レディ・ヴィランの微笑み

ノベルバユーザー91028

Interlude






「そうだ、旅に出ましょう。ジュリア様」
「……は?」


シオン様の手伝いとして王城へ赴いてから数日後。わたしはようやくいつもの日常へと戻ることができた。上記の会話はそれからすぐのことである。
思いっきり首を傾げたわたしに、発言の主である彼女–––––わたし専属の護衛兼メイドのメアリ・ダグラスはにっこりと非の打ち所のない笑みを向けた。
「だってジュリア様ってば随分お疲れのご様子なんですもん、アタシはもーすっごい心配で。ってことで、行きましょ? 旅行に!」
「な、何を言ってるの? そんな余裕はどこにも無いわ、見なさいよこんなに書類が溜まりまくってるのよ!?」
そう。わたしのデスクには、見るのもおぞましいくらい山と積まれた未決済の書類がどっさり乗っていた、これを処理しないことには旅行どころかまともな休日も手に入らない。
(無能な)父に代わり領地経営を実質的に任されている以上、わたしに気の休まる時間などなきに等しい。……まったく、異世界転生してまで社畜なんてやってられないといつも思う。
「あら、それこそうってつけの人材がいるじゃーありませんか」
「は? どこに?」
まるきり思い当たらず問い返すと、彼女はうふふとにやけた笑みで答えた。
「セレネ様ですよぉ。あの方、ジュリア様の家庭教師ガヴァネスだったんだし事務系強そうじゃないですか」
「あなた……たまに突拍子もないこと思い付くわね……ていうか、わたしの体調云々はただの口実で本当はあなたが旅行行きたいだけでしょ」
「てへ、バレちゃいました?」
ぺろりと舌を出すメイドの頭を小突いてやりたくなったがすんでのところで我慢し、やりかけのまま手を止めていた書類に判を押す。ふたたび積み上がったままの紙束をチラ見し、思わずため息をこぼした。
「……仕方ないわね。それじゃあ行くとししますか」


なんてやり取りの数日後。わたしとメアリ、そしておまけの柚葉の計3人はとある田舎町に来ていた。オーウェル家領地の一つだが、長いこと放ったらかしにされてきた土地だ。
列車と馬車を乗り継いでおよそ3日。それほど長い時間をかけなければ来れない。
自然豊かで、ブラン湖という小さな湖がある以外は何にもない小さな村だ。村の名前さえ王都で売られている地図には載っていない。
……でも、わたしはずっとここが好きだった。終の住処にしようと決めるくらいには。もしも穏やかに人生を終えることが叶うなら、最期の瞬間はここで迎えたいとさえ。
「綺麗なところですね……私が昔住んでた町によく似ています」
白いボンネットを目深に被り、町娘が着るような藤色の丈の短いワンピースに身を包んだ柚葉がにっこり笑いながら感想を呟いた。
「うーん、空気が美味しいですねぇ。スモッグばっかりの王都と違ってここは景色が素晴らしく澄んで見えますねっ」
錆びたようにくすんだ赤い髪をひっつめにして、三つ揃いの黒いベストとトラウザースを着込んだメアリも微笑む。
経年で色の落ちた漆喰の壁と可愛らしい赤い屋根の古い家がポツポツと点在し、合間を縫うようにブルーベルが咲きみだれている。そして村の面積の殆どを占める広大な牧草地帯。のんびりと草を食む牛馬がところどころに群れを成していた。
この国のそこかしこで見られる、ごくありふれた田舎の景色だった。だからこそ、わたしの瞳には余計に美しく映った。
「……さて、これからわたし達が泊まる家に案内するから着いてらっしゃい。少し歩くけれど……柚葉さん、大丈夫?」
「もちろんです! そのためにちゃんと踵の低い靴を選んできましたから」
「そう、なら心配はいらないわね。では行きましょうか」
舗装されていない砂と小石ばかりの道をややゆっくりめに進んでいく。
道脇にはブルーベルだけでなく日本でもよく見られるヒメジョオンやタンポポも咲いている。本来生息地が異なる種が共存しているのも、ここが誰かによってデザインされた異世界だからだろうか。


日が暮れてきた。
焼き尽くされたような茜空と黄金に透き通る斜陽の光が溶けて混ざり合い、草も家も何もかも夕焼けの色に染め上げていく。
この世界で一番美しい瞬間だ。
先導していたわたしは、思わず立ち止まって西の空に見入った。山際をじわじわと焼き焦がしていくように、夕陽は少しずつその姿を隠していく。
–––––やがて、夜がくる。これよりも更に美しい星空がきっと見られるだろう。
「2人とも、楽しみにしていなさい。ここの星空は絶景なんてものじゃないから」
世界がわたしを拒むとしても、いずれ滅ぼすことになるんだとしても……、きっとわたしはこの村で見た景色だけは嫌いにならないだろう。
最期まで、ただ美しいものとして心に留め置くことだろう。宝物を大切に仕舞っておくように。



完全に日が落ちる前に、わたし達は宿泊先の民家に着くことができた。
スレート葺きの屋根にクリーム色の壁の小さな家だ。間取りはリビング、キッチン、バスルーム、そして寝室が2つ。
広々とした庭には木苺と林檎の木が植わっており、ガーデニング用のプラントもいくつかあって、パンジーやサルビアが咲いていた。
正直、貴族が使う静養地とは決して思われないだろう。国内に貴族向けの別荘地はいくつもあるし、下級だろうが上級だろうが大抵の貴族は見栄っ張りだから、別荘といえど立派なものを所有している。
ここはそういう「定番」から外れているので、誰にも分からないようにゆっくり休むにはとても適しているのだ。……まあ、言ってみれば秘密の隠れ家という訳だ。
「へぇー! いーところじゃーないですか! ジュリア様にしてはなかなかセンスありますねぇ」
「まるでおとぎ話に出てくるおうちみたいですね! わぁ……素敵だなぁ……」
キラキラと瞳を輝かせる2人にやれやれと肩を竦めつつ、わたしはさっさとドアを開けて中に入った。
思ったよりも汚れてはいない。何年も放置していた割に綺麗なのは、この民家は近くの村人夫婦に普段の管理を委託しており、定期的な清掃が行われているからだ。
窓は少し曇っているが床に埃は溜まっておらず、調度品も壊れたものは見当たらない。またキッチンには数日分の食料が戸棚に保存されていた。これは頼んでいないので村人夫婦の好意だろう。
「2人ともこれからちょっと忙しいわよ。まずは今夜の夕食の支度をしなくちゃね」


……生前、わたしはあまり料理が得意ではなかった。ひと通りの調理技術は習得していたものの、何故か味付けが独特というか……まあ言ってしまえば不味いのだ。わたしが味覚音痴なのか、それとも単に味付けが下手くそなのかは定かではないが。
しかし貴族の娘に生まれ変わった今は、料理の上手下手は気にしなくてもよいかといえばそうではない。
貴族だとしても女である以上、台所に立つことが全くないなんてことはない。いつ何時キッチンに立つことがあってもいいように、教養や帝王学を学ぶのと同じく料理の修行を積んでいた。


……今、その腕前を余すことなく振る舞う時がきた……!


「すっごぉぉぉい!! 柚葉様ってめっちゃ料理上手なんですねぇ! ……それに引きかえうちのご主人サマは全く。なんです? そのアップルパイの出来損ないは」
「……仕方ないじゃないっ、わたし料理だけはどうにも苦手なのよ」
「へぇ、完璧超人に見えてジュリア様って意外な欠点あるんですねぇ」
……そう。元々のジュリア=オーウェルには料理下手という弱点が備わっており、あくまで転生しただけにすぎないはずのわたしにもそれが引き継がれてしまい、生前よりも更に料理下手がパワーアップしてしまったのだ。
これが漫画だのアニメだの2次元の世界なら逆に萌え要素の一つにもなろうが、現実では生活における足枷でしかない。全くもって厄介な「設定」だ。
ちなみに、作ろうとしたアップルパイ(失敗作)はちゃんとメアリに美味しくいただいてもらい、わたしは柚葉特製のミネストローネとかぼちゃのキッシュを堪能した。



久方ぶりの賑やかで楽しい食卓を囲んだあとは、メインイベントである星空鑑賞の時間である。これが見たくてわたしは遠路はるばるここまで来たのだ。
初めてここを訪れた時、全てが終わったら必ず此処へ来ようと決めたことをわたしは絶対に忘れないだろう。
外出用のドレスの上に厚手の革のコートを着込み、ヒールから編み上げブーツに履き替える。目指すスポットは丘の上にあるため、なるべく歩きやすい履き物でないと転ぶ危険性があるからだ。
カンテラで足元を照らしながら進み、宿家から30分ほど歩く。最初は乾いていた道はぬかるみはじめ、そのうち苔むした岩盤状の硬い地面となった。やがてそれはふかふかした柔らかい土の道となり、膝まである草の生い茂る小高い丘の上へと辿り着く。
「–––––見て、2人とも」
遮るもののない、どこまでも続く夜空を指し示す。
果てがない、けれど確かな円を描く空。その隅っこにて控えめな光を放つ今にも消えそうな三日月。それから、大気によって揺らぎちかちかと瞬く星々。幾千幾万それ以上に集まり、銀河を形成しながらこの星に淡く仄かな光をこぼしている。
夜空のヴェールを彩る、宝石よりも輝かしい星の光たち。
田舎に行けば、きっといつでも見られるのかもしれない。けれど、これからわたしが行くであろう修羅道の果てに、こんな美しいものはきっとない。そして、いつかわたしは美しいものを美しいと感じる心さえ亡くしてしまう。
これから成すことは、そういうことなのだ。どんな痛苦を味わおうとも贖えない重い罪を背負うことになる。人には決して赦されない、酷いことをするから。
ゆえに–––––、この休暇で最期にこの美しい光景を目に焼き付けておきたかった。
最後の最期、未練や禍根を残すことなく己の末路を受け入れるために。
こんなにも綺麗なものがわたしが消えたあとも永久に残り続けるなら、きっとどんな贖罪もできるから。



綺麗な……とても綺麗な星空だった。
アタシは生まれてこの方、王都の治安が悪い汚らしい界隈でスリだの泥ひばりだのして生きてきたし、そのあとは長い戦場暮らしで「平和」ってヤツを知らないままここまできちまったから。こんな綺麗なものがあるなんてこと、知らなかった。
王都は大気汚染が酷くて昼も夜もずっと暗くて、戦場じゃあ夜空を見上げる暇なんぞありゃしない。
少しでも「兵器」として使えなくなったアタシを拾ってくれた恩に報いたくて、ちょっとでいいからあの人の素顔を見てみたくて、旅行の話を持ちかけてみたけれど。
結局、何も叶わないなあと分かってしまっただけだった。
あの人はきっとただ自分が見たくてここまで来ただけで、アタシらなんて少しも気に留めちゃあいないだろうが。
今は、この星空が目に焼き付いて離れない。上手いこと言い表せないけれど。素直に素敵だと、そう思えるんだ。


「だから、さ。メーワクなんだよねぇ。アンタみたいな、通行人モブにもなりきれないタダの物盗りなんか」


普段、護衛係として常に携帯している拳銃を構える。口径が大きい割に発射光と銃声が抑えられた特別製だ。加えて防音の魔法を重ねがけしているので殆ど音がしない。
「ねえ、女3人だから楽勝って思っちゃった? けどさー、まさかその中に軍人くずれが紛れてるなんて想像もしなかったでしょ? 笑えるよねぇ。……おら、笑ってみろよ。……うっわ、きったない顔。つまんないからさっさと消してあげるね」
おそらく魔術師でもなんでもないこいつは気付かないだろう、周囲に結界が張られていてアタシたちの姿が完全に隠され声も届かないことに。
だから、どんなに泣いても喚いても助けは来ない。だって見えないし聞こえないんだからね。
セーフティを外し、トリガーに指をかけてハンマーを起こす。ぐっと力を込めてトリガーを引き–––––発射された弾丸は正確に物盗りの心臓を射抜いた。鮮血が辺りに飛び散り、アタシの服まで濡らす。
「あーあ。せっかくジュリア様から支給もらった制服だったのに。汚れちゃった。……まあ、元からアタシは汚れてるけどさぁ」
ホルダーに銃をしまい、ふと前髪をつまみ上げる。今は夜だから分かりにくいけれど、昼間ならとても目立つはずだ。
乾いた血液を幾重にもにも塗り重ねたみたいに禍々しい、赤錆に似たこの髪は。
「……元は、普通の赤毛だったのになぁ。いつから、こんなくすんだ色になっちまったのかねぇ」
さて、そろそろ良い子だけでなく悪い大人も寝る時間だ。明日も早いし、お肌にも悪いし、そろそろ寝るとするかな。
白目を剥いて息絶えた死体に、そっと笑みを向ける。
「おやすみ、良い悪夢を見るといいよ」




さぁ。束の間の休暇を終えたなら。
次こそ本番だ。
「ねぇ、楽しみに待っていてね? とっても素敵で残酷な地獄を創ってあげるから!」

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