ノアの弱小PMC—アナログ元少年兵がハイテク都市の最凶生体兵器少女と働いたら

稲荷一等兵

第7節—第201合同任務部隊所属、祠堂雛樹—

 兵士は行った。本来ならば、もうここで彼らを囮に逃げてしまえばいい。そうすれば、自分だけなら生き残ることはできるだろう。
 だが不思議と、そういう気分にはなれなかった。こうして、誰かと生死の境を共にするのは随分と久しぶりだ。自分がまだ幼い兵士だったあの頃。素人同然だった自分を連れて、部隊の仲間たちにこういった死線を“越えさせてもらっていた”ことを思い出したからだ。

「二人で別々に、視界外へ回り込むようにして、足を止めないでください」
《くおっ、くそ、了解!》
《わかっている!!》

 彼らは今、全力で生き残ろうとしている。本気で40分。あのドミネーターと呼ばれる、およそ人類種最大の敵を前に、耐えられると思っているのか。

(無理だ……。ここまで集落から引き離せただけも、運が良かった)

 光の矢が撃ち落とされながらも、足を止めず、うまく二人して撹乱し、逃げおおせているがそれもすぐに限界がくる。
 手榴弾の残りはない。もう気を引けない。小銃の弾倉も尽きた筈だ。

 残りは、ランチャーに装填された対戦車弾頭だけ。

「ぐおッ!!」
「ッ馬鹿野郎!! もう、こいつを撃つしか……!!」

 瓦礫の陰に隠れ、兵士は肩に下げていたランチャーを構える。もう一人の仲間の兵士が狙われている。瓦礫に足を取られ、転倒した仲間。こちらに気を引かねば、彼は光の矢に穿たれ、命を落とすだろう。

《大丈夫、撃ってください。あとは、引き受けます》
「……ッ、その言葉、信じていいんだな!?」
《ええ、それと。感謝します。あなたたちがいたおかげで、ここまで奴を引き離すことができた》
「逃げ延びてから、いくらでも聞く!!」

 泥だらけの体を奮い立たせ、兵士は狙いをつけ、間髪入れず引き金を引いた。
 先ほどと同じく、白煙の尾を引いて飛翔する弾頭は、ドミネーターの横っ腹へ飛び込み、爆煙を上げた。

 至近距離だったこともあり、熱風を伴った衝撃が肌を焼く。思わず顔を片腕で守り、視界を遮ってしまった。

 だが、繰り返す悪夢。今度は車両ではない。個人に強い敵性を認めたドミネーターが、接近。されたかと思うと、自分の体が無理やり地面から引っこ抜かれた感覚に襲われる。
 いや、自分だけではない。周りの大小様々な瓦礫やら、地面の表層やらも一緒に引っこ抜かれ、宙に飛び出している。

 この、怪物が浮いていられる原因はこれか。

 瞬時に理解する。あのとき車両を襲った浮遊感。この怪物は、己の周囲、幾らかの範囲で重力を操作している。
 操作しうる力を持っている。

 いや、知識としては持っていたはずなのだ。あの怪物が現れると大規模な重力波が発生する、ということは。
 このまま浮かされ、回避もできないままあの赤き光の矢に穿たれ絶命するのか。
 そう、覚悟した時だった。突然、接近していたドミネーターが後退し、自分の体に重さが戻ってきたのは。

「ぬ——……ッ!!」

 周りで浮いていた瓦礫と共に地面へ落下し、したたかに背中を打ち付ける。肺から酸素が絞り出され、一拍。大きく息を吸い込み咳き込んだ。

「なんだ、どうして後退した、あれは……」
《引き受けるといったはずです。……信用してませんでしたね》

 ヘッドセットを通して聞こえてくる、ノイズ混じりの青年の声には、どこか怒りが混じっていた。腕を拘束された男の話を信用しろという方が、無茶な話だ。むしろ、自分たちがあの怪物を引き受けて、祠堂雛樹を守るつもりでいたくらいだ。

《さあ、早く逃げてください。できれば増援が向かってきている方向へ》
「そんなことできるわけないだろう!」
《丸腰のあなたたちには、逃げる事しか指示できない。いいからさっさと行って、一線級部隊と合流してください》

 兵士はどちらも、言葉を詰まらせたが。やがて心を決め、言った。
“戻ってくるまで、なんとかして生き延びるんだぞ”と。

 瓦礫を背にし、隠れ、足を伸ばしだらしなく座っている雛樹は、“さっさと行っちまえ”と。“感謝の念”を込めて、吐き捨てるように呟いた。
 ヘッドセットから聞こえる兵士の声が遠ざかり、やがて消える。
 陰でへたり込む、青年の右目、その瞳は。まるで紅玉のような色に染まり、瞳孔が縦に長い、獣のようなそれに変化している。

 そして何より、怪物が出す“赤い矢”から発せられる赤光せきこうを、その瞳はたたえていた。

 兵士から後退した直後、ドミネーターは不自然なほど早い動きでその巨躯を空中で半回転させた。それと同時に、ごろごろと視点の定まらない縦に並んだ瞳をビタリと止め、ある一定の方向を見続ける。

 祠堂雛樹が隠れる瓦礫。その方向を。

「せめてこの拘束帯が無けりゃあ……」

 本当に運が悪い。そう笑って、片側の口角を上げた。

 瓦礫の隙間から差してきた、強い赤い光。瓦礫に隠れたそこにいる何者かに、今まで感じたことのない敵性反応を示した怪物ドミネーター。それは周囲、半径50メートルを埋め尽くすほどの凄まじい数の“矢”を展開させた。

 まだ、まだ増える。何もない空中に、赤い粒子が収束し、物質化。
 その大量の赤光が、雛樹が隠れる瓦礫のその向こうまで届くほど。

 これは隠れてちゃ話にならんと、重い腰を上げ、瓦礫の上に登り、もう一つ高い瓦礫に右足を上げて乗せ。
 もう無用の長物となったヘッドセットを、頭を一度強く振ることで地面に落とす。
 対峙する、あまりに巨大な怪物ドミネーターと、あまりにちっぽけな青年の絵は、ひどく歪であるように見えた。

「ああくそ……そこまで本気にならなくてもいいだろうに。こんな餓鬼相手にみっともない」

 眼前を埋め尽くす、その一つ一つが致命の威力を持つ赤光の矢が、まるで巨大な舞台の幕のように張られていた。

「数年振りだとさすがにすくむなあ……この威圧感には」

 拘束帯を無理やり引き千切れないか試すが、できない。“かなりの負荷”をかけたはずなのだが……。このままで行くしかないようだ。

「……ガンマ級相手に今の俺がどこまで抑えられるか、まあ」

 足元に転がっていた拳大のコンクリートかいを足で蹴り上げ、右手に掴む。

「あの兵士達を追わせるわけにもいかないからな」

 膨大な範囲に展開された赤光の矢が、一斉に雛樹へ向けてせり出してきた。
 同時に、雛樹が握ったコンクリート塊が、徐々に黒い物質へと変質していく。
 そして、漆のような光沢を持つ黒い物質に変わり果て、赤く光るラインが、その物質に回路のように走る。


 瓦礫の山の上に立つ彼に、凄まじい威力を纏った無数の矢が飛来する。
 津波のように押し寄せるその閃光は倒壊したビルや、鉄骨ですら消しとばし、地形が変わるほど、大地を深く広く抉り——……。

 ドミネーターという、怪物にとっての敵性が赤い光に飲み込まれ。
 後に残ったのは、巻き上げられた膨大な土煙。

 その土煙は、標的の遥か後方まで続いている。もうもうと立ちのぼる膨大な量の土煙。普通なら、人間の脆い肉体など消し飛んでいるはず。
 だが、つい先ほどまでせわしなくばらけさせていた怪物の目は、まっすぐ一点を見つめている。

 土煙の中、揺らめく一点の赤い光。その光へ向かって、新たに展開した複数の矢を放つ。が、その赤い点は鋭い残光を残し、その矢を避け、迫ってくる。

 土煙から抜け、姿を現したのは祠堂雛樹だった。何もかもを消し飛ばす程の攻撃、そのど真ん中にいて何故まだその姿を保っていられたのか。

「一斉射した後でも、この展開速度か!!」

 一斉射をしのぎ、なんとか懐に飛び込もうと凄まじい勢いで接近しているのだが。
 空で黒い触腕を広げるドミネーターは、再び赤い粒子を収束させて矢を作り出している。それも、凄まじい勢いで。
 下位のものならばそう早くはないらしいのだが、この上位のガンマ級となると、そうはいかないらしい。

 すぐさま回避不可能なほどの矢が展開され、雛樹一点に向く。だが、あと数十メートル。これさえ凌いでやればなんとか懐に飛び込める。

 抉れた地面を走りながら、器用に石を蹴り上げ、再び右手に握り締める。黒曜石のような物質に変化し、赤く光るラインが電子回路のように走る。が、今度は様子が違った。
 その物質を握っている雛樹の手にまで赤いラインが伸びたのだ。

(まずい……、キックバックした!?)

 右手に焼けたコテを押し付けられ、グズグズに崩されていくような感覚。それに伴い、右手の指先が、その黒い物質と同じ物に変化していく。右目の赤い瞳、その瞳孔が荒々しく、開閉を繰り返す。

 光を取り込んだり、抑制したり。ぐらりと揺れる、右目で見える視界。だが、ドミネーターからの追撃がくる。ひるんでいる場合ではない。

 なんとか右手に力を込め、黒い物質と化した石を握り砕く。
 先ほどまで石だったものとは思えないほど簡単に、もろもろと崩れていくその物質は、雛樹の手の中で、幻想的な赤い光を放つ粒子へと姿を変えていく。

 放たれる、複数の矢。それに向かうようまっすぐ走りこむ雛樹は一度止まり、左肩と右手を、向かってくる攻撃に向けた。右手の指の間から漏れ出る赤光する大量の粒子が。

 ドミネーターの作る矢のように。収束し、物質化して盾のように展開した。

 赤い光を放つ半透明な壁。雛樹の体をカバーするいびつなそれは、向かってきた同質の矢をことごとく防ぐ。
 だが、一撃一撃、凄まじい速さで向かってくる矢を防ぐたびにその壁にヒビが入る。もう砕けてもおかしくない、その瞬間を狙い。

「あああッ!」

 眼前に展開するその赤光の盾を、体を捻り、トルクをかけた右足で打ち抜いた。向かいくる矢を押し返しながら進むその盾は、“最後”の矢に撃ち抜かれて砕け、消滅した。

 展開していた矢は全て防ぎ消し去った。隙を突き、雛樹は空中にいるドミネーターの足元へ飛び込んだ。
 接近されたものの、こんな小さな人間に何ができるというのか。半径数メートル以内に生じる重力異常。雛樹が踏み込んだそこは、通常ならまともに身動きすることは叶わないエリアの筈、だった。

 周囲の瓦礫が空に引き抜かれたように浮き、地面すら剥がれたそこで。雛樹はその重力異常に全く干渉されていないかのように地面に足をつけている。そして膝を溜め……。

「“同類”だからこそ、お前は俺の敵性を認めたんじゃないか」

 ごろり。その怪物の双眸が無機質な体躯の中で大きく転がる。浮いた瓦礫を足場に、凄まじい跳躍を持って怪物おのれの頭上へ駆け上がった人間に、対処が遅れたのか。全く見当違いの場所に赤光の矢を展開する。

 雛樹はドミネーターの頭を背に、空に腹を向けながら滞空する。徐々に黒い物質が右手を変質させていく痛みを感じ、顔を歪めながら。

 体を捻り、唯一使える脚にありったけの遠心力を孕ませた。
 雛樹の口から漏れる、インパクトの際、肺から絞り出された空気。
 まるで爆撃でもされたかのような音を立て、滞空していた怪物は地に堕ちる。

 後を追うかのように地面に降りた雛樹は、起き上がろうとするドミネーターの不気味な目を捉えた。いっぱいに溜めた、鋭い後ろ回し蹴りをそこへ容赦なく叩き込む。
 ゴムを蹴り抜いた感触と共に、その目に抉り込んだ足から伝わる衝撃。瞬間波立った怪物の巨躯きょくは、大きく仰け反り、後方へ吹き飛んでいく。

 蹴り一つを取っても、凄まじい威力。通常の人間に出せる馬力ではない。
 だが、蹴り終わりの体勢を整えた彼の赤い瞳の瞳孔は、そこで開ききり、赤を失う。
 その時点で、変質していた右手が徐々に、元の肌を保つ人間の右手へと還っていっていた。


 変質していた右手が元に戻っていくことで、痛みは消えた、が。

 これではマズい。銃も爆薬も刃物すらまともに扱えない今の雛樹にとって、先ほどの“身体異常(赤い瞳)”は唯一、あの怪物への対抗手段だったのだが……。

「ああクソ……。ほんと最近ツいてない、ぜ」

 釣り上げた口角とは対照的に、冷や汗を流し、悲壮感漂う表情で立ちすくむ。
 足に違和感。先ほど蹴り飛ばしたドミネーター、その黒い触腕しょくわんが恨めしそうに絡みついていた。

「……そりゃ、倍返しどころじゃないよな」

 瞬間、足を捥がれる勢いで引かれ、視界が反転する。地面から十数メートルの高さまで、軽く体を持ち上げられたかと思うと、そのまま地面に叩きつけられた。
 受身も取れず、ダメージを直接受け入れてしまった。頭の中と臓腑が、突き抜ける衝撃にかき混ぜられたようだ。血管が爆ぜ、喀血かっけつし、暗転する視界。
 声すら出せない。ガラガラと崩れる瓦礫の音が聞こえるだけだ。

 叩きつけられたかと思うと、空中に放り出された体。そこを狙うようにして、一撃。赤光の矢が右肩を貫いた。
 滞空していた体は、撃ち抜かれたことによって吹き飛び、中途半端に建つビルの壁へ叩きつけられ、縫い付けられる。

「っあ……はぁっ……クソ……危ね……」


 接近する赤光の矢、その圧力を感じ、朦朧とした意識の中体を捻ったことで致命傷は避けられた、が。それでも、貫通した矢が壁に自分もろとも刺さり身動きできなくなってしまった。

 巨大な双眸、その一つを雛樹に潰されたドミネーターは、空に上がる。
 異様に短い足を空に向け、頭を地面に向けた、先ほどまでとは真逆の体勢で。

 動きを完全に止めた、祠堂雛樹という最優先目標に対し。とどめの一撃を放とうとする。
 ただただ、数の多かった“矢”、ではない。
 今度はたった一つ。唯一の攻撃物質を己の体の前方に生成する。

 本当に、矢の大きさしかなかった先ほどのものとは違い、その10倍はあろうかという径、長さを持つ、赤く輝く槍。

「ここまでか……。まぁ、いいか。いい時間稼ぎにはなったろ……」

 壁を伝う、雛樹の血液が地面を濡らしてゆく。どこか諦めたような言葉を吐く彼だったが……、しかし。

「俺を殺した後、子供達のところに戻るんじゃねェぞ……。バラバラになった体でテメェを破壊しに行くからな……」

 目には、凄まじい戦意が残っていた。
 雛樹というちっぽけな人間は、高位種であるガンマ級ドミネーターにとって、蟻同然の生き物のはず。
 だがその怪物は、壁に縫い付けられてなお抵抗の意思を見せる彼に、最大級の敵性を示していた。

「まだ、親父のとこには行きたくないんだけど……。日頃の行いが悪かったのかね」

 自分の体どころか、この一帯を消し去ってしまうほどに肥大化した赤光の槍に一瞥し、空を仰ぐ。

 そして気づいた。あの蒼穹に似た何かが、居る。

 人型だ。もう一体、怪物が出現したのかと絶望すらした。が、放っている粒子の色が明らかに違う。
 赤い粒子を放つドミネーターに対し、遥か空にいるあれは青色の粒子を放っているように見えた。

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