ユルスク星辰調査室

井上数樹

第一節

 極海領の夏は短い。植物が顔を出しているのは一月の間だけで、時期が過ぎるとすぐに雪の下に隠れてしまう。夏の間もしぶとく残っていた雪はますます高く降り積もり、定期的に雪かきをしないと屋根など簡単に抜けてしまう。寒さも春や夏の比ではなく、迂闊に外出すればそれだけで命取りになりかねない。

 一方で、漁師たちにとっては歓迎すべき季節だ。この時期の魚は脂が乗っており、春や夏よりも高値で取引されるようになる。買い手も増えるため、まさにかき入れ時というわけだ。
 だが、冬の海で漁をすることは非常に危険であり、海面に落ちたらその瞬間に寒さでショック死する可能性がある。よしんばそうならなくとも、筋肉が委縮して泳ぐことが出来なくなる。声も上げられず、他の船員に気付かれないまま静かに溺れ死んでいくことになる。しかしここで稼がないと、漁村は冬を越せない。
 こうした過酷な季節を無事に乗り切るため、極海領の村々では伝統的に終夏祭しゅうかさいという祭りが開かれる。イェリクが網元を務めている村もその例に漏れず、気象や天体に関する情報を持ってきたキルスティンとミルッカは、ちょうどそれに鉢合わせることとなった。

 村中の窓という窓に、七色の布きれを縫いつけたタオルが巻き付けられ、風でひらひらと揺れていた。オーロラを模した伝統的な飾りつけだ。また、夏の間に咲いた花を軒先に並べている家もある。
 通りは露店で賑わっていた。魚をぶつ切りにして煮込んだスープやピロシキ、野イチゴや蜂蜜を使ったジュースといった食べ物から、ウォッカやジンといった酒、マトリョーシカのような置物や塩の塊を削って作ったイヤリングなど、祭りというよりフリーマーケットの様相を呈している。酔ったり、祭りの空気に呑まれた人間に売りつけるための珍奇な品がところどころに売り出されていて、どこか胡散臭い商売人たちがもみ手で客の相手をしていた。
 大道芸人たちは方々で好き勝手に芸を披露し、西の通りで剣を呑み込んだ男がいたかと思うと、東の広場で美女が帽子から鳩を呼び出したりしている。楽器を持ち寄った男たちが好き勝手に弦を鳴らし、若い男女が手をとって踊る。

「凄い熱気だね……」

 キルスティンのとなりで、いささか気圧され気味のミルッカが呟いた。彼女が属していた部族でも終夏祭はあったのだが、人を呼ばないからとても質素で、せいぜい集まって一緒に食事をする程度だった。去年は仕事を優先してこなかったため、村の祭りに立ち会うのは今回が初めてだ。

「マリエスタードなんか、もっと凄いわよ? 軍艦が運河に一列にならんで、昼間は祝砲、夜は花火を撃ちっぱなしにするもの」
「ふーん……冬が来るっていったって、こんな風にさわ」
「ミル、ピロシキ食べる?」
「食べる」

 揚げたてのピロシキを頬張りながら、二人は人ごみの中を掻き分けて進んでいく。ゆっくりしたいのは山々だが、この後は調査室に帰って、また天体観測をしなければならない。残念だが、長々と祭りを楽しんでいる余裕は無いとキルスティンは思っている。
 ただ、こういう機会にミルッカがもっと遊んでくれれば良いのにな、とも思うのだった。
 元々、お金を使うということに対して鈍感なミルッカは、キルスティンのように買うことを楽しんだりはしない。狩りや釣り、石拾いといった素朴な趣味しか持っておらず、娯楽や満足感が金銭によって取引される昨今の風潮とは、全く逆の生き方をしているのだ。
 金を使えと言うのではない。ただ、彼女の生き方が一つに限定されてしまっているのではないかと思うのだ。

「これ、結構いけるね」
「ふふ、そうね」

 シャクシャクと生地を齧りながらミルッカが言った。無表情で今一つ感動が伝わってこないが、感想を述べるということは本当にそう思っているのだろう。

「ねえ、ミル。用事が済んだら、もう少し遊んでから帰らない?」
「僕は構わないけど、キリは大丈夫なの? 夜遅くまで働かなきゃだし……」
「船の中で寝るから大丈夫よ。論文だってこの前一本仕上げたし、お祭りは一年に一回だもの」

 本当は、この時期は流星群や太陽風の乱れなど、ユニークな現象が起きやすい時期なのだが、仕事だけに限られた人生を縛られるつもりはキルスティンには無かった。

「キリが良いなら、良いよ。僕も付き合う」
「決まりね。じゃあ、ピロシキ食べちゃって、イェリクさんのとこに行こっか」
「うん」

 そうして二人は、木の実を見つけたリスのように、残ったピロシキを思い切り頬張った。

◇◇◇

 網元であるイェリクの家は、ほかの家に比べて一回りほど大きかった。二階建てで裏には船や漁具を収めた倉庫があり、家の一部を公民館として開放している。今日は祭りということもあって会場に利用されており、顔を真っ赤に染めた男たちが大笑しながら酒杯を傾けていた。
 彼らは酔ってへろへろになっていたが、それでもキルスティンが姿を見せると、一斉に机や椅子を退けて道を開けた。キルスティンは礼を言って、イェリクの所在を尋ねる。漁師仲間の一人が二階に上がり、すぐにイェリクを連れて戻って来た。

「お久しぶりです、イェリクさん」
「これは、調査官殿……わざわざ御足労いただいて、恐縮です」
「いえ、お気になさらないでください」
「こんなむさっ苦しい所じゃいけねえや。どうか、二階にあがってくだせえ」
「はい。ミル、ちょっとだけ待っててくれる?」

 いいよ、とミルッカは答えて、空いていた椅子に座った。気を利かせた男たちが、紅茶の入ったポッドを回してくれたのを見てから、キルスティンは二階に上がった。
 イェリクの私室には、本こそ置いていないものの、無数の海図や気象図が詰められた棚がある。壁には鯨の骨や舵輪、望遠鏡、フロッグコートがかけられており、いかにも海の男の部屋といった具合だ。ただ、煙草の臭いもしっかりと染みついていた。

「汚いところですが、どうか楽にしてくだせえ」

 イェリクが机の反対側に椅子を置いて、座るよう促す。彼は立ったままだ。キルスティンはぺこりと会釈してからお尻を乗せた。
 鞄の中から、持参した気象図やエーテルの推移を書いたグラフを取り出し、机の上に広げた。もちろんマリエスタードの支局に提出しているものの写しであり、天体観測庁が発行している情報誌より、一日遅れで持ってくるようにしている。ただし、その情報誌には詳しい注釈や解説がつけられていないため、直に星辰調査官が説明するのとは情報の密度が異なるのだ。

「今月はいるか座が全般に強く輝き、北から流れる風に乗せられてエーテルが南下しています。ただ、北極星フォエニケより南にある星座がどれも弱いから、エーテルの吸入率自体は普段と変わらないはずです」
「吹雪の可能性はどれくらいでしょうか。今年は、いつもよりずいぶん減ってると思いますが」
「そうですね……温かかった分空気が上空に残ったままで、例年より比較的低気圧だからかもしれません。ただ、冬に入ったら絶対に揺り戻しは来ます。そうなったら、大気中のエーテルなんて滅茶苦茶になるから、家に居るならともかく……」
「漁は厳しい、ですか」
「はい。少なくとも、遠洋漁業は控えた方が良いと思います」
 参りましたなあ、とイェリクは呟いた。
「ただでさえ人手が減るってのに、掻き入れも期待出来ねえとは……」

 思わず愚痴を言ってしまっていた。それが迂闊だったと気付き、気まり悪そうに頭を掻く。

「やっぱり、厳しいのですか?」
「村のことで? いや、貯金に関しちゃ、今のところ何の問題もありやせん。こんだけ大きな祭りをやったって全然余裕があるし、商人や芸人どももなんだかんだで金を落として言ってくれるから、潤っちゃいますよ」

 調査官殿の御蔭です、とイェリクは言った。

「調査官殿がこうして情報を知らせてくれなかったら、俺たちは欲の皮が張って、どこまでも無茶をしてたに違いねえ。他の村だと、稼ぐために出ていったベテランの水夫が、そのまま行方不明になっちまったりしている。無理なぞせずに腕利きを残しておけば、そいつらがいくらでも稼ぐんでさ」
「そう言っていただけると、ありがたいです」
「ええ。……ただねえ」

 イェリクは言葉を濁した。それでキルスティンは、彼の胸中に引っかかっていることが分かってしまった。

「戦争だけは勘弁してもらいたい。そりゃ、俺たちだって襲われはしましたがね……戦争が起こって働き手が減ったら、結局良いことなんぞ何も無い。話し合いで穏便に済ませてくれたら、それが一番なんですがねえ。どうも、ルテニア側も喧嘩腰というか、大陸中央の連中は直接軍隊に攻め込まれたりしないだろうから、返って強気になってるのか……いや、申し訳ない。調査官殿に言ったって仕方がねえってのに……」

 イェリクは頭を下げたが、キルスティンは彼が愚痴る理由もちゃんと理解出来た。戦争を声高に叫ぶ者は、大抵敵の姿を見たことが無かったりする。風車を竜と錯覚した騎士のように、空想を膨らませ、そうして作り上げた虚像に対し恐れをなす。
 原始時代でもあるまいし、生活圏を共有する隣人同士が争うことなど滅多に無い。犠牲を払わず、徹底的に相手を叩けるというのなら考慮もするだろうが、一方的な勝利などそう簡単に掴めないから、一度殴り合いを始めたらずるずると泥沼に落ちていく。そんな風に、利益を求めて始めたことが己自身を消耗させるのでは、本末転倒というものだ。
 戦争とは結局のところ政治の一部分に過ぎず、その政治が国民に利益や安全をもたらすものである以上、部分に過ぎない戦争が政治体制自体を乗っ取ったり傷つけたりすることは道理に反している。もしもこの主従が逆転した場合、その国家は、国家である理由をすでに失っているだろう。
 まあ、そんな事態はこの星では起きないのではないかとキルスティンは思う。

「もしお時間が許すようでしたら、どうか楽しんでいってくだせえ。俺は、色々挨拶周りにいかなきゃならんので、ご一緒できませんが」

 ミルッカちゃんがいるから良いでしょう、とイェリクは笑った。キルスティンはぺこりと頭を下げてから部屋を出た。

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