レディ・ヴィランの微笑み

ノベルバユーザー91028

聖女の微笑、令嬢の真意

わたしはアニメや漫画、それらに加えてゲームや小説も大好きだった。いわゆるオタクであり、収入をそれら娯楽作品の購入に当てることもしばしばだった。
けれども特に多くの時間を費やしたのはネットで小説を読むことである。Web小説というのはいい。無料タダだし、評価が高ければ(基本的には)面白さが担保されている。
だから、自身が乙女ゲームの世界に「悪役令嬢」として転生してしまったと悟った時、ある懸念をしないわけにはいかなかった。読み専としてたくさんの「悪役令嬢もの」に触れていたがゆえに。
–––––もしも、自分と同じくヒロインに転生した人間がいたら。仮に、転生者が全キャラクターの攻略と敵であるわたしの排除を目的としていたら。
だって、現にわたしという例が既に存在している以上、それらの懸念が実際に起きてしまった場合を考えておかないというのはあまりにも危機感が希薄といえる。
したがい、わたしは王子と舞踏会を通じて知り合う前からそのための策は幾つか用意していた。伯爵の娘としてわたしは常に細心の注意を払って行動することを求められている。
一方で悪役としての自分のあり方もずっと探し続けてきた。「dream・lovers」で絶対的悪役ヴィランとして君臨する「悪役令嬢ジュリア」に生まれついたのならば。やはり、悪役としての生を全うすべきなのだろうか、と。
物語の世界に新しく生まれ直した。作品の登場人物としての存在であれと求められた。その求めに応じて生きるべきか、あるいは自分というものを確立し、全く無視して好きに生きてもよいのか。
何が正しくて何が間違っているかはわからない。正解の定義など何処にもないから。それならば自分なりの信念に従い生きていくことこそが、やがては己の正義となるだろう。それを肯定できるのは自分だけだ。
……ゆえに、わたしは。
誰もが否定できないほどの「悪役」としてこの世界ものがたりに立とうと決めた。
おそらく役柄キャラを否定し元の「榎本樹里亜」として生きようとしても必ずどこかで邪魔が入るだろう。この世界はあくまでゲームが元になった仮初の空間だ。きっと現実よりも揺らぎやすいはずだ。その不安定さゆえに歴史の強制力といったものはより強く働くだろう。そしてどんなにジュリア=オーウェルとしての生き方を拒んでも、どこかでストーリーに動かされてしまうかもしれない。
顔も知らない作り手に、「人形キャラ」として動かされるなど、そんなことはわたしの矜持が許さない。認めない。
たとえこの世界が架空であり虚構でしかなくとも今わたしはここで生きている。それだけは絶対、誰にも否定なんてさせないから。
もしも現実世界の榎本樹里亜のままなら、こんな考えには至らなかっただろう。わたしが前世の記憶と人格を持つ「悪役令嬢ジュリア=オーウェル」として生まれついたこそ、現在の価値観がある。
……今はそのことに感謝しよう。ただ周りから逃避するしかなかったあの時よりも、とても強く在れることに。



宮原柚葉という少女は、居るだけで周りに幸福感を与える女神のようなひとだった。
まず、ジュリア付きの侍女達が彼女の虜となった。少し会話しただけでメイドの心を開かせ解きほぐし、まるで何年もここで暮らしていたかのように錯覚させてしまう。他の使用人も同様。今では将来の雇い主であるわたしよりも彼女にかしずき優先している。
お父様も例外ではなかった。最初こそ異世界からの来訪者ということで警戒していたものの、彼女と対面し言葉を交わすにいたってその頑なさは氷解し、もう一人の娘のように可愛がる始末。
驚くほどの早さで彼女はオーウェル家に馴染み、この世界に順応していった。
長い歴史の中で初めての異世界からの召喚例ということで、柚葉は定期的に後見であるわたしと共に王城へ赴き、そこで様々な検査を受けている。他にも宮廷魔術師達や王宮付き魔導師とも交流を図っているらしい。レオンハルト様とも最近は仲良くなりつつあるようだ。
あの、ルカ王子とも。殿下はそうそう人に気を許さない方だ。わたしだってまだ信用を得るには至っていない。文通は厚意の現れであり、あくまで臣下に対する礼でしかない。
その王子が。何処の馬の骨とも知れぬ身分のはっきりしない娘と親交を深めているとは最初、俄に信じ難かった。しかし元々彼女はヒロインとしてキャラクターの攻略をするために生まれてきた存在だ。彼女もまた「ヒロイン」という役柄によってこの世界で生きている。ならばやはり、レオンハルト様やルカ王子と親しくなりゆくのも道理なのか。


誰もが彼女を褒め称える時、揃って言う。
「あの子と話すと、なんだかすっごく幸せを感じるんです」–––––と。
……わたしもまた、柚葉に毒された一人なのだろうか。
この世界に生まれてよりずっと付きまとっていた焦燥、飢餓感が嘘のように失せていき、満たされ充足していくのに気づく。注がれる水はまさに甘露、飲み下す度に渇きが消えていく。
この満足感を幸福と呼ぶのなら、きっとそうなんだろう。
けれどもそれは、わたしが真に欲しいものじゃ、ない。
だってわたしは、悪役として生まれ悪役として生きるために此処にいる。
主人公に絆されるなど、それはわたしがわたしでなくなるのに等しいのだから。
それでも彼女を手放せない自分がいた。
もしかしたら。
わたしと柚葉は、出会うべくして出会ったのだろうか。わたしと彼女が引かれ合うのはある意味必然であり、決まっていた事なのかもしれない。
そう、まるでゲームのイベントのように。
どこかで彼女を認めてしまう己が言う。
絶対に、柚葉から離れてはいけないのだと。
その意味を、わたしはやがて思い知ることになる–––––。




珍しく何処にも出かける用事がなく、溜まった書類仕事を片付けるはめになったある日。その日は朝から気持ちの良い晴天で、昼下がりの優しい日差しがぽかぽかと降り注ぐ中、すっかりわたしは白い巨塔に向かう気力を無くしてしまっていた。
だってこんなに天気が良いのだし、せっかくなら外に出て散歩でもしたいくらいだ。
ぐったりと机に突っ伏すわたしの元へ柚葉が訪れ、にこやかに声を掛けてくる。
「ジュリアさん、お茶にしましょう。お仕事たくさんで疲れてるでしょ?」
当初身に付けていた制服からこちらのドレスに着替えた柚葉は、貴族の娘と見紛うほど洗練された所作を見せる。ひらりとドレスを翻して歩く様は、最近まで現代日本に生活していた者とは思えない。
「あ、……ありがとう柚葉さん。ちょうど甘い物が欲しかったところなの」
メイド達に準備と用意をしてもらい、束の間のティータイムを楽しむ。
お茶請けのクッキーを齧ると、彼女が頬を薔薇色に染めてはにかんだ。
「あ、あの……そのクッキー、私が作ったものなの。……美味しい?」
「うんっ。とっても美味しいわ、領内で売ってみんなに食べてもらいたいくらい。そうだ、今度一緒に商品開発しましょう! 柚葉さんならきっと素敵な商品を生み出してくれそうだもの」
「えぇっ、私にそんなことは無理だよ!でも嬉しいな、喜んでもらえてほんとに良かった!まだたくさんあるからいっぱい食べてくださいね」
無邪気に笑う彼女は微笑ましくて、妹がいたらこんな感じだったのかな、とふと思う。柚葉みたいにかわいくて、癒される存在だったら前世のわたしもたくさん愛してもらえたのだろうか。
淡い色の瞳がやわらかに細まり、ゆるゆると弧を描く。優しく包み込むような透き通る微笑が彼女の愛らしい顔立ちを彩る。
……あぁ、こんなにもきれいな笑みをきっとわたしは浮かべることができない。
何よりも穢れなく純粋で、幸福感を与えるように笑うことなど。
彼女が「ヒロイン」としてこの世に生を受けたのは確かに必然だったのだ。
女神、天使、聖女。–––––どの言葉で飾ろうとも足らない。攻略対象者達には誰よりも愛しい女となるはずだ。


手ずから淹れた紅茶をひとくち啜り、香り豊かな風味をゆっくりと味わう。
胃の腑へ落ちていく液体がじんわりと温かく、まるで体液が滴り落ちるようだ。




こんなにも和やかな時間がいつまでも続いたら良いのに。でも、きっとこれから動乱の時代を迎えることになるだろう。
その時彼女はどうなるのだろうか。
その時わたしはどうしたらいいのだろう。

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