ダーティ・スー ~物語(せかい)を股にかける敵役~

冬塚おんぜ

Result 07 黄金の獣


 祈りの森での戦いは幕を閉じた。
 互いの欲望と策謀が渦巻く戦いは、ごく僅かな“個別の勝利者達”を生み出した。
 少なからぬ犠牲を払いながらも。



 ナターリヤ・ミザロヴァは馬車から這い出るや、まずは積み荷の無事を確認した。
 どうやら積み荷であるサイアンが大丈夫らしい事を知ると、次は御者の身を案じた。

 先程より川辺で吐瀉物を吐き出している彼は、決して緩やかではないあの坂道を見事に下りきってみせた。
 手綱さばきの腕前もさることながら、転倒の危険性のある足場を即座に見極める判断力、往路と同じ地点へ戻れるだけの方向感覚および記憶力は特筆すべきものがある。
 伊達にナターリヤの副官を務めてはいないという事だ。

 今回の作戦においても素晴らしい働きぶりを見せてくれた。
 あの無闇矢鱈に気障ったらしい言葉ばかりのダーティ・スーが放つ数々の意味深な発言から真意を読み取り、それをつぶさに報告してきた。
 結果的にやられたのはデモンストレーション用の金塊が贋物だと見抜かれた事と、この馬車の減速機構を破壊された事くらいだ。
 それと、馬が逃げてしまったという事か。


 ……ダーティ・スーに、こちらに対する殺意は無かった。
 森教の司祭――件の忌々しい村長と共謀する事も無い。
 むしろ(当人が意識していたか否かはさておき)妨害してみせたのだ。
 お陰でこちら側の死者は、三名ほどに抑えられた。
 できれば犠牲者皆無の快勝を夢見たかった所だが、戦に人死ひとじには付き物である。

 まして、ゴルレック――穏やかな気性を装って腹黒い事を考えるあの得体の知れない老人の、その魔手に掛かるなど癪というものだった。
 そうであったなら、ナターリヤは今頃もっと取り乱していただろう。
 目に見えた敵である帝国騎士団にやられたのは、せめてもの救いとも言えた。

 それとダーティ・スーは、予想外の貢献もしてくれた。
 サイアンの魅了を打ち消すだけにとどまらず、暴走させるなどといったゴルレックの暴挙にも、さほど苦戦せずに対処してみせた。
 あれなら本物の金塊を一つくらいは混ぜてやるべきだったかと、ナターリヤは今更ながら後悔した。

「ますますもって、泳がせておくには惜しい人材ですな……」

 ――そして、あの女に使わせるのも癪だ。

 ジルゼガット・ニノ・ゲナハ。
 ファーロイス共和国の侯爵家当主たる彼女は、あくまで商売上の付き合いだ。
 たまたま利害がぶつかり合ったとしても、お互い恨みっこ無しという前提で成り立つ関係である。

 とはいえ、些か恣意的に過ぎる采配ではないか。
 オルトハイムが彼女の差金であるというのは、ナターリヤの手勢の中では周知の事実だった。

 幸いにして討ち取ったにせよ、オルトハイムは不倶戴天の敵だった。
 いたずらに亜人狩りばかりに精を出す加虐趣味の狂人。
 そして、今もなおナターリヤの記憶に蔦を張る悪夢でもあった。

 確かに、祈りの森へ手勢を差し向けろという要請はした。
 だが、あれを寄越すならば事前に話を通して欲しいというのが、ナターリヤの偽らざる感想だった。

 冗談の類で済ませて良いものではない。
 明確な隔意、そして悪意が感じられる。
 あわよくば、手違いを装ってナターリヤを殺すという。


 ダーティ・スーのような腕の立つビヨンドを囲われては困る。
 では、どうすべきか。

 心折れた狂犬サイアンの純潔を、ナターリヤはダーティ・スーに捧げようと思い至った。
 ホムンクルスを作る為に必要な子種は、ビヨンドには無いらしい。
 それでも、サイアンをそれ以外の目的で貸しつけてやってもいいのではともナターリヤは考え、そしてやめた。

「あの御仁は存外、色事に奥手らしいからな……」

 ならばいっそ、自分自身が股を開くべきか。
 彼がこちらに悪感情を抱いている節は感じられなかったし、そうしてやるのも吝かではない。

 ……古傷が癒えていればの話だが。
 彼女は男を受け入れる為の穴がズタズタに引き裂かれ、火掻き棒で焼かれたのだ。
 無論、やられた箇所はそこだけに留まらない。
 思い返すに忌々しい暴力の残滓が、今も心身を蝕んでいる。
 杖に頼らねばならなくなったのは、そのせいでもある。

「ああ、つくづく憎い事をしてくれたよ、オルトハイム……」

 できれば、この手で殺してやりたかった。
 かつてやられた事を、そっくりそのままお返しした上で。



 ―― ―― ――



「……むう」

 下流まで漂っていた人影が起き上がる。
 それはかつて、帝国騎士団北方開拓部隊を束ねていた男だった。
 そして同時刻にナターリヤが呪詛を吐きかけた相手でもある。
 遠く離れたこの男に、それを聞き咎める術は無い。
 よしんば耳に入れた所で「傷の具合は如何かね」と冷笑混じりに腐すだけだろう。

「ふん!」

 男――オルトハイムは兜を脱いで後頭部を軽く叩くと、右目から鉛の破片が転がり落ちた。

「やれやれ、話が違うではないか。この私の目を撃ち抜くとは」

「ね? 油断するなって言ったじゃない」

 妖艶に微笑む美女が、男の背後から声を掛ける。
 失態を咎める言葉はしかし、声音はむしろ子をあやす母のようでもあった。

「おお! ニノ・ゲナハ侯爵!」

 ファーロイス共和国……この世界の名“ロイス”を冠する馬鹿げた日和見主義者の国。
 かの国の議会に名を連ね、女だてらにニノ・ゲナハ侯爵家当主を務めるのがこのジルゼガット・ニノ・ゲナハである。
 隔意を持った他の議員に比べ、ジルゼガットは帝国に対して非常に協力的だ。

 少なくともオルトハイムはその認識を疑うつもりは無い。
 ただ、日頃から浅慮で自制の足りない彼だが、己の危機に対する嗅覚は人一倍あった。
 怜悧で柔和な性格として知られる彼女の一面には、薄々ながらも勘付いていた。

「参ったわね。せっかく、騎士団の要職に就く所までお膳立てしてあげたのに」

「あの場で私を殺したのを目の当たりにしたのは、ダーティ・スーだけです」

「あら?」

 目を丸くしてみせたジルゼガットは、そのままゆっくりとオルトハイムに近付くや、彼の背を撫で、そして――、

「つくづく見通しが甘いのね。審問会に突き付けて首を切り落として、二度と起き上がれなくしてあげてもいいのよ?」

 耳元で囁くその声音こそ、彼女の本性だろう。
 底冷えするような冷気を纏った、低い声。
 粗相をした家畜に屠殺を仄めかすような、獰猛な殺意がそこには込められていた。

「……」

 オルトハイムは、返す言葉もなかった。
 裏を返せばそれは、オルトハイムからもそうとしか見えなかっただけに過ぎない。

「まあいいわ。とりあえず、まだあの女も私の思惑には気付いていないみたいだし。
 次辺りでダーティ・スーをこちら側に引き込むから、適当な言い訳を見繕っておかないとね」

 重圧から解放されたオルトハイムは、背中をじっとりと濡らす何かに気付いた。
 川を流されて浴びた水ではない。
 脂汗をかいたのだ。
 捕食者たるジルゼガットの本性を前に。



 ―― ―― ――



 祈りの森、その中心部に位置する集落にて。
 村長にして森教の司祭であるカルバ・ゴルレックは、眼前の大木――彼らで言う所の“世界樹の枝木”に祈りを捧げていた。

「我らに森の加護のあらん事を……」

 祈りの言葉を結ぶと胸の前で指を動かし、上向きの矢印のような軌道を描く。

 聖域たる森を脅かさんとするルーセンタール帝国を、僅か一夜にして退けた。
 それは快挙として誇ってもいいかもしれない。
 この後より多くの軍勢を率いてやってくるのでなければ。

“手が届かぬのであれば、跡形もなく壊してしまえばいい。今後一切、誰の手にも渡らぬように”

 帝国の掟であり、帝国軍の多くが略奪と破壊の大義名分としている一節である。
 彼ら度し難き暴虐の徒は、この森を決して諦めないだろう。


 だが、あのダーティ・スーなる者の噂は、かの国にこそ轟いている。
 何度か下山して情報を集めてきた諜報員からも、沈痛な面持ちと共に伝え聞いている。

 まるで、黄金の獣“ダハンリサン”のようであると。
 黄金の毛並みで欲に眩ませ、近くに寄った犠牲者達を容赦なく踏み潰していく。
 星明かり程度の頼りない光でも姿は明瞭に映り、夢に見ぬ夜は二度と無い。
 或いは物陰より密かに忍び寄り、恐ろしい悪意を囁き破滅へと追いやる。
 ダハンリサンを見た者も、そしてダハンリサンに見られた者も、一人とて無事では済まされないのだ。

「ダハンリサン……まさにそれであるな」

 初めは単なる格好付けの、調子付いた若造だと思っていた。
 だが、違った。
 こちらの策に乗るかと思えば利するでもなく、のらりくらりと躱していく。
 最終決戦まで一度とて顔合わせをしていないのに、これだ。
 胡散臭い錬金術士を罠に嵌めた時に奴の見せた顔ときたら、まるで並び立つ枯れ木を前にした木こりのようだった。

 ダーティ・スーとダハンリサン。
 名前の響きもよく似ている。

「私も同感だよ」

 横合いから掛かる旧友の声に、ゴルレックは平然とした面持ちで振り向く。
 初めからそこにいたのを、既に知っていたかのように。

「これは、リヴェンメルロン殿」

 クラサス・リヴェンメルロン。
 褐色の肌とカラスを思わせる黒髪に、雪のように白い衣服を纏っている。
 その左肩に止まっているのは、一羽のカラスだ。

「彼を野放しにするつもりは無い。少しだけ手は打ってある。
 少々時間は掛かるかもしれんが、上手くやれば帝国と共倒れになり、二度とこの世界に現れたりはしないだろう」

 親友の心強い言葉に、ゴルレックも頷いた。
 あれにはもう、関わるべきではないだろう。
 売国奴と悪名高い帝国宰相派との共謀も、おそらく見抜かれていたに違いない。
 今回は殆ど意図的に呼び寄せる形(それも詐話師まがいの胡散臭いエルフの口車に乗せられて)だったが、これ以上深入りすれば、それこそ無事では済まされまい。

 ゴルレックは今に至ってようやく確信した。
 この綱渡りは存外に危険極まるものだったのだと。

「……私としては、勿体無いとは思うがね」

 ゴルレックにしてみれば、そう嘯くクラサスには肝を冷やされた。
 あれが尋常な者の手に負えるような男か。
 いずれ大いなる災いを世にもたらすであろう輩を、よもや勿体無いなどと。


 この戦いから程なくして、彼の予感は的中した。
 尤もその頃には村人達を避難させ、彼だけが戦火の最中に斃れていた。



 ―― 次回予告 ――



「ごきげんよう、俺だ。
 諜報機関のエージェントっていうのは、女たらしが多いらしい。
 依頼主のお気に入りの子猫ちゃんが見事に誑かされやがった。

 お陰でボスも腹心もおかんむり。
 お鉢が回ってきた俺からすりゃあいい迷惑だぜ。

 お仲間はマッドサイエンティストに暴走族。
 果ては麻薬王にナチスの遺物まで!

 まったく。
 荒唐無稽は嫌いじゃないが、限度ってもんはあるだろう。
 ローストビーフでも喰って落ち着けよ。

 次回――
 MISSION08: 奪われたシルエット

 さて、お次も眠れない夜になりそうだぜ」



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