レディ・ヴィランの微笑み

ノベルバユーザー91028

はつ恋は玻璃の如く砕けて

ジュリア個人としては、友人であるルカが想い人である彼と結ばれることは素直に祝福すべきだと思っている。彼が幸せに笑っていられるならそれでいいと。
しかし、自分は彼の友達である前に伯爵令嬢であり国家に忠誠を捧げねばならない立場にいる。いち貴族として、出した結論はただ一つ。
『二人の関係を正常化させる』
お互いに恋愛感情が存在しない、あくまで主人と従者としての関係しかない状態に戻ってもらう。
二人が平民なら話は違った。市井の者が誰と恋愛しようがそれはあくまで個人の自由。一つの権利として認められる。
だがルカもロウアも国家の重鎮であり、国の代表たる彼らが同性愛者などとまかり間違っても知られてはならない。もしも露見すれば、国王たる資格を喪う。
そればかりではなく外交でつけ込まれてもおかしくない。今ある仮初の平和は一瞬で消失する。
–––––この世界は、マイノリティにひどく冷淡で、厳しく、残酷だ。
人種、性別、年齢、そして魔術の才能の有無。特に最後は、魔術で栄えたこの国では最も重要視される。
魔術が使えることは普通で、更に上手ければ国家に優遇される。だが、使えない者は他に飛び抜けて優れた部分がない限り、「ヒトとも思われない」という過酷な現実が存在する。
そして保守派が多数を占める以上、同性愛者もまた例外ではないのだ。いや、同性愛を忌避する者は貴族にも王族にもたくさんいる以上、より酷い扱いとなるのは目に見えている。
ただでさえ、王子というだけで彼は重い負担を背負っているのに、それに加えて同性愛者というレッテルを貼られればどうなるか。
彼らに、未来の希望など無きに等しい。
だからこそ、ここで彼らの将来を穢す恐れのある芽は潰す。たとえ、どれほど憎まれることになろうとも。
貴族として、友人として。
ジュリアは選択を迫られ、そして選び取った。
二人の仲は引き裂く。そこにある恋情の一切をかき消す。元の主従に戻ってもらう。
他に道はない。–––––ならばせめて、出来るだけダメージは最小限に。
ジュリアは一つの決断を下した。


「……ねぇ、サンサーラ。わたしね、ルカには本当に幸せになって欲しかったの。この気持ちは嘘なんかじゃなくて、本物だった。–––––彼は唯一、わたしがこれから犯す罪を明かせた人だから」
彼は次なる国主として、真剣にこの国を想っている。遊びたい盛りに億劫なばかりであろう会議も公務もこなし、過労死寸前の毎日でも民には決して疲れた顔など見せず、いつも微笑んでいるのだ。
そんな彼の努力を打ち砕き、侮辱するに等しき残酷な行いをジュリアは成そうとしている。そう打ち明けた彼女へ、けれど彼は責めなかった。それどころか、ジュリアの行いなど打破してやるとまで言い切ったのだ。
いつものように、笑って。
「……秘密を話したのかい。何故……?」
問いかける少年へ、彼女はひどく穏やかな笑顔を浮かべてみせた。今から一つの国を滅ぼそうとしている人間あくやくとは思えぬほど、澄んだ光が紅い瞳に宿っていた。
「なんでかしらね。……不利になるとわかっているのに、言わずにはいられなかったの」
「もし、阻止されたらどうするつもりだい?」
懸念を示すサンサーラへ、ジュリアは黙って首を横に振った。動きに合わせて腰にまで届くほどの長い黒髪がふわりと揺れる。緩く細められる目はとても静かだった。
「大丈夫よ。ルカは有能だけど、わたしにはあなたと風人がいる。計画は滞りなく進むし、阻止される心配なんてしないでいい。
……でも、もし。あの人がわたしを止めてくれたなら、甘んじてどんな罰も受けるわ」
全てが終わったら。
あの優しい人は嘆くだろうか。それとも己を憎むのか。できることなら、どうかあらん限りの蔑みと罵りを向けて欲しい。決して、あなただけは赦さないで。わたしを裁いて。
わたしは「悪役」。
ならば、その道は「バッドエンド」と決まっている。それで、いい。
神の恩寵ブレスはもう、いらない。




変身魔法、という便利な魔術がある。ただしこれは平民はおろか魔術師にも基本的には使用の許されない禁術だ。悪用される危険性が恐ろしく高いためである。
犯罪に利用されることを防ぐため、術式にはあらかじめ分かりやすくマーキングがされており、そのため使用者は独特の芳香を身体から放ってしまう。魔術の心得のある者は一発で気付けるが、逆にこの魔法のことを知らない者には覿面に効く。
そして、騎士団長–––––ロウア=ホルストは後者だった。
近代兵器を主に用いる騎士団は、魔術に疎い者の方が多い。そもそも騎士身分は貴族と同様に、魔術の使用を全面的に禁止されているためだ。加えて、ロウアは騎士の名家に生まれ育った者だ。今まで魔術になど触れたことの方が少ない。
この国では特権階級に位置する者ほど魔術が遠いのである。
ゆえに、ジュリアはこの魔術を「悪用」することに決めた。


燃えるような赤毛をくるくると巻き上げてたっぷりの花や宝石で華やかに飾り付け、一流の職人にオーダーメイドで作らせた煌びやかなドレスを纏う。もちろん身に付けるアクセサリーや小物にも手は抜かない。仕上げに完璧な化粧を施せば、何処に出しても恥ずかしくない、立派な姫君の出来上がり。
「……ふふ。完璧。今からわたしはジュリア=オーウェルじゃなくて、リュンヌ=アルケミア姫よ」
海洋に面した貿易国家である隣国アルケミア王国国王の一人娘、リュンヌ。ルカ王子の婚約者である。「月」を意味する名前とは逆に太陽を想起させる美しい姫君は、半月もしないうちに我が国へ嫁いでくる。
–––––時期としては、ちょうどいいだろう。
変身魔法と、それらしく見せるための変装技術の二つを駆使して出来上がった「お姫様」を姿見に映し、ジュリアは笑う。


(もう、情には流されない。わたしはわたしの意思を貫く。……たとえ、それが間違いだとしても)


「準備は出来ましたか? お嬢様」
傍らには、王子の姿をした青年が一人。鴉みたいに真っ黒ないつもの格好ではなく、金髪を一つに結い上げて貴族服に身を包んだ様子はずいぶんと颯爽として見える。
「ええ、もう充分よ。……それと、外ではわたくしを姫様と呼びなさい。分かったわね?」
「かしこまりました。……姫様」
大輪の薔薇をあしらった手縫いの刺繍も美しい外套を身に纏い、ヒールを音高く鳴らして彼女は外へ出る。
この世でたった一人の友達の、かけがえのない人を騙すために。



その日、過酷な訓練をやっとのことで終えたロウアは疲れた身体と心を癒そうと庶民街へ足を運んでいた。石造りの街並みが鮮やかな夕陽に照らされる様は心をフワフワと浮つかせる。あちこちから聞こえる呼び込みや客引きの声も賑やかで、活気に満ちた街は彼を王国騎士団長ではなくただの男に戻してくれる。
静謐な空気に包まれた王宮とは、また違う雰囲気を漂わせる庶民の暮らすこの街が、ロウアは子どもの頃から好きだった。
さて、今日は何処の店で一杯やろうか–––––などと考えながら露店を冷やかしていた彼は、あるものを見つけて立ち止まった。
庶民街を吹き渡る、焦げたような匂いの風に靡く金髪。いつも着ているものより少し質素ながら、明らかに身分の高い者と分かる装い。穏やかで、でもたとえようのない甘さを含んだ表情。–––––ルカ王子だ。
その隣。
紅い髪、翠の瞳。可憐で儚げな面差し。華奢でたおやかな肢体と、贅を尽くしたドレス。恋する者特有の熱っぽい光が、エメラルドの如き瞳を美しく彩る。
互いに笑い合い、そして時折何かを話し込んではその瞳を絡め合う。
いつかに観た、オペラの一幕みたいに。


–––––時が、止まったかのように、感じた。


なんて、顔をするのだろう。
まるで、彼女に恋しているみたいな。
まるで、彼を愛しているかのような。
……いや。二人は政略結婚という枠組みを越えて、ついに心も結ばれたのだ。
だから、あんなに熱の篭った眼差しを互いへと向けている。あれが、あの熱い視線が、贋物レプリカであるはずがない。


ふと、王子がこちらに微笑んだ。姫に向けたものと違う、優しいけれど熱のない笑みだった。
ゆっくりと–––––、彼は悟る。
彼の中に、自分はもういない。
そして、青年の恋情は玻璃の如く砕け、涙と共に流れ落ちる。
「さようなら、……おれのはつ恋よ……」




その夜。ふわりと、一人の少年が音もなく降り立った。灯りの落とされた寝室は寝台が十は置けるほど広い。その中央に金髪の男が眠っている。寝顔は穏やかとは言い難く、規則的に繰り返される呼吸も浅い。
少年–––––サンサーラはにこりと薄っぺらな笑顔を秀麗な顔に刻み、そっと片手の平をかざした。
魔王の力を継ぐ彼に呪文は必要ない。ただ、念じるだけでいい。魔術という型にはめることはせず、意志力のみで奇跡を具現し操る。
手の平に魔力が充填され、それに呼応してぱりぱりと空間が振動する。心音に似た重苦しい轟きが寝室を満たす。魔力の高まりが烈しい反応をもたらしている。


「人の子よ、お前を今から楽にしてやる。喜べよ、もうくだらん恋に苦しむ必要はなくなる。そして–––––人を人たらしめる全てを喪うのさ。きっとキサマは良い支配者になれる。そう、他ならぬこのボクが予言しよう」


ぶわ、と魔力の中心点から激しい閃光と烈風が放たれた。
怪物に魅入られ、悪役に愛されたこの哀れな青年は、もう二度と恋をしない。人を愛する心を喪い、冷徹で情無き支配者と化す。
若き独裁者の君臨する王国シュバルツベルンが間もなく誕生し、世界を闇に飲み込むだろう。
本来なら、ただロウアとの思い出を封じ込めるだけでよかった。そうすれば彼への想いもまた封印される。だが、サンサーラが用いた魔術はもっと非道なものだった。
彼の中から–––––他者を思いやる心、人を愛する心、その温かい気持ち全てを消し去る。
もう、ルカは誰も愛せない。
ゆえに誰からも愛されない。
悪魔は呵々大笑する。どこまでも冷たく、どこまでも悪辣に。


「アッハッハ!! どうだ、これがお前の望んだ結果だ、ジュリア=オーウェル!! せいぜい後悔するといいさ、そして永劫その罪に苦しむんだ!! 足掻けよ、存分にな……!」

          

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