短編集〜徒然なるままに~
リ・バースト!!!
裏通りの夜は早い。
街灯もない夜の裏通りは、治安が非常に悪くなるからだ。
もちろん昼間から悪くはあるが……例えばそう、昼がひったくりやスリが多いとすれば、夜は強盗、暴力、殺しが多くなる。
それを狙っている者ならともかく、他の者はみな、日が落ちてくると自分のねぐらに戻っていくのである。
そんな物騒な夜の裏通りを、1つの人影が駆け抜けた。
その影は屋根の上を俊敏に動き、ある建物までたどり着く。そして辺りを伺うと、窓に立てかけてあるトタン板をそっと動かした。
室内に降り立った影は、背負っていたリュックを降ろし、それを漁り始める────とそこで、部屋に置いてあるクローゼットが突然開いた。
「まって、た……!」
「……!!」
あの貴族の男を利用してやると決めた晩、私は狩りに行かずに部屋で待ち伏せることにした。
多分あの男のことだ。素直に目の前に現れるとは思えない。
なんというかこう、性格が捻くれているのが手に取るように分かるのだ。どうしてだろうか……。
ともあれ、私がクローゼットに隠れて、目を光らせること1刻と少し、アイツはこっそりとやって来た。
やはり相当身軽なようで、窓の外に立たれるまで気付かなかった。
というかこの男、一体何者なのだろう。
貴族でありながら裏通りを平気な顔で訪れ、その住人を嫁にしようとする。
貴族の割には動きが堂々としていない。つまりはこそドロや暗殺稼業を行っているものかのような動作。
少なくとも私が知る貴族では、ありえないと言っていいほど変わった人間だ。
何かたくらみでもあるのか……。
扉の隙間から闇の中蠢く影を注視し、好きを伺う──猫獣人である私には、暗闇を見通す目があるのだ。
影の主が背中を向けてリュックを漁っているのを見計らい、私はクローゼットを飛び出した。
「まって、た……!」
「……!!」
息を呑む音がここまで届いた。
薄暗い──何ていうのを通り越して、漆黒に支配された室内は、さほど広くないはずだが、見えないことで永遠を思わせる。
しかし、そんな暗闇にあっても確かに感じる人の熱を、私は目の前から感じていた。
「灰、猫……」
「おまえの、うち、いって、やる」
無駄な話は一切しない。あくまで私はこいつを利用することが目的なのだから、変な馴れ合いは全くもって必要ない。
「……! それってもしかして──」
「よめ、なって、やる」
──真っ暗な瞳に、星が煌めいた気がした。
目の前の男は声にならない歓声を上げ、豪雨のように細かい事を話すと、興奮気味に部屋を立ち去って行った。
一体何なのだろうか……。
次の日の昼頃の事だ。
私が惰眠を貪っていると、窓に立てかけてあるトタン板がノックされる音で、目が覚めた。
一体誰だ、こんな朝早くから……寝ぼけ眼で出口を睨みつけ、私がのっそりと起き上がっていくと、あの男が現れた。
「やあ、灰猫。今お目覚めかい?」
「…………」
お前のせいでな。
不機嫌度マックスの視線を送ってみるが、気付いていないのか、気付いていて無視しているのか、全く気に止めた様子もない。
どうやら、今から私をコイツの家に連れて行くようだ。
基本的に目が死んだ住人によって構成される裏通りであるが、昼間となれば、流石にある程度は賑わう。
敏感な耳には、ガヤガヤと人々の声や音が否応でも届く。
──なぜ、他人と関わろうとするのか……
男の後を追い、屋根の上を歩きながらそれを考える。
別に私は、この世に私一人しかいなくても生きていけると言っている訳ではない。
作物を育て、肉を狩り、魚を捕り、家を建て、服を縫い、物を作る。それらを1人ではできないから、作業分担をして、自らが生きられるように他人と関わる。そこまではいい。
しかしだ、あくまでそれは必要最低限なラインを、守っているからこそ成り立つ脆い関係だ。
それ以上信じず、頼らず、踏み込まない、そんなドライな関係をなぜ続けられない?
そうやって他人の領域にズカズカと入り込み、入り込まれる。それで、この繊細な仕組みを保てるはずがない。
────そして今、私は目の前のこの男に、1歩踏み込まれている状況にある。ここで上手くコントロールしていけば、互いに文句のない生活がおくれるはずだ。
しかし、果たしてそこまで上手くいくだろうか……。
もし万が一、踏み込みすぎた関係になり、被害が及ぼされることになったら、即刻関係を断とう。
裏通りを抜け、表通りまでやって来た私達。
男に渡されたマントを羽織り歩く私の目の前に、一台の馬車が停められていた。
「さあ、乗ってくれ」
エスコートされ、馬車に乗り込む私。男も続いて乗り込み、御者に声をかけ出発させた。
「……さて、これから僕の家に行くわけだけど……何か質問とかはあるかな?」
「…………なま、え」
「名前……そうだね、灰猫は通り名であって本名じゃないね。なんて言うんだい?」
私としては、こいつの名前を忘れた(そもそも覚えていないとも言う)から訊いたのだが……
確かに、いつまでも灰猫と呼ばれるのは気分が良くない。
「……こと、ね」
「コトネか……綺麗な響だね」
私は前世での名前を伝えた。
……不思議なことだ。前世も今世も、過ごした時間にあまり変わりはないのに、あくまで私は前世の私だ。
今となっては、今世での名前を忘れてしまった。
「僕はこれからコトネと呼ぶから、コトネも、僕のことをリオンと呼んでくれ」
……リオン。そうだ、たしかそんなような名前だった気がする。
私の向かいに座って、こちらを見つめて来るリオン……の、なんとも微笑ましげな視線にイラッときた私は、窓の外に目を移した。
……馬車が通るのは表通り。普段私達裏通りの人間は絶対に近付かない世界だ。
子供たちは元気よく走り回り、妻達は世間話に花を咲かせる。
人と人とが互いを信用し、信頼し、それでいて自らの弱みを隠して生きる。そんな光景だ。
……眺めていて余計に気分が悪くなった。
この欺瞞と傲慢の蔓延る世界で、生きていかなければならないのだと思うと、私は酷く胸焼けがする様な感覚を覚えるのだった。
視線を今度は自分の手に移す。
白く、小さい手だ。慢性的な栄養不足のせいで、私の体は上手く成長してくれなかったのだ。
もう十代後半になるというのに、体は10になった頃から変化がない。
この過酷な世界で、身体ができていないというのは致命的だ。
要するに、これからリオンの嫁として暮らすのは、残りの人生──獣人生?──を乗り切るための準備期間だとも考えられる。
再び目の前の男に目を向けると、楽しそうな、少年の目がこちらを伺っていた。
……この馬鹿を、上手いこと利用していくしかない。
私はそう思い、最終的には目を閉じたのであった。
それから数十分後、心地よく眠っていた私を起こしたのは、やはりあの男であった。
不機嫌そうな態度を隠そうともしない私に、リオンは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「ずいぶん気持ちよさそうに寝ていたから、抱いて行くか起きるまで待つかしたかったんだけど……この馬車はうちで所有してる馬車じゃないし、勝手に身体に触れたら後で殺されそうだからね、申し訳ないけど起こしたよ」
随分と言い訳じみて聞こえるが、確かに一理ある。
多分だいたいそうなるだろう。
「……べつ、に、いい」
「そうか……」
あからさまにほっとした様子のリオンに、なんとなくため息が零れた。
「……じゃあ、行こうか」
「ん……」
馬車を降り、眼前にそびえ立つ屋敷を見上げる────そう、まさしく豪邸。
しかししれでいて、成金どもの様な、趣味の悪い印象は感じられない。
さすがは公爵家、と言ったところか。
2,3メートルはありそうな壁の中、私達の立つ目の前だけが鉄格子の門となっている。
私達はその大きな門────ではなく、側の目立たない、気でできた扉を潜った。
「ようこそ、シュバルツ家へ……これからは君の家でもあるんだ。遠慮せずくつろいでくれ」
言われるまでも。そんな思いを抱きながら無駄に広い庭を歩いていくのであった……。
街灯もない夜の裏通りは、治安が非常に悪くなるからだ。
もちろん昼間から悪くはあるが……例えばそう、昼がひったくりやスリが多いとすれば、夜は強盗、暴力、殺しが多くなる。
それを狙っている者ならともかく、他の者はみな、日が落ちてくると自分のねぐらに戻っていくのである。
そんな物騒な夜の裏通りを、1つの人影が駆け抜けた。
その影は屋根の上を俊敏に動き、ある建物までたどり着く。そして辺りを伺うと、窓に立てかけてあるトタン板をそっと動かした。
室内に降り立った影は、背負っていたリュックを降ろし、それを漁り始める────とそこで、部屋に置いてあるクローゼットが突然開いた。
「まって、た……!」
「……!!」
あの貴族の男を利用してやると決めた晩、私は狩りに行かずに部屋で待ち伏せることにした。
多分あの男のことだ。素直に目の前に現れるとは思えない。
なんというかこう、性格が捻くれているのが手に取るように分かるのだ。どうしてだろうか……。
ともあれ、私がクローゼットに隠れて、目を光らせること1刻と少し、アイツはこっそりとやって来た。
やはり相当身軽なようで、窓の外に立たれるまで気付かなかった。
というかこの男、一体何者なのだろう。
貴族でありながら裏通りを平気な顔で訪れ、その住人を嫁にしようとする。
貴族の割には動きが堂々としていない。つまりはこそドロや暗殺稼業を行っているものかのような動作。
少なくとも私が知る貴族では、ありえないと言っていいほど変わった人間だ。
何かたくらみでもあるのか……。
扉の隙間から闇の中蠢く影を注視し、好きを伺う──猫獣人である私には、暗闇を見通す目があるのだ。
影の主が背中を向けてリュックを漁っているのを見計らい、私はクローゼットを飛び出した。
「まって、た……!」
「……!!」
息を呑む音がここまで届いた。
薄暗い──何ていうのを通り越して、漆黒に支配された室内は、さほど広くないはずだが、見えないことで永遠を思わせる。
しかし、そんな暗闇にあっても確かに感じる人の熱を、私は目の前から感じていた。
「灰、猫……」
「おまえの、うち、いって、やる」
無駄な話は一切しない。あくまで私はこいつを利用することが目的なのだから、変な馴れ合いは全くもって必要ない。
「……! それってもしかして──」
「よめ、なって、やる」
──真っ暗な瞳に、星が煌めいた気がした。
目の前の男は声にならない歓声を上げ、豪雨のように細かい事を話すと、興奮気味に部屋を立ち去って行った。
一体何なのだろうか……。
次の日の昼頃の事だ。
私が惰眠を貪っていると、窓に立てかけてあるトタン板がノックされる音で、目が覚めた。
一体誰だ、こんな朝早くから……寝ぼけ眼で出口を睨みつけ、私がのっそりと起き上がっていくと、あの男が現れた。
「やあ、灰猫。今お目覚めかい?」
「…………」
お前のせいでな。
不機嫌度マックスの視線を送ってみるが、気付いていないのか、気付いていて無視しているのか、全く気に止めた様子もない。
どうやら、今から私をコイツの家に連れて行くようだ。
基本的に目が死んだ住人によって構成される裏通りであるが、昼間となれば、流石にある程度は賑わう。
敏感な耳には、ガヤガヤと人々の声や音が否応でも届く。
──なぜ、他人と関わろうとするのか……
男の後を追い、屋根の上を歩きながらそれを考える。
別に私は、この世に私一人しかいなくても生きていけると言っている訳ではない。
作物を育て、肉を狩り、魚を捕り、家を建て、服を縫い、物を作る。それらを1人ではできないから、作業分担をして、自らが生きられるように他人と関わる。そこまではいい。
しかしだ、あくまでそれは必要最低限なラインを、守っているからこそ成り立つ脆い関係だ。
それ以上信じず、頼らず、踏み込まない、そんなドライな関係をなぜ続けられない?
そうやって他人の領域にズカズカと入り込み、入り込まれる。それで、この繊細な仕組みを保てるはずがない。
────そして今、私は目の前のこの男に、1歩踏み込まれている状況にある。ここで上手くコントロールしていけば、互いに文句のない生活がおくれるはずだ。
しかし、果たしてそこまで上手くいくだろうか……。
もし万が一、踏み込みすぎた関係になり、被害が及ぼされることになったら、即刻関係を断とう。
裏通りを抜け、表通りまでやって来た私達。
男に渡されたマントを羽織り歩く私の目の前に、一台の馬車が停められていた。
「さあ、乗ってくれ」
エスコートされ、馬車に乗り込む私。男も続いて乗り込み、御者に声をかけ出発させた。
「……さて、これから僕の家に行くわけだけど……何か質問とかはあるかな?」
「…………なま、え」
「名前……そうだね、灰猫は通り名であって本名じゃないね。なんて言うんだい?」
私としては、こいつの名前を忘れた(そもそも覚えていないとも言う)から訊いたのだが……
確かに、いつまでも灰猫と呼ばれるのは気分が良くない。
「……こと、ね」
「コトネか……綺麗な響だね」
私は前世での名前を伝えた。
……不思議なことだ。前世も今世も、過ごした時間にあまり変わりはないのに、あくまで私は前世の私だ。
今となっては、今世での名前を忘れてしまった。
「僕はこれからコトネと呼ぶから、コトネも、僕のことをリオンと呼んでくれ」
……リオン。そうだ、たしかそんなような名前だった気がする。
私の向かいに座って、こちらを見つめて来るリオン……の、なんとも微笑ましげな視線にイラッときた私は、窓の外に目を移した。
……馬車が通るのは表通り。普段私達裏通りの人間は絶対に近付かない世界だ。
子供たちは元気よく走り回り、妻達は世間話に花を咲かせる。
人と人とが互いを信用し、信頼し、それでいて自らの弱みを隠して生きる。そんな光景だ。
……眺めていて余計に気分が悪くなった。
この欺瞞と傲慢の蔓延る世界で、生きていかなければならないのだと思うと、私は酷く胸焼けがする様な感覚を覚えるのだった。
視線を今度は自分の手に移す。
白く、小さい手だ。慢性的な栄養不足のせいで、私の体は上手く成長してくれなかったのだ。
もう十代後半になるというのに、体は10になった頃から変化がない。
この過酷な世界で、身体ができていないというのは致命的だ。
要するに、これからリオンの嫁として暮らすのは、残りの人生──獣人生?──を乗り切るための準備期間だとも考えられる。
再び目の前の男に目を向けると、楽しそうな、少年の目がこちらを伺っていた。
……この馬鹿を、上手いこと利用していくしかない。
私はそう思い、最終的には目を閉じたのであった。
それから数十分後、心地よく眠っていた私を起こしたのは、やはりあの男であった。
不機嫌そうな態度を隠そうともしない私に、リオンは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「ずいぶん気持ちよさそうに寝ていたから、抱いて行くか起きるまで待つかしたかったんだけど……この馬車はうちで所有してる馬車じゃないし、勝手に身体に触れたら後で殺されそうだからね、申し訳ないけど起こしたよ」
随分と言い訳じみて聞こえるが、確かに一理ある。
多分だいたいそうなるだろう。
「……べつ、に、いい」
「そうか……」
あからさまにほっとした様子のリオンに、なんとなくため息が零れた。
「……じゃあ、行こうか」
「ん……」
馬車を降り、眼前にそびえ立つ屋敷を見上げる────そう、まさしく豪邸。
しかししれでいて、成金どもの様な、趣味の悪い印象は感じられない。
さすがは公爵家、と言ったところか。
2,3メートルはありそうな壁の中、私達の立つ目の前だけが鉄格子の門となっている。
私達はその大きな門────ではなく、側の目立たない、気でできた扉を潜った。
「ようこそ、シュバルツ家へ……これからは君の家でもあるんだ。遠慮せずくつろいでくれ」
言われるまでも。そんな思いを抱きながら無駄に広い庭を歩いていくのであった……。
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