自殺の楽園

巫夏希

プロローグ




「ねえ、シイナ。私たちは、未来に生きているんだよ」

 私は今でも彼女のその言葉が耳に染みついている。
 彼女は長く生きることの出来ない身体を案じて、自ら命を絶とうとしていた。
 しかし、それは世界が許さなかった。
 世界は自殺を拒んでいた。
 それは彼女が有名人だから――という理由では無い。彼女はただの一般人だ。
 だが、それでも彼女は彼女自身の手で死ぬことは許されなかった。

「ねえ、***。未来、って何?」

 私は***は問いかけた。

「未来はね、シイナ……とっても生きづらいのよ。一部の人間には住みやすいかもしれないけれど、それは結局全員には適用されない。全員が生きやすい世界なんて、それこそ幻想にすぎないし、作ることなんて出来ない」

 ***は私にそういった。
 花畑で、私は呟く。

「――人間って、どうして生きているのだろう」

 私はその疑問を、彼女に聞くまでも無かったけれど。





 百万人。
 四十年前、世界で一年に自殺する人間の数、として提示されたデータである。百万人も死んで、百万人以上が生まれる。こうして世界は人口を増加させていくのである。
 出生率よりも死亡率が低いから、世界は自殺を大した話題と考えなかったのか、と言われるとそうではない。自殺は自らの命を絶つことであり、それ以上でもそれ以下でも無い。宗教で禁止されているかと言われればそれは宗教によって大きく異なる。確かに全面的に禁止している宗教もあれば、寧ろ生贄として奨励している宗教もある。
 人間の倫理観など、所詮宗教に振り回されるものだ。
 宗教とはいったい何であるか――という質問の答えについても、人々が全員同じ答えを得ることなど、まあ、先ず有り得ない。結局、人間の感性も人間一人ひとり固有のものであり、それを押し付けようということ自体が烏滸がましい行為にあたるのだろうから。
 時は西暦二〇二九年。
 少女が別の少女とその会話をしてから、十年余りが経過した。
 十年というのは、少女が麗しき女性へと変貌を遂げるのに十分過ぎる時間である。
 そして少女はあれから十年経過して――警察官になっていた。
 二〇二九年という時代であっても、科学技術がそう高成長を遂げたわけでは無い。
 人類の科学技術は二〇一七年でストップしてしまった。
 いや、正確に言えば、二〇一七年以降頭打ちになっていると言えばいいだろうか。年々新しい製品や技術が発表されているのだが、それはどれも在り来りで、見たことのあるものを少々改良しただとか、バージョンアップしたものだとか、大抵そういう理由で新製品にするのだ。
 そういう事情があって、経済学者は常々テレビの前でこう語っている。


 ――人間の科学技術はこのままだと成長することは無いだろう。


 それは今の人間、ひいては科学者にとっては耳が痛くなる言葉だと言えるだろう。
 まあ、それは科学者以外の人間には案外関係のないことなのかもしれない。
 せいぜい、『ああ、科学技術が進歩しないって大変だなあ』と何となく思う程度に過ぎないだろう。
 人間というのはそういうものである。
 自分が関係のないことならば、あまり関心を持たないし持ちたがらない。
 加えて自分に責任が及びそうになると、あまり関係のなかった人間を矢面に立てる。
 人間の思考回路は、たとえ科学技術が進歩しようとも、変わることは無い。

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