ユルスク星辰調査室

井上数樹

第二節

「ご苦労、イコラ調査官……どうしたのかね、ずいぶん具合が悪そうだが」
「いえ、ちょっとのぼせてしまいまして……」

 浴場から千鳥足で出てきたあと、同じくグロッキー状態のミルッカをホテルに放り込んでから、キルスティンは報告書を提出するために北部支局へと向かった。いつもなら窓口で提出すれば済むのだが、今日はそれ以外にもしなければならない話がある。支局長の執務室に通されたキルスティンは、一対一で向かい合っていた。
 支局長は四十台半ばの男性で、子豚のような丸顔に白い口髭という、妙に愛嬌のある顔立ちをしている。気弱だがおおらかなところもあり、付き合い易い上司だとキルスティンは思っている。

「ほどほどにしたまえ。ただでさえ視霊士は病気になり易いのだから。青春の貴重な一日を、ベッドの上で過ごすなんて勿体無いだろう?」
「ええ、気をつけます」
少々お節介なところはあると思うが、人の良さの裏返しと思えば、嫌うことは出来なかった。
「それで、例の件は」
「似たような報告が、いくつか上がってきているよ。旗は揚げていなかったそうだが、北方戦争に参加した漁師たちは口を揃えて言ったそうだ。あれはグントラムの船だ、とね」
「やっぱり……」

 グントラム帝国は、ルテニア連邦と国境を接した大国である。元々は隣の大陸で成立した国だったのだが、百年ほど前に海を越えて領土を拡張し、以来、ルテニア連邦とは常に大小様々な諍いを抱えている。
 遭難した漁船を助けに行った際、キルスティンは漁村の網本であるイェリクから、帝国の軍艦による砲撃を受けたと聴いた。砲数は少なく、煙突も一本しか無かったため戦闘用の艦艇でないことは明らかだったが、そういう艦こそ測量や海図の制作が割り当てられるということは、素人のキルスティンでも想像がつく。

「戦争が近いのですか?」
「それは私にも分からない。今日は、中央の方から君に話があるという御仁が来ている。その人に訊くと良い」

 支局長がベルを鳴らすと、しばらくして秘書が扉を開いて一人の軍人を部屋に入れた。
 銀色の髪を刈り上げた男性で、背丈は中背だが、広い肩幅は糊のきいた軍服と相まってとても威圧的な印象を与える。まだ若いようだが、いかつい顔立ちをしているためずいぶん老けて見えた。黒地の軍服の胸元では、煌びやかな勲章がその存在を誇示している。

「連邦軍特務機関所属のオリヴァー・ボルト中佐です。貴女がキルスティン・イコラ調査官ですね?」

 にこりともせずに敬礼したボルトは、猛禽のように鋭い眼光をキルスティンに向けた。キルスティンは少し気圧されたような気分になる。敵意を抱かれるようなことは何もしていないはずだが、相手の声にはどこかとげとげしいものが混ざっている。あるいは、最初からそういう喋り方しか出来ない人間なのかと思った。

「初めまして、キルスティン・イコラと申します。本日は」
「ふむ、結構。では眼鏡を外してください」

「は?」と間の抜けた声を出してしまった。相手のあまりに不躾な態度に虚をつかれたキルスティンは、何を言われたのか理解出来ずしばらく固まってしまった。やがて、相手の要求が何を意味するか理解すると、今度は言いなりになりたくないという反骨心が湧いて来るのだった。

「貴女は連邦でも数少ない視霊士だ。軍も貴女の存在は重視している。肝心の貴女の眼が本物であるかは、軍としても確認しておきたい」

 この男は私の眼が見たいわけではない。キルスティンはそう直感した。出会いがしらにこういう理不尽なことをぶつけることで、自分に従う相手かどうか見極めるためにやっているのだ。だから、それに押し負けて言いなりになるのは間違っている。

「残念ながら、応じることは出来ません。無暗に眼を見せることがないよう医師から忠告されていますので」
「軍から使うように命じられたら?」
「私は軍人ではないので、絶対に使いません」
「ふん……なら結構」

 中佐は特に気分を害した様子も無かった。元よりその程度の、戯れ混ざりの発言だった証拠である。
 それでもキルスティンにとっては深い極まりない命令だった。キルスティンは、この軍人をどう頑張っても好きになれそうにないと思った。
 それから小一時間ほど、中佐はキルスティンから『神々のフラスコ』で何があったか、漁師たちは何を言っていたかを根掘り葉掘り質問した。中佐は背筋を伸ばしたまま部屋の中を歩き回り、支局長は宿題を忘れた学生のように肩を縮めていた。
 ただ、答えたことはほとんど報告書に書いたことばかりだった。それだけに、同じ答えを延々と言わされ追求されることに辟易させられた。

「他に何か気付いたことは無かったのかね? 敵艦の航跡を見るくらいなら、その眼で出来るのではないか?」
「便利屋のように言われても困ります。私の眼は、そんなに器用なものではありません」
「もっと協力的な姿勢を見せても損は無いだろう? 有用な能力を示せば、組織の中で栄達することも出来る」
「栄達、ですか」

 栄達、キャリア。キルスティンが最も嫌う言葉たちだ。『眼』のことと言い、この男は自分が不愉快に感じることしか口にしないのだな、とキルスティンは内心で絶望していた。

「これ以上、私にお話し出来ることは何もありません。退出させていただきます」

 キルスティンは席を立った。一応頭を下げてからドアノブに手を掛ける。その背中に、中佐が言葉を投げかけた。

「キルスティン・イコラ。君のその眼は、優れた個人的な才能だ。より広く、そう、国家のために活用する機会が与えられたら、君はどうする?」
「今の仕事で、十分社会に貢献していると考えています」
「国家と社会は別のものだ」
「私は人のために使うと決めています。国となると、あまりに大きすぎて私の視界には収まりきらないので……」

 そう言って、キルスティンは執務室を辞した。早くミルッカの顔が見たいと思った。

◇◇◇

 ホテルのベッドで横になっていたミルッカは、時計の針が天を向いたのを機に起き上がった。のぼせた上に、元々疲れていたため、ホテルに入ってから二時間ほど眠り込んでしまったのだ。
 キルスティンはまだ帰っていない。時々こういうことがあり、そんな時は一人で昼食を食べに行くよう言われている。ミルッカとしてはキルスティンと向かい合って食事をしたかったのだが、心の靄が掛かった状態では、何を食べても幸せにはなれないだろう。
 据え付けのテーブルの上にキルスティンが用意していった衣装が置いてある。白いシャツに黒いハーフパンツという、少年になれとでも言っているかのような組み合わせだったが、着てみるとミルッカの中性的な顔立ちと相まって良く似合っていた。首元に青いリボンがついているのは、キルスティンのこだわりだった。
 お腹が空いていたが、ホテルの食堂で食べるのは嫌だった。客は皆形式ばっているし、何より、裏方の有様は酷いものだということを彼女は知っているのだ。あんな肥溜めみたいなところから出される料理が、まともなわけがない。

「少し歩こうかな……」

 靴の爪先で床をトントンと叩いてから、自分用の財布を持ってミルッカは部屋を出た。フロントでキーを預けてから玄関をくぐり、マリエスタードの大通りに出る。とりあえず、ここに沿って歩き回ってみようと思った。
 マリエスタードの大通りは活気に満ちている。建物の丈は低く、赤色の屋根に白色の壁、青色の屋根に黄色い壁といったようなユニークな色使いの家々が軒を連ねている。大通りと言えど道幅は狭く、それに反して人が多いため歩き辛い。
 ふと隣を見ると、宝石店のショーウィンドウがあった。ミルッカは吸い寄せられるようにガラスへと顔を寄せる。
 ミルッカは綺麗な石に目が無い。宝石に付与されたブランドには興味が無いが、自然の中から出てきたものが、こういう風に煌びやかな光を放つことに神秘を覚えるのだ。
 鼻先がつきそうなほど近寄っていたミルッカは、目の前に垂れ下がって来た前髪を煩わし気に掻き揚げた。そうしてガラスに映った自分の姿を見ると、キルスティンの用意してくれた服のおかげでずいぶん垢抜けたように思えた。歩き去っていく通行人たちが、どこか微笑ましいものを見るような視線を向けていることに気付いたミルッカは、気恥かしくなって足早にその場を離れた。
 人々がああいう視線を向けてくれるのは、キルスティンが用意してくれた服を着ているからだ。もし大陸人がいう所の「蛮族風」の服を着ていたら、到底友好的な視線を向けることはないだろう。マリエスタードは二つの文化の入り混じる街であり、偏見も徐々に少なくなりつつはあるものの、やはりまだ完全に払拭されたわけではないのだ。元「海の民」が認められるためには、金なり地位なり、武器となるものが必ず求められる。

 そういう意味でも、自分はキルスティンに守られているのだな、と思った。

 彼女の補佐という立場にいるからこそ、ルテニアという国のなかでその存在価値を認められている。自分が何の後ろ盾も持っていなかった時、社会からどういう風に扱われたかということをミルッカは忘れていなかった。
 途中の露天でサンドイッチとジュースを買ったミルッカは、それを持ったまま大通りを抜けて公園へと向かった。
 休日ということもあって、公園には家族連れで来ている人が大勢いた。ボールを持った子供たちが走り回り、ベンチやテーブルはチェス盤を持ち込んだ老人たちによって占拠されている。ミルッカは噴水の縁に腰かけ、先ほど買った昼食を広げた。
 塩漬けサーモンの入ったサンドイッチを齧りながらふと空を見上げると、波打ち際の海水のように澄んだ水色がどこまでも広がっていた。浮島のごとく点在する雲の切れ端が、高い所を流れる風に動かされて大気の中へと溶けていく。
 造船所から流れて来る黒い煙が太陽の前を通り過ぎて行った。マリエスタード大聖堂の鐘楼は、文字通り天を突くかのように聳え立っている。それが、少し邪魔だな、とミルッカは思った。

「不思議な目で街を見るのだね」
「はい?」

 不意にかけられた声に、ミルッカは頓狂な返事をしてしまった。振り返ると一人の若い男が静かに微笑みながら立っていた。
 二つボタンのベージュのダブルスーツを綺麗に着こなした男性で、ターコイズをあしらったループタイと言い、スーツと色をそろえた山高帽と言い、品の良さと洒落っ気を程よく感じさせる格好だった。背が高く痩身だが、不健康な印象は少しも与えない。むしろ日に焼けた肌や好奇心の強そうな目元はいかにも活発そうだ。

「隣に座っても?」
「……良いですよ?」

 ミルッカはやや逡巡したが、許した。
 男は見るからに都会人といった風体をしているが、ミルッカは彼の雰囲気に自分と近しい何かを感じたのだ。自然と過ごすことに慣れている、とでも言ったところだろうか。ただ、動物的というには洗練され過ぎているため、異邦人的と形容するくらいが調度良いかもしれない。
 男はミルッカの隣に腰かけると、懐からパイプとマッチを取り出した。

「良いかね?」
「ええ……そのパイプ、キョクカイクジラの骨ですか?」
「やっぱり分かるんだね」
「やっぱり、って。貴方……」
 煙草を詰めたパイプにマッチで火を点け、一息吸い込んでから煙を吐いた。
「私はローレンス・ホフマン。冒険家をやっている」
「冒険家、ですか」
「ははっ、御婦人に職業の話をすると皆怪訝そうな顔をするのだけどね。君は少し違うようだ」
「僕も似たようなものですから……ミルッカ・ハララと言います。ユルスクの星辰調査室でレンジャーをしてます。だから、あんまり驚きませんよ」
「うん、やっぱり雰囲気で分かるものなのかな?」
「それもありますけど。極海領にはあんまり来たことが無いんじゃないですか? もっと南の方ばっかり探検してたみたい。雪原を歩き慣れていたら、雪の照り返しを警戒して顔とか目を隠しますから。そういう風には焼けませんよ」

 ホフマンはいかにも愉快だといった風に笑った。アップルジュースを啜りながら横目で彼の顔を窺っていたミルッカは、つくづく変な男だなと思った。

「大した推理だ。ずいぶん仕事慣れしているようだね」
「雪原を走り回るくらいしか、能が無いですから」
「今はそれが出来る人間の方が少ない。もっと誇っても良いと、私は思うけどね」
「はあ……それで、どうして僕に声をかけたんです?」

 一体何が言いたいのだろう、とミルッカは訝しんだ。今一つ、会話のベクトルがどこに向かっているか分からない。

「君がずいぶんと自信無さげな顔をしていたから、つい」
「普通の人は、そんな理由で女の子に声をかけたりしないと思います」
「ははっ、私は変人と呼ばれることの方が多い人間だよ。話の切り出し方が唐突だとか、空気が読めないと、友人たちからはよく注意されるのだが、癖になってしまっているからどうしようもない」
「……僕のどういうところが自信無さげだって言うんです?」
「さあ。上手く言葉には出来ないね。そういう空気を纏っていたとしか答えようが無い。いや、そんな馬鹿を見るような目でみないでくれ……以前、南洋諸島のジャングルを旅した時に、現地人の村に泊めてもらったことがあってね。そこの祭司曰く、人間には様々な空気の精が憑りつくそうだ。喜んでいる人には喜びの空気が、悲しんでいる人には悲しみの空気が」
「僕には自信無さげな空気が纏わりついていたって、そう言いたいんですか?」
「そうだね。もちろん私は祭司じゃないから、実際に目にすることは出来ないよ。ただ、これでも結構な人数とは会ってきたつもりだから、何となく分かるのさ。君の何を見るでない視線といい、せっかくのサーモンを美味しくもなさそうに頬張る様子といい……」
「最初からそう言えば良いじゃないですか。貴方の話し方って迂遠ですよ」
「君は手厳しいなあ」

 そう言いつつも、ホフマンは特に気分を悪くした様子は無かった。それどころか上機嫌で煙草を吹かしている。その余裕が、なんとなくミルッカは気に入らなかった。

「良ければ、君の悩みについて話してくれないか?」
「嫌ですよ」
「そうか……では昔話ならどうだろう」
「はい?」
 胡乱げなミルッカに構わず、ホフマンは滔々と語り始めた。
「私にこのパイプをくれた人の話だ。その人はアザラシや鯨の研究をしていたのだが、当時はもう高性能なエーテル機関が登場し始めていてね。鯨油なんて時代遅れになりつつあったのさ。ましてやアザラシなんて、研究して誰が得をするのかも分からない。なのに、どうしてやり続けたと思う?」
「それ以外に何も知らなかったからじゃないですか? 食い扶持を稼がないとやっていけないだろうし」
「そういう人では無かったなあ……好きなことが出来なくなったら、そのままの垂れ死ぬことも辞さないような人だった」
「相当変な人だったんですね」
「そうだね。自分の望んだことをとことん突き詰めてやる人だった。誰かから望まれているかなんてまるで気にせず、自分の望んだことをどこまでも貫き通そうとした。最後は誰からも忘れられて死んでいったけれども、きっと幸せだっただろうさ」

 ミルッカは顔を伏せた。誰からも必要とされない人生が、そんなに素晴らしいものだと彼女にはどうしても思えない。
 必要とされないということは、孤独であるということだ。一人ぼっちでいることは辛い。

「ホフマンさんはどう思うんですか?」
「私も同じだよ。自分のやりたいことをやって、死んでいきたい」
「誰からも省みられなくても?」
「そんなことになったりはしないさ。考えてみたまえ。人間同士の付き合いというのは、相手と相いれない部分をあえて容認していくことじゃないか。もっと言えば友達作りなんてまさにそうだろうね。本当の友達が、案外自分とは正反対の性格をしているというのは、よくあることさ。生きていれば、そういう出会いは自然とおとずれる」
「好きなことをやっている自分を好いてもらいたい、そういうことですか?」
「都合が良いように聞こえるだろう? でも、実際私にはそういう友人が何人もいるからね。大方、君が悩んでいることだって誰か……君の大切にしている人に関することだ」
「…………どうしてそう思うんですか?」
「ははっ、自分のことで悩んでいる人は、もっと苛立たしげに見えるのさ。他人のことを考えて悩んでいる人は、大抵肩を落としているものだ。そういう人は、相手と接するのに力を込めすぎていて、かえって疲れているだけなんだ。もっと気楽に付き合えば良い。必要とか、相性なんて言葉を全部投げ捨ててね」

 ホフマンの言うことは、ミルッカにも何となく正しいように思えた。だが、正しいと思っていても実行できるかどうかは別の話だ。

「今の世の中で、必要って言葉を無視するのって、結構大変だと思いませんか?」
「私もそう思うよ。皆が皆、その言葉に縛られ過ぎている。だからこそもっと気楽にやっていくべきだと思うんだ」

 彼が言葉を区切った時、鐘楼が昼の終わりを告げる鐘を鳴らした。パイプの灰を落としたホフマンは、マッチとパイプを懐に仕舞って懐中時計を取り出した。

「話しかけておいて済まないが、これから少し用事があってね。失礼させてもらうよ」
「はい、僕も人と会う約束がありますから」
「また会えるかな?」
「さあ。分かりません。ホフマンさん、貴方ってちょっとずけずけしたところがあるけど、僕、嫌いじゃないですよ」
「ははっ、ありがとう! また会うことがあれば、もっとゆっくり話したいものだね」

 失礼、と言い残してホフマンは去って行った。ミルッカはサンドイッチの切れ端を口に放り込み、残っていたアップルジュースで胃の中に流し込むと、キルスティンとの待ち合わせ場所であるホテルに向かうため立ちあがった。

「必要って言葉を捨てる、か……」

 数分後に自分はキルスティンと顔を合わせるだろう。その時にどんな顔をするか、あるいは出来るか、ミルッカは分からなかった。彼女の役に立つことばかり考えてきたが、その対象であるキルスティンと自分がどういう関係にあるか、これまではっきりと自覚してはこなかった。
 彼女と一緒に街を歩きながら、それを考えるのも悪くないと思った。

「ユルスク星辰調査室」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く