ルーツレス・クラン

井上数樹

カーリーの期待

二人が帰り、食事も全て片づけられると、リュカはすぐにベッドへ向かった。カーリーだけは相変わらずソファに座ってだらだらとグラスを傾けている。
「全部は話さなかったね」
「何のことだ?」
「とぼけても無駄だよ。エルピス・ラフラのこと、私も聞いてないんだけど?」
「うるさいぞ、寝させてくれ」
 つっけんどんな態度で質問を回避して、リュカはベッドにもぐりこんだ。今日一日だけで色々なことをしたし、普段喋らないほど多くのことを語った。思い出すだけで辛い記憶というものもあるのだ。
 明日の朝には起き出して、一足先にエレクトラに向かわなければならない。そちらの用事が済めば、次はウルティオの整備もするつもりだった。
 あちらを済ませ、こちらを片づけ、と段取りを整理しても、やることは山積みだ。だがサヴァスを討てば全てが終わる。もう何にも煩わされることはなくなるだろう。
 リュカの中で膨れ上がった憎悪の塊は、常にその存在を主張して止まない。この苦い塊を吐き出すことが出来ればそれだけで十分だった。
 結局のところ、リュカが復讐に固執する理由はその一点に尽きるのだ。自らが育てた憎しみからの解放というのは、一見矛盾しているように見えるが、契機を創り出したのはサヴァスと追従したドゥクス達に他ならない。解放される瞬間のことを想いながら、リュカはまどろみの中に落下していった。
 リュカの眠り方は特異である。胸はほとんど上下せず、寝息も全く聞こえてこない。カーリーはこの七年間で一度も彼のいびきを聞いたことが無かった。どれほど疲れ果てた時でも、激しい戦闘の後でも、仮死状態に落ち込んだかのように静かだった。その眉は厳しく寄せられていて、眠りの中でさえ決して安らげずにいることを如実に語っている。もしかすると、朝になると消えてしまう夢の中では、未だにシャンバラのリングの中を漂っているのかもしれない。
「寝ても覚めても苦しむばかり。不憫だね、リュカ」
 彼の額に掌をのせて、 少しだけ前髪をかき上げる。根本の辺りがわずかに白かった。
「でも、退屈じゃあない……」
 カーリーにとってはそれだけが善悪の全てだった。喜びにせよ悲しみにせよ、あるいは親愛にせよ憎悪にせよ、あらゆる感情こそが人間の根源的活力であると彼女は考えている。しばしば行動を論理的に解明しようとする考えに出会うが、カーリーはそういった思想が嫌いだった。
 人間が最も美しく見えるのは、衝動に突き動かされ、目的に向かって突進している瞬間である。脳内の傑作に憑依された彫刻家が一心不乱に鑿を打ち付けるように、長距離走者がへとへとに疲れながらもなお完走に執着するように、肉体が求めるものではなく心が求めるもののために行動する様こそ普遍の美なのだ。
 五百年間、様々な芸術品に囲まれて過ごしてきたカーリーは、そうした品々に込められた人々の衝動を想い憧憬し続けてきた。もし自分が作る側の人間であったなら、長い生も苦にならず、むしろ有難いと感じたはずだ。だが、一人きりになってからそうした衝動が芽生えることはついになかった。
 もしかすると自分のスペルと関係があるのかもしれない、と思ったことがある。スペルを認識したばかりの頃は、自分の頭の中に手も足も使わず現すことの出来る力があると、漠然と感じているだけだった。その力をどのような形で出力するか知ったのは、シャンバラⅦに逃げる最中、襲いかかってきたドミナ達のクルスタを見たときだった。
 まるで、神話に書き記された神の暴虐の如き光景だった。
 今よりもずっと巨大で歪な形状をしたクルスタが、護衛の艦隊に取りついては次々と火の玉に変えていく。戦艦の主砲から放たれた強烈な光線すら意に介さず、自機の何倍もの長さにまで伸ばされた光の刃が戦艦を真っ二つに叩き斬った。
 エレクトラの船窓からそれを眺めていたカーリーは、恐怖に震えながらも、ああこの力はこう使うのか、と妙に得心した気分だった。そして、光の欠片を浮かばせていた所を母親に見られたのだ。
 シャンバラⅦにたどり着いて間も無く、カーリーは研究室に閉じ込められた。実験は主に薬物を使って行われ、脳のどの部分が活性化している時にスペルが現れるのか、逆にどのような効果を与えれば消滅するのか、ということが延々と彼女の身体を使って試された。
「痛かったら消えるに決まっている」と何度思ったことだろう。スペルを使わせない研究というが、どれもクルスタのコクピットから引きずり出すまでの過程が抜け落ちていて、拷問そのものが目的と化している観があった。いや、実際にそうだったのだろう。
 ドミナ達との接触以後、カーリーは常に違和感を覚えていた。あの襲撃の最中に、何か、意識を鷲掴みにするような不可視の力を感じたのだ。皮膚の裏側に張り付いている神経が剥がれ、一切の身体感覚が分離していくような……。
 最初はあまりの不気味さ故に恐怖した体験も、サディスティックな実験の中では救いとなってくれた。肉体と感覚を切り離してしまえば、どれだけ物理的な痛みを加えられようと苦しむことはない。研究者や軍人たちが躍起になって自分の身体を弄り回しているのを、カーリーは一段高い視座から見下ろし、せせら笑っていた。だが、ふと肉体との接続をし直すと、無残なほど傷つき疲れた肉や骨のために、言葉に出来ないほどの悲しみを覚えるのだった。
 自分が精神の均衡を保てたのは、連中を常に見下していたからに他ならない。と、カーリーは自己分析していた。事実、彼らの行為は嫉妬や恐怖、加虐心に因る所大であったし、そんな連中に対して自分が出来た最大の抵抗は「痛くない」と突っ張って見せること、ただそれだけだった。
 痛くないわけがない、苦しくないわけがない……だが、負けるわけにもいかない。自分は紛れも無くドミナであり、彼らが持ち出してくるどんな道具や薬にも耐えきれる肉体とスペルを持っている。こんな理不尽に絶対に屈するわけにはいかない、情けない泣き言を聴かせるわけにはいかない、そういった意地が彼女の抵抗を支え、結果的には勝利へと導いた。勝利の先には、何も無かった。
 徹底的に戦い抜いて、他者との対話を拒絶し続けた結果が五百年の孤独だった。
 この力は人を傲慢にする。あの時プライドを捨てたからと言って、何かが変わったとはとても思えない。思えないのだが、もしかすると、万一、誰かと対話の糸口をつかめたかもしれない。自分がするべきだったことは、自分と彼らとが別の生き物であると見せつけるのではなく、同じ人間だと知らせしめるべきだったのだ。
 心は他者との交流によって育まれる。ならば、己の中に他者が住まわっていない限り、心が求める衝動というものは生まれえないのだ。リュカにとってサヴァス・ダウラントは憎むべき敵であるだろうが、獅子や虎のような獣ではなく人間だと思っている。だからこそ憎み、復讐の衝動に駆られる。
 逆に言えば、このEHSという国はドミナとセルヴィを別の種属の生物として扱うことで、ドミナの中にセルヴィという他者が内在しないように設計されているのだ。サヴァス・ダウラント総督はそんな国家のルールに則って栄達を極めた人物であり、リュカがそれを討つという構図は劇的を通り越して運命的でさえあるとカーリーは思っている。
 そして、自分をその運命の渦の中心にまで連れて行ってくれるはずだ。

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