レディ・ヴィランの微笑み

ノベルバユーザー91028

悪役令嬢と若獅子の恋情

数ヶ月前。彼女、ジュリア=オーウェルはとある人物との接点を持つことになった。その相手とは、シュバルツベルン王国の次期国主–––––「ルカ・セレスティアル=フォンテーヌ王子」である。彼が実の父に暴行されるところをジュリアが救ったのがキッカケとなり、二人は文通による交流を重ね、その後対面する機会にも恵まれた。今では親友と呼べる間柄だとお互いに認識している。


もちろん、それは非公式の仲であり誰にも口外してはならない秘密だ。なぜなら彼はいずれこの国を背負う立場に就く。いわば国家の顔ともいうべき存在だ。もちろん婚約者もいるし、今余計な火の粉を立たせる訳にはいかない状態にある。ジュリアもそれは同じだ。彼女だってオーウェル家を継ぐ人間である。


だが、面倒なのは二人が年頃の近い男女であることだ。お互いに恋愛感情が存在しなくとも、二人の関係が露見すれば厄介なことになる。少なくとも、国民は彼と彼女を恋人同士だと邪推するだろう。お互いに失うものが多すぎる。そのため二人の面会は昼間に限られ、双方が側近に置く魔術師によって作成されたプライベート空間でのみ顔を合わせることとなっている。


それはジュリアにとって良いことではあるが同時に面倒事を招き寄せるものでもあった。というのも王子が彼女に面会を求めるのは、何かしら困り事が起きたということでもあるからだ。
という訳でジュリア当人としては正直な話、彼との親交は決してメリットばかりではないのであった。
–––––しかし。世の中には時としてどうしても避けては通れぬ道というものが待ち構えている。
ジュリア=オーウェルにとって、それはまさに今この瞬間だった。





「……は? 殿下、今何と仰いましたか? すみません、よく聞き取れなかったのですが」
ごっそりと生気の抜けきった無表情で彼女は尋ねる。逆に、目の前で優雅に紅茶を口にするルカ王子はそれはもう非常にいい笑顔で再び同じことを告げた。
「だから、アイツ……ロウア騎士団長の相談相手になってやって欲しいんだよ。何か悩み事があるみたいだからさ。私としても、友人の彼には元気でいてほしいんだよ。な、頼まれてくれないか?」


ぱんっと両手の平を合わせて拝む青年は、優しげに垂れた榛色の瞳に真剣な光を宿している。口調こそ砕けたものになってはいるものの、曲がりなりにも王子様である。仲は良好といえど立場というのは決して無視できない。互いに、それを弁えた上での付き合いを余儀なくされている身だ。–––––彼女は、頷くしかなかった。そういう「身分」だからだ。時々彼をずるいと思うのは、無邪気且つ無意識にそれを利用してくるところである。


「……はぁ。わかりました。他ならぬ王子の頼みとあらば、お引き受け致しましょう。……けれど、わたしが騎士団長の話し相手になったところで上手くいくとは限らないと、了承お願いしますね?」




……というのが、先日の話。
その後王子から密書が届けられ、彼女は王城内にある訓練施設–––––王国騎士団訓練所へと足を運んだ。
宮廷魔術師インテリたちが詰めている王立魔術研究所とは対になる施設であり、ここでは日夜騎士たちが剣や体術の訓練に励んでいる。


この時代では比較的珍しい、鉄筋コンクリート製の無骨で飾り気のない建物がどっしりと構えられていた。歴史と風情を感じさせる美しい王城に比べるといささか質素に思えたが、少々のことではびくともしない堅牢さを備えている。近くには銃器類や刀剣をしまってある武器庫も併設され、ここだけ物々しい雰囲気が漂っていた。


しかし彼女はあまり気にした風もなく軽々と敷地内へ入る。昼間だからか、大きな鉄扉は開け放たれており中の様子はすぐに窺えた。
広々した内部はモルタルの床と打ち放しのコンクリ壁。黒い人型の的がズラリと並び、あちこちに作業着やジャケットが脱ぎ散らかしてある。
彼女と同い年程度の青年たちが黒い作業着姿でライフルやリボルバー拳銃で射撃練習を行っており、他にも剣術を用いて戦闘訓練中の者もいた。


「わぁお、すごいわね。さてさて、騎士団長様はいらっしゃるかしら」
背に流れる墨の川の如き黒髪を一つにまとめてバレッタで留め、動きやすさを重視した比較的簡素な作りのドレスに身を包んだジュリアは、手鏡でさっと乱れた前髪を整え、紅を引いた唇を軽く持ち上げる。
「皆さまこんにちは。わたくし、オーウェル伯爵家が長子のジュリアと申しますわ。あるお方の頼みで、こちらの騎士団長にお会いしたく参上致しました」


うおおお、と施設内の男性たちが盛り上がった。万雷の拍手が巻き起こり、ヒューヒューという歓声があちこちから飛び交う。
「“社交界の気高き一輪の大華“ジュリア=オーウェル様だー! みんな今すぐ団長を呼べー!」
「あの“薔薇姫“様だぞ、丁重におもてなししろー!」
「やっべ、本物マジハンパなくキレーだな!」
「……おれ、生きてて良かったっ……グスッ」


普段、仕事と訓練に追われる彼らは女性に対して慣れていない。それにしても予想外の盛り上がりに、彼女は浮かべた愛想笑いが引き攣りそうになるのを必死で堪えた。
「うふふ、なんだか皆さまったら大げさですわね、私しがない貴族の娘ですのに……」
「ささっ、もうすぐ団長が来ますからゆっくり寛いでくださいっ」
下っ端らしき若い騎士が、手ずから淹れたのか少々色味の良くない紅茶と余り物と思しき菓子を運んでくる。彼女としては、生前の侘しい食生活を思い出させるので正直口にしたいとは思えなかったが、それは礼儀に反するので仕方なく一口摘む。
熱っぽい視線を送る若騎士たちに辟易しつつ束の間の雑談に興じていると、最奥のドアを開け、大柄で長身の男が荒々しい足取りで現れた。


獅子のたてがみを思わせる額を露わにした灰銀の髪に、鋭い三白眼と強面だが整った顔立ち。日焼けした身体はがっしりと鍛え上げられ、徽章と戦功賞のメダルが下がった濃紺の騎士服が映えている。
野生動物のような烈しく張り詰めた空気を纏う男–––––彼こそ、フォンテーヌ王家を護る「王家直属近衛騎士団」をまとめ上げる騎士団長、「ロウア・ホルスト」その人だ。


その威圧感に気圧され、思わず敬礼しそうになるジュリアだがすんでのところで抑え、ドレスを摘んで一礼する。
「本日は、吾輩の頼みに応じてこちらへおいでくださったこと、誠に感謝する。さっそくで済まないが、吾輩の執務室へ来てはくれるだろうか」
「……はぁ」
「そうか!ありがたい、では参ろうか! なに、話はすぐに済む」
呆気にとられ、うっかり答える彼女の手をぐいっと掴み、ロウアはニカッと豪快な笑みでずんずん歩いていく。
「えっ、あの、ちょっとー!?」



ぱたん、と上階にある執務室のドアが閉め切られ、殺風景な部屋はロウアとジュリアの二人きり。
実はここへ来るまで何も知らされていない彼女は、何故彼が己を召喚したのか未だに分かっていない。国防は軍と魔導兵に一任されているし、騎士団の主任務は王家の守護だ。どちらも貴族の子女である彼女に直接の関係はない。


「……まず、一つ申し上げておく。これから話すことは絶対に口外しないでもらいたい。それと、騎士団に関連することでもない。故に邪推はやめてほしい。……もっとも、これは吾輩の個人的な願いだが」
ますますわからない、と彼女は内心で首を捻った。では尚更不可解だ。貴族の娘に騎士団長が一体何の用事があるというのだろうか。


懊悩しているかのように頭を垂れた辛そうな表情の男は、やがて何かの決意を固めたのか、何やら神妙な眼差しを向ける。


「……あの。吾輩の『恋のキューピッド』になってはもらえないだろうか……?」

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