三題小説三十弾『拘束』『猫』『宗教施設』タイトル『ある日の猫の集会』
三題小説三十弾『拘束』『猫』『宗教施設』タイトル『ある日の猫の集会』
私は猫。名前はベルンシュタイン。
野良猫界に燦然と輝くオニキスの如き黒猫。瞳は琥珀色。雄猫ばかりか人間にまで愛でられて、気が付けばそう呼ばれていた。大抵の猫は私をベルと呼ぶ。猫も杓子もアホだから長い名前を覚えきれないらしい。
梅の香りに誘われて6丁目3番地のコンクリート塀の上にやって来た。薫風に髭をひくつかせる。
ふと空を見上げると化け猫が空を漂っていた。尻尾が二つに割れている。いわゆる猫又。透けた太った体でふわふわと、タンポポの綿毛のように流れていく。見ていると、あちらもこちらに気付きウィンクをしてきた。私は無視して毛づくろいすることにした。
「ベル姐さん。どこかにお出かけですか?」
サンキジが声をかけて来た。塀の下、家の壁との狭い隙間から私を見上げている。
3丁目に住むキジトラ柄の雑種猫なのでそう呼ばれている。人懐っこい年若い猫で、いつだったか腹を空かせて死にかけていたので、食べ物を分けてあげたら懐いた。アホ。綺麗好き。あと噂好き。
空に視線を戻すが、新春の高い蒼穹が広がるばかり。化け猫を見失ってしまった。
私は腰を落とし、軽く伸びをして、尻尾を縦に振る。別に構わない。
「ただの散歩よ。あんたは何してんの?」
「僕は日向ぼっこをしていたのです」
塀と壁の影の中、サンキジは言った。
「老婆心ながら教えてあげるけど、日向ぼっこは日向でやるものなのよ」
「うとうとしていたら日が過ぎ去ってしまったのです」
そう言ってサンキジは照れ笑いした。
「アホねえ。そんな狭い所に日が差すのは正午の一瞬だけでしょうが。もっと広い所で日向ぼっこなさいよ」
「すみません。何ぶん慣れない6丁目なもんで」
「そういう問題じゃないわよ」
どうにも抜けている野良だ。こんな事で生きていけるのだろうか。
「ところで姐さん。5丁目の飼い猫に惚れてるって噂は本当ですか?」
私は猫背で顔を洗いつつ否定する。
「知らないわよ。だいたい5丁目の飼い猫なんて山ほどいるんだから。両前足だけじゃ数えきれないわ」
「ペルシャ猫のチンチラですよ。名前は知らないけど」
「ああ、クリスタルね。好奇心旺盛な家猫よ。一度も家から出た事がないって言うから外の話をしてあげただけ。っていうかあいつは雌だから」
「そうだったんですか。飼い猫なんかと話してると野良界からつまはじかれますよ」
「できるもんならやってみろってなものよ」
私に惚れている雄猫など五万といる。そうそう私を追い出すことなど出来やしない。
「飼い猫なんて何が楽しいんですかね?」
「さあね。飼い猫には飼い猫の喜びがあるんでしょうよ。だいたいあんたは飼い猫向きだと思うわよ?」
「よしてください。僕は野良人生まっしぐらなのです。それにしたって姐さんの色恋の噂はよく聞きますね」
「命短し恋せよ乙女、よ。唇はないけど、血潮は燃えたぎってるわ」
「次々乗り換えてるって噂になってます」
もうちょっと言葉を選べないものか。私はただ恋多き雌猫なだけだ。
「女の心は猫の眼って言うでしょ」
「1丁目のハチワレに、くつした。あと団地の三毛でしたっけ」
「ダンミケはあっちから惚れてきてんの。私は興味ないわ。あとイチクツも興味なくなった」
「何でです?」
「あいつ去勢されちゃったのよ。中々の美猫だったのに」
私は尻尾を激しくふるった。コンクリート塀を何度も叩く。
「無情ですね」
サンキジは尻尾を足の間に挟んだ。
「あんたもほどほどにね。じゃ、そろそろいくわ」
私は腰を上げ、尻尾を大きくゆっくり振る。
「そういえばベル姐さん」
サンキジが私のお尻に声をかけた。私は、もう一度サンキジを見下ろす。影の中のサンキジの瞳は大きくまん丸だ。
「集会で姐さんの事が議題に上がってるらしいですよ」
「へえ、私の何の話?」
「さあ、別に興味なかったんで」
「あんたはもうちょっと命の恩人に敬意を持ちなさい」
私はその場を後にする。優雅かつしなやかな足取りで塀の上を駆け抜けた。
猫の集会として使っているお寺は人間が使わなくなって久しい。手入れのされていない境内は荒れ果て、下草が無造作に乱雑に生え散らかり、人間の墓と思われる石碑は打ち倒されている。
裏手から境内に入ると、見慣れた顔の雌猫が風に揺れる猫じゃらしにじゃれていた。河川敷のムギワラ猫。カセムと呼ばれている。年上らしいけどどれくらい上なのかは知らない。気どり屋だと思っていたけど可愛らしいところもあるものだ。
私は尻尾を振り振り、そこに座って暫くカセムの遊びを眺めていた。
「この! この! エノコログサめ! ここであったが百年目だ! あいつの仇は取らせてもらう!」
子猫もかくあるべし、というような思い切りのいいごっこ遊びっぷりだ。
ふと、カセムは私に気付き暫く動きを止めて、尻尾を山がたにする。私は顔を洗いながら何も言わずに見つめ続けた。カセムは何も気付かなかったように、また猫じゃらしに猫パンチをお見舞いする。
「こ、この! ベルめ! 私の猫パンチを食らいなさい!」と言いながら尻尾を細かく振っている。「ふう、これくらいでいいよね。イメージ訓練終了。あら? ベルじゃない。こんな所で奇遇だね」
「随分楽しそうだったわね」
そう言って私は本堂に向かう。なかなか良いものを見せてもらった。
カセムがついてきて喧しく喚く。
「遊んでいた訳じゃないよ! あんたをコテンパンにする為に鍛えていたところだったんだ!」
「結構毛だらけ猫灰だらけ。カセムの柄は斑の毛」
「馬鹿にして!」
カセムは私をライバル視しているのか、妙に絡んでくる。しつこいくらい絡んでくる。
「恥ずかしがる事ないわ。猫っていうのはじゃらされてなんぼよ」
「べ、別に恥ずかしがってないけど……」
「そう。それなら言わせてもらうけど」
「な、何だよ」
「復讐なんてあいつが望むと思うの?」
「うるさあああい!」
私はカセムの猫パンチを華麗にかわし襖の隙間から本堂に入る。
猫の額ほどの狭さの本堂には多くの猫がたむろして、思い思いに過ごしていた。集会とは名ばかりで大抵は集まるだけの集まりだ。ある意味純粋な集会だ。
私が本堂に入るとにわかに色めき立ち、雄猫達が声をかけてくる。
「やあ、ベル」
「こんにちは、ベル」
「良いゴミ捨て場を見つけたんだ。一緒に行かないか?」
「ネズミを分けてあげるよ、ベル」
「聞いてくれよ。おいらカラスと戦ったんだぜ」
猫も杓子もここぞとばかりに喉を鳴らし、猫なで声を披露する。
「珍しいの。ベルンシュタインよ。お前が集会に参加するとは」
見ると年老いたヒマラヤンが本尊を安置するべき須弥壇で香箱を作っていた。目を細めて尻尾をゆっくり振っている。
チョウロウと呼ばれる猫だ。仙人のような猫でいつもあちこちを徘徊、もとい散策している。
「お久しぶりね。チョウロウ。まだ生きていたのね」
「猫に九生ありじゃよ。そう簡単にくたばらんわい。しばらくじゃな。それにカセポも」
「カセムだよ!」とカセムが言った。
「ちょうどベルンシュタインの話をしていたところじゃ。今から探しに行かせようとしていた所だったのじゃよ」
「そうそう、それを聞いてわざわざやって来たのよ」
ボケジジイと言うカセムの悪態を聞き流して本堂の真ん中に近づく。
「本題に入る前にお主にある疑義が生じておる。まずはそれを晴らしてもらわねばならん」
「何よ疑義って」
「疑義の意味はじゃな」
「それは知ってる。何を疑われているの?」
「それはじゃな。お主が人に飼われておるのではないか、という疑いじゃ」
「それはないわ。それで本題は?」
「ちょっと待って。話進めるの早いわい」と、チョウロウが制止する。
「そもそもそんな疑いを持ったのは誰?」
私は本堂に集まっている猫達を見回す。猫達は知らんぷりする。そしてカセムが輪の中から出て来た。
「ベルっていつも人間に食べ物貰ってるよね? 疑われても仕方ないんじゃないのー?」
「おいらは信じてるぜ」と、ダンミケが言うと他の雄猫達もそれに追随し、雌猫達は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「この泥棒猫!」と、誰かが言ったが誰が言ったのかは分からなかった。
「あの人間達は勝手に私に食事を献上しに来るだけよ。私が飼う事はあっても私が飼われる事なんてありはしないわ」
「ふむ、まあよかろう。では本題じゃ。神社に巣食うカラスどもは知っておるの?」
「そりゃあね。野良猫にとって不倶戴天の敵だもの」
「そいつらの主が人間の少女じゃという話しじゃ。奴らが急速に勢力範囲を伸ばしている理由がそれじゃ」
「まさかあ」
「少女に統率されているカラス達を見た者が何人もおる」
「おいらだよ! おいらが見たんだ」
ダンミケが出しゃばる。
「そうじゃ。ダンミケよ。その時の事を話してくれ」
ダンミケはもったいぶって咳ばらいをし、猫達の視線を集めた。
「おいら、神社で綺麗な石を見つけたんだ。ベルの瞳みたいな綺麗な石さ。ベルにプレゼントしようと思ってね」と言ってダンミケは私に目配せをした。
私は欠伸で返す。
「そうしたらカラス達に襲われて林の中に追い詰められた。おいら死に物狂いで戦った。窮鼠猫を噛むってやつさ。すると笛の音が聞こえてきた。そしたらカラス達は石を持って音の聞こえる方へ飛んで行っちまった。おいらも忍び足で音の方へ行くと、一人の人間の元にカラスの大群が集結していたってわけさ」
「それで?」と私は言った。
「それで?」とダンミケも言った。
「それで?」とチョウロウも言った。
私達の勢力範囲が急速に縮んでいる原因はこのボケ老人ではないだろうか。
「それで何で私が飼い猫だと疑われたのよ」
「これを見てくれ」
チョウロウの視線の先にいた猫達が左右に分かれる。そこには目隠しをされ、猿轡をかまされ、手足を縛られた人間がいた。
「○×△□☆」
「ちょっと! どこで捕まえて来たのよ!」
「さっき境内に迷い込んで来たのを捕まえたのじゃ。ベルが飼い猫じゃないかと疑われたというよりも、野良として最も人と親しいのがベルじゃないかという話になったのじゃ。どうじゃ? 通訳してくれんかの。そして人を我々のアドバイザーに!」
猫の手も借りたいという訳だ。
「出来ないわよ」
「それなら仕方ないのお」
「物わかりが良すぎるわね」
「ならばやはり化け猫殿に頼むしかない」
猫達が一斉に天井を見上げ、私も釣られて天井を仰ぐ。さっき見かけた透けた太った化け猫が天井で香箱座りしていた。そして青い電流を放ちながら漂い下りてくる。周囲の猫達はびびって離れる。
「よかろう。では吾輩の出番だな」
「さっき風に流されてた猫又かしら?」
「吾輩は化け猫である。個にして全、全にして個。故に個を特定する名前など持ち合せておらぬ。吾輩は観測された時に初めて……」
「誰もそんな事聞いてないわよ。それでチョウロウ。この化け猫に人との通訳をして貰うって事?」
「そうじゃよ」と、かなり離れたところでチョウロウは言った。
化け猫は床に降り立ち、たるんだ肉を踏みつつ後ろ脚で立ち、私を見下ろす。
「では約束通り吾輩の妻になってもらうぞ」
「そんな約束してないけど?」
私が周囲を見渡すと皆は知らんぷりをした。意気地無しの雄猫どもめ。どうやら一番の目的はこれだったようだ。
「まあまあ。吾輩の妻になる事ほど名誉な事はないぞ」
そう言って私の頭を気安く触ったので、私は毛を逆立てて牙をむき出し、化け猫を引っ掻いた。化け猫は素直に謝った。
チョウロウは代わりにマタタビを振舞った。
「それじゃあよろしく頼むわね」
「はい。人語は得意なのです。頑張らさせていただきます」
人間が本堂の中央に引っ立てられ、目隠しと手足の拘束は解かず、猿轡だけ外した。
「○×△□☆?」
「私は何をすべきかと人間は言っておる」と化け猫。
「は、話が早いのお。とりあえずマタタビを」
若い猫の一匹がおそるおそる人間の口元にマタタビをやったが何の反応も示さない。人にマタタビ、猫に小判だ。
「カラス退治のアドバイザーをお願いしたいのじゃが」と皆を代表してチョウロウが言った。
「○×△□☆○×△□☆」と、化け猫。
「○×△□☆? ○×△□☆」
「ありがとう、と言っておる」
「そっちが感謝するのか? どういう事じゃ?」
私達は頭を捻った。
「人間達もカラスに悩んでるんじゃないかしら?」と私は言った。
「なるほどの。ではどうすればいいですかの?」
「○×△□☆○×△□☆?」
「○×△□☆?○×△□☆?」
「ホケンジョだそうな」
「ホケンジョとは一体なんじゃ?」
これは猫の誰も知らなかった。
「○×△□☆?」
「○×△□☆?○×△□☆○×△□☆○×△□☆」
化け猫は言い淀み、後ずさりで人間から離れる。
「ど、どうしたのじゃ? 化け猫殿」
「こやつは猫の死体を持って行くと言っておる」
「な、なんじゃと!? 何故そのような忌まわしい事を? 我々をどうするつもりだ?」
猫達は人間からさらに離れようとする。私はチョウロウと化け猫を後ろから抑える。
「○×△□☆○×△□☆?」
「○×△□☆○×△□☆○×△□☆? ○×△□☆」
「猫の死体を求めてやって来たそうだ」
狂乱状態になった。猫も杓子も我先にと逃げて行く。幾つかの襖が押し倒され、いくつかの床板が抜け落ちた。埃がもうもうと立つ中、チョウロウは腰を抜かして座り込む。化け猫は飛んで逃げようとしたので捕まえた。
「あんたあの人間を何とかしなさいよ」
「む、無理言うな! 吾輩は猫である!」
化け猫は姿を薄めて姿をくらました。鳴く猫、鼠捕らずとはこの事だ。埃の中をよく見ると人間が立ちあがっている。どうやら騒動の中で拘束が外れたようだ。丁度目隠しを外したところだった。
「○×△□☆!○×△□☆!」
人間は私達の元へ駆けより、チョウロウを抱き上げて本堂を出て行った。
さようなら、チョウロウ。
野良猫界に燦然と輝くオニキスの如き黒猫。瞳は琥珀色。雄猫ばかりか人間にまで愛でられて、気が付けばそう呼ばれていた。大抵の猫は私をベルと呼ぶ。猫も杓子もアホだから長い名前を覚えきれないらしい。
梅の香りに誘われて6丁目3番地のコンクリート塀の上にやって来た。薫風に髭をひくつかせる。
ふと空を見上げると化け猫が空を漂っていた。尻尾が二つに割れている。いわゆる猫又。透けた太った体でふわふわと、タンポポの綿毛のように流れていく。見ていると、あちらもこちらに気付きウィンクをしてきた。私は無視して毛づくろいすることにした。
「ベル姐さん。どこかにお出かけですか?」
サンキジが声をかけて来た。塀の下、家の壁との狭い隙間から私を見上げている。
3丁目に住むキジトラ柄の雑種猫なのでそう呼ばれている。人懐っこい年若い猫で、いつだったか腹を空かせて死にかけていたので、食べ物を分けてあげたら懐いた。アホ。綺麗好き。あと噂好き。
空に視線を戻すが、新春の高い蒼穹が広がるばかり。化け猫を見失ってしまった。
私は腰を落とし、軽く伸びをして、尻尾を縦に振る。別に構わない。
「ただの散歩よ。あんたは何してんの?」
「僕は日向ぼっこをしていたのです」
塀と壁の影の中、サンキジは言った。
「老婆心ながら教えてあげるけど、日向ぼっこは日向でやるものなのよ」
「うとうとしていたら日が過ぎ去ってしまったのです」
そう言ってサンキジは照れ笑いした。
「アホねえ。そんな狭い所に日が差すのは正午の一瞬だけでしょうが。もっと広い所で日向ぼっこなさいよ」
「すみません。何ぶん慣れない6丁目なもんで」
「そういう問題じゃないわよ」
どうにも抜けている野良だ。こんな事で生きていけるのだろうか。
「ところで姐さん。5丁目の飼い猫に惚れてるって噂は本当ですか?」
私は猫背で顔を洗いつつ否定する。
「知らないわよ。だいたい5丁目の飼い猫なんて山ほどいるんだから。両前足だけじゃ数えきれないわ」
「ペルシャ猫のチンチラですよ。名前は知らないけど」
「ああ、クリスタルね。好奇心旺盛な家猫よ。一度も家から出た事がないって言うから外の話をしてあげただけ。っていうかあいつは雌だから」
「そうだったんですか。飼い猫なんかと話してると野良界からつまはじかれますよ」
「できるもんならやってみろってなものよ」
私に惚れている雄猫など五万といる。そうそう私を追い出すことなど出来やしない。
「飼い猫なんて何が楽しいんですかね?」
「さあね。飼い猫には飼い猫の喜びがあるんでしょうよ。だいたいあんたは飼い猫向きだと思うわよ?」
「よしてください。僕は野良人生まっしぐらなのです。それにしたって姐さんの色恋の噂はよく聞きますね」
「命短し恋せよ乙女、よ。唇はないけど、血潮は燃えたぎってるわ」
「次々乗り換えてるって噂になってます」
もうちょっと言葉を選べないものか。私はただ恋多き雌猫なだけだ。
「女の心は猫の眼って言うでしょ」
「1丁目のハチワレに、くつした。あと団地の三毛でしたっけ」
「ダンミケはあっちから惚れてきてんの。私は興味ないわ。あとイチクツも興味なくなった」
「何でです?」
「あいつ去勢されちゃったのよ。中々の美猫だったのに」
私は尻尾を激しくふるった。コンクリート塀を何度も叩く。
「無情ですね」
サンキジは尻尾を足の間に挟んだ。
「あんたもほどほどにね。じゃ、そろそろいくわ」
私は腰を上げ、尻尾を大きくゆっくり振る。
「そういえばベル姐さん」
サンキジが私のお尻に声をかけた。私は、もう一度サンキジを見下ろす。影の中のサンキジの瞳は大きくまん丸だ。
「集会で姐さんの事が議題に上がってるらしいですよ」
「へえ、私の何の話?」
「さあ、別に興味なかったんで」
「あんたはもうちょっと命の恩人に敬意を持ちなさい」
私はその場を後にする。優雅かつしなやかな足取りで塀の上を駆け抜けた。
猫の集会として使っているお寺は人間が使わなくなって久しい。手入れのされていない境内は荒れ果て、下草が無造作に乱雑に生え散らかり、人間の墓と思われる石碑は打ち倒されている。
裏手から境内に入ると、見慣れた顔の雌猫が風に揺れる猫じゃらしにじゃれていた。河川敷のムギワラ猫。カセムと呼ばれている。年上らしいけどどれくらい上なのかは知らない。気どり屋だと思っていたけど可愛らしいところもあるものだ。
私は尻尾を振り振り、そこに座って暫くカセムの遊びを眺めていた。
「この! この! エノコログサめ! ここであったが百年目だ! あいつの仇は取らせてもらう!」
子猫もかくあるべし、というような思い切りのいいごっこ遊びっぷりだ。
ふと、カセムは私に気付き暫く動きを止めて、尻尾を山がたにする。私は顔を洗いながら何も言わずに見つめ続けた。カセムは何も気付かなかったように、また猫じゃらしに猫パンチをお見舞いする。
「こ、この! ベルめ! 私の猫パンチを食らいなさい!」と言いながら尻尾を細かく振っている。「ふう、これくらいでいいよね。イメージ訓練終了。あら? ベルじゃない。こんな所で奇遇だね」
「随分楽しそうだったわね」
そう言って私は本堂に向かう。なかなか良いものを見せてもらった。
カセムがついてきて喧しく喚く。
「遊んでいた訳じゃないよ! あんたをコテンパンにする為に鍛えていたところだったんだ!」
「結構毛だらけ猫灰だらけ。カセムの柄は斑の毛」
「馬鹿にして!」
カセムは私をライバル視しているのか、妙に絡んでくる。しつこいくらい絡んでくる。
「恥ずかしがる事ないわ。猫っていうのはじゃらされてなんぼよ」
「べ、別に恥ずかしがってないけど……」
「そう。それなら言わせてもらうけど」
「な、何だよ」
「復讐なんてあいつが望むと思うの?」
「うるさあああい!」
私はカセムの猫パンチを華麗にかわし襖の隙間から本堂に入る。
猫の額ほどの狭さの本堂には多くの猫がたむろして、思い思いに過ごしていた。集会とは名ばかりで大抵は集まるだけの集まりだ。ある意味純粋な集会だ。
私が本堂に入るとにわかに色めき立ち、雄猫達が声をかけてくる。
「やあ、ベル」
「こんにちは、ベル」
「良いゴミ捨て場を見つけたんだ。一緒に行かないか?」
「ネズミを分けてあげるよ、ベル」
「聞いてくれよ。おいらカラスと戦ったんだぜ」
猫も杓子もここぞとばかりに喉を鳴らし、猫なで声を披露する。
「珍しいの。ベルンシュタインよ。お前が集会に参加するとは」
見ると年老いたヒマラヤンが本尊を安置するべき須弥壇で香箱を作っていた。目を細めて尻尾をゆっくり振っている。
チョウロウと呼ばれる猫だ。仙人のような猫でいつもあちこちを徘徊、もとい散策している。
「お久しぶりね。チョウロウ。まだ生きていたのね」
「猫に九生ありじゃよ。そう簡単にくたばらんわい。しばらくじゃな。それにカセポも」
「カセムだよ!」とカセムが言った。
「ちょうどベルンシュタインの話をしていたところじゃ。今から探しに行かせようとしていた所だったのじゃよ」
「そうそう、それを聞いてわざわざやって来たのよ」
ボケジジイと言うカセムの悪態を聞き流して本堂の真ん中に近づく。
「本題に入る前にお主にある疑義が生じておる。まずはそれを晴らしてもらわねばならん」
「何よ疑義って」
「疑義の意味はじゃな」
「それは知ってる。何を疑われているの?」
「それはじゃな。お主が人に飼われておるのではないか、という疑いじゃ」
「それはないわ。それで本題は?」
「ちょっと待って。話進めるの早いわい」と、チョウロウが制止する。
「そもそもそんな疑いを持ったのは誰?」
私は本堂に集まっている猫達を見回す。猫達は知らんぷりする。そしてカセムが輪の中から出て来た。
「ベルっていつも人間に食べ物貰ってるよね? 疑われても仕方ないんじゃないのー?」
「おいらは信じてるぜ」と、ダンミケが言うと他の雄猫達もそれに追随し、雌猫達は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「この泥棒猫!」と、誰かが言ったが誰が言ったのかは分からなかった。
「あの人間達は勝手に私に食事を献上しに来るだけよ。私が飼う事はあっても私が飼われる事なんてありはしないわ」
「ふむ、まあよかろう。では本題じゃ。神社に巣食うカラスどもは知っておるの?」
「そりゃあね。野良猫にとって不倶戴天の敵だもの」
「そいつらの主が人間の少女じゃという話しじゃ。奴らが急速に勢力範囲を伸ばしている理由がそれじゃ」
「まさかあ」
「少女に統率されているカラス達を見た者が何人もおる」
「おいらだよ! おいらが見たんだ」
ダンミケが出しゃばる。
「そうじゃ。ダンミケよ。その時の事を話してくれ」
ダンミケはもったいぶって咳ばらいをし、猫達の視線を集めた。
「おいら、神社で綺麗な石を見つけたんだ。ベルの瞳みたいな綺麗な石さ。ベルにプレゼントしようと思ってね」と言ってダンミケは私に目配せをした。
私は欠伸で返す。
「そうしたらカラス達に襲われて林の中に追い詰められた。おいら死に物狂いで戦った。窮鼠猫を噛むってやつさ。すると笛の音が聞こえてきた。そしたらカラス達は石を持って音の聞こえる方へ飛んで行っちまった。おいらも忍び足で音の方へ行くと、一人の人間の元にカラスの大群が集結していたってわけさ」
「それで?」と私は言った。
「それで?」とダンミケも言った。
「それで?」とチョウロウも言った。
私達の勢力範囲が急速に縮んでいる原因はこのボケ老人ではないだろうか。
「それで何で私が飼い猫だと疑われたのよ」
「これを見てくれ」
チョウロウの視線の先にいた猫達が左右に分かれる。そこには目隠しをされ、猿轡をかまされ、手足を縛られた人間がいた。
「○×△□☆」
「ちょっと! どこで捕まえて来たのよ!」
「さっき境内に迷い込んで来たのを捕まえたのじゃ。ベルが飼い猫じゃないかと疑われたというよりも、野良として最も人と親しいのがベルじゃないかという話になったのじゃ。どうじゃ? 通訳してくれんかの。そして人を我々のアドバイザーに!」
猫の手も借りたいという訳だ。
「出来ないわよ」
「それなら仕方ないのお」
「物わかりが良すぎるわね」
「ならばやはり化け猫殿に頼むしかない」
猫達が一斉に天井を見上げ、私も釣られて天井を仰ぐ。さっき見かけた透けた太った化け猫が天井で香箱座りしていた。そして青い電流を放ちながら漂い下りてくる。周囲の猫達はびびって離れる。
「よかろう。では吾輩の出番だな」
「さっき風に流されてた猫又かしら?」
「吾輩は化け猫である。個にして全、全にして個。故に個を特定する名前など持ち合せておらぬ。吾輩は観測された時に初めて……」
「誰もそんな事聞いてないわよ。それでチョウロウ。この化け猫に人との通訳をして貰うって事?」
「そうじゃよ」と、かなり離れたところでチョウロウは言った。
化け猫は床に降り立ち、たるんだ肉を踏みつつ後ろ脚で立ち、私を見下ろす。
「では約束通り吾輩の妻になってもらうぞ」
「そんな約束してないけど?」
私が周囲を見渡すと皆は知らんぷりをした。意気地無しの雄猫どもめ。どうやら一番の目的はこれだったようだ。
「まあまあ。吾輩の妻になる事ほど名誉な事はないぞ」
そう言って私の頭を気安く触ったので、私は毛を逆立てて牙をむき出し、化け猫を引っ掻いた。化け猫は素直に謝った。
チョウロウは代わりにマタタビを振舞った。
「それじゃあよろしく頼むわね」
「はい。人語は得意なのです。頑張らさせていただきます」
人間が本堂の中央に引っ立てられ、目隠しと手足の拘束は解かず、猿轡だけ外した。
「○×△□☆?」
「私は何をすべきかと人間は言っておる」と化け猫。
「は、話が早いのお。とりあえずマタタビを」
若い猫の一匹がおそるおそる人間の口元にマタタビをやったが何の反応も示さない。人にマタタビ、猫に小判だ。
「カラス退治のアドバイザーをお願いしたいのじゃが」と皆を代表してチョウロウが言った。
「○×△□☆○×△□☆」と、化け猫。
「○×△□☆? ○×△□☆」
「ありがとう、と言っておる」
「そっちが感謝するのか? どういう事じゃ?」
私達は頭を捻った。
「人間達もカラスに悩んでるんじゃないかしら?」と私は言った。
「なるほどの。ではどうすればいいですかの?」
「○×△□☆○×△□☆?」
「○×△□☆?○×△□☆?」
「ホケンジョだそうな」
「ホケンジョとは一体なんじゃ?」
これは猫の誰も知らなかった。
「○×△□☆?」
「○×△□☆?○×△□☆○×△□☆○×△□☆」
化け猫は言い淀み、後ずさりで人間から離れる。
「ど、どうしたのじゃ? 化け猫殿」
「こやつは猫の死体を持って行くと言っておる」
「な、なんじゃと!? 何故そのような忌まわしい事を? 我々をどうするつもりだ?」
猫達は人間からさらに離れようとする。私はチョウロウと化け猫を後ろから抑える。
「○×△□☆○×△□☆?」
「○×△□☆○×△□☆○×△□☆? ○×△□☆」
「猫の死体を求めてやって来たそうだ」
狂乱状態になった。猫も杓子も我先にと逃げて行く。幾つかの襖が押し倒され、いくつかの床板が抜け落ちた。埃がもうもうと立つ中、チョウロウは腰を抜かして座り込む。化け猫は飛んで逃げようとしたので捕まえた。
「あんたあの人間を何とかしなさいよ」
「む、無理言うな! 吾輩は猫である!」
化け猫は姿を薄めて姿をくらました。鳴く猫、鼠捕らずとはこの事だ。埃の中をよく見ると人間が立ちあがっている。どうやら騒動の中で拘束が外れたようだ。丁度目隠しを外したところだった。
「○×△□☆!○×△□☆!」
人間は私達の元へ駆けより、チョウロウを抱き上げて本堂を出て行った。
さようなら、チョウロウ。
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