ユルスク星辰調査室

井上数樹

第二節

 グントラム帝国はユルスク雪原に艦隊を進攻させるにあたり、その橋頭保を築くべく三小隊百五十名からなる先遣隊を向かわせていた。北国出身の兵士によって構成されたこの部隊は、ほとんどが工兵で占められており、海岸沿いの灯台を占領し利用することを目的として行動していた。本隊が到着する前に物資集積所や仮司令部を作り、今後の作戦展開を円滑にするという任務も背負っている。
 したがって、戦闘を専門とした集団ではなかった。
 もちろん二十名の精鋭からなる猟兵部隊が護衛についているが、総攻撃を食い止められるような人数ではない。故に、さっさと任務を遂行して本隊と合流したいというのは、彼らの一致した意見であった。

 士気は高くない。いくら北国育ちとはいえ、ユルスクのような雪と氷と岩しかないような場所に居れば気も滅入る。敵地に最初に送り込まれたことも貧乏くじを引かされたと感じる一因となっていた。おまけに太陽が見えないほど空が曇り、降ってくる雪も横に流れているとなれば、奇襲されるかもしれないという危機感を抱かずにはいられない。
 故に、部隊で最初の戦死者が出た時、一定のペースで進んでいた作業がぴたりと凍りついてしまった。
 頭の上半分が吹き飛び、隣で作業していた兵士の顔に血が飛び散った。
 一瞬遅れて銃声が届き、それを合図に、工兵たちは岩礁に逃げ込む小魚のように遮蔽へ飛び込んだ。
 ライフルを抱えた猟兵が八名、銃声の聞こえた方に向けて移動する。小隊長と思しき兵士が双眼鏡を片手に周囲を観察している。

 エーテル・ガンの装填を終えたミルッカは、肉眼で吹雪の向こうに敵の姿を捉えると、無表情のまま引き金を引いた。双眼鏡を構えていた男の胸に大穴が開き、地面にパッと赤い血だまりが出来上がる。
 残酷なことをしているとは思うが、ミルッカは、良心の呵責を微塵も感じていなかった。恐れはあるが悲観してもいない。ただ冷徹に、ユルスクへと入り込んできた敵を殲滅することだけを考えていた。
 自分とキルスティンの生活を乱そうとする者は全て排除する。ようやく手に入れた自分の居場所を、愛する人ただ一人を守るためならば、何十人何百人が不幸になろうと知ったことではない。何故連中のために自分たちの家を燃やさなければならないのか。己が理不尽の海に突き落とされそうになっているのなら、他者を蹴落としてでも流氷の上に立ち続けよう。
 ミルッカの眼には、グントラムの兵士たちが皆強姦者のように映っていた。ユルスクという、自分たちの土地に踏み入ってくる狼藉者の集まり。ミルッカは、男根を切り落とす魔女のように振る舞おうと決意していた。

「あと二三人。逃げ出すまで、殺し続けてやる……」

 そう呟きながらミルッカは身を翻し、丘の反対側に滑り降りた。
 正面から訓練された軍人と戦っても勝機は無い。搦め手を使っても五分とは言えないだろう。それでも、ユルスクの土地と気候を知り尽くした自分ならば遅れをとらないと確信していた。
 風が強くなりつつある。視界が灰色に染まり、雪に刻まれた足跡もあっという間に埋められ消えてしまう。まだ百メルテほど先まで見通せるが、じきに五歩手前くらいまでしか見えなくなるだろう。もう狙撃は出来ないが、それは敵とて同じことだ。
 敵が追ってこないようならまた引き返す必要があるが、その心配はしなくて済みそうだ。風の音に紛れて犬の鳴き声が聞こえてくる。軍用犬をけしかけて動きを止め、その間に接近するつもりなのだ。無論、むざむざと捕まってやる義理は無い。

 敵意を感じた。メギゥに襲われた時と似たような感覚だが、巨人の剛腕ほどのプレッシャーは感じなかった。ミルッカは横に跳んで、背後から襲い掛かって来た軍犬の牙より逃れた。だが、態勢も立て直さない内に二頭目、三頭目が現れては噛みついてくる。
 だがミルッカも黙ってやられる気は無かった。転がりながら腰に提げた大型ナイフを抜き、飛びかかって来た犬をすれ違いざまに斬りつけた。血液が頭上から降りかかりミルッカのフードを赤く染める。そのままナイフを別の軍犬に投げつけて動きを止め、エーテル・ガンの銃床で頭蓋を殴りつけた。

「ッ!」

 目を離した隙に軍犬の牙がミルッカの腕を捉える。骨が軋み、さすがに背筋が冷えるのを感じたが、それでもミルッカは取り乱すようなことはしなかった。空いた方の腕でピストルを抜き、噛みついた犬の眼窩に銃口を突き刺して引き金を引いた。
 こと切れてからも犬の顎には力が込められたままだった。何とか犬を払い落として武器を回収し、その場を離れる。
 牙は皮膚まで達していなかった。防寒着の生地に助けられたが、腕にかかった圧力は確かに効果があったようで、左手の指が痺れて動きにくくなっていた。興奮しているのか痛みはほとんど感じないが、長引くと響いてくるかもしれない。

「犬は、まだいるかな……いたらちょっと、厄介だな」

 耳を澄ませるが、風の音と雪を踏む音、そして自分の呼吸音しか分からなかった。太陽の位置は見えないが方位磁石があるので進む分には困らない。風の勢いが強いので、足跡を追われる心配はしなくても大丈夫だろう。が、もたもたと歩いているわけにはいかない。
 肩にバックパックの紐が強く食い込んでいる。小さい身体に不釣合いなほど多くの装備を抱えたまま、ミルッカは雪の上を駆け足で移動していた。重量自体が増しているため、いつものように素早く動くことが出来ないが、それでも常人に比べれば遥かに移動速度は速い。
 だが、運動量が増えるということは、それだけ疲労も熱も溜まっていくということだ。すでに下着が汗に濡れ、行場を失った熱気が服の下に充満している。温まっている間はまだ良いが、冷えて来ると一気に震えがくるだろう。
 疲労については考えないことにしていた。身体が動く限り戦い続けるつもりだが、足が止まればそこが死に場所になる。それならそれで、岩なり窪みなりを利用して最後まで撃ち合いを続けるのも一興だ。

 それでも、どうせやるなら一人でも多くの敵を無力化したい。
 ミルッカは温度計を取り出した。現在、零下9.5℃。夏終わりということを考えればかなり寒い方だ。一方、風速は秒速16メルテで、猛吹雪と称せるだけの風が吹いている。

「これなら武器になる……」

◇◇◇

 三頭の犬の死骸を見つけた時、マックス・バント曹長は襲撃者が単独であることを確信した。犬たちはそれぞれ異なった方法で殺されており、もし敵が複数人いるならば、わざわざナイフ、鈍器、ピストルと使い分けたりはしないだろう。犬の牙にカリボウの毛が絡みついていることからも、戦闘がどういう風に推移したか想像出来る。

「ずいぶん荒々しい、というか、まるでけだものだな」
 防寒具代わりの口髭を撫でながらバントは言った。
「一人で殴り込みをかけてくるような奴です。頭がイカれてるのかも……」
「かもな。斥候なら黙って本隊に知らせるだろう……撃ってきたってことは、敵は戦うつもりでいる。理由は分からんが、それで戦死者が出たらつまらん。犬の鼻を頼りに追い詰めて、きっちり仕留めるぞ」
「ハッ!」

 バントは七名の部下と五頭の犬を引き連れて移動を開始した。全員、雪国育ちで吹雪には慣れているが、ユルスク雪原の寒さにはさすがに閉口しているようだ。彼自身、グントラム最北端の街で育った男だが、それでもここほど寒い所ではなかった。
 やはりこの風のせいだろう。秒速16メルテなどほとんど台風並みだ。そんな場所に橋頭保を作ることが出来れば、マリエスタードを陸から攻めることも出来るだろうし、ルテニアもそう簡単に取り戻すことは出来ない。
 一兵卒の彼が戦略のことなど考えても仕方が無いが、これからどこに行かされるかくらいは知っておくべきだと思っている。それが覚悟につながり、ひいては生存に役立つのだという経験則をバントは持っていた。学は無いが、だからこそ自分の経験には絶対の自信がある。

 やがて、ごつごつとした岩の覗く斜面に出た。無論吹雪によって視界が遮られているが、なぜか雪はあまり積もっておらず、ブーツの裏がやや滑るような感じがした。

「隊長、何か変な臭いが……」

 部下の一人がそう言った時、バントも周囲に漂う異臭に気付いた。まるで卵の腐ったような、という比喩が脳裏に浮かんだ時、銃声とともに一頭の軍犬が撃ち殺された。

「散れ、岩陰に隠れろ!」

 咄嗟に命令を下し、自身も大き目の岩の後ろに姿を隠す。二発目の銃声が響きまた一頭犬が殺された。視界の悪いこの状況で、人間よりも小さな的に当てる相手の力量に人知れずバントは戦慄する。が、ようやく尻尾を掴んだという実感があった。逃げるのに窮した敵が、遮蔽物の多い所で必死の抵抗を試みているのだ。
 しかし、そう考えるにはあまりに不自然な土地だった。雪が積もっていないということは、岩自体が熱を持っているということだ。この異臭と言い、何か感じるものがあったが、思考をとりまとめるより先に相手の銃弾が飛んできた。
 頭の上を弾が通り過ぎるのと同時に、バントは兵士たちに前進を命じ、自身も岩陰から飛び出した。銃声からしてエーテル・ガンを使っているのだろうが、あれは装填に時間がかかる。八名と三頭で襲い掛かれば簡単に制圧できる。
 だが、彼の意図に反して足取りは揃わなかった。軍犬の手綱を持っている兵士たちが、犬の動きに引っ張られて身動きが取れなかったからだ。異臭に鼻をやられたのか、本来なら敵に向かってすっ飛んでいくところを、子犬のように狼狽しきっている。

「構うな! 突っ立ってると狙い撃ちにされるぞ!」

 そう言った傍から、手綱を握っていた兵士が頭を撃ち抜かれた。エーテル・ガンではなく狩猟用のライフルの音だ。それだけの武器を持ちだしてまで、こちらと戦うつもりなのかと、バントは内心で呆れた。
 手榴弾のピンを抜き、音のした方に向けて投擲する。爆音が響くがそれで銃声が止むことは無かった。位置を変えてグントラム兵の立っている側面に回り込み、確実に狙い撃ちしてくる。こちらには見えないのに相手に見えているというのは、いささか不公平に気がした。

「これじゃ埒があきません!」
「辛抱しろ。持久戦は望むところだ。こっちには物資もあるし、少佐の部隊だった向かっている。敵を足止めすればそれで……」
「た、隊長!」

 バントの言葉を遮るように、狼狽しきった部下の声が聞こえてきた。岩陰から二人の兵士が転がり出るのが見えた。

「どうした!」
「あ、足元から熱湯が……!」

 兵士が言い終わらないうちに、バントの足元にも小さな地鳴りが走った。かと思うと、岩の後ろから湯気を纏った巨大な水柱が立ち上がり、滝のように降り注いでくる。熱湯と言うが大して熱くは無い。空中から地表に降ってくるまでの間にあらかた冷えてしまうのだ。
 だが、バントはこの間欠泉がもたらす危険性を瞬時に悟っていた。同時に、完全に誘い込まれたのだとほぞを噛む。
 敵の目的は間欠泉でこちらを驚かせることではない。自分たちは防寒着にたっぷりと熱湯を浴びてしまったが、この風雪の中では瞬時に氷へと変わる。保温性能は著しく低下し、じきに低体温症を引き起こすと、それに伴って生じる震えが体力や思考力を奪っていくだろう。いや、下手をするとそのまま凍死する可能性もある。
 敵が犬ばかり狙っていたのは、厄介だからではない。人間の方は、放っておいても勝手に死んでいくと分かっていたからだ。

 だが、部下たちにそんな説明をするわけにはいかなかった。こうなったら、最早生き残るためには肩を寄せ合い、増援が来るまで持ちこたえるしかない。
 間欠泉はまだ噴き出し続けている。その危険性が分かっていない兵士たちは珍しそうな目でその光景を見ていた。呆けたままの兵士の頭を叩き、バントは間欠泉の下から駆け出す。

「全員、水に掛からないようにしろ。俺の真後ろにある岩まで下がれ!」

 一息遅れて、別の岩陰に隠れていた兵士たちが集まって来た。水の掛からない大きな岩陰に滑り込み、一息着く。

◇◇◇

 全員が集まったのを確認してから、ミルッカは導火線に火を付け、ダイナマイトを放り込んだ。

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