ユルスク星辰調査室

井上数樹

第四節

 ミルッカの帰りがあまりにも遅いことを訝しんだキルスティンは、彼女がどういった行動をとったか、手にとるように分かった。元来無茶をしがちなミルッカのことだから、たった一人でグントラムと戦うつもりなのだと気付いてしまったのだ。

 午後三時ごろを過ぎた時点で、漁村にマリエスタードより出撃してきた艦隊が到着した。輸送艦の一部を避難用に割り当て、それ以外の艦は事前情報に基づいて侵攻してくる敵艦隊を迎え撃つ運びとなっていた。
 その指揮官の中に、キルスティンは見覚えのある人物の姿を見つけた。あまり良い記憶ではなかったが、ミルッカを迎えに行くためにも、キルスティンは手段など選んでいられなかった。

「調査官殿、艦に引き上げます。その少女は医務室に運ばせましょう」
「ありがとうございます、ボルト中佐」
「そういう約束でしたからな。私とて、その程度は守りますよ」
「…………」

 彼の後に続いて彼女は戦艦のタラップを上った。担架に乗せられたミルッカは、キルスティンと反対の方向に運ばれていく。しばらくその姿を眺めていたが、後ろ髪をひかれるような想いを絶ってキルスティンは歩き出した。
 士官用のやや大きめの船室に通されたキルスティンは、ボルトに促されるまま椅子に腰かけた。執務用の簡素な机を挟んで二人は向かい合う。いくら士官用とはいえ軍艦なので、ずいぶん窮屈に感じたものの、それでも兵卒に充てられたスペースとは雲泥の差だ。ましてや、海軍の人間でもないのにこれほどの部屋を与えられるのは、それだけボルトが特殊な立ち位置であることを表している。
 水兵がコーヒーを盆に載せて入って来た。ボルトはぞんざいな手つきでそれを受け取り、キルスティンは「ありがとう」と微笑みながら言った。まだ若い、というよりも幼い水兵で、顔を赤らめながらぎこちない敬礼をして部屋から出ていった。そんな姿を見て微笑ましい気持ちになるとともに、これから戦闘に向かう艦にあんな子供が乗っているのかと、恐ろしく思えてしまう。

「あんな子供まで、戦いに行くのですね……」
「そうだ。君のところのレンジャーと同じようにな」
「……お国のため、と思って戦っている兵士はどの程度でしょうね」
「君には分かるかね?」
「あまり多くは無い、ということだけは、断言出来ます」

 ボルトは鼻で笑った。彼とて、嫌われていることは分かっているから、もう無駄にかしこまった態度をとるつもりも無かった。

「君が私のことを嫌っているのは、よく分かっている。先日会った時もそうだったな」
「それは……そうですね、ええ。ずいぶん無礼な人だと思いました」
「ふん」
「ですが、ミル……私の同僚を助けてくれたことには感謝しています。無理を聞いてくださったことも。ありがとうございました」

 そう言って、キルスティンは頭を下げた。

「どうということは無い。そもそもそういう約束だっただろう。先ほど連絡があったが、君の言った通りの位置に敵の工兵が集まっていたそうだ。あそこを橋頭保にするつもりだったのだろうな」

 ミルッカを助けることを条件に、キルスティンはボルトと取引をしていた。一部の部隊を割く代わりに、『精霊の眼』を使って敵の集積所を探せというものだった。たとえ吹雪のなかであっても、彼女の『眼』はエーテルの乱れを感知出来る。大規模な工事が行われていれば、それを見つけ出すことなど大して難しくはない。
 つまるところ、敵兵の命を対価としてミルッカ一人を買ったわけだ。それを忌まわしいとは思っていたが、あの状況ではそれ以外に打つ手など無かったし、あと一歩遅ければミルッカも殺されていたことだろう。結果的に、彼女を救い出すことは出来た。そして、それが目の前にいる男の力に依るということも、認めなければならなかった。

「……今度の戦争は、長引くと思いますか?」
「恐らくな。今我々が乗っているこの船には、従来よりも小型で、かつ効率の良いエーテル機関が積まれている。つまり、弾や食料をより多く積める上に、これまでより長い距離を高速で移動出来るというわけだ。陸上でも新型エーテル機関を利用した兵器は続々と建造されている。敵も同じようなものを用意出来るとしたら、これまでになく激しい戦いとなるだろう」
「…………」
「だが、いくら兵器が優秀だろうが、戦局を決めるのは戦略だ。そして、戦略を立てるには何よりも情報が必要になる」
「それを、私に手伝えと?」
「そうだ。視霊士の力があれば、今日のように敵の動きなど容易に察知できる。そうでなくとも、優秀な星辰調査官が一人いるだけでもずいぶん違う。待遇に関しては保証しよう。命も、なるべく危険に晒されないようにしたい」

 キルスティンは何も言わずに黙り込んだ。コーヒーの黒い表面に、眉根を寄せた自分の顔が映っている。
 今日、戦争がどういうものか少しだけ分かった。ミルッカの服は真っ赤になっていたが、おそらくそれは、彼女だけの血ではないだろう。自分や、自分たちが営んできた生活を守るために、ミルッカは銃を取って戦った。そして殺し、危うく殺されかけた。
 同じように、殺人と縁の無かった無数の人間が、そういう場所に駆り出されて互いに殺し合う。どれほど取り繕ったところでそれが戦争の一側面であることに変わりはない。
 目の前で人が殺される光景はあまりにショッキングなものだった。それを見てしまった以上、もう自分は以前と同じままではいられない。人間は他者の死を目にして大きく変化する。それまで抱いていた価値観や思考に疑いを抱いてしまうほど、死という事象は鮮烈に焼き付けられる。ましてや己の手で人を殺した人間は、どういう風に変容するのだろう。

「一つ、質問しても良いですか」
「どうぞ」
「これからの戦いは、この極海領の奪い合いになりますか?」
「そうなるだろう。敵の目的はマリエスタードを陸から攻めることにある。そのためにもユルスク雪原は何が何でも確保したいはずだ
「ユルスクに居た人達は……」
「避難するか戦うか、二つに一つだ」
「…………」

 ミルッカはすでに人を殺してしまった。あるところ、自分も似たような場所に居る。
 そして、自分に残された時間は、元よりさほど長くは無い。
 怪我が治れば、ミルッカはまたユルスク雪原とそこでの生活を守るために戦おうとするだろう。そんなことを繰り返していれば今度こそ本当に死んでしまう。自分はいつまでもミルッカを守れるわけではないのだ。

「……星辰調査官は、そう簡単にはやめられない職業です」
「それで?」
「ですが、やむを得ない事態、あるいは公的機関からの要請があった場合、正当な理由であるとして退職が認められます。ボルト中佐、観測庁に要請書を書いてください。手続きが済んだら、私が軍のお仕事を手伝います」
「結構。すぐにでも用意しよう」
「私はこの戦争を終わらせるために力を尽くします。個人的には、はっきり言って、貴方のことは嫌いですが、その辺りの感情は同じであると信じています」
「一言多い人だ」

 そう言ってボルトは肩を竦め、ブザーを押した。走って来た水兵に彼女を船室へ連れていくよう命じ、すぐに要請書の作成に取り掛かった。

◇◇◇

 キルスティンは、そのまま船室に向かうことはしなかった。彼女をエスコートしていた水兵に頼んで医務室へと連れて行ってもらった。
 戦艦の医務室というだけあってずいぶん大きな部屋が割り当てられていたが、一人当たりに割けるスペースはさほど広くはない。一か所だけカーテンで仕切られたベッドがあって、そこにミルッカが横たわっていた。ちょうど処置が終わったところのようで、ミルッカはあちこち清潔な包帯に包まれていたが、頭の部分は薄らと血が滲み、顔にも青痣あおあざが出来ていた。

「すみません、しばらくこの子と居ても良いですか?」
 キルスティンは軍医に頼んだ。
「短時間なら許可します。出血が少ないのでさほど発熱もしないでしょうが、心身両面の疲労が大きいようなので、休息が必要不可欠な状態です」
「分かりました。ありがとうございます」

 軍医はカーテンを閉めたうえで、水兵を伴って部屋の外に出てくれた。
 キルスティンはぼろぼろになったミルッカの顔を覗き込む。あまりに痛々しい姿に、自然と涙が溢れてきた。

「どうして……」

 頬に出来た痣に触れ、それから前髪をかき上げる。ミルッカの肌はぞっとするほど冷え切っていた。傷だらけの唇は紫色で、細かく震えている。

「……キリ」
「ミル!」

 それが単なる譫言うわごとであると気付いた時には、もうミルッカは眼を覚ましていた。

「キリ……良かった、無事だったんだね。ちょっとドジふんじゃったよ。花冠を流していたら、こんなことにはならなかったかな……」
「馬鹿! こんな有様になってるのに、私の心配なんてしてどうするのよ!」
 ミルッカと知り合ってから、恐らく一番声を荒げたのはこの時だっただろう。だがミルッカは意に介さず笑った。
「僕は良いんだ。キリさえ傷ついていなかったら、それで何も問題は無いよ」
「何が……問題無いなんて、そんなわけない! 貴女一人が傷つけば良いなんて間違ってる!」
「良いんだよ、僕にはそれで。僕は僕自身の居場所を守りたかった。そこには、キリが居てくれなきゃダメなんだ。君と一緒に過ごす星辰調査室の日常を、いつまでもいつまでも、続けていたかった。だから戦ったんだ」

 それはミルッカが心の底から思っていることだった。自己形成の時点で深い孤独を植え付けられたミルッカ・ハララという少女は、常にそれを癒してくれる人や場所を求め、そして裏切られてきた。そんな彼女が初めて手にした安住の地こそ、あの狭苦しい星辰調査室だったのだ。
 だが、キルスティンはミルッカの望むような言葉を言わなかった。

「……私は、いつまでも貴女と一緒にはいられない」
「…………」

 沈黙が狭い囲いの中を埋め尽くした。ミルッカはじっとキルスティンの琥珀色の瞳を見つめ、彼女もまた同じようにミルッカの灰色の眼を覗きこむ。その中に隠されている互いの本質を探り出そうとするかのように。

「私と貴女は別々の人間よ。変わらずにはいられないのよ」
「君は昨日、変わらないものがある方が良いって言ったじゃないか」
「だからよ。人間の世界は常に変わり続けるわ。だから、星を見上げてきたのよ。ミルだって本当は分かっているはずよ、変わらない日常なんてどこにも無い。人間にそれを押しとどめる力なんて無いのよ」
「……そんなこと言わないでくれ」
「否定するってことは、ミルだって本当は理解している証拠よ。そうでしょう?」
「だとしても、僕はそんなこと認めたくない」
「なら、私がどこにも行かないように縄で縛りつける?」
「そんな言い方は卑怯だよ……」
 ミルッカは寝返りを打って顔を背けた。その背中に向けてキルスティンはなおも語り掛ける。
「ミル、私、調査官を辞めるわ」
「…………」
「今度の戦争は、このユルスク雪原が戦場になるそうよ。極海領に住む人たちは、逃げるか戦うかの二つに一つだって、そう言われたわ」
「……キリはどうするの?」
「戦いに行くつもりよ。この眼の力で、少しでも早く戦争が終わってほしいから……だから、ミルは出来るだけ遠くに逃げて」
「僕が納得すると思う?」
「思わない。ミルのことは、私が一番良く知ってるもの。だから分かるのよ、ミルはここを守るためにまた今度みたいなことを繰り返して、そうするうちにいつか死んでしまうわ」
「次は上手くやるよ」
「今日助かったのだって間一髪だった。そんな幸運が、いつまでも続くわけがないわ」

 ミルッカは言い返せなかった。それが事実だと彼女自身気が付いているからだ。そして、ユルスクに居る限り誰に命令されずとも自分は戦うであろうことも。
 キルスティンは、そんなことは止せと言っている。

「ミル、どうか、私のためだけに戦おうとしないで。貴女は貴女の人生を精一杯生きて」
「そんなのキリの押し付けじゃないか! そう言うなら、君のために戦うことだって僕の自由だ!」
「……ええ、そうね。私がミルに対して、勝手にそう望んでいるだけよ」
「なら!」
 ミルッカは布団をはねのけて跳び起きた。あばら骨が多少痛むが、興奮した彼女には取るに足らない痛みだった。
 そんなミルッカを、キルスティンはしっかりと抱きしめた。
「だからこそ、私のお願いを聞いてくれない?」
「か、勝手だ……そんなの、勝手すぎるよ……! 生きろって言うなら、キリだってそうじゃないか。何で僕にばっかり、生きろ生きろって……」
「私には、老いるだけの時間が無いから」
「…………え?」
「歴史上に現れた視霊士は、ほとんどが二十歳になる前に死んでいったそうよ。今でこそ色付き眼鏡や治療法が普及してマシにはなったけど、それでも、普通の感覚にさらにもう一つ別の感覚を付け加えるのは、脳にとても大きな負荷を掛けるの。だから脳の萎縮も早いし、二十歳を超えたら認知症を発症して、どんどん記憶を失っていく。最後は歩いたり話したりすることも出来なくなるわ。そうなったら、生きているのも死んでいるのも同じでしょう?」
「そんな……だからって、戦争なんかに行くことはないじゃないか。余計に『眼』を使ったら、キリは……!」
「私は自分の命に意味を持たせたいのよ。誰かに依存することもなく、私自身の力で。きっと、今がその時なんだって、そう思うの」
「それじゃあ、死ぬために生きてきたって言ってるようなものじゃないか! どうしてキリが、そんな……」
「良いのよミル、それが私の運命。この『眼』を持って生まれた時から決まっていたことだから。とっくに覚悟も出来ているわ」

 だから、とキルスティンは続けた。

「ミルには人間らしく生きて欲しい。貴女の命は、私よりもずっとしなやかだもの。土地にも人にも歴史にも縛られず、与えられた可能性を精一杯使って、その命を全うして欲しい」

 キルスティンの言うことは、単に彼女自信の望んでいることに過ぎない。それをミルッカが果たそうとする義理はどこにも無いし、そもそもその言葉自体が彼女を縛る鎖にもなり得る。キルスティンとてその程度のことは理解しているが、だとしても、望まずにはいられなかった。

「愛する人の生が豊かであることを望むのは、人間として、ごくありふれた感情でしょう?」

 そう言って、キルスティンは封蝋ふうろうに刻印するように、ミルッカの傷だらけの唇に自分自信のそれを重ねた。それこそ押し付けるような、一瞬限りの接吻だった。性的な意味合いなど微塵も無く、神が人の形をした土塊つちくれに息を吹き込んだ時のように、何かを託そうとする口づけだった。
 目を丸くしたミルッカがその感触を捉えようとした時には、すでにキルスティンは唇を離していた。こやみなく溢れていたミルッカの血がキルスティンの唇を浸し、口紅を塗ったかのように赤くなっていた。

「お別れよ、ミル。元気でね」

 抱擁が解かれる。それまでミルッカの感じていた温かさが、急速に遠ざかっていくような気がした。立ち上がり踵を返すキルスティンを追いかけたかったが、金縛りにあったようなミルッカは身動きも取れず、鮮やかな紅い髪が扉の向こうに消えていくのをただ眺めているしかなかった。
 ミルッカの眼に涙が溢れる。乱暴にベッドの上に倒れ込んだミルッカは、顔を両手で覆ってただ咽び泣くことしか出来なかった。

◇◇◇

 数時間後、ルテニア艦隊が最後の補給を済ませた際に、ミルッカは後方へ退却する輸送船に運び込まれた。何とか立ち上がって歩くことの出来たミルッカは、人や物の流れに押し流されるようにして退艦させられた。
 ようやく移動を終えた時、舷側を歩いて艦橋に向かうキルスティンの姿が見えた。思わず手すりから身を乗り出したが、両艦の間に架けられていた橋は片づけられゆっくりと遠ざかりつつある。その時の横顔が、ミルッカが最後に見たキルスティンの姿となった。

 そして、四年の時が流れた。

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