レディ・ヴィランの微笑み

ノベルバユーザー91028

「こんなのを望んだんじゃない」







神威–––––神の力の象徴、つまり神の性質を宿した道具あるいは武器を“る”特殊な術は、本来認められた人間にしか使えない。
学びさえすれば誰もが扱える魔術と違い、あまりにも世界に齎す影響が強すぎるからだ。特に、この世界で最も信仰を集める女神オーレリィの神威は最強だと言われている。それはある特異な性質が原因だった。
力の反転。
その神が司る対象によって決まる神威の性質は、神そのものに大きな変化が起こらない限りは変わることがない。しかし女神オーレリィは慈愛と創世を司る一方で、「世界の終末」を齎す荒ぶる神としての一面を持ち合わせていた。
故に、神威の“反転”現象が起きる。
慈愛を表す治癒の力、創世を表す創造の力、それらが反転するということは–––––。



狂ったように–––––実際、もう壊れかけているのだろう、けたたましい嬌声を響かせながら笑うローサ。見開かれた虚ろな瞳は何も映さない。
「わたくしの大事な、神威が……! あの子はなんて、愚かなの……」
「あの子? あなた、一体何を言っているの?」
「わたくしが唯一、後継と認めた子どもですわ。血縁ではありませぬが、確かに我が子です」
預言者アジムを始祖とする、代々教主を務めてきたアンダルシア一族の後継者をジュリアは知っている。何故ならば、彼もまた「Dream・lovers」に登場する攻略対象の一人だからだ。
ルーネ・アンダルシア。
紅茶色の髪の、温和で理知的な性格の美青年だ。とにかくヒロインに優しく、何かと甘やかしてくるキャラで、攻略対象者の中でも中間程度の人気だったはずだ。ゲームにおける彼のルートは、巡礼の旅の途中でヒロインと出会い親交を深めるうちに惚れていく……というものである。
そんな彼が、何故。神威などというアンタッチャブルに手を出すのだろうか。
理由わけがわからないわ、ルーネ様は理知的な方でいらっしゃったはず。そんな危険なものに手を触れるとは思えませんわ」
「ふふ……そうね、あの子は客観的にはとても『良い子』だったものね。けれど善人は、時に恐ろしい破壊者となることを若いあなたは知らないだけよ」
「破壊者……? ルーネ様が……?」
そんな馬鹿なと言いたげなジュリアに、彼女はニタリ、と微笑んだ。三日月型に裂けた口元から血のように赤い舌が覗く。
「そんなに信じられないというなら。ここで見ているといいわ、ただのちっぽけな人間が、“悪魔”と化すその瞬間ときをね!」




慈愛と創世の女神オーレリィは、自らが創り出した世界を終末に導く役目をも担う荒ぶる神だ。だからこそ、生み出す力だけでなく壊す力も有している。
–––––そして世界そのものを壊すためには莫大なエネルギーが要る。ゆえに彼女の振るう破壊の力は現実世界における大量破壊兵器以上である。
もし邪なる者が神威を手にしたところで、オーレリィに資格者と認められなければ、拒絶反応が起きて力は女神の元に返るだけで済む。だが、聖なる者が善意によって使うならば女神が新たな資格者と定めることはありうるのだ。
……例えば、彼女を奉ずる教えの元で生きてきた善なる人間であったら。



「穢れた血を引く豚共め……。貴様ら貴族がいなければ、この国は更に栄えるはずなのだ……! 許さない、許さない!! 殲滅してやる……! 待っていろ、ジュリア=オーウェル!」
神威を使うにあたり、呪文の詠唱や術式の用意はいらない。ただ念じるだけでいい。サンサーラが魔法を操るのと同じで、世界の仕組みに直接アクセスする以上呪文や魔法陣による干渉は不要だ。カミサマの力とはそういうものである。
彼–––––ルーネが愛し、育ってきた故郷は他ならぬ彼自身の力によって薙ぎ払われていく。建物は跡も残らず粉々に砕かれる。
撒き散らされる病毒により人々は悶え苦しみ、痛苦の中で死んでいく。ただの感染症とは違う、神の毒だ。人に為す術などあるはずがない。外見に影響が出ないことが唯一の救いだった。
内戦により傷ついていた小さな山間の町はあっという間に滅んだ。
僅かな間に振るわれた強大な力により、住民のほぼ全てが死に絶えた。
もはや復興不可能なほどに、「ガーランド」という町は壊滅したのである。
そして、ひとつの町を滅ぼした張本人であるルーネ・アンダルシアは、ある人間を探していた。唯一の生き残り–––––ジュリア=オーウェルを。
「どこだ……どこにいる! あの雌豚め、今度こそ、この私の手で地獄へ送ってやる……!」


凄まじい、破壊の力が齎されたのにジュリアは気づいた。さきほどまでいた修道院が目の前で消し飛び、瓦礫を破片が宙を舞う。思わず手を伸ばしかけた彼女をすんでのところでメアリが阻止した。
「邪魔しないで! まだ中にローサがいるのよ!」
「危険ですジュリア様! それに……もう、助からないでしょ。あれじゃあ……」
建物、と呼べるものはもうなかった。ものすごく大きな爆弾でも撃ち落とされたように、見渡す限り景色が焼け野原と化している。
これと同じ光景を彼女は前世で見ていた。歴史の授業で、毎年8月に放映されるドキュメンタリー番組で。
そして今、この目で実際に。
己の人生は、最期まで苦難に満ちたものではあったけれど。平和な世界にずっと甘やかされてきたんだと、漸くのうちに悟る。
「平和ボケしてたんだわ、だって……ずっと争いのない世の中にいたのだもの。こんなの、わたしは……」
「–––––望んでいたんだろ?」
すぅ、と耳に飛び込むボーイソプラノ。
声の主を彼女は知っている。
「違う、サンサーラ。わたしは、ただ……」
「馬鹿を言うなよ、滅びとはこういうことだ! 傷跡が残らないわけがないだろう!お前は何か勘違いしてたんじゃないのかい? 無傷で全てが終わるはずがない!」
満面の笑みを湛えて言い放つサンサーラへ、ジュリアは今にも泣きそうな顔で叫んだ。
「違う、違う! こんなのを望んでなんかいない!」
「……魔法みたいに、全てがあっという間に消え去るとでも? この世界は、そんな単純なものじゃない。なぁ、あんまりガッカリさせないでよ」
「でも、それでも、わたしは……っ、」
教科書に載っている写真を見たときは何も感じなかった。大昔に起きたこと、あくまで歴史の中の一ページ、そんな風にしか。思考が停止していたのだ、今にして思えば。
現実は–––––世界というものは、そんな単純に作られてなどいない。
取り返しのつかない今になって、やっと思い知るのだ。


「選択をさせてやるよ、ジュリア=オーウェル。キミはどうしたい? 現実を知ってそれでもなお、その“悪意”は変わらないままなのかな?」
僅かに低い目線にある少年の姿が、彼女には急に眩しく映った。夕暮れの最後の光に照らされ、長い銀髪がきらきらと輝いてみえる。自分と同じ真紅の瞳が真っ直ぐにジュリアを射抜いていた。
「……答えは変わらないわ。わたしはいつだって人を、世界を、運命を呪ってきた。あの日に抱いた憎しみは今も、ここにある。思ったようなものではなかったにせよ……、全てを終わらせる。絶対に」
血濡れたように赫い瞳は、憎悪と殺意に染まりきっている。
–––––それこそ、サンサーラが最も愛する色彩いろだった。
「なら、ボクの意思も変わらない。対等なる同胞はらからとして力を尽くそう。キミのために、キミの思うままに」
にっこりと悪意を一欠片さえ感じさせない笑みを浮かべ、振り向きざまに片手を一閃させる。
ぴたりと指先を揃えられた手刀がこちらへと向かってきた人影を貫いた。


「あ……、がっ……は、ぁ……」
心臓が突き破られ、ぱたぱたと周辺に血が飛び散る。どさりと倒れ伏したその者に、ジュリアは見覚えがある。ただしこちら側ではなく、液晶画面の上ではあったが。
「ルーネ・アンダルシア……? なぜ、ここへ……」
「こいつはね、キミがとっても憎いんだって。貴族だから、女だから、力があるくせになんにもしてこなかったから……キミだったから」
さきほどの笑顔を崩さないまま、サンサーラは苦悶の表情で死んだ男の亡骸を踏み付ける。
「キミが後悔し改心したなどとほざいたならば、この男の好きにさせるつもりだった。でも、キミはその意思を変えないと言う。だから……こいつはもう、用済みというわけさ」


焼き尽くされたような空の下、絶世の美貌を持つ少年はまさに魔王の化身らしく嗤う。
「さあ、共に往こう。……人道に悖る外道を何処までも」




ずいぶんとあとになって、ジュリア=オーウェルは遂に知る。
ガーランド地方で起きた内戦の真実を。
全てはサンサーラが仕組んだのだということを。


「結界」といわれる魔術によって造られた障壁がある。本来は術者の生命を守るためのものだが、別な使い方が存在する。
対象となるもの–––––この場合、ガーランド地方そのものに結界を張ることで、人や物の出入りを遮断し情報が行き来しないようにすることが目的だった。
そして、ガーランド地方を統治するジュリアが何も知らない状況を作った。
彼女に、現実を見せつけるためだけに。
けれども、今のジュリアは何も知らない。

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