ユルスク星辰調査室

井上数樹

「ホフマンさん、見えてきましたよ」

 橇船の中で本を読んでいたホフマンは、リネットの声で一旦読書を中断した。極東の島国で買った花札を栞替わりに挟んで穴倉のような船室から這い出る。甲板に一歩踏み出した瞬間、上空と地上の両方から赤い光が襲い掛かって来た。慌てて色付き眼鏡をかけたが、まだ視界の中を火花が爆ぜている。西の方を見ると、真っ赤な太陽が地平線に下って行こうとしているところだった。

「凄い照り返しだな。夕方になってもこれか」
 舵を取っていたリネットが咎めるような声で言った。黒く焼けた精悍な顔立ちや漁師らしいがっしりとした体格から、村では若衆の頭目として扱われているが、それでも根っからの純朴さは抜けきれないでいる。
「気を付けてくださいよ。他所よそから来た人には、これで目をやられて、下手すると失明したりもしますからね」
「忠告ありがとう。胆に銘じておくよ」

 そうしてください、と言ってリネットは停止桿を引いた。橇の形状がゆっくりとハの字に変化し、船はゆっくりと減速する。それと並行してホフマンは帆を畳んだ。

「ホフマンさん、手慣れてますね。うちの村でもこれだけ早く帆を畳める人はそういませんよ」
「橇船に乗ったのは初めてだが、帆を扱うこと自体は十歳になる前からやっているからね。この程度なら目を瞑っていてもやれるさ」

 やがて船が完全に制止し、ホフマンは雲のようにも見える雪原に降り立った。靴は特別なものを履いているが、それでも踵がすっかり埋まってしまうほどの嵩がある。冬も終わりに差し掛かっているのに、これほど雪が積もっているのかと思うと、これからの冒険がいささか心配になってくる。が、そこで逆に挑戦心を掻き立てられるのがホフマンという男であり、また、それを克服出来る人物を求めて遥かユルスクまでやって来たのだ。
 船から十メルテほど離れた場所に、焼け焦げた廃屋が建っている。かつてユルスク星辰調査室と呼ばれていた建物だ。砲弾の直撃を受けた箇所がいくつかあり、望遠鏡があったであろう場所には、大きな台座だけが残されている。納屋は跡形も無く焼けており、藁一本落ちていない。
 だが、通気口やエーテル吸引機は修理されていて、地下に通じる扉は新しく据え付けられている。もちろん呼び鈴などついていないため、ホフマンは三回ノックしてからノブを引いたが、鍵がかかっていた。
 肩を竦めてホフマンは船に引き返した。倒れないよう杭を打っていたリネットに首を振るが、そのリネットが雪原の一点を指さしていた。見ると、鏡のように平らな雪の上を歩いてくる人影がある。片手に銃を持ち、片手にバケツをぶら下げていた。リネットが手を振ると、相手も銃を振って応えた。

「ミルッカさん!」
「やあリネ君、わざわざ……って、誰?」

 遮光用の仮面の下から、ミルッカが胡散臭そうな視線を向けて来る。ホフマンは眼鏡を外した。

「やあ、ミルッカ・ハララ君。私のことを憶えているかな」
「貴方は確か、回りくどい言い方をするおじさん……いや、冗談です。そんな顔しないでください。ちゃんと憶えてますよ、ホフマンさん」
 傷ついたのは「おじさん」という単語の方だったのだが、確かに否定するのも苦しい歳になってしまったな、とホフマンは思った。
「また会えて良かった。今日は、君とゆっくり話がしたいと思って来たんだ」

◇◇◇

 調査室の地上部分は崩壊しているが、地下は何とか形を留めていた。だが、恐らく一度荒らされたのだろう。壊れた椅子や机、蹴破られた扉の跡など戦争の痕跡を思わせる箇所がいくつもあった。防寒設備が十分でないのか、地下一階の大部分は凍り付いてしまっている。
 そこからさらに降りて地下二階の居住区に入ると、綺麗に整えられた食卓や元気にエーテルを燃やす暖房機が一行を迎えた。

 ミルッカはライフルを壁に立てかけフードを脱ぎ、遮光面を外した。煩わし気に首を振ると首に巻き付けた三つ編みの金髪も一緒に揺れる。その仕草に、ホフマンは一瞬我を忘れて立ち竦んでしまった。
 四年の時を経て、かつて少女だったミルッカ・ハララは美しく成長していた。背が伸びて女性らしい身体つきになったこともあるが、何よりも哀愁を含んだ美貌が印象的だった。
 長く伸ばした金色の髪を緩く編み込んで、キルスティンのように首の周りに巻いているが、顔立ちや雰囲気は似ても似つかない。キルスティンがどこか穏やかな空気を漂わせていたのに比べミルッカの整った目じりや鼻梁は冷淡ささえ感じさせる。灰色の瞳を長い睫毛まつげが飾り、薄紅色の唇は自然と引き締められていて、無表情さに一層拍車をかけていた。よく見ると唇の左端に小指の爪程度の切り傷が出来ていることに気付いたが、それで彼女の印象が損なわれたりはしない。むしろ、彼女がまだ人間であると判断する材料にさえなっていた。
 ミルッカはバケツを奥の寝室へと運んだ。上に布が掛けられているので中身は見えないが、コツコツと硬質な何かのぶつかる音がする。左手の小指には上手く力が入らないようで、握りの部分から少し浮いていた。

「ちょっと待っててください、すぐに夕食の準備をしますから」
「いや、食べ物は持ってきたよ。それを摘まみながら話しをしよう」
「そうですか? じゃあ、ちょっと座って待っててください。着替えてきますから。リネ君も、勝手にお茶とか飲んでくれて構わないからね」
「はい、いただきます」

 ミルッカが着替えに行っている間、ホフマンは持参した食べ物をクロスの上に並べながら部屋の中を観察した。可能な限り綺麗に掃除された台所には使い古した茶葉が捨てられず残っており、飴色の魚の燻製がいくつも吊り下げられている。ミトンやエプロンは継ぎ接ぎだらけで、手持ちの物資を少しも無駄にしていないことが伺える。だが味気ないわけではなく、小さな木の籠にはドライフラワーが溢れ、石を削って作られた小人や動物の彫像があちこちに置かれている。近くに値札が置いてあることから、手慰みで作った土産品で小遣い稼ぎをしているのかもしれない。
 壁にはコルクボードがかけられ、新聞の切り抜きが何枚も留められていた。ルテニア軍の戦勝に関するものばかりで、そこには決まって一人の女性の肖像写真が載せられている。その下の台にはぼろぼろになったルテニア語の辞書が置いてあった。

「そこに写っているのがキルスティンさんですよ。エスタリアでは知られてませんか?」
「いや、名前は聞いたことがある。彼女の予測のおかげでずいぶん多くの船が沈められたと、グントラムの知り合いが嘆いていたよ。エーテルの移動を正確に把握出来れば吸気量も割り出せるし、そこから艦船の稼働率も予測出来る。ルテニアが勝てた一因だ」

 新聞紙上では、キルスティンはまるで勝利の女神か何かのように書かれている。メディアとしても、見栄えのする人間が功績を挙げてくれてやりやすかったに違いない。軍からいくつも表彰を受けたとも書かれている。

「キリは、そんな風に書かれたくなかったはずです」

 白いシャツに切れ端を合わせて作っただぼだぼのズボンという姿で出てきたミルッカが言った。髪を括り、白いうなじを無造作に晒している。姿格好に対する気配りが全くなされていないにも関わらず、着飾った貴婦人よりもずっと艶やかに見えるのは卑怯だな、とホフマンは思った。

「ご飯にしましょうか」

 食卓についた一同は、ホフマンの差し入れやミルッカが作り置きしていた料理を囲んで談笑した。各人がそれぞれ非日常的な体験を潜り抜けてきたこともあって、その話を肴に酒がどんどん減っていった。リネットは従軍した時のあれこれを語り、ホフマンはこれまでの冒険で見知ったことを披露した。そうしてミルッカの番になった時、ホフマンはこの四年間彼女がどう過ごしてきたのか尋ねた。戦争はルテニアとグントラムだけでなく、その周辺国の人々にも大きな影響を及ぼしていて、誰もが大なり小なりその余波を食らっている。果たして彼女の戦争がどのようなものであったか、ホフマンは興味があった。

「僕は、戦争はほとんどしてませんよ。最初の辺りに怪我をして、レンジャーも首になって、退職金を片手にあちこちをぶらぶら旅してました」
「ユルスクを離れていたのか」
「ええ。そうしろって言われたから。でも、旅人気分であちこちを回るのは楽しかったですよ。その土地に何の責任も持たないで済みますからね。だから、結局どこにも根付けなくて、去年戦争が終わったのを契機にここに帰ってきました」

 どんなに住みにくくても、ここ以上にくつろげる場所はありませんから。とミルッカは言った。その言葉に嘘はない。到底裕福とは言えない生活を送っているが、それでも彼女にとっては十分満足することの出来る家だった。
 唯一つ、欠けている存在ものを除いて。

「退屈はしないか。同じ場所にずっと居続けるというのは」
「日々の食べ物を得るだけでも大変ですから、退屈はしていません。それに、やらなきゃいけないこともあるから」
「遺骨集めが?」
「……分かりましたか?」
「音でね。それを踏まえて考えると、まるで僧侶の生活だな」

 ミルッカは苦笑した。よりにもよって自分が僧侶とは、と思ったからだ。

「僕は俗物ですよ。落ち着かないからやってるだけです。だって、自分の家の庭先に人の骨がごろごろしてるなんて嫌じゃないですか」
「そうかい?」
「そうです」

 そう言って、何喰わない顔でミルッカは酒杯を呷った。酔いが回ったのか少し頬が赤くなっている。

「そろそろ本題に入りませんか? 何か僕に言いたいことがあるから、こんな辺鄙へんぴなところまで来たんでしょう?」
「その通りだ」

 ホフマンは鞄から数枚の書類を取り出してテーブルの上に広げた。ミルッカはすり切れた辞書を片手に目を凝らす。この四年でずいぶん読めるようにはなったが、まだ辞書が無いと心もとない。
 ミルッカは文書の中に極海領、さらには「神々のフラスコ」という文言が書かれていることに気付いた。

「先の戦争が起きる以前から、極海領は天然資源の宝庫と目されてきた。ルテニアとグントラムの最初の小競り合いが起きたのだって、漁業権の取り合いが原因だ。今では高濃度のエーテルが吹き付けることも分かって、それを採取し都市へ送るための大規模なインフラ整備まで計画されている。つまり、極地開発の利益を得るためにまた国同士のいがみ合いが起きる可能性が高いということだ」
「戦争ですか」
「それだけに限らないが、戦争だって頻発するだろう。だが北半球の二大国家が三年間総力戦をやっただけで、世界中に多大な被害が出てしまった。当事者である二国も含めて、もうどこも総力戦なんてやりたくはないだろう。それでも国家の面子とか、資本家の都合とか面倒な事情が絡んでくるから、交渉で済ませることは出来ないだろうね」
「どうしようも無いですね……」
「私もそうだと思う。しかし、それが国家というものだ」
 だからこそ、とホフマンは続けた。
「国家の枠組みを超えて活動する団体が、極海領の開発を引き受けなければならない。多国籍人によって構成され、開発によって得られる利益を可能な限り公正に分配しつつ、極海領の学術調査と環境保護も同時に行う。そんな組織の立ち上げが、この一年間で急速に進みつつある。そして第一の目標は、多国籍人によって編成された探検隊で『神々のフラスコ』の最深部、すなわちこの惑星の北極点に到達することだ。率直に言おう、ミルッカ・ハララ君。どうか私達の探検隊に加わってくれないだろうか」

 ミルッカは表情を変えなかった。書類に視線を落したままゆっくりと文章を読み進めていく。ぽつりと「詐欺ではなさそうですね」と言った。ホフマンは苦笑して「手厳しいな」と返す。

「僕なんかが入った所で、足を引っ張るだけじゃないですか?」
「そんなことは無い。むしろ、我々は君の能力を非常に高く評価している。気を悪くするかもしれないが、君については色々と調べさせてもらった。ルテニアの天体観測庁からも情報を貰っている。十三歳で『神々のフラスコ』を単独突破し、一年半のレンジャー稼業でいくつかの事件を解決している。グントラムの侵攻にも」
「その話は無しにしましょう」
「……分かった。ともかく、決して洒落で声をかけているのではないことは、分かってくれるかな」
「ええ。でも、今ここで答えを出せってわけでもありませんよね?」
「当然だ。よく考えて欲しい。だが忘れないでくれ、我々には君の力が必要なんだ」

 それからしばらくして、ホフマンとリネットは席を立った。ミルッカは二人が橇船に戻るのを見送りに地上へと出てきた。風は吹いておらず、星のよく見える素晴らしい夜だった。
 ホフマンは白い息を吐きながら、圧倒されたように「凄いな」と呟いた。

「さすがは世界の果てと言われるだけはある。同じ星の大地とは思えないな」
「何も無い場所ですよ。星が手掴みで採れるわけでもないですからね」
「そういう場所で育った君だからこそ、私は期待しているんだ。世界のあちこちには様々な土着の英雄譚が存在するが、得てしてその英雄たちは、どこからともなく現れる。マレビトと言ってね、時には神様だったりもするのさ。都会の人間からしてみれば、君はまさにそういう存在たり得るのではないかと思うのさ」
「はは、僕が英雄ですか。買いかぶりが過ぎますよ」
 ミルッカは積もっていた雪を蹴り崩した。大人びた容姿に似合わない、子供のような仕草だった。
「僕は利己的で、自己中心的な人間です。それでいて、誰かに依存しなきゃ生きられなかった。その依存のあまり取返しのつかないことをしてしまって、挙句、ずっと一緒に居たかった人とも二度と会えなくなってしまいました」
「…………」
「四年間あちこちを旅して、僕はずいぶん大人になったと思います。自分に出来ることなんて知れていて、取るに足らないものであることが、世界にとっては当たり前なんだって。小さいころは、大人がすごく大きく見えていたけど、いざ自分が二十歳になると、大人の大きさなんて大抵張りぼてに過ぎないんだって分かりましたよ」
「ずいぶんニヒリスティックに世の中を見るのだね」
「僕自身も含めて、です」
「そういう見方は……敢えて言おう、あまり良くない。第一、君はまだまだ若いじゃないか。他人に対してはともかく、自分を卑下するにはあまりに若すぎる。そういうことは、もっと歳をとってからするものだ」
「ホフマンさんは?」
「私だってまだ若いさ。ようやく三十路を越えたところだ。この程度で老人呼ばわりされるつもりは無いね」
「でも、変わりはしたんじゃないですか? 昔、僕に必要という言葉に縛られるなと言ったのは、貴方でしたよ」
「……君は本当に手厳しいね。私だって変節はするさ」
「ちょっと意地悪を言い過ぎましたね。ごめんなさい」
「いや、いいよ」

 ホフマンとリネットは船室に引き上げた。

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