ノアの弱小PMC—アナログ元少年兵がハイテク都市の最凶生体兵器少女と働いたら
第3節—数年越しの会話—
ようやく目覚めたばかりの祠堂雛樹はとんでもない痛みに声を上げた。
あろうことか急所である股間を、薄い掛け布団の上から握られた。今まさに再会の喜びと驚きを、言葉で表現しようとしたところだったのだが。
そのなめらかな白く小さな手で、このまま急所を握りつぶさんとばかりに、目が笑っていない物騒な笑みを浮かべながら圧力をかけてきた。
「ふふ、子供ができなくなったら困りますから、この辺で勘弁してあげます」
「できるできないじゃなく、これ以上なく苦しんでるからってことで勘弁してくれないかなァ……ッ」
さっきまで、布団の上からとはいえ雛樹の急所を握っていた右手を、なにかを確かめるように開いたり閉じたりしながら、ほぅ……と熱っぽい息を漏らす静流だったのだが。
雛樹はとにかく腹に残る痛みに目をぐっと閉じ耐えながら、苦し紛れに言葉を絞り出していた。
「あれだけ一緒にいたのに忘れるなんて、ひどいです。泣きそうですが、なにか慰めてくれるんですか?」
「さっきの俺の悲鳴が慰めになってくれてたら、幸いだね……」
「あんな悲鳴だけで満足できるほど、安い女ではないですが?」
「ちょっと待て、いや……。わからなかった俺も悪い。けど、流石にこれだけ成長したターシャを、このタイミングで見破れっていうのは酷な話だろ……」
手を後ろで組んで、ベッドの隣に立っているターシャをじっくりと眺めた。ターシャ……結月静流はどうしたのですかと言いながら、小さく首を傾げてみせる。上半身も軽く横に倒して。
昔、一緒にいた小動物のような可愛らしさを持ったターシャと、今目の前にいる、凛々しく整った顔立ちの美女とのギャップに面影が見つからず、困惑していたが。
この愛らしい仕草には……見覚えがあった。
まだ日本語を満足に話せなかったターシャが、わからないことがあると行っていたわかりやすい仕草。
「ああ、その仕草は変わらないんだな」
「……なんですか、子供のままだと馬鹿にしているのですね。不愉快です」
「ははっ、随分日本語が達者になったもんだな。いや、すごいよ。ほんと、昔のターシャとは見分けがつかなかったのも仕方ないだろ、これは」
「達者になったのは言語だけですか? 他にもっと言うことがあるでしょう」
「随分疲れてるみたいだけど、ちゃんと寝てるのか?」
「あー……」
恐ろしく間延びした、返事とも取れない声を出しながら。ひたり、と。掛け布団の上に手を置いた結月静流。
それに伴い、鳥肌が立ち冷や汗が流れる雛樹の体。
「いや……なんだろう。性格キツくなった? アルビナさんに似てき」「万力という道具を知っていますか、ヒナキ。ええ、キリキリとハンドルを回し、最終的には対象をすり潰すあれです」
「万力はそんなことに使うような拷問道具じゃない」
徐々に置かれた手に力がこもってくる。この子は俺の急所を握るのに抵抗がないのかと思いながら、彼女が待っている言葉を頭の中で探す。
……、だが悲しいかな。本土暮らしだった雛樹は、人付き合いというものを必要最低限しかしてこなかった。女性と恋仲になったことなど一度もなく、そんなことにうつつを抜かす心の余裕もないに等しかったのだ。
だが、唯一。少しばかり年上だが、風音という孤児院を切り盛りする女性はいた。
彼女との会話の中で、ひとつでも女性を喜ばせられるような気の利いた言葉を言ったことがあっただろうか。
“かわいい女の子でも見つけてさ、一緒に暮らすといいんじゃないかい? あんたずっと独り身だろ?”
ああ、そうだ。あの時の会話の中で、美人なら風音さんがいるんだけどな。……などと、昔どこかで聞いた仲間の言葉を、自分なりに少し変えて言ってみたことがあった。
その言葉を言った時の風音といったら、もう。林檎のように顔を赤くして、随分喜んでいた……ようだが、照れ隠しなのか思いっきり腹を殴られたような気がする。
そういった過去の言動も踏まえて、成長したターシャを見た時の気持ちをうまく伝えようと言葉にしてみた。
「随分美人になったな、見違えたよ。発育も良さそうで」
「その言葉を待ってたんです。あはは、でも最後の一言は余計ですね?」
「余計なのか、悪い。失言だった」
頭を掻きつつ、本当に困ったような風な表情でそういう雛樹。そんな彼に対し、完全に毒気を抜かれた結月静流は少女らしい笑みをこぼしていた。
そこから二人は各々の経緯を、お互い順番に言うことになった。
雛樹は、自分がなぜ拘束されていたのか、そして何故あの怪物と対峙していたのかを話し。
静流は、今の自分の名前が結月静流だということ。方舟、センチュリオンノアにある、とある企業の軍部に所属していること。
今回、祠堂雛樹を捜索するという条件付きで、この戦艦の護衛任務に就き、無事ではなかったが、思わぬところで発見できた事。
彼の腕に巻きついていた拘束帯を、“圧縮物質化光”による刃を用い、いとも簡単に切断したこと。
そして、この戦艦アルバレストはこれから方舟へ帰還する、ということを話した。
お互いがお互いの詳細を知ったことで、今の状況に現実味が生まれた雛樹は言った。
「俺はこれからあの方舟に住むことになるって?」
「ええ、ただし条件はありますが」
「条件?」
「そうです。センチュリオンノアに属する、軍事部門をもつ企業に所属すること、なのですが……。はっきり言って、大船に乗ったつもりでいてくださって構いません」
本来、一般人ならこの条件をクリアすることは難しいらしいが……。雛樹は違う。本土戦線を支えた元軍人。同じ部隊に、現在方舟の大企業に属する静流と静流の母、アルビナが実力を証明してくれるため、従軍試験は軽く突破できるだろうということだったのだ。
「我が母、アルビナ大佐も自分の指揮下の部隊にあなたが欲しいと。あなたならば、試験などやすやすと突破するだろうことも言っていましたから」
「そんなに高く買ってもらって嬉しい限りだけど……できれば軍隊に入りたくないって言ったらどうする?」
「あ、言わないでください」
「入りたくな「言わせませんよ?」
なんとも言えない空気の中しばらく、お互い無表情かつ無言で見つめ合う事態となった。
「……何故拒むのですか。昔、母はよく言っていました。あなたは将来素晴らしい兵士になると。銃の腕も、近接格闘術の技の冴えも……他の成人兵士と比べて全く劣っていなかった」
「そうなるように鍛えられたから、必然的にそうなった。生き残るために、任務を全うするために。仲間のいない今、俺の実力なんて底が知れてる」
「知れていません。失礼ながら、あなたの体を見る機会がありました」
静流は思う。治療のため、上半身の衣服を剥がれた時に見た彼の肉体は感嘆に価するものだった。
場数を踏み、死線をことごとく越えてきた証拠であろう傷、鍛えられ、洗練された筋肉による、肉体美。
あまりの絶望に打ちひしがれていた静流は、不謹慎にもその時気持ちが昂ぶってしまった。
日々の研鑽を欠かしていれば、あの様な勇ましい体にはならないだろう。
彼の三白眼……その小さな瞳が、居心地悪そうに明後日の方向へ泳いでいる。仲間がいなくなった……いや、これについては母から話を聞いている。かつて、世界中の特殊部隊から兵士を集め、ドミネーター対策部隊と称された合同任務部隊201は数年前に壊滅した。
自分が雛樹と別れて、1年後のことだった。
何も皆、殉職したわけではない。が……少なくとも、目の前の彼は壊滅からここまで、ずっと一人だった。
本土偵察部隊から、あのCTF201が壊滅したという知らせを聞いた時。アルビナ、そしてその夫と、静流は息が止まる思いだった。死傷者リストに上がった、数いるかつての戦友の中に雛樹の父の名もあった。
だが、雛樹の名はなかった。それだけだ。彼がまだ本土にいるという確信を持った情報は。
この情報は、生まれも育ちも方舟の住民には全く響かない情報だ。ああ、なんだ。まだ本土人は無駄なことを続けていたのか。
大した対抗手段にはならない“時代遅れの兵器”で武装した、“野蛮で馬鹿な本土人”が何人死のうと、関係無い。
荒廃した敵国に対する、高みの意見などそんなものだ。
(しかし……私が企業連上層部に掛け合い提示された、元CTF201のヒナキを方舟へ入居させる条件を反故にすれば……彼は入国すら許可されないです)
眉間にしわを寄せ、右手を顎に当てがい難しい表情を浮かべる彼女に、雛樹は言った。
「いや別に、絶対に入りたくないと言ってる訳じゃなくてだな……。えっと、他の方法があるなら、できれば入りたくないって意味で……」
「他の方法はありません。申し訳ないですが」
真剣な声色で、はっきりとそう言ってしまう静流に対し、雛樹はげんなりした表情で肯定の返事をした。
雛樹自身、その静流の言葉を聞いて割り切らなければならないと思ってはいた。想定外ながら、この方舟からの戦艦と、結月静流に助けてもらったのは間違い無いのだ。
それに、人類の楽園とも揶揄される海上都市にも行けるというのだから、わがままなど言っていいはずもない。
「そういえば……すぐ意識なくしてあんまり覚えてないんだけど。あの人型の兵器、あれは?」
「ああ……やっぱりそこは見ていたのですね。あれは……えっと。簡単に言えば、方舟が開発した対ドミネーター用の二脚戦術機です。あなたが見たのは、私に合うよう調整されたワンオフ機で……総称は“ウィンバック・アブソリューター”」
「あれにターシャが乗ってたのか!?」
「ああ、そこは気づいていなかったんですね……」
思わぬリアクションに、静流は狼狽えた。そういえば雛樹を助け出した時、意識を失ってたのだった、彼は。
「ワンオフ機……詰まる所、“企業”にとっての“エース機”は例外なく“小型の反重力炉”を積んでいて、未知数のエネルギー出力と供給を可能にし、膨大な質量を持つ機体を浮遊させ、飛行が可能となっています」
……が、と。彼女は前置きした。そんな夢のような兵器にデメリットがあるのかと、聞いている雛樹は身構えた。
「企業間での過度な競合と、反重力炉による居住地への環境汚染を回避するため……と。その他多くの理由により、方舟上層部によって“エース機”の所有機数は、個々の企業によって制限されています」
「そんな強力な兵器が大量生産できないのか……」
何も知らない雛樹からしてみれば、大量生産してあの怪物共を駆逐すればいいのに……といった考えなのだろう。
「あくまでも、企業というのはビジネスが成り立たないと立ち行かなくなるので、そうして制約を作るのですよ。ちなみに私が所属するセンチュリオンテクノロジーの“ウィンバック・アブソリューター”所有可能機数は2機と、少ないです。企業連に属さない大企業はかなり機数を制限されてしまいます。二脚機甲戦術機の8割は、反重力炉を積まない量産機、“エグゾスケルトン・ソルジャー”と呼ばれるもので構成されていますが、建築、工事用など戦闘用途ではない機体も存在しています」
最後に、方舟は本土から見れば異常でしかないと付け加え、静流は話すのをやめた。話途中で、雛樹の腹が鳴ったことに気付いたからだ。
「三日も点滴だけでは、流石に限界ですよね。なにか、消化の良いものでも用意させましょうか」
首を縦に振った雛樹に、静流は艦内レストランへ食事を頼むために、デバイスを起動。静流の目の前の空間に、浮遊するモニターが現れた。
「なんだそれすごい」
モニターを展開させた瞬間に、平坦だがとんでもなく大きな声で雛樹がそう言うものだから、静流は肩をビクつかせた。
「えっと……触れることが可能なホログラムモニターだと思っていてくれればいいです」
「触れるのかそれ」
「いちいち声が大きいです。好奇心を抑えられない子供ですかあなたは」
薄い笑みを浮かべながらそう言った静流に、雛樹は申し訳なさそうに謝った。謝られるほどのことではないと、フォローを入れておいたが。
いちいち、真面目な顔をして謝られると申し訳なくなる。まあ昔からこんな感じではあったのだが。
静流は慣れた手つきでモニターを触り、艦内レストランのメニューを表示させ、なにか消化の良さそうなものを探すが……。
「あの、近い……近いですヒナキ」
「あ、悪い」
モニターを何とかして覗き込もうとしてきた雛樹を、頬の横3センチに感じながら、静流はその頬を上気させながら訴えた。
恥ずかしそうな、照れの入った声を聞いて雛樹も自分の行動の迂闊さに頬を赤らめ身を引く。
「選びますか?」
「おお、選ばせてもらえるならその方が嬉しいね」
さて、その15分後。
部屋の一角にある壁に、フードポストと呼ばれる届け口が出現。雛樹のベッドに展開されたテーブルに、物質化した青い光の板に乗せられ、空中を移動してきて着地。
それと同時に砕けた“青い光のトレイ”に、雛機は自分でもよく分からない不快感を感じつつ。
「本当に食べられるんですか……」
「おおお……おおおおお。10ヶ月ぶりの肉……!!」
3ポンドステーキが、熱された鉄板の上で焼ける音を立て、香ばしいガーリックの匂いが食指をくすぐっていた。跳ねる脂が愉快なダンスホール、感動のあまり言った意味不明なこの言葉は後の雛樹に陰を落とすことになる。
心配する静流をよそ目に、雛樹はそれをペロリと平らげ。
数時間寝込んだ。
空っぽの胃に弱った体。それだけのものを入れてしまえば拒絶反応を起こすのは間違いなかったのだ。
——……。
「結月少尉。あと一時間でセンチュリオンノアへ到着します」
「わかりました。港へその旨を伝えておいてください」
外は既に暗く。暗黒の海原を下に、夜の帳に散らばる光明を上に。戦艦アルバレストは航行中。
しばらく寝込んでいる雛樹を医師に任せ、精神的に余裕が生まれた静流は任務に復帰していた。
最後まで、護衛の必要性は無くならない。帰還中こそ、最大の注意を払うべきだというのに、任務を離れていた自責の念をやる気に変えて、彼女は兵士として指揮をとっていた。
艦橋にいたオペレーターたちも結月少尉を心から心配していたため、みな安堵を胸に職務についているようだ。
あろうことか急所である股間を、薄い掛け布団の上から握られた。今まさに再会の喜びと驚きを、言葉で表現しようとしたところだったのだが。
そのなめらかな白く小さな手で、このまま急所を握りつぶさんとばかりに、目が笑っていない物騒な笑みを浮かべながら圧力をかけてきた。
「ふふ、子供ができなくなったら困りますから、この辺で勘弁してあげます」
「できるできないじゃなく、これ以上なく苦しんでるからってことで勘弁してくれないかなァ……ッ」
さっきまで、布団の上からとはいえ雛樹の急所を握っていた右手を、なにかを確かめるように開いたり閉じたりしながら、ほぅ……と熱っぽい息を漏らす静流だったのだが。
雛樹はとにかく腹に残る痛みに目をぐっと閉じ耐えながら、苦し紛れに言葉を絞り出していた。
「あれだけ一緒にいたのに忘れるなんて、ひどいです。泣きそうですが、なにか慰めてくれるんですか?」
「さっきの俺の悲鳴が慰めになってくれてたら、幸いだね……」
「あんな悲鳴だけで満足できるほど、安い女ではないですが?」
「ちょっと待て、いや……。わからなかった俺も悪い。けど、流石にこれだけ成長したターシャを、このタイミングで見破れっていうのは酷な話だろ……」
手を後ろで組んで、ベッドの隣に立っているターシャをじっくりと眺めた。ターシャ……結月静流はどうしたのですかと言いながら、小さく首を傾げてみせる。上半身も軽く横に倒して。
昔、一緒にいた小動物のような可愛らしさを持ったターシャと、今目の前にいる、凛々しく整った顔立ちの美女とのギャップに面影が見つからず、困惑していたが。
この愛らしい仕草には……見覚えがあった。
まだ日本語を満足に話せなかったターシャが、わからないことがあると行っていたわかりやすい仕草。
「ああ、その仕草は変わらないんだな」
「……なんですか、子供のままだと馬鹿にしているのですね。不愉快です」
「ははっ、随分日本語が達者になったもんだな。いや、すごいよ。ほんと、昔のターシャとは見分けがつかなかったのも仕方ないだろ、これは」
「達者になったのは言語だけですか? 他にもっと言うことがあるでしょう」
「随分疲れてるみたいだけど、ちゃんと寝てるのか?」
「あー……」
恐ろしく間延びした、返事とも取れない声を出しながら。ひたり、と。掛け布団の上に手を置いた結月静流。
それに伴い、鳥肌が立ち冷や汗が流れる雛樹の体。
「いや……なんだろう。性格キツくなった? アルビナさんに似てき」「万力という道具を知っていますか、ヒナキ。ええ、キリキリとハンドルを回し、最終的には対象をすり潰すあれです」
「万力はそんなことに使うような拷問道具じゃない」
徐々に置かれた手に力がこもってくる。この子は俺の急所を握るのに抵抗がないのかと思いながら、彼女が待っている言葉を頭の中で探す。
……、だが悲しいかな。本土暮らしだった雛樹は、人付き合いというものを必要最低限しかしてこなかった。女性と恋仲になったことなど一度もなく、そんなことにうつつを抜かす心の余裕もないに等しかったのだ。
だが、唯一。少しばかり年上だが、風音という孤児院を切り盛りする女性はいた。
彼女との会話の中で、ひとつでも女性を喜ばせられるような気の利いた言葉を言ったことがあっただろうか。
“かわいい女の子でも見つけてさ、一緒に暮らすといいんじゃないかい? あんたずっと独り身だろ?”
ああ、そうだ。あの時の会話の中で、美人なら風音さんがいるんだけどな。……などと、昔どこかで聞いた仲間の言葉を、自分なりに少し変えて言ってみたことがあった。
その言葉を言った時の風音といったら、もう。林檎のように顔を赤くして、随分喜んでいた……ようだが、照れ隠しなのか思いっきり腹を殴られたような気がする。
そういった過去の言動も踏まえて、成長したターシャを見た時の気持ちをうまく伝えようと言葉にしてみた。
「随分美人になったな、見違えたよ。発育も良さそうで」
「その言葉を待ってたんです。あはは、でも最後の一言は余計ですね?」
「余計なのか、悪い。失言だった」
頭を掻きつつ、本当に困ったような風な表情でそういう雛樹。そんな彼に対し、完全に毒気を抜かれた結月静流は少女らしい笑みをこぼしていた。
そこから二人は各々の経緯を、お互い順番に言うことになった。
雛樹は、自分がなぜ拘束されていたのか、そして何故あの怪物と対峙していたのかを話し。
静流は、今の自分の名前が結月静流だということ。方舟、センチュリオンノアにある、とある企業の軍部に所属していること。
今回、祠堂雛樹を捜索するという条件付きで、この戦艦の護衛任務に就き、無事ではなかったが、思わぬところで発見できた事。
彼の腕に巻きついていた拘束帯を、“圧縮物質化光”による刃を用い、いとも簡単に切断したこと。
そして、この戦艦アルバレストはこれから方舟へ帰還する、ということを話した。
お互いがお互いの詳細を知ったことで、今の状況に現実味が生まれた雛樹は言った。
「俺はこれからあの方舟に住むことになるって?」
「ええ、ただし条件はありますが」
「条件?」
「そうです。センチュリオンノアに属する、軍事部門をもつ企業に所属すること、なのですが……。はっきり言って、大船に乗ったつもりでいてくださって構いません」
本来、一般人ならこの条件をクリアすることは難しいらしいが……。雛樹は違う。本土戦線を支えた元軍人。同じ部隊に、現在方舟の大企業に属する静流と静流の母、アルビナが実力を証明してくれるため、従軍試験は軽く突破できるだろうということだったのだ。
「我が母、アルビナ大佐も自分の指揮下の部隊にあなたが欲しいと。あなたならば、試験などやすやすと突破するだろうことも言っていましたから」
「そんなに高く買ってもらって嬉しい限りだけど……できれば軍隊に入りたくないって言ったらどうする?」
「あ、言わないでください」
「入りたくな「言わせませんよ?」
なんとも言えない空気の中しばらく、お互い無表情かつ無言で見つめ合う事態となった。
「……何故拒むのですか。昔、母はよく言っていました。あなたは将来素晴らしい兵士になると。銃の腕も、近接格闘術の技の冴えも……他の成人兵士と比べて全く劣っていなかった」
「そうなるように鍛えられたから、必然的にそうなった。生き残るために、任務を全うするために。仲間のいない今、俺の実力なんて底が知れてる」
「知れていません。失礼ながら、あなたの体を見る機会がありました」
静流は思う。治療のため、上半身の衣服を剥がれた時に見た彼の肉体は感嘆に価するものだった。
場数を踏み、死線をことごとく越えてきた証拠であろう傷、鍛えられ、洗練された筋肉による、肉体美。
あまりの絶望に打ちひしがれていた静流は、不謹慎にもその時気持ちが昂ぶってしまった。
日々の研鑽を欠かしていれば、あの様な勇ましい体にはならないだろう。
彼の三白眼……その小さな瞳が、居心地悪そうに明後日の方向へ泳いでいる。仲間がいなくなった……いや、これについては母から話を聞いている。かつて、世界中の特殊部隊から兵士を集め、ドミネーター対策部隊と称された合同任務部隊201は数年前に壊滅した。
自分が雛樹と別れて、1年後のことだった。
何も皆、殉職したわけではない。が……少なくとも、目の前の彼は壊滅からここまで、ずっと一人だった。
本土偵察部隊から、あのCTF201が壊滅したという知らせを聞いた時。アルビナ、そしてその夫と、静流は息が止まる思いだった。死傷者リストに上がった、数いるかつての戦友の中に雛樹の父の名もあった。
だが、雛樹の名はなかった。それだけだ。彼がまだ本土にいるという確信を持った情報は。
この情報は、生まれも育ちも方舟の住民には全く響かない情報だ。ああ、なんだ。まだ本土人は無駄なことを続けていたのか。
大した対抗手段にはならない“時代遅れの兵器”で武装した、“野蛮で馬鹿な本土人”が何人死のうと、関係無い。
荒廃した敵国に対する、高みの意見などそんなものだ。
(しかし……私が企業連上層部に掛け合い提示された、元CTF201のヒナキを方舟へ入居させる条件を反故にすれば……彼は入国すら許可されないです)
眉間にしわを寄せ、右手を顎に当てがい難しい表情を浮かべる彼女に、雛樹は言った。
「いや別に、絶対に入りたくないと言ってる訳じゃなくてだな……。えっと、他の方法があるなら、できれば入りたくないって意味で……」
「他の方法はありません。申し訳ないですが」
真剣な声色で、はっきりとそう言ってしまう静流に対し、雛樹はげんなりした表情で肯定の返事をした。
雛樹自身、その静流の言葉を聞いて割り切らなければならないと思ってはいた。想定外ながら、この方舟からの戦艦と、結月静流に助けてもらったのは間違い無いのだ。
それに、人類の楽園とも揶揄される海上都市にも行けるというのだから、わがままなど言っていいはずもない。
「そういえば……すぐ意識なくしてあんまり覚えてないんだけど。あの人型の兵器、あれは?」
「ああ……やっぱりそこは見ていたのですね。あれは……えっと。簡単に言えば、方舟が開発した対ドミネーター用の二脚戦術機です。あなたが見たのは、私に合うよう調整されたワンオフ機で……総称は“ウィンバック・アブソリューター”」
「あれにターシャが乗ってたのか!?」
「ああ、そこは気づいていなかったんですね……」
思わぬリアクションに、静流は狼狽えた。そういえば雛樹を助け出した時、意識を失ってたのだった、彼は。
「ワンオフ機……詰まる所、“企業”にとっての“エース機”は例外なく“小型の反重力炉”を積んでいて、未知数のエネルギー出力と供給を可能にし、膨大な質量を持つ機体を浮遊させ、飛行が可能となっています」
……が、と。彼女は前置きした。そんな夢のような兵器にデメリットがあるのかと、聞いている雛樹は身構えた。
「企業間での過度な競合と、反重力炉による居住地への環境汚染を回避するため……と。その他多くの理由により、方舟上層部によって“エース機”の所有機数は、個々の企業によって制限されています」
「そんな強力な兵器が大量生産できないのか……」
何も知らない雛樹からしてみれば、大量生産してあの怪物共を駆逐すればいいのに……といった考えなのだろう。
「あくまでも、企業というのはビジネスが成り立たないと立ち行かなくなるので、そうして制約を作るのですよ。ちなみに私が所属するセンチュリオンテクノロジーの“ウィンバック・アブソリューター”所有可能機数は2機と、少ないです。企業連に属さない大企業はかなり機数を制限されてしまいます。二脚機甲戦術機の8割は、反重力炉を積まない量産機、“エグゾスケルトン・ソルジャー”と呼ばれるもので構成されていますが、建築、工事用など戦闘用途ではない機体も存在しています」
最後に、方舟は本土から見れば異常でしかないと付け加え、静流は話すのをやめた。話途中で、雛樹の腹が鳴ったことに気付いたからだ。
「三日も点滴だけでは、流石に限界ですよね。なにか、消化の良いものでも用意させましょうか」
首を縦に振った雛樹に、静流は艦内レストランへ食事を頼むために、デバイスを起動。静流の目の前の空間に、浮遊するモニターが現れた。
「なんだそれすごい」
モニターを展開させた瞬間に、平坦だがとんでもなく大きな声で雛樹がそう言うものだから、静流は肩をビクつかせた。
「えっと……触れることが可能なホログラムモニターだと思っていてくれればいいです」
「触れるのかそれ」
「いちいち声が大きいです。好奇心を抑えられない子供ですかあなたは」
薄い笑みを浮かべながらそう言った静流に、雛樹は申し訳なさそうに謝った。謝られるほどのことではないと、フォローを入れておいたが。
いちいち、真面目な顔をして謝られると申し訳なくなる。まあ昔からこんな感じではあったのだが。
静流は慣れた手つきでモニターを触り、艦内レストランのメニューを表示させ、なにか消化の良さそうなものを探すが……。
「あの、近い……近いですヒナキ」
「あ、悪い」
モニターを何とかして覗き込もうとしてきた雛樹を、頬の横3センチに感じながら、静流はその頬を上気させながら訴えた。
恥ずかしそうな、照れの入った声を聞いて雛樹も自分の行動の迂闊さに頬を赤らめ身を引く。
「選びますか?」
「おお、選ばせてもらえるならその方が嬉しいね」
さて、その15分後。
部屋の一角にある壁に、フードポストと呼ばれる届け口が出現。雛樹のベッドに展開されたテーブルに、物質化した青い光の板に乗せられ、空中を移動してきて着地。
それと同時に砕けた“青い光のトレイ”に、雛機は自分でもよく分からない不快感を感じつつ。
「本当に食べられるんですか……」
「おおお……おおおおお。10ヶ月ぶりの肉……!!」
3ポンドステーキが、熱された鉄板の上で焼ける音を立て、香ばしいガーリックの匂いが食指をくすぐっていた。跳ねる脂が愉快なダンスホール、感動のあまり言った意味不明なこの言葉は後の雛樹に陰を落とすことになる。
心配する静流をよそ目に、雛樹はそれをペロリと平らげ。
数時間寝込んだ。
空っぽの胃に弱った体。それだけのものを入れてしまえば拒絶反応を起こすのは間違いなかったのだ。
——……。
「結月少尉。あと一時間でセンチュリオンノアへ到着します」
「わかりました。港へその旨を伝えておいてください」
外は既に暗く。暗黒の海原を下に、夜の帳に散らばる光明を上に。戦艦アルバレストは航行中。
しばらく寝込んでいる雛樹を医師に任せ、精神的に余裕が生まれた静流は任務に復帰していた。
最後まで、護衛の必要性は無くならない。帰還中こそ、最大の注意を払うべきだというのに、任務を離れていた自責の念をやる気に変えて、彼女は兵士として指揮をとっていた。
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