真夜中の約束、君からのオブコニカ

些稚絃羽

3.捜索を始めます

「神咲さん! 降りて下さい!」
「うわぁ!」

ぐんぐん天井に近付く床から飛び降りる。……床から、飛び降りる?

「はぁ、は……あれ?」
「すみません、ご説明もせず」

 部屋の奥、座っていた椅子の下に敷かれていた円形の絨毯は、床に備え付けられた円形エレベーターのカムフラージュだったらしい。照明のスイッチと同じ並びに上昇スイッチがあったようだ。申し訳なさそうに眉を下げる表情も愛らしくて仕方ない。何もなかったかのように立ち上がって笑ってみせた。
 上にテーブルと椅子を載せたエレベーターはスムーズに全貌を顕にする。部屋の間仕切りに使われているカーテンはひらりともしなかった。存在感はかなりあるけど、それでも二人か、もしくはぎりぎり三人が入れる位の大きさだ。ガラス張りの個室は公衆電話を思わせる。

「これで一度地下まで降りるんです」
「何と、普通に螺旋階段を下りるとばかり思っていました」
「非常時用として造られたものなのですが、使っていないと駄目になってしまうので。どうぞ」

 鈍い金色をした枠組みと同じ色の取っ手を握り、大きく引いて僕を中へと招待してくれる。着込んだ山吹色のコートもよく似合っていた。女性をエスコートする事はあっても、このように美しい女性にエスコートされる日が来ようとは。慎んでお受け致しましょう。
 華奢な彼女と平均より少々細身の僕が並んだエレベーターは、あと成人男性一人は余裕で乗り込めそうだ。雪さんが唯一あるプッシュボタンを押すと、ゆっくりとした動作で下降を始めた。途端に真っ暗になる。すぐ傍にいる彼女の居場所さえ空気で感じるしかなかった。

「これは、トンネルのようなものでしょうか?」
「はい。家の中からも外からも、このエレベーターの存在を気付かれないようにするためです。すぐ着きますのでご辛抱下さいね」
「ええ、暗い所は得意です」

 そんな話をしている間に地下に着いたらしい。停止したエレベーターのドアが押し開かれる。そこから真っ直ぐにエレベーターの直径と同じだけの細い廊下が伸びている。小さな裸電球が点々と取り付けてあるだけで薄暗く、四方八方灰色のコンクリートが剥き出しで少しひやりとしている。地下だから余計かもしれない。
 この豪邸に似合わない廊下だと思った。部屋の隅々まで気を配っているのに、ここだけまるで異空間のようだ。

「この廊下も非常用に造られたものなのですか?」
「そうです。エレベーターと同時期に造られました」

 歩みを進めながら注意深く辺りの様子を記憶に留めていく。薄暗いが、指輪が落ちていれば僕でなくても気付きそうだ。第一、ここで落とせば音がかなり響くだろう。今も二人の靴音がこだましている。
 右手の壁から奥に伸びる廊下をもう幾つも通り過ぎた。反対に左手の壁はどこまでも壁だ。地下から玄関側、正門の方へ出る術はないらしい。裏庭の奥はどうなっているのだろう。
同じ様の曲がり角を更に五つ程無視したところで、ようやく彼女は足を止める。その廊下の先は暗くて真っ直ぐ伸びているのかさえ分からなかった。

「ここから裏庭に抜けられます。端から十一個目ですから、念の為」
「すごい数の廊下が伸びているようですが、他はどこへ繋がっているんですか?」
「ここです」

 振り返って微笑んだ彼女は無邪気で、この時だけ彼女の中に少女を感じた。

「奥は迷路みたいに繋がっていて、最終的に必ずこの廊下に戻ってくるんです。」
「それは、すごい……。」
「全てこの正規のルートを隠す為のカムフラージュです」
「あれ、でもそれだとこの廊下にぶつかるのでは?」
「他の道は下り坂になっていて、この廊下の下を進むようになっているんです」

 その手の込みように僕は舌を巻いていた。どれだけの手間を掛けたのだろう。気が遠くなりそうな話だ。お金持ちだろうと、娘を溺愛していようと、ここまでする親がどれだけ居るだろう。親になればこの気持ちを理解する日が来るのだろうか。
 歩き出した背を追う。先が見えない程暗かった廊下はセンサーライトのようで、雪さんが進む度にライトが頭上で煌々と光を放った。ふと後ろを振り返るとライトは消え、真っ暗な中に点のような鈍い白が見えるだけだった。

 更に歩いて行くと数段の上り階段があり、その先は行き止まりだった。

「え、行き止まり?」
「ふふ、いいえ。裏庭ですよ?」

 そう言って彼女の細腕が頭上へと伸びる。そして、さして力を入れずに押し開けた。
 四角い空が見える。良い天気だ。雪さんの身体が太陽を浴びて光輝いているように見えるのはきっと錯覚ではないだろう。また一つ微笑んで、彼女はそこから外へと出て行った。僕もそれに続いた。

 青々とした芝生が広がっている。建物の裏口から庭の中央にある休憩所まではタイル敷きの通路。地下からの扉も閉じられた瞬間、この中に隠された。

「冬なのに芝生が青い」
「冬芝なんです。裏庭もいつも綺麗にしておきたいという事で、夏芝と冬芝を入れ替えています。そのお陰で年中この庭が楽しめるんですよ」

 ぐるっと辺りを見回す。本当に美しい景観だ。あの大きな木は……桜の木のようだ。満開になったらとても美しいのだろうな。そんな事を思っていると、眺めた木の隙間から何かの光が届いた。

「向こうは何があるんです?」
「向こう? あぁ、池です。私はあまり行きませんが錦鯉を飼っているんですよ」
「……ぐ、錦鯉……」
「ご興味がありましたら行ってみますか?」
「いや! あ、結構ですよ、お気持ちだけで」

 この洋館の裏にまさかの錦鯉……。想像しただけでぞっとする。幼い頃手を食われかけたあの記憶が蘇る。距離が離れていてくれて本当に良かった。

「本を読まれていたのはあの休憩所ですか」
「はい」

 気を取り直して仕事をしなければ。咳払いをして問うと、雪さんが休憩所まで歩き出した。休憩所もしっかりとした大きな造りをしている。とんがり屋根から伸びる無数の柱。鳥籠のようにも見えた。

「この場所に座って、読書をしていました」

休憩所には丸テーブルと椅子が五脚。その内の手前の一つに彼女は座った。休憩所を見渡しても指輪もチェーンも見当たらない。恐らく既に誰もが探しただろうけど。これだと芝生の中に入ってしまっている可能性もあるな。

「戻る時も同じように地下からエレベーターに乗って戻ったんですね」
「はい。エレベーターを地下に止めたままにはできませんし」
「という事は、やはり芝生に落ちたか? ……ん?」

 タイル敷きの通路を眺めながら手を突いたテーブルの感触に違和感を覚えて振り返る。木のテーブルだがその中央はガラスが張ってあり、覗くと中に花が植えられていた。白や薄い桃色、橙や紫の花。大ぶりだが上品な形と色をしている。見た事はある気がするけど、何の花だろう。

「プリムラ・オブコニカ」
「え?」
「この花の名前です。私の誕生花なんです。だから咲き始める頃には毎年ここに植えてもらっています」
「そうなんですか。でも何故この中に?」
「冬から春に咲く花なんですが、寒さにはあまり強くなくて。このケースの中で温度調節をしながら育てています。……この花が大好きなんです」

 大切に育てられている事は花を見ればよく分かった。葉も花も艶めいて、彼女に美しさを見てもらおうと胸を張って見えた。それを眺めながら大好きなんだと言った彼女の表情は、慈しむような愛おしむような、そんな愛情みたいなものが滲み出ていた。

「……ありがとうございました。恐らくはこの庭のどこかでしょう。これから本格的に捜索を始める事にします」
「あ、はい。宜しくお願いします。では私は部屋におりますので」

 地下へと消えていく雪さんの姿を見送って、ポケットに仕舞っていた間取り図に地下から裏庭までの道程を書き込んでおく。十一個目の角を曲がる事も。
 さてと。芝生が生えているとはいえ、落ち方によってはかなり転がっているかもしれない。広い所を探すにうってつけな道具を持ってきている。雪さん、すぐ見つけてみせますよ!


「うーん。すぐ見つかると思ったのになぁ」

 耳に付けたイヤホンからは何の音も流れてこない。長い芝生を撫でるように足を左右に大きく振る。足に当たった所が揺れるだけで、何の反応もなかった。
 今使っているのは金属探知機。始めた頃はかなり大きな物を使っていたものの持ち運びの不便さに気が付いて、今は自分で改良した小型の物を使っている。ゴムで靴の先に取り付ければ半径30cm以内にある金属を敏感に探知して、繋いだイヤホンに音で知らせてくれるという優れ物だ。以前は探知機の音でも苦情を言われていたから、これを完成させた時正直天才だと思ったね。
 だけど見つからない。もう少し端の方だろうか。

「神咲さん」
「はい? あぁ、志賀さん」

呼び掛けられて顔を上げると、志賀さんがバスケットを持って傍までやって来ていた。

「遅くなりましたが、こちら召し上がって下さい。おにぎりです」
「お、ありがたい。頂きます」

 腕時計で確認すればいつの間にか二時が来ている。夢中で探していたからあまりお腹が空いていないな。と思っていたのに、バスケットを受け取ると同時にお腹が鳴った。それを咳払いで誤魔化した。

「宇加治さんはまだ私の存在には気付いておられませんか?」
「ええ、今日はホテルの方でトラブルがあったようで。部屋に篭って対応なさっているみたいです」
「それは都合が良い」

 宇加治氏の部屋は雪さんの部屋の向かい。窓から覗いたとしても見つからない正面側の部屋だ。まだ当分は猶予がありそうだ。だが、出来るだけ早く見つけなくては。
 お辞儀して下がる志賀さんにもう一度お礼を述べて、行儀が悪いとは思いながらもおにぎりを口に押し込んだ。良い塩加減のおにぎりだな。ゆっくり食べている時間も勿体無いと、三つ並んでいたおにぎりを五分で食べきった。バスケットにはご丁寧にお茶まで付けてくれている。爽やかな緑茶を喉に通して、早速捜索を再開した。

「おめぇ、何やってんだ!!」
「ひっ!?」

 再開してすぐに怒鳴られた。今褒められる事はしていても怒られる事はしていないと思う。声の方に顔を向けると、口元の伸びた髭とハンチング帽で顔の分からないつなぎの男が、こちらに凄い勢いで走ってくる。

「人の庭に何してんだ、こらぁ!!」
「ちょ、誤解です! 僕は探し物をしているだけで!!」
「探し物だぁ? ……あれか、指輪を探しに来たって奴か」
「そうです、そうです!」

 掴まれた胸倉がぱっと離された。良かった、ぶっ飛ばされるかと思った。でもこの人意外に小柄だな。僕と同じくら、いやいや、僕より小さいね!

「けっ。探してるからって、荒らしたら承知しねぇぞ。……探しても無駄だと思うがな」
「え?」

 聞き返した時、男はもう既に庭の奥へと足を進めていた。あの格好から見て、庭師だろうか。確か、稲葉さん。稲葉恭一朗さんだったと思う。昨日の志賀さんとの話でこの家の人の名前は教えてもらったからな。
 木村さんに続いて無愛想というか、こちらは口が悪い。だけどあの人がこの庭の手入れをしていると思うと、複雑な気持ちになるな。

「……探そ」

 探しても無駄、という言葉の真意は分からないけれど、僕は探す為にここに来ている。荒らさないように自分の仕事を全うするだけだ。


 だがしかし。日が暮れる頃になっても、指輪は疎かチェーンさえ見つける事ができなかった。

 

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