三題小説第二十八弾『池』『日陰』『金髪』タイトル『クリスとウルーリカの』

山本航

仲直り

 引越ししておおよそ半年が経ち、この家にも慣れてきた。ずうっと昔からここに住んでいたような、そんな気持ちでいる。
 上がり框に座り込んですりガラス越しに見える真っ白な朝を眺める。とても新鮮で清潔な洗い立ての朝だ。土間の靴を足先で何とはなしにいじり、二つの使い捨てカイロをごしごしとこする。冬の尖った空気が玄関に張り詰めていた。

「何してんのよあんた。早く行きなさいよ」

 私の背中を押しのけるように母が声をかける。

「別にー。少し遅いくらいでちょうど良いんだよ」
「良い訳あるか。そういや雨降るらしいよー」

 そう言って母はリビングの方へそそくさと行ってしまった。
 自分だって寒いくせに。こちとらスカートだぞ。
 カイロを膝や太ももにこすりつけると、それぞれの手袋にカイロを入れる。そして一息に覚悟を決め、勢いよく立ち上がる。制鞄に付けた猫の首輪の鈴がちりんと鳴った。

 玄関の扉を開けると、冬の朝の空気が私の皮膚を張り詰めさせ、一斉に粟立てる。その肌を解すように天高く伸びをした。
 ああ! 何て涼やかな冬の朝!

 凍てつくような静けさがいつもの通学路を厳かに見せている。しかし何より目の前の光景に少し面食らう。
 家の前の道路、朝日を避けるように電柱の陰にクラスメートがいた。キャビンアテンダントが出迎えるように同級生の女子が立っていた。ショートヘアの黒髪で活発そうな見た目だけど、確か私と同じく帰宅部の生徒だ。

 それは松岡沙耶だった。
 お茶目な私はとっさに傘を剣道よろしく構える。あまり仲はよくない、とはいってもいきなり顔を合わせるなり殴りあうような関係ではない。そういう仲だ。正直こういうジョークが通じる相手なのかもよく分からないけど、まあ、つい、ね。

「きょうは戦いに来たわけじゃない」

 まさかノってくるとは思わなかった。いまいちパーソナリティーを把握できていないでいる。

「そうだろうね。っていうかこんな所まで何しにきたの?」

 松岡の家がどこにあるのかは知らないけれど、下校時に私とは反対方向へ帰っていくのを見たことがある。

「栗栖におねがいがあって」

 栗栖由利子。何の変哲もない私の名前だ。

「学校では言えない事って事?」

 松岡の視線が地面の上をゆらゆらと泳ぐ。そして呟く。

「言えなくはないけど」
「まあいいや。言ってみなよ」

 私は白い息を両手に吐きかけながら学校の方向へ歩き出す。松岡は少し後ろをついてきた。
 そういえばこのまま行けばウルーリカと鉢合わせる事になる。待ち合わせているのだから当然だけど、ウルーリカと松岡は仲が悪いのであまりよろしい事にはならない。松岡がウルーリカをいじめていたのだから、これまた当然だ。私だって松岡に良い感情を持っているわけではないのだけど。

「このまま行くとウルーリカと顔を合わせることになるよ」

 一応いじめは半年前にすでに止んでいて、少なくともウルーリカに申し訳ない気持ちでいるだろう事は、この半年の態度で分かっている。ウルーリカがどう思っているのか、頭の中でどう裁定しているのかは知らない。

「そのヴァリアンにあやまりたいと思ってて」

 ウルーリカ・ヴァリアン。私の友達のそこそこ変哲な名前。

「それで?」
「あいだを取り持ってくれないかと」
「何について謝るの?」

 私は分かってて訊いたのだった。
 ほんの一瞬だけど私の意地悪に松岡は怯んだようで、そして答えた。

「無視したことについて」
「あとこれを盗んだ事ね」

 私は制鞄につけている首輪の鈴を人差し指で軽く弾く。涼やかに控えめに一つ響く。

「うん」
「それにしても何で今更? わざわざ蒸し返さないでも良いと思うよ、私は。仲良くならなければいけないわけでもないし。皆仲良くなんて小学生まででしょ?」

 そもそも半年も経ってる時点で、反省していないと見なされても仕方ないんじゃない? いや、逆なのかな。時間が経てばこそ反省できた? うーん。

「いまになって罪悪感がでてきたんだ」

 私は少し笑ってしまう。意外と可愛いところがあるものだ。

「呆れるね」
「ごめん」

 私に謝らなくてもいい、という言葉を飲み込む。私も多少は迷惑を受けたんだ。謝られたって罰は当たらないだろう。しかも転校初日の事だ。ウルーリカと友達になるきっかけでもあったけど。
 立ち止まり、振り返る。松岡も少し遅れて立ち止まり、私の顔をじっと見つめる。

「大体さ。間を取り持つも何も、私はウルーリカを味方するよ? 和解、できるものならすべきだとも思うけどね。最後はウルーリカの意思次第だよ」
「それでいい。お願いします」

 私は松岡の瞳を見つめる。瞳を見ればどれくらい真摯な気持ちで反省しているかが分かる、何てことはない。

「ま、なるようになるし、ならないようにはならないってね」

 振り返るとウルーリカと待ち合わせている曲がり角だ。塀から少しだけ顔を出してピンクのマフラーの誰かさんがこちらを覗いていた。誰かさんというのはもちろんウルーリカだ。ウルーリカがこちらを睨み付けている。信じられないものを見たというような表情をしていた。
 大きな声を出すのは面倒なので手袋をつけた手を振る。だけどウルーリカはそのまま学校の方へ駆け出してしまう。

「おーい。ウルーリカー」

 私も早歩きで後を追う。松岡もだ。

「聞こえないのー? ウルーリカさーん」

 ウルーリカは静けさ凍てつく冬の朝を振り返る事なく突き進んでいく。朝日を受けたハニーブロンドが風にたゆとう熟した麦穂のように揺れていた。

「栗栖。栗栖ってば」と、松岡が言った。
「何?」

 私は足を止めずに返事した。ウルーリカはもう体力が尽きたのか足を止めた。松岡が息を弾ませて言う。

「今朝のところは良いよ。話を聞いてくれそうにないしさ」

 私はくすりって感じで笑う。

「分かってるよ。これはウルーリカをからかってるだけなのさ」
「そうだったのか」

 私たちが追いつく前にウルーリカはまた走り出した。

「謝るどころか話す事さえできそうにないね」

 私は走るのをやめて普通に歩く。ウルーリカはピンクのマフラーを揺らして駆けていった。

「やっぱり私がいると話せないな」
「意地っ張りなところあるからね、ウルーリカ。今は無視されているだけでもその内エスカレートしていじめられるかもよー」
「それだけの事をしたと思ってる」
「冗談だよ。ウルーリカがイジメなんてするわけないでしょ。まあ謝罪した所で、はい仲直りとはいかないだろうけど」
「それでもしかたないよな」
「仕方ないかなー? じゃあ何の為に謝るの? ただ謝りたいってだけの自己満足にならない?」
「いや、そういう意味で言ったわけじゃない。謝りたいは謝りたいんだけど、相手に許すことを求めるのも違うんじゃないかと思って」
「それもそうか。ごめんね。しかし謝るというのも難しい事だね」
「許すかどうかは相手が決めることだから。私は謝ることでようやくその選択肢を相手に示せるんだと思う」
「殊勝な事だね。でもウルーリカが何かしら要求してきたら?」
「要求?」
「土下座とか金銭とか。ああ、もちろん物の例えだよ」
「その時は私が選択肢のどちらかをえらぶ時だよ」
「松岡の誠意が試されるわけだ」
「誠意はあると思ってる」
「というより誠意の強度を試されるって感じがする」
「強度か」
「何だってそうだよ。特に人間の気持ちなんて0か1かの方が珍しいはず。例えば松岡は好きな男子いるよね?」
「え、いや何の話?」
「コイバナだよ。その男子が100好きだとして。20くらい好きな男子も他にいるでしょ?」
「いや知らないけど。っていうかいないけど」
「分かりにくい例えかな。例えばウルーリカが私のことを20くらい嫌いだとしてー」
「ややこしい例えだな。そこは好きでいいだろ」
「そうだとしても同時に21くらい私の事が好きなら友達としてやっていけるよね」
「ああ、そういう意味か。そんな僅差だと難しい気もするけど、言いたいことは分かってきた」

 いつの間にやら松岡は隣を歩いている。

「物の例えだよ。例えば生活指導の橋澤先生は大体皆に500000くらい嫌われてるわけだけど」
「ひどいな。まあ私も嫌いだけど」
「同時に皆5くらい好いている」
「そうか?」
「あの先生は生徒を分け隔てないからね。きっちり全員に厳しい」
「ふーん、そうなのかな」
「そこでウルーリカに無視されない方法だけど」
「話が戻った」
「関連してるよ。つまりウルーリカにとって松岡は『無視したい度』1000000なわけだよ」
「う、うん」
「そこでウルーリカの『話したい度』1000001の私が常に一緒にいればその内に音をあげるよ」
「なるほど。回りくどい言い方した割に超シンプルな作戦だな」

 気がつくと校門の前だ。噂の生活指導の橋澤先生がいた。いかにも体育教師な厳つい風貌の男性教師だ。私は橋澤先生に挨拶して校門を通り過ぎる。

「これは松岡のお陰で思いついたとも言えるね」
「私何かしたっけ?」
「転校初日。私のウルーリカと『話したい度』は1000000000000だったわけだけど」
「あ」
「松岡にウルーリカを無視しろと言われて、従わなかったら何をされるのかと想像するととても恐ろしくて、ウルーリカを『無視したい度』が999999999999に跳ね上がり、でもわずかながら『話したい度』が上回っていたので無視しなかったわけだよ。でも無視された『無視したい度』が私の五臓六腑を掻き毟り……」
「く、栗栖!」

 私は立ち止まり、後ろを振り返る。そこにはきっちり九十度に腰を折った松岡がいた。

「本当にごめんなさい! 栗栖にも謝らないといけなかった!」
「良いってことよ」

 私は二つのカイロ入り手袋で松岡の赤くなった頬を挟んだ。



 昼休みまでの四つの授業の間にウルーリカと二十三回目が合った。二十三回というのは私がウルーリカの方に目をやった回数でもある。だけど目が合うと目をそらされた。
 昼休みまでの三つの休み時間には十二回目が合った。最初の休み時間に私と松岡で話しかけようとすると、ウルーリカは教室から出て行ってしまった。二回目の休み時間にウルーリカが私に話しかけようと近づいて来た時、私が松岡の所へ行くと諦めてしまった。三回目の休み時間は三人とも動かなかった。

 チャイムが鳴って昼休みの時間になる。クラスメイトは各々昼食を始めたり、食堂に出かけたりする。
 そういう雑然とした教室の中で、私は涙目のウルーリカから逃げるように松岡の近くへ移動した。そうしてからウルーリカに手招きする。松岡とウルーリカの緊張感が私にも痺れるように伝わった。ウルーリカは不貞腐れたような態度で立ち上がり、私達のそば・・よりも絶妙に離れた位置まで来た。

「何なの?」とウルーリカはそれだけ言った。

 私は怒る小動物をなだめる様に微笑む。

「松岡が話しあるんだってさ」
「ここで? 教室で?」と、松岡が声を潜めて言った。
「場所を選ぶような立場にないと思うけど」

 大体人気のない場所について来る訳がない。

「……そうだな。うん」
「ほら立って」

 松岡も立ち上がり、ウルーリカと向き直る。他のクラスメイトの何人かがこちらの様子を気にしている。松岡自身もその事に気づいて緊張しているようだ。

「その、ヴァリアンに謝りたくて」

 ウルーリカは松岡をじっと見ているだけだ。松岡も次の言葉を探しあぐねていた。助け舟を出そうかと思ったが、助ける義理もなかった。

「ずっと、無視したり、嫌がらせしていたことを謝りたかった。ごめんなさい」

 松岡が頭を下げる。ウルーリカは、私を見ていた。

「クリスはどっちの味方なの?」
「ウルーリカの味方だよ」
「じゃあなんで朝からずっと松岡と、いろいろと……」
「ウルーリカと松岡が仲良くすることがウルーリカにとって悪い事だとは思ってないからだよ」

 良い事だとも限らないけど。
 松岡は頭を上げるタイミングを見失ってまごついていた。ちょっと面白い。

「そうかな……」

 ウルーリカが眉をしかめて唇を尖らせてぶすっとしている。

「ブスになってるよ。美人が台無し」

 ウルーリカは目を見開いて驚いていた。

「もういい!」
「あ、ウルーリカ、お昼ご飯……」

 返事どころか振り向きもしない。ウルーリカは他のグループとご一緒するようだ。

「これどうなんだ? もしかしなくても許されてないよな? っていうかなんであのタイミングであんなこと言うんだよ。お前らが喧嘩してどうする」と、松岡が言った。

 もっともな意見だ。いらない事を言ってしまった。

「ついいつもの調子で口が滑っちゃった。どの道あの様子だと上手くいってないって」
「否定はできない。否定はできないけどさー」
「まあいいや。作戦会議がてらお昼ごはん食べようよ。腹が減っては戦は出来ぬってね」



「ねえ何で外で食べるの?」

 私は震えながら手袋で箸を使ってご飯を口に運ぶ。

「いつもここで食べてるだろ。あんた達」

 中庭に設置されたいくつかのベンチの一つ。緑枯れた寒々しい中庭の中心には人工の池がある。冷たい風が吹いて小さな寂しげな波を立てていた。

「寒くなってからは食べてないよ。日向おいで」

 松岡がベンチの半分を覆う日陰からこちらの日向へ移動する。松岡は購買のパン派だったようだ。二つ目のサンドイッチを食べている。

「にしても寒いな。失敗だった。しかもこんな因縁の地で」
「因縁?」
「あんたに鯉をぶつけられたの忘れてないよ」
「ああ、そうだったね。鯉には悪い事したよ」
「鯉かよ。まあ鯉もだけど。あれけっこう見てた人がいたんだよ。いまだにからかわれる」

 松岡に大切な猫の首輪を盗まれたウルーリカは、何を勘違いしたのかこの池に首輪を放り込まれたと思ったらしい。池を浚うウルーリカを手伝った私は苛立ちの末に鯉を掴み、松岡沙耶に投げつけた。とっても叱られた。

「それにしても何でそんなに髪を染めたいの? 黒髪似合ってるよ」

 松岡は髪を染めたかったけど校則で禁止され、地毛が明るいウルーリカに嫉妬したらしい。

「違う違う。逆だって」

 松岡は驚いたような呆れたような表情で言った。私も似たような顔になる。

「え? 逆? 何の逆?」
「髪を染めたいんじゃなくて髪を染めたくないんだよ」
「どういう事? 染めたくないなら染めなきゃいいじゃん」
「でも校則だって話だろ。だからムカついて。あいつは染めなくていいのに。まあヴァリアンが悪いわけじゃないけど」

 私は食べる手を止めて、松岡の苛立つ顔を見る。

「ごめん。話が見えない。何のこと?」
「だから! 校則で黒髪に決められてるだろ。でもヴァリアンはで許されてるんだよ」
「そりゃそうでしょ。地毛なんだから染髪強制したら虐待になりかねないよ」
「じゃあ私は虐待されてんだよ」と、松岡は力なく呟いた。

 ようやく松岡の言っている意味を理解できた。

「え? その黒髪って地毛じゃないの?」
「生まれつき明るい色なんだよ。それでもこげ茶くらいの色だと思うけど」
「何だよそれ。早く言ってよ」
「言ってなかったっけ? 知ってるもんだと思ってた」
「松岡悪くないじゃん。いや、ウルーリカをいじめた事は正当化されないから悪いか」
「ごめん」
「でも松岡も被害者だよ。よし、文句言いに行くよ」

 私は弁当を閉じてしまう。もう全て食べ終わったからだ。

「ちょっと待って。もう何回も言ったんだよ」
「私は一回も言ってない!」

 慌てる松岡を尻目に職員室へと向かう。



 職員室に入るのはいつだって緊張する。いつだって、というか大抵叱られる時だから緊張するんだと思う。先生達の視線を受けると身がすくむ思いだ。
 橋澤先生は丁度お昼ご飯を食べ終えたところだった。私は橋澤先生のデスクの隣で仁王立ちする。

「どうかしたのか栗栖」
「何で松岡は髪を染めさせられてるんですか?」
「染めさせ……何だ?」
「何で髪を染めないといけないんですか?」
「いや、染めちゃいけないだろ。校則では……」
「黒髪に決まってるんですよね? 松岡は地毛が茶髪で黒髪に染めるように指示されたんですよ」
「えーっと。そうだな。つまり染める事を禁止しているのではなく、黒髪以外を禁止してるわけだろ?」

 少ししどろもどろになってきた。

「それじゃあ、ウルーリカは? ウルーリカ・ヴァリアンも髪を黒く染めなくてはいけないんですか?」
「いや、もちろんそんな事はない。生まれつきのものなわけで、それを染めるというのは」
「じゃあ松岡も髪を染めなくて良いんですね?」
「いや、それは俺の一存ではなんとも……。昔からの決まりなわけで……」
「もうういいよ。栗栖。もういい」

 振り返ると、松岡は心底悲しげな表情で、とても冷たい水底を見つめるような目だった。そうして振り返り、職員室から出て行った。
 他の教職員に目を向けるが誰も関わりたくなさそうな様子だ。正しくないのは分かっているけれど、正し方もよく分からない、といったところだろうか。何より自分が関わりたくないんだろう。

「大体何でお前が言うんだ? 栗栖は関係ないだろう」

 それは、その通りだった。
 私も松岡の後を追って職員室を出る。冷たい空気の張り詰めた廊下にもう松岡の姿はなかった。



 それから放課後まで松岡に話しかけてもはぐらかされるばかりだった。無視とまではいかないけど、私と話したい度はとても低いらしい。高める方法は思いつかなかった。

「クリス。帰ろ?」

 ウルーリカがニコニコしながらやってきた。

「ずいぶん嬉しそうだね」
「ようやく松岡の呪縛から解放されたみたいね。無視されてたでしょう?」
「無視はされてないよ」
「まあまあ。松岡ももう帰っちゃったわよ?」
「うん」

 冬の短い昼がもう終わろうとしている。太陽は大きく傾いてオレンジの光を私達に投げかけている。ウルーリカの髪も煌いていた。

「松岡が髪を染めてるって知ってた?」

 下校の道すがら白い吐息と共に私は呟いた。

「え? それって黒に染めてるって事?」
「そう」
「知らなかったわ。え? じゃあ校則で髪を染められないから私に意地悪な事をしたって話は……」
「どこかでひっくり返ったんだろうね。髪を染めないで済んでるウルーリカが羨ましかったんだと思う」
「そうなのね。でもだからって……」
「うん。別の問題だよ。私はどっちの問題も解決したい」

 ひとしきり沈黙する。ウルーリカが独り言のように呟く。

「逆か。逆だったのね。私ずっと何で髪を染めたがるんだろうって思ってた。似合ってるのにって。でもひどい事考えてたんだわ。似合ってるから染めなくていいっていう考えは、似合ってなかったら染めるべきって考えに繋がる。すごく、失礼な、考え」

 それはまた別の問題な気がしたけど黙っている事にした。

「そうかもしれないね。先生に文句言いに言ったけど、どうもはぐらかされたよ。校則がどうのこうのってさ。触らぬ神に祟りなしってやつだよ。髪だけに」

 ひとしきり沈黙する。

「それはともかく。まあ、謝罪を受け入れてもいいかもしれない」
「松岡を許すの?」
「許すかどうかは別。でも話を聞いてもいい」
「そう。そっか。良かった。あとは松岡の髪の問題だ」
「地毛の茶髪を認めさせるのね」
「うん。でも問題にしないのが問題なんだよね」と、私は大げさに腕を組んで言った。
「どういう事?」
「先生もそうだけど、松岡も嫌だと思いながら問題提起しようとしないというか。どっちも問題から目を反らそうとするんだよ」
「そこにクリスが顔をつっこんでも、あんたは関係ないってなりそうね」
「そうなんだよねー。無視するな、と言うと関係ないだろ、と言われる。そんな状況」
「どうすれば良いか分からないけど私も協力するわよ」

 私は涙を拭くジェスチャーをする。

「松岡のために、そこまで」
「違うから! 何にでも首を突っ込むクリスに協力するの!」
「ありがとう。校則に従って髪を黒く染める松岡と染めなくてもいいウルーリカか」
「それって私が外国人だからだよね」
「そうだね。松岡と同じようにそんな事させたら大問題になるし……。それだ!」

 ウルーリカが頭を庇うようにして道の端に逃げる。

「私は染めないわよ! いくらクリスでもその頼みは聞けないわ!」
「いや、だからウルーリカが校則で髪を黒く染めたなんてなったら大問題だから。学校がやばいレベルだよ」
「じゃあどうするの?」

 私は悪の親玉のようにもったいぶって微笑んだ。

「それは明日のお楽しみさ」



 家族も起きない朝早く、私は玄関の覗き窓から外を覗く。そこにはウルーリカと松岡の姿があった。微妙な距離を開けて微妙な空気を漂わせている。
 二人にはこの時間に来るようにお願いした。三人で登校したかったというのもある。
 一向に喋る気配はなく、白い息を吐くだけでたまにケータイを眺めている。私もケータイを取り出し、ウルーリカにメールを送る。

(せっかく二人きりなんだから話かけたら良いのにー)

 ウルーリカはケータイに届いた私のメールの文面を読むと、顔を上げてこちらを睨み付けずんずんと歩いてきた。松岡は少し戸惑っている。そして扉の前まで来ると覗き窓を覆ってしまった。
 私は観念して扉を開く。私を見たウルーリカは目を丸くして口をパクパクしていた。松岡も呆然とした様子だ。

「クリス! どうしたのその髪?」

 私は黄金色の髪を搔きあげる。

「染めたんだよ。いやあ、前から髪を染めてみたかったんだー」
「駄目だろ! 何の意味があるんだよ」と、言いながら松岡が詰め寄ってきた。
「髪を染めるなと言われれば松岡を引き合いに出し、髪を黒くしろと言われればウルーリカを引き合いに出すんだよ」
「それは別にクリスがやらなくても私達だけで出来るじゃない」
「それだけじゃインパクトが弱かったんだよ」
「でもそれただの校則違反だって言われるだけじゃない?」

 私はカイロを取り出して手に擦り付ける。

「いーや。必ず黒以外の髪の色を認めさせてやる。何なら一歩進んで髪を染める事も認めさせてやる」
「それは別の問題じゃない?」と、ウルーリカが呆れた様子で言った。

 私はからかうようなまなざしを二人に向ける。

「ところで二人は仲直りしたの?」
「仲が良かった時なんてないわよ!」
「その、ヴァリアン……」
「もう謝らなくていいから! それとは別にクリスを巻き込んだ事を許さないからね!」
「な! 別に私が巻き込んだわけじゃない! 栗栖が勝手に首を突っ込んできたんだよ!」
「まあ、助けてもらってその言い草は何なのかしら!」
 どの道二人の相性はあまり良くないようだった。寒空の下、三人でお喋りしながら学校へ向かう。

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