ノアの弱小PMC—アナログ元少年兵がハイテク都市の最凶生体兵器少女と働いたら

稲荷一等兵

第2節—海上都市からの、想定外帰投命令—

 三日経った。三日だ。この本土偵察任務は一週間を予定している。この三日のうちに、予定通りこの艦は偵察任務を滞りなく行っていた。政府軍に見つかることもなく、護衛の結月静流が出撃することもなく……ただ淡々と。

 だが三日が経った正午。海上都市センチュリオンノアから、突然の帰還命令が下された。
 このイレギュラーに、責任者であるジャックス大佐、およびその他クルーは驚くことになる。あまりに想定外のことだったが、仕方なく戦艦アルバレストのクルー達は帰投準備を始めていた。

 この三日間。手術後から、祠堂雛樹が目覚める事は一度としてなかった。
 手術中、祠堂雛樹の体を蝕む想定外の異変に気づき、難航はしたもののなんとか一命は取り留めることができた。

【“フォトンノイド光”投射により、グレアノイドによる細胞変異を食い止めました!!】
【……いや、まて。悪化している。悪化しているぞ、変異を止めた細胞が壊死している!! なぜだッ】
【只今、ジャックスバルカアーノルド大佐から連絡が! フォトンノイドの投射を中止し、グレアノイド粒子をごく少量投射しろとのことです!】

 本来、人体にとって毒にしかならないあの赤い光の粒子を投射しろ。それは、医療関係者からすれば患者を殺すに等しい行為だった。
 だが、責任はすべて持つという上官には逆らえず、その施術を決行することになる。

 投射できるグレアノイド粒子のストックなどはない。緊急処置として、反重力炉内部で“フォトンノイド”へ精製される前の“グレアノイド鉱石”から、わずかな粒子を抽出し、祠堂雛樹の負傷部位へ投射した。

【信じられん……。グレアノイドによる細胞変異ではなかったのか】

 本来、細胞を変異させ人体を“別の物”へと変えてしまうグレアノイドの毒素を浴び、雛樹の細胞は驚くべきことに再生を行っていたのだ。

 それとは別に、本来正しく使えば治療にも転用できる物質。“グレアノイド”とは対をなす青い粒子、“フォトンノイド”に対して彼の体は、強い拒絶反応を示していた。

 医師たちは術中、間違った治療法で祠堂雛樹を救おうとしていたのだ。

【オペ終了……。なんとか一命を取り留めることはできたな。皆、すぐにグレアノイド粒子洗浄槽へむかいなさい】

 手術に使用したグレアノイド粒子を、微量でも浴びている可能性のある医師たちは、中和のための設備へ向かおうとした。

 だが、その前に。この手術の現場に立ち会った者、目にした全ての者をジャックスバルカアーノルドは己の執務室に呼びつけた。
 そして、その後、その手術で起きたことを話そうとする者はいなくなる。様々な条件をつけ、口外するなと箝口令かんこうれいを敷いたためだ。


 術後、目覚めない雛樹に結月静流の精神的ストレスは最高潮に達した。
 仕事にならない中、とある男性クルーが言った『“想い人”が目覚めなくてピリピリしている』などという軽薄な言葉に激昂し、散々まくし立てた挙句暴力行為に及ぶ直前で東雲准尉に止められた……という事件があったくらいだ。
 突然の帰還命令で気の抜けた三日目の今日、結月少尉はジャックス大佐直々に休養をもらっていた。

「大丈夫ぅ? 結月ちゃん……。顔色悪いよー、寝てないでしょう」
「ええ……あまり寝れていないかもしれませんね……」
「ちゃんと息してるんだからいつか目が覚めるんじゃない? 医師たちも、もう大丈夫だって言ってたんでしょ?」
「ええ……だから、心配していないと何度言えばわかるのですか……」
「いや、目の下にそんな濃い隈出しながら言われても説得力にかけるよねー」

 心穏やかになるクラシックが流れる艦内ラウンジ、そのソファー。静流の向かい側へ座った東雲姫乃はただただ苦笑いを浮かべていた。

「昔、部隊でお世話になったお兄さんかー……。また随分な巡り合わせがあったもんだね。元々、彼を探すためにこの護衛任務受けたんでしょ?」
「ええ。この艦の航行予定ルートが、彼らしき人物が写った画像データの場所と被っていましたので……」
「随分、ご執心みたいじゃない。みんな噂してるよ。“男殺しの戦乙女”が、自分から男連れてきたって……ああ、ごめん。そんな怖い顔しないで。静流ちゃんの本気の目付きって、人殺す勢いなんだから……」

 疲れで目元に影が落ちているため、より一層恐ろしい視線が東雲少尉の双眸を射抜いていた。静流は嘆息し、腕を組み足も組む。何か考え込むように。

(おっぱい乗ってる。組んだ腕におっぱい乗ってる、すごい。静流ちゃんマジででかいなあ。さすがロシアンハーフ)
「なんですか、とてもいやらしい目つきです……去勢しますよ」
「私、男じゃないんだけどなあ! ……静流ちゃん、今年で二十歳はたちだったよね?」
「ええ。正確にはあと4ヶ月後ですが、何か」
「発育良すぎじゃないかって思うの、どう?」
「どうって……。うらやましいんですか? どうせあなたが持っても男をたらしこむ以外には使わないでしょう」
「……。……」

 相変わらず疲れた表情ではあるが、フッと鼻で笑ってみせる静流。それに対し東雲姫乃は目を見開き、眉を若干上げた能面のような顔で静流の顔を直視し続けた。何かを訴えかけるようにだ。

「体つきのことはどうでもいいんです。それよりも……まだ」
「またその後悔話ぃ? 後で胸揉みしだいてあげるから覚悟しろ……」
「ええ、いくらでもどうぞ。……私が機体の機動を最小限に抑えられていれば、ヒナキの症状を悪化させることには……」

 静流は三日前から、事あるごとにその話を口から漏らす。雛樹の容体を悪化させたのは自分だと、いつまでもその後悔の棘が心に刺さり続けているのだ。
 どうにも、その棘を抜くのはできないみたいだと諦めている東雲姫乃だが、まあ、冗談を言って気を楽にしてあげることくらいはと。
 少ない休憩時間を使い、こうしてラウンジで話し相手になっているのだが。

「でも、いくら迎えに来るって約束したって言っても、もう何年も前の話なんでしょ? よくそんな本気になれたね。恋人でもないのに」
「恋人などと! 私なんかが、彼と恋仲になるなんて……そんな馬鹿げた話がありますか。私は彼にとても恩を感じています。兵士として、軍人として私は彼に大きな憧れを抱いているんです! そんな彼に恋心を抱くなど……」
「ふぅん……。兵士、軍人として……ねえ?」
「私の女の部分には干渉しないほうが身のためですよ……ヒメノ・シノノメ准尉」

 そこで、東雲姫乃は口を真一文字に結び押し黙った。どこか蠱惑的で、妖艶な魅力を放つ、細められた静流の目。これだから彼女しずるは分からない。
 時折見せる、19歳とは思えない女としての彼女は、どこか恐ろしい獣を見ているようだ。
 彼女のその淫魔めいた魅力には、女性である東雲姫乃ですら生唾を飲んでしまう。

 その結月静流の“女の部分”が、彼女を大企業の看板娘たる者にしている理由なのだろう。

 そんな会話をしている時だった。静流の通信端末が、程よい大きさの電子音を発し始めたのは。
 相手はメディカルセンターの医師。一瞬、姫乃と目を合わせると彼女は早く出ろと言うように、あごをしゃくる。すぐさまその通信を繋げて何事かと要件を聞くと——……。

「ヒナキが、目を覚ましたッ……!?」

 今、一番待っていた朗報を聞き、静流は跳ねるようにソファーから立ち上がり、寝不足だったことも忘れるほど気分を高揚させて走り出した。
 その豹変ぶりにつられ、慌てて後を追おうとした東雲姫乃だったが……。

「ここで一緒に行くのは野暮かなぁ」

 もう少し間を置いてから顔を出そうと、東雲姫乃は改めてソファーに座りなおして、手元にあるコーヒーを啜った。
 遅い目覚めの報告を聞き、これでウチの少尉は大丈夫だろうという、心地よい安堵感に浸りながら。

——……。

 疲弊した精神と身体にムチを打ち、息を切らせながら雛樹が寝かされていた病室へ向かう。

「はぁっ……、はっ……。あの、先ほど知らせを聞いたのですが……」

 雛樹がいる部屋の前、その扉へたどり着いた静流。その前に立っていた、雛樹の担当医師に最低限必要な挨拶をする。その後扉横に設置された、青い回路が走るクリスタルの板に触れ、扉を開放し中に入った。

 個室であるそこにはベッド一つと、最低限必要なだけの医療機器が設置されてはいるが、飾り気が無く少しばかり広いだけのただの箱部屋だ。
 ほとんどの医療機器や家具などは、治療の邪魔にならないよう壁の中に収納されていて、必要な時に展開する、システマティックな空間となっている。

 ベッドの上には……。上半身を起こし、呆然と正面の壁を眺める黒髪の男の姿があった。
 首から下げているのは、見慣れたドッグタグ。

 祠堂雛樹しどうひなき。三日間、目覚めなかった彼。他の人間からすれば、たかが三日。だが、結月静流にとってそれはもうとても長く、辛い時間だった。
 彼の目に光が宿り、確かな生気を感じさせていることがなによりも嬉しかった。

「あ……の。えっと……」

なんと声をかければいいものか。とにかく何も考えず向かってきたのでわからない。

「ヒナキ……ですよ、ね?」
「……ん?」

 こちらを向いた、酸素マスクを外した彼と目が合った。確かに、面影がある。かつて世話になった少年兵だ、間違いない。

「んん、祠堂雛樹だけど……。誰なんだ? 知り合い?」
「……ぐっ」

 自分の顔を見てわからないのかと気分を害しそうになったが、すぐに改める。
 もう何年も会ってないのだ。仕方ない仕方ない。そう思い込んでも、思わず目つきが剣呑としたものとなってはしまうが。

「それよりここは? こんな施設……本土にあったか?」
「ここはセンチュリオンノア所属、戦艦アルバレスト艦内です」
「海上都市のっ……? んなバカな……、何がどうなってこんなとこに……。確か俺は、集落にドミネーターが現れて……それから、あ? それからどうなった……」

 様子がおかしい。が、しばらく意識のない状態が続いていたのだ。記憶が曖昧になっていたとしてもおかしくはない。

「それより、ヒナキ。私の顔に見覚えはありませんか?」
「……初対面だと思うけどな。どっかで会ったことあるか?」
「ぐ……」

 自分は一瞬で面影に気付いたというのに。この男は、これだけ心配させておいてまったく見覚えがないというのか。不愉快極まりないですなどと、再び気分を害するところだったが、もう何年も会ってなかったのだ。
 先ほどと同じように、仕方がないとその考えを改め……。

「この花、あなたがわざわざ防水加工ラミネートし、タグの後ろに貼り付けておいてくれたこれの……送り主の顔を忘れたと言うのですか」
「ああ、この花。これは昔、ターシャにもらった……」

 自分の首から下がったドッグタグ。それを裏返しにして眺めた彼は、その昔別れたロシア語を話す少女のことを思い出していた。
 この花は昔彼女からもらったものを、押し花にし防水加工をして、無くさないようタグの後ろに貼り付けておいたものだ。

「私の旧名をわかりやすく言えば、アナスタシア=パヴロブナ=結月と言います。アナスタシアの略称は?」
「アナスタ——……。ターシャ……」

 そこで、全く変化のなかった雛樹の表情は一変する。眉を上げ、口を開けたまま目を見開いて、今にも叫びだしそうな表情である。これに気を良くした静流はニンマリと両口の端を吊り上げた。

「ええ……、いい表情です。思い出してくださいましたか、このしょう・なしぃぃ……」

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