三題小説第二十八弾『池』『日陰』『金髪』タイトル『クリスとウルーリカの』

山本航

三角関係

 にゃあ。
 子猫が玄関先ですり寄ってくる。昨日から飼い始めた我が家の猫だ。

「可愛いですにゃあ。可愛いですにゃあ」

 そういえば名前をまだ決めていない。

「帰ってきたら名前付けてあげるからね、子猫ちゃん」

 私は思い立ち、制鞄についている様々なキーホルダーやストラップを選り分け、薄いブルーの猫の首輪を外す。そしてまだ名前のない猫に付けてやる。
 名前のない猫は喉を鳴らしながら手にすりついてきた。首輪についた鈴がちりんと鳴る。

「行ってきます」

 山を削ったニュータウンの中腹に我が家はある。高校は遥か下に広がる街の中にある。
  ああ! 何て麗らかな春の朝!
 私の気分はタンポポの綿毛のように高揚している。
 いつもの通学路は昨晩の雨に濡れ、朝日を受けて輝いて見える。初めてペットを飼う私の気持ちを世界が表現してくれているかのようだ。身に纏う制服も制鞄も制靴もいつもと違って羽根のように軽い。

 少し先の曲がり角で長い金髪の誰かさんが顔だけ出してこちらを見止めると、すぐに引っ込んだ。
 まあ私の知り合いに長い金髪の誰かさんは一人しかいないけど。
 とりあえずその曲がり角で何かが待ち受けてるのは分かった。
 スキップでもするように――実際にはしないけど、そういう浮かれた気持で――曲がり角に近づき、二つの道が交わる直前で私は立ち止まる。

「ひほふひほふ~」

 さっきの少女、私のクラスメイトで唯一友人と言っても良いウルーリカ・ヴァリアンがトーストをくわえて飛び出してきた。私と比べると遥かに美しいブロンドヘアーの持ち主だ。私が注意を払ったおかげでウルーリカは何者にもぶつからずに済む。

「お早う。ウルーリカ」
「ほはほう。ういう」

 私達は並んで高校へと歩き出す。

「今日は早いね。朝ごはんを食べる暇があったんだね」
「ほーふほはほへはっはへほへ」
「まあでも一緒に登校するなんて久しぶりだよね」
「ほーはへ。ふはひはほっほははふへはへはんはへほ」
「いや、何言ってんのか分かんねーから」

 ウルーリカはトーストを口から離す。歯形のついたトーストには卵焼きにチーズまでのっている。

「てっきり伝わってるのかと思ったわ、クリス」
「もう最初から言ってる事もやりたい事も分かってなかったよ」
「えー。定番でしょう? 転校初日にトーストを加えて遅刻遅刻~からのイケメンにぶつかるやつ」
「転校初日ではないし、イケメンはいないし、遅刻でもないし、トーストに一手間かけるものでもないよ。一口ちょうだいな」
「猫っぽくどうぞ」
「一口ちょうだいにゃ」
「クリスは食いしん坊だなあ。よしよし」

 私が大きく口を開けるとトーストの角の一つが突っ込まれる。もぐもぐ。

「いたらきます。美味ひい」
「それにしてもクリスさん。何だか今日は浮かれていましたね」
「あ、分かる? 何でなのかはまだ秘密だけどねー」
「えー。親友でしょう? 教えてよー」

 私は照れる。ウルーリカはこういう事を嫌味なくさらっと言える良い奴だ。

「親友とか、恥ずかしげもなくよく言えるなあ」
「別に恥ずかしい事じゃないじゃん。教えて教えて」
「んー。じゃあヒントだけ教えてしんぜよう。あなたも好きなものが関係しています」
「分かったピンポン」

 目にも止まらぬ早押しだ。

「はい、ウルーリカさん」
「クリス!」
「恥ずかしい! やめて!」

 ウルーリカが手でメガホンを作る。

「クリス大好きー!」
「人の名前を往来で叫ぶな!」

 私が肩を小突くとウルーリカは腕を掴んだ。トーストはもう胃の中だ。

「ねー答えは?」
「その内ね。すぐに分かるよ」
「気になる気になるクリスが気になる」

 生活指導の先生に挨拶して高校の正門から中へと入る。我が校の自由の気風に万歳だ。

「そういえばウルーリカと仲良くなったのっていつからだっけ?」

 ウルーリカにあてられて、ついつい私まで恥ずかしい事を言ってしまう。

「えー。忘れたの?」
「うーん。いつの間にかって感じだよね。何かこれっていうきっかけあったっけ?」
「え? 本当に忘れたの?」

 ウルーリカが睨みつけている気がするけどそちらに視線を向けないようにする。
 初めてあった時はそんなに話せなかった気がする。私をクリスと読んでなかったし。
 しかし私は不穏な空気を読み取ってとりあえず話を変える。

「そういえばウルーリカ。青崎先輩にモデルを頼まれたんだって?」
「……ああ。うん。青崎っていうんだ? あの人。有名なの?」
「何かのコンクールで何やらの賞をとったって聞いたよ。凄い人もいたもんだ。果てはキャパか、カーターか」
「偏ってるわね」
「他に知らないんだよ。それでモデルはするの?」
「しないわ。写真撮られんの嫌いだって知ってるでしょ」

 そういえばそうだった。この子はスマホゾンビの正面に立つのも嫌がる。

 下足室で靴を履き変えながら壁に貼ってある部活紹介のポスターを見た。まさに青崎先輩が賞を取ったという写真もある。夕焼けを背景にした小学校の通学路。多分テーマは生活感だ。

「青崎先輩に撮られたがってる人いっぱいいるらしいよ?」
「じゃあクリスがモデルやれば良いじゃない。良くないけど」
「私はそんなタマじゃないよ」
「そんな事ないよ」
「あるよ」

 二人並んでひんやりした廊下を教室へと歩き出す。

「砂糖のように甘くって」
「え? ウルーリカさん?」
「スパイスのように刺激的」
「ストップ。ウルーリカさんストップ」
「色んなステキが詰まってる。その名はクリス」
「勘弁してつかあさい」

 それが今日、教室に入って私が最初に発した言葉だ。



 事が起こったのは昼休みの事だ。
 ウルーリカは誰か先生に用事を頼まれたと言うので、中庭のいつものベンチで購買で買ったアンパンを食べ、パックの牛乳を飲む。
 ぼーっと中庭の真ん中にある池を見つめていると、

「クリスさん?」

 いつの間にか近くにいた青崎先輩に声をかけられた。私好みではないけど中々のイケメンだ。カメラを首に下げて、視線を泳がせている。訝しむ態度を脇に置いて、私は出来る限り佇まいを整える。

「青崎先輩。どうかしました?」
「突然で申し訳ないのだけど、僕と付き合ってくれないかな」

 一瞬思考が停止する。頭の中でその言葉を反芻し、咀嚼する。

「え? 突然何言ってるんですか? 話した事もないのに私を好きになったって言うんですか?」
「そう、そうだよ。君を僕の、あー、カメラフレームに舞い込むミューズとなってくれないか?」

 青崎先輩は顔を真っ赤にして地面を見ながら精いっぱい言ったようだ。あまりセンスが合わないかもしれない。

「ちょっとマジでよく分かんないですけど。ウルーリカをモデルにしたいって噂を聞いたんですけど」

 噂をすればウルーリカが青崎先輩の遥か後方でこちらを見ている。気を使ってんのか何なのか、こちらに来る様子はない。

「それはそれ、これはこれだよ。付き合うのとモデルにするのは別の事だろ?」
「それはまあそうなのかもしれませんが」
「返事はいつでも良いからね」
「そうだ。先輩。あの賞の写真には何かテーマがあるんですか?」

 私が呼び止めると、先輩は立ち止まって振り返る。

「狙って撮ったものじゃないから。でもタイトルはある。『目映い光』」
「良い写真だと思いましたよ」
「ありがとう」

 青崎先輩は少し引きつった笑顔でそう言い残してそそくさと去ってしまった。
 そしてウルーリカが豊かな金髪を揺らして颯爽とこちらへとやってくる。

「ごめん。待った?」
「ううん、今来たところ」
「じゃあお互い様ね」
「イェー」

 お互いに拳を突き出してフィストバンプする。
 ウルーリカは私の隣に座って弁当を開く。何の変哲もない、いつものウルーリカ手作りの弁当だ。

「美味しそうだね」
「あげないわよ」
「美味しそうだにゃ」
「はい、あーん」

 あーん。甘い卵焼きを頬張る。非の打ちどころのない美味さだ。もぐもぐ。

「あいかわらずすごく美味しい。ウルーリカが砂糖派でよかったよ」
「そう? 良かったわ」
「そうそう、朝の話だけど」
「そんな事より青崎先輩と何の話してたの?」

 朝はかなり食い下がってたくせに。

「付き合ってくれとか、目映い太陽だとか、ミュージックだとか、そんなこと言ってた」
「ミュージック……え? 告白されたの?」
「うん」
「それで? それで?」

 ウルーリカの目は真剣そのものだ。

「それでって?」
「付き合うの? 付き合わないの?」
「付き合わないよ」
「えー。何で―?」

 今朝とは逆の反応を見せるウルーリカ。この数時間の間に何があったというのだろう。

「何でも何も付き合う理由なんてないよ。興味ないし」
「嘘。付き合いを断る理由もないでしょ?」
「えー。嘘じゃないよ。興味ないで十分理由にならないかー?」
「私に気を使わないで。試しに付き合ってみればいいのよ。嫌になればやめればいいのよ」

 何だかウルーリカらしくない気がする。朝の仕返しなのかな。

「別に気を使ってないし。何か軽いなー」
「意外に重く考えるのね。物は試しよ」
「それもそうかもね」
「じゃあ善は急げよ。いってらっしゃい」
「え? 今から?」
「早く早く追っかけて」

 ウルーリカに急かされて青崎先輩の去った方へ追いかける。ウルーリカの視界を外れてからは歩き出す。
 昼休みも残り半分というところだし青崎先輩の所へ行く事にする。もちろん、断りに。



 三年生の教室を一つ一つ覗いて青崎先輩の姿を探す。最後に覗いた三年一組に青崎先輩がいたので声をかける。
 青崎先輩は驚いた様子で駆けてきた。

「青崎先輩、ことわ……」

 青崎先輩に腕を引っ張られ、廊下の端へと連れて行かれる。

「困るよ。クリスさん。僕にもイメージというものが……。いや、なんでもない。それで?」
「お断りに来ました」
「お断り……? え? マジで? 僕フられたの?」
「そうなりますね」
「困るよ」

 青崎先輩は情けない声を出す。

「困られても困ります。それじゃ」

 青崎先輩を置いて私は直接教室に戻る事にした。昼休みももう終わる。



 その日最後の現代文の授業の最中、松岡沙耶が声を潜めて話しかけて来た。

「ねえ、クリス。青崎先輩に告白されたってマジ?」

 噂が広がるにしても早すぎる。

「誰に聞いたの?」
「誰にって事もない。たまたま耳にしただけ」
「ふーん。あんたは本当にゴシップ好きだね」

 松岡は腕を組んで首をかしげる。先生に、というよりはウルーリカに聞こえないようにさらに声をひそめる。

「私がこの前聞いた噂では、青崎先輩はヴァリアンが好きだって話だったけどね」
「私が聞いたのは青崎先輩がウルーリカにモデルを頼んだって話だったね。まあ色々と尾ひれがついたんでしょ」
「ヴァリアンって青崎先輩の事が好きなの?」

 どうしたらそんな発想にいたるのかまるで分からない。そもそも松岡はウルーリカの事が苦手だったはず。わざわざ話題に出すなんて。
 私はそっとウルーリカの方を盗み見る。俯いてノートに板書を取っているようだ。長い金髪に隠れて表情は伺いしれない。

「何でそう思ったわけ?」
「昼休みの時青崎先輩がいかに素敵な人物であるかを熱弁したのよ」
「あんたに?」
「ええ、私に」
「そういう新しい嫌がらせじゃなくて?」

 ウルーリカはちょくちょく松岡に意地悪をする。子供みたいな些細な意地悪だけど。松岡からウルーリカへの嫌がらせはない。あったとしても私がシャットアウトするけど。

「私もそう思ってるけど、とにかく私に対して熱弁したの」
「ふーん」

 と、興味のないふりをしてみても、わりと気になる。青崎先輩は何を考えているんだろう。

「もう教室中で噂になってるからね」
「何て?」
「第二次恋の鞘当て事件だってさ」
「第一次はいつあったんだよ」
「それは私も知らない」



 全ての授業が終わり、ホームルームも終わる。さあウルーリカと話あってこの日の出来事を清算するか、と思った時にはその姿はもうなかった。
 二人ともが帰宅部でいつもなら一緒に帰る。適当にマックやサイゼに寄り道する事が大半だ。
 何か急用があったのかもしれない、と思ったけれど下足室にはまだ靴があった。教員室に行き、教室にもう一度戻ってみるがどこにもいない。もしかしたら、と思って三年一組にもう一度行ってみるがやはりいない。
 ケータイで送ったメッセージに返信はないし、電話にも出ない。
 いい加減に焦り始めた頃、廊下の反対側にウルーリカの姿を見つけた。青崎先輩もいて、何かを話している。そちらへ歩いていくと、何やら口論しているようだ。私は少し歩を早める。青崎先輩がウルーリカの肩を掴んだのを見て私は全力疾走する。

「うるうりかあああああ」

 二人してこちらに気付いた。私はその勢いのまま全速力で青崎先輩の脇腹にドロップキックをかました。
 青崎先輩の低く鈍い「ぐぇ」という声とウルーリカの「えー」というとぼけた声が耳に入る。

「大丈夫? ウルーリカ?」
「私は大丈夫だけど青崎先輩は大丈夫じゃなさそう」
「今ので分かった。あいつは私に告白してあんたに近づこうとしたんだよ!」
「え!? そうなんですか!? 先輩!?」

 青崎先輩が脇腹を抑えながら苦しそうに呟く。

「違うよ! ってかヴァリアンさんが一番分かってるだろ!」
「え? どういう事? ウルーリカ」

 私はウルーリカに詰め寄る。その鳶色の瞳があちらこちらへさまよう。

「そ、その……えーっと?」
「ヴァリアンさんが僕に取引を持ちかけたんだよ。クリスさんに告白したらモデルになってくれるって」

 青崎先輩はようやく状態を起こし、涙目で私を睨みつけながら言った。

「何でそんな事したの? ウルーリカ」
「え? えーっと?」

 いくら考えても言い訳が思いつかないのは昔からの事だ。

「ウルーリカ!」

 ウルーリカがびくつき、恐る恐るゲロる。

「その、女の友情は恋愛で壊れるって聞いた事あるから。クリスは青崎先輩の事が好きそうなのに、青崎先輩は私の事が好きそうで。ここは二人にくっついてもらわないとこじれにこじれてクリスが私の事を嫌いになるんじゃないか、と」
「思ったわけね」

 私はウルーリカにチョップをかます。

「ごめんなさい」
「そんなわけないでしょ。そもそも好きじゃないって言ってんじゃん。断ったし。それで何で言い争ってたの?」
「告白するとは言ったけど付き合うとは言ってないって青崎先輩がごねて」
「ごねてってあんた。そんなの当たり前でしょ」

 青崎先輩が脇腹を抑えながら立ちあがる。

「くそっ。踏んだり蹴ったりだよ!」
「先輩の気持ちを踏みにじったのはウルーリカだけですよ!」
「先輩にドロップキックしたのはクリスでしょ!」
「二人合わせて踏んだり蹴ったりなんだよ!」



 と、いうわけで二人で謝罪した。結局青崎先輩はごねにごねてウルーリカはモデルをする羽目になった。ウルーリカが出した条件は私と一緒に写る事だったが、青崎先輩は渋々納得してくれた。

「あと、それと」

 ウルーリカが言いにくそうにそう言った。

「何?まだ言いたい事あったの?」
「私が上げた猫の首輪つけてない」

 いつもなら鞄に付けていた。

「ああ、気付いてたんだ。実は猫を飼い始めて、つけてあげたんだよ。帰りに見せて驚かせるつもりだったんだけどね。ウルーリカ猫好きでしょ」
「何だ。そんな事だったのね」

「そういえば松岡さんも利用したの?」
「うん。あの人に話せば簡単に何でも噂になるからね。本当に嫌な奴だよ」
「酷い言われようだ。あんたのした事も相当だからね。偽の告白させるだなんて」
「でもクリスの事をもっと知れた気がするわ。雨降って地固まる、よ」
「私が言ってんのは青崎先輩の事だっての」
「とにかく私たちの友情は不滅だね」

 ウルーリカは謎のガッツポーズをしてそう言った。

「いや、むしろ今日ほど友情の脆さを感じた事はないね」

 ウルーリカは口を尖らせて私を睨みつける。

「助けてくれたくせに」
「誰だったとしても助けたけどね。市民の義務ですよマドモアゼル」

 ウルーリカはさらに頬を膨らませる。

「そんな事を言っちゃうんだ」
「言いますとも。そういえば今朝の話だけど、いつから仲良くなったんだっけ?」
「出会ったその日からだよ!」

 ウルーリカは大きく息を吸い込み走り出す。

「うるうりかあああああ」

 と、ウルーリカが叫ぶ。

「ちょ、バカ、やめ」

 私も追いかける。さすがにアスファルトの上でドロップキックはしないと思うけどバカは何するか分からない。

「大好きだあああああ」
「言ってねーよ!」

 私達はニュータウンの坂道を駆け上がる。揺れるハニーブロンドが夕陽を受けて輝いていた。

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