなかったが、外野から見れば知ったことではないのだろう。
 少女は身をよじり、逃げようとした。

 蛙男の頭がグシャリと潰れた。

 目の前には消えたはずの少年がいた。


 少女が倒れたあと、少年は狩りに出ていたのだ。
 ろくに武器も持たない少年にとっては無謀な行為だが、運が味方をしてくれた。

 死にかけの猪を即席の罠で仕留めた。
 猪の売却代金を元手に冒険者登録をし、ギルドの安い宿舎を手配した。
 そして、寝床から少女を抱えて運んできた。

 薬が苦いことを初めて知り、卵や鹿肉を初めて味わって、少女はほんの少し変わった。
 暖を取る目的で少年と寄り添って寝ていたのが、暖を取るという建前で少年と寄り添って寝るようになったのだ。

 少年には戦う才能があった。実地で戦いかたを覚えながら少しずつ金を稼ぎ、生活を組み立てていった。
 少女には魔法鍛冶の才能があった。弟子入りして必死に勉強しながら、練習と称しては少年の武器を念入りにメンテナンスした。

 月日が経つ。
 二人は一人前になると、共に各地を転々とした。

「空腹だけは辛いよなぁ」
「そうね、あんたにパンを取られたときは本当に殺そうかと思った」

 彼は強さで、彼女は技術で稼いだ。
 結果として、この先何十年と二人で過ごすには十分すぎる金をギルドに預けていた。

 だから、そこからの稼ぎは全て余剰金。
 彼らはそこで――食料を買いこみ、配り歩いた。

「この子にミルクを買うお金だけでも……」
「バカ野郎、親が死んだら子供は生きてくのすげぇ大変なんだぞ。お前も食え」

「もう一家で心中するしか……」
「とりあえず食いな。体は死にたいって言ってないみたいだし」

 二人は有名になったが、変わらずに国を跨がって旅を続けた。そして次第に、各地には彼らに救われたものたちが溢れるようになった。

 彼も彼女も知っている。
 人はすぐ嘘を吐くし、汚い。恩は仇で返ってくるし、正義なんてすぐにひっくり返る。
 それでもたった一つ、絶対に正しいと言える行動があるとすれば。

「パン屋にだけは逆らえんよな」
「食べ物くれるヤツは神だ」

 スラム時代、たまにこっそり食べ物をくれたパン屋の主人が、二人にとっての絶対正義であった。


 闘技場でボロボロの彼を見ながら、彼女は呟く。

「飢えたこともないヤツに、負けんな」



 互いに武器も鎧も失っている。
 それでも諦めるつもりがないことは、二人の目が語っていた。


「騎士様、頑張って」

 魔物の大群を蹴散らした騎士の後ろ姿。
 かつて英雄が守った町で、少年が祈る。

「白銀虎、負けんな」

 笑いながらパンを差し出す男の顔。
 かつて英雄に家族を救われたオヤジが、酒を煽る。

 騎士と冒険者、道は異なれど、彼らに救われたものは数知れない。
 二人のことは国中の者が知っていたし、彼らも互いのことを知っていた。


 自由な立場にあっても他者を救う冒険者を、騎士は尊敬していた。
 国に縛られながら守護の道を貫く騎士を、冒険者は尊敬していた。
 それでも戦えば自分が勝つと、互いに思っていた。


「お前を侮っていた、詫びよう」

 騎士は体に力を込め、構える。

「こっちこそ悪い、舐めてたわ」

 冒険者は体の力を抜き、構える。


 二人を中心に魔力が渦を巻くと、世界は静寂に包まれた。

「これで決まる」

 誰かが呟く。
 否定する者はいない。

 永遠のような一瞬。
 二つの拳が迫る。

 騎士が勝つか、冒険者が勝つか。
 龍が負けるか、虎が負けるか。
 それとも――



 生い立ちも、性格も、背負うものも異なる。
 似ても似つかない二人の男だが、今だけは同じ顔をしていた。

 後先などどうでも良い、余計なことは考えぬ。
 目の前の強敵に勝つ、ただそのためだけに。


 この一撃に、全てを。

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