ユルスク星辰調査室

井上数樹

第一節

 キルスティンが昼食を終えて、食後の紅茶とともに送られてきた報告書を読んでいた時、ミルッカが変わった客人を調査室に連れてきた。

「あら、リネ君。こんにちは」
「え、ええ。こんにちは、キルスティンさん」

 リネット・ヒルディングソンは、この調査室から二○ケルメトラ(二○キロメートル)ほど離れたところにある漁村に住む少年で、父親のイェリクは網元をしている。歳は一五。砂色の髪とそばかすが特徴だが、漁を手伝っているため体格が良く日焼けをしていた。調査室に毎週魚を届けてくれるのも彼で、顔を合わせたことはもう何度もあるのだが、今日は配達日ではない。
 後から入って来たミルッカが脇腹をつつく。キルスティンは「良かったら、座って」と促した。愛用の花柄ポッドにはまだお茶が残っていたが、さすがに飲み残しを客に出すのは気が引けた。

「すぐに新しいお茶を淹れるから、ちょっと待っててね」
「いえ、それより……今日はお願いがあって」
「お茶より優先することなんて何も無いわ。まずは落ち着いて、身体を温めてから。その間に話す内容をまとめてちょうだい?」

 キルスティンはやんわりと微笑んだ。少年は焦燥感を赤面に変え、頭を掻きながら俯いた。そこにあるのは、焦り過ぎていたことに対する羞恥だけではないだろう。はにかむ彼の後ろで、ミルッカがいつもより若干むっとした表情を作った。
 それには気付かず、キルスティンは新しい茶葉を茶こしに入れ、温め直したお湯を少しだけかけて蒸らしてから、丁寧にポッドを傾けていった。透明なお湯が彼女の髪と似た色にかわり、静かに水音をたてながらマグカップに注がれていく。七分目まで入れたところで多めに砂糖を入れ、ブランデーも少々加えた。
 台所は地下にあるため、良い匂いも悪い臭いも籠り易いのだが、この時は二種類の風味が絡み合い部屋いっぱいに広がった。リネットは両手でそれを持ってゆっくりと口元に運んだ。砂糖とブランデーの、それぞれ異なった甘さがいっぱいに広がり、ほのかなアルコールの刺激が舌を刺した。
 ゆっくりと溜め息をついたリネットに、キルスティンはあらためて何があったのかを尋ねた。

「親父や、村の仲間が漁に出たきり戻ってないんです。本当は一日で戻ってくる予定だったんですけど、三日経っても連絡が無くって……」
「天候が荒れていた、ってことはないわね。最近は吹雪も嵐もなかったから」
「ええ。だから、エンジントラブルか何かだと思います」
「流氷にぶつかった可能性は?」
「今は夏先だから、船を沈めるくらいの流氷なんてながれてません。それに、四十年も極海で漁をしてきた親父が、流氷に船をぶつけるなんて思えない」

 彼の言うことには多分に希望的観測が入り混じっているが、少年にそう告げることは気が引けた。それに、ベテランの漁師がむざむざ流氷にぶつかって転覆するというのも信じられない。そうなる危険性があるからこそ、彼らはそうならないよう細心の注意を払っているのだ。まだエンジントラブルで足止めを食らっているという方が信用出来る。
 ここまでの話で、キルスティンはリネットがやってきた理由を察した。

「それで……」
「お願いします、キルスティンさん。親父を助けに行くの、手伝ってください!」

 リネットは立ち上がり、キルスティンに向けて頭を下げた。それに対して、キルスティンとミルッカは同時に返答した。

「良いわよ」「駄目だ」

 ただし、内容は正反対であったが。
「キリに頼むようなことじゃない。調査官には調査官の仕事があるし、極海がどれだけ危険なところかってことは、君だって分かってるはずだ。第一、海難救助は海軍の仕事だろ? ここに持ち込むこと自体がお門違いだよ」

 ミルッカは狙撃するように的確な正論をぶつけていく。言葉を突き付けられるたびにリネットは「うっ」とか「いや」とか、意味をなさない呻き声をあげた。

「ミル。あんまり意地悪を言わないの」
「意地悪じゃない、正論だよ。キリもキリで、安請け合いしないでやってくれ。僕と君とリネ君の三人だけでどこに行ったか分からない船を探し出すなんて、無理に決まってる。何かアテがあるならともかく……それとも……」

 ミルッカは剣呑な光をたたえた目でリネットを睨みつけた。ほとんど歳は変わらないはずだが、リネットはミルッカが放つ気迫にすっかり呑まれてしまっていた。

「キリの『眼』に頼る、なんて言わないだろうね?」

 図星を突かれたリネットは何も言わずに俯いた。音信不通の行方不明船を探すとなると、船が発するエーテルを感知する以外に方法は無い。それを見つけられるのは、キルスティンの『精霊の眼』だけだ。
ミルッカは肩をすくめる。数日前、メギゥの一件で彼女に『眼』を使わせてしまった自分が言える義理ではないと分かってはいる。だが、そういう立場にいるからこそ言わなければならないとも思った。
『精霊の眼』とは完全な特異体質であり、人間が本来見ることの出来ないエーテルを明瞭に網膜に映すことが出来る。その仕組みはエーテル同様解明されておらず、また極端に人数が少ないことから、国家はより有効な方法で『眼』を持った人々……『視霊士』を利用しようとする。
 だが、『眼』の連続使用は視霊士に大きな負担を強いるとミルッカは教えられていた。実際、やむを得ず『眼』を使ったキルスティンは、その翌日にはいつも苦しそうな表情をしていた。先日もそうだった。

「それを抜きにしたって、キリはあんまり丈夫じゃないんだ。とても極海になんて……」
「私は構わないわ。リネ君、連れて行って」

 決然と言い放つキルスティンに、リネットは頭を下げ、ミルッカは叱責した。それに対して、キルスティンはやんわりと返答する。助けを求めている人間を見捨てるわけにはいかないし、自分も公務員の端くれである以上、周辺住民に助力するのは当然のことだ。それに、星辰調査室はここだけではないので、自分の観測データが送れなくとも都市が停滞するようなことはない。

「やっぱり、必要とされているなら動かないと」

 ミルッカは頭を抱えた。キルスティンがこう言い出したら、もう絶対に意見を曲げない。「求められたら動け」という信条を持っているからだ。

「むうぅ……むううぅぅぅ!」
「はいはい鳴かないの。さ、早く準備しましょう?  こういうことは、早いに越したことはないものね」

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