短編集〜徒然なるままに~

神城玖謡

リ・バースト!!

 ……これは、夢だ。私は今、夢を見ている。

 私は前世の、小学生の頃の私になっている。
 私は私の中にいて、しかし体は彼女なのである。

 女がいた。化粧が濃く、もはや油絵のようだった。
 そのケバったい女は、一応、私の味方だった。
 とは言っても、それは共通の敵に対する関係であって、私と女の関係は、良いものではなかった。

 女は毎晩、ネオンに照らされた薄っぺらい欲情の都へと身を投し、共通の敵である男は女が稼いできた金で酒を貪る。
 女は朝方帰ってくると、私に水をねだる。その後死んだ様に眠り、起きれば私が用意したご飯を貪る。
 そこに時折男がやって来て、別の女と時間を過ごした。

 ……正直言って、そんな生活をよく過ごせたなと思う。

 女も女で、男にされた腹いせで私に当たり散らすし、男も平気で拳を振り上げる。

 その痣から、私はしたこともない喧嘩の世界で生きていると噂され、手を差し伸べてくれる人は勿論、目を合わせてくれる人すらいなかった。

 誰も助けてくれない。誰にも頼れない。それは、私の中では常識となっていた。



 私は中学生になっていた。

 男は家からいなくなった。ある日を境にぱったりと帰ってこなくなったのである。
 女はひどい有様だ。1時期すごく明るくなったが、今では前よりも荒れている。


「──っ」

 朝、目を覚ました私は身を起こし、針で刺される様な痛みにうめき声を上げた。
 突然の痛みに震える指で袖を捲り、傷痕を確認する。

「──はぁっ」

 それは小さな火傷やけど傷だった。丸く紫色に爛れた肌は、昨晩女によって押された焼印だ。

 薄暗い部屋で1人、息を漏らす。

 手が早い男がいた頃は、頬などパッと見わかりやすい傷ばかりだったが、女だけになってからは、服の下や、そのままでは見えにくいところに増えていった。

 学校で着替える時は1人トイレで着替え、体育は上下長ジャージで受け、夏もカーディガンは常に身につけていた。

 弱味を、見られたくなかった。
 同情され、私は仲間だよ、なんて偽善者面をむけられるのも、哀れむ視線に晒されるのも嫌だった。
 死んだ方がマシだと思う。

 その点、男がいた頃の方が良かったかもしれない。


 ……女が起きた時のために米をとぎ、炊飯器のスイッチを入れて、家を出た。

 家は築40年の2階建てのボロアパートで、壁には亀裂と蔦が鎖のように絡み合っている。
 隣に立った高層マンションのせいで、日当たりは最悪。
 真夏でも、朝方は少し肌寒く感じるほどの日の入らなさ。
 私はもうすぐ、この檻から旅立つ。
 誰にも頼らず、今までやってきた。
 学校を卒業したら家を出て、自分の力だけで生きていくんだ……。




 事故は、目の前で起きようとしていた。

 白い猫だ。白い猫が、私の前を横切った。
 私は何となく、その白い塊を目で追った。

 彼、もしくは彼女も、これまで1人で生きてきたのだろう。
 本来ならば絹のように美しいだろう毛は、都会の裏の塵埃によって灰色に薄汚れている。

 その猫は、路地からゆっくりと現れ、──そして突然、広い車道へと駆け出した。


「……!?」


 そう、轟々と唸り声を上げて迫る大型トラックの、その前に。


「あんのばか……!!」


 馬鹿なのはどっちなのか。

 他人ひとに頼らず、自分の力だけで生きていく。ということは、問題は、当人だけで解決すべきということだ。
 この場合、この猫が自ら飛び込んだのだから、放っておくべきだ。
 なのに、なのに私は、駆け出していた。

 理由なんて分からない。もしかしたら、その猫の薄汚れた毛並みに、自分を投影してしまったのかもしれない。
 車道の真ん中、今更のようにトラックに顔を向け、目を見開く猫。


 ──ああ、どうして立ち止まる。そのまま走っていけば無事だったかもしれないのに!


 トラックが迫り来る中、一足先にたどり着いた私は、毛を逆立てる猫を抱き抱え、そのまま座り込んだ。
 どうしてそのまま逃げなかったのか。
 猫を拾うために姿勢を低くしたから。
 極度の緊張状態で、ここまでたどり着いたという安心感から力が抜けて。
 この世の終わりみたいな音を立てながら迫るトラックに、恐怖を覚えて。

 色々あると思うけど、ともかく私は座り込んでしまった。
 これではさっきの猫と一緒ではないか。


 そしてそこで、ようやく私は気が付いた。


 ──あ、猫なら、トラックより低いから轢かれなかっ




 痛みは感じなかった。ただただ、上も下も分からなくなるような強い衝撃を感じながら、私は自分を呪った。


 ──ほら、言わんこっちゃない。他人ひとと関わるから、こういうことになるのだ。

 二重、三重へとぶれていく世界の中、私の意識は暗転した。






「──っ!」


 開いた目に飛び込んできたのは、トラックに跳ねられた後に見た、痛いくらいに眩しい太陽の光ではなく、雪のように輝く埃が舞う部屋だった。


「はぁ──」


 前世の夢を見たのは、いつぶりだろうか。
 たしかまだ幼い頃、6歳くらいだったと思う。

 確実に、昨日のアイツのせいだ。
 なんだっけか──レオン・シュルツ? 微妙に違う気もするけど。
 私はレオン? を恨みながら、ベッドから起き上がるのであった。





 その日の深夜、金目のものを盗み帰って来た私は、トタン板を外し、部屋に転がり込んだ。


「──っはぁ……」

 疲れた。とにかく疲れた。あそこの連中はしつこすぎだろう。
 逃げる最中、走りすぎて酸欠状態がしばらく続いたほどだ。
 そのもそも私は持久力はないのだ。

 私はぼーっとする頭のまま、唸るお腹を撫でた。


「──ぉなか、へった……」


 既に室内は、晩御飯の香りで満たされていた。
 芳ばしいパンとスープの匂いに誘われるようにテーブルへ向かい、木箱に座り、パンを手にとった。


 …………?


 ふと違和感を覚え、目の前の光景を見直す。

 ボロく、汚れた木のテーブルには、白い上質な布が掛けてあり、その上には金縁の皿が2枚。
 1つには、裏通りではまずお目にかかれない、ふっくらとした、甘く香るパン。
 もう1つには、クリーム色の、多分コーンかなにかのスープ。

 サンタからのプレゼントだろうか。そんな訳ない。

 ……となると、アイツしかいないだろう。

 ――媚でも売っているつもりだろうか。まさかエサで釣ろうとしているのか。馬鹿なのだろうか?
 そんな野良猫でもあるまいし、旨いもんを食わせればノコノコと着いて来るとでも思っているか。だとしたらあの男、あまりに馬鹿すぎる。

 スンスンと鼻を嗅がすと、微かに漂うのは花のような香り。貴族様の使う香水のものだ。

 いつの間に忍び込んだのだろう……これは戸締りを強化する必要があるかもしれない。
 夕方から深夜にかけて出ている間に、忍びこまれるのは困る。

 しかし────


 私はパンに口をつけた。

 ────今は、この食事を楽しむことに専念するとしよう。





 それからというもの、毎晩家に帰ると、テーブルに朝食が用意してあるようになった。 
 しかし意外なことに、直接会いに来ることは無かった。
 あの様子からして、こちらの行動パターン等はバレているはずだし、会おうと思えば会いにこれるはずだ。

 なんとなく落ち着かないが、向こうがわざわざ餌を用意してくれるなら、ありがたく利用するだけだ。


「……まずい」


 カチャリとナイフとフォークを置いて、そう呟く。

 別に、味が悪いわけではない。むしろ、良すぎるからまずいことになるのだ。

 そう、このまま美味しいご飯を食べ続けると、今までの食べ物(仮)が食べられなくなるのだ。
 舌が肥えるとも言う。


「ぬかった……」


 まさかこんなことになるとは。少しあの男を甘く見すぎていたようだ。


「ぐにゅにゅ……」


 せっかくのご飯だ。食べないのはもったいない。だが、このままではアイツの思う壺だ。
 利用しているつもりが、まんまと餌付けされるなんて……!


「…………?」


 ん? 私はアイツを利用しているつもりだったはず……

 利用……安全で衛生的な住むところを、アイツを利用して得る。ということは、自分の力で得たことと変わりないのでは?
 アイツを頼ったのではなく、私だけの力で利用している……そうだ、別にこれは負けじゃない。
 むしろ私の完全勝利なのでないだろうか。そうに違いない。

 私はジューシーなーハンバーグを食べ終えると、内心ほくそ笑むのであった。

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