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異世界レストランガイド

巫夏希

特別メニュー:チョコレートフォンデュ

 甘い香りが鼻孔を擽る。
 それがカカオの香りだと気が付いたとき――俺は今日がバレンタインデーであることを察した。

「もしかしてアカリに呼ばれたのってこれが原因か……?」

 原因、というのは少々大袈裟にも思えるが、まあ、致し方ない。
 それにしても今日は寒い。カップルが大勢居る気がするのも、そのバレンタインとやらのせいなのだろう。
 異世界とゲートが繋がって、この世界には異世界の文化がたくさん入ってきた。
 その一つともいえるのがバレンタインである。
 恋人と触れ合う日だとかどうとか言われているが、そんなことはどうだっていい。
 とにかく俺は、アカリの約束に間に合うようにしなくてはならないのだ。
 そう思うと、少しだけ小走りで道を進んでいく。




「遅いわよ、かーくん」

 アカリはクラウドカフェにて待っていた。クラウドカフェはいつもよりカップルが多く、少しだけ居心地が悪い。

「どうしてここまで呼んだんだよ?」

 俺は外套を脱ぎながら、アカリに訊ねる。
 アカリは笑みを浮かべながら、ある場所を指さした。
 そこにあったのは――茶色の山だった。
 否、正確に言えば頂点から滝のように流れるチョコレートだ。
 チョコレートファウンテン――それが、アカリの指さした場所に完成していた。

「驚いたでしょ?」

 アカリの言葉に俺は頷く。
 アカリは話を続けた。

「バレンタインデー限定で、このお店、チョコレートファウンテンをやるんだって言っていたの。それを思い出したからよびつけたわけ」
「……それだけか?」
「バレンタインデーに女が一人でチョコレートフォンデュとか、悲しくなるでしょう?」
「そういうもんか」

 そう言いながら、俺は立ち上がる。もうすぐにあのチョコレートフォンデュを食べたい――俺はそう思っていたからだ。相変わらず現金な男だと思う。



 チョコレートファウンテンの大きさは、テーブルに乗っているから若干補正はあるものの、俺の頭くらいまでの高さになる。立派なものだ。
 チョコレートファウンテンのわきには果物がたくさん置かれている。バナナ、キウイ、リンゴ等。それに、スパゲッティに……スパゲッティ?

「あら、知らないの?」

 慌てていた――少なくとも俺はそう思わなかったが、どうやらアカリの目にはそう映っていたらしい――俺を見て、アカリは言った。

「何でも、異世界の……どこだっけ、『エウロパ』とか言うところではこれが有名らしいわよ? もっとも、そこで有名な『チョコレートパスタ』というのはこのようなタイプではなくてチョコレートをパスタに練りこんだタイプになるけれどね」
「ふむ……。そうなのか」

 未だ世界には俺の知らないことがあるらしい――いや、実際には『異世界』では、ということになるのか。一度はその世界にも出向いてみたいものだ。
 バナナを金属の棒で刺し、俺はそれをチョコレートの山に――否、滝にそっと添える。
 バナナは滝行をするように、チョコレートにコーティングされていく。
 完全にチョコレートを纏ったバナナを、そのまま口に放り込んだ。
 ううん、おいしい。
 文句なしの美味さだ。このチョコレート、やはり高級な雰囲気がする。いや、そう思っているのは別に雰囲気の問題からではない。カカオの風味が……なんというか、コクがある。普通のチョコレートに比べて、そのコクが段違い、と言えばいいだろうか。ああ、言葉がまとまらない。そんなことよりチョコレート食おうぜ! とバナナが言っているみたいだ。
 いや、バナナ。お前は食われる立場なのだよ。そう思いながら、俺はお待ちかねのスパゲッティを棒に巻き付けていく。
 スパゲッティ――チョコレートに和えて美味しいのだろうか? 個人的にはこれをこのままミートソースに和えたいものだが……。
 いいや、ここはアカリのおすすめに従うことにしよう。
 さて――スパゲッティ、お前の実力……試させてもらおう!
 そして、俺はスパゲッティを巻き付けた金属棒をチョコレートの滝に添えた。



 結論から言って、完敗だった。
 惨敗ともいえるだろう。
 誰のかというのは、言うまでもない。俺のことだ。チョコレートコーティングされたスパゲッティがあれ程美味いとは。今度家でも試してみることにしよう。

「……いやあ、美味しかったね。また来年、来られたらいいねえ」

 来年もこのイベントがやっていればの話だがね、とは言わないでおいた。
 アカリはこういうところ、神経質だからな。
 ただ俺はそれに頷くだけで――返事をしておいた。
 こうしてバレンタインの夜は――少しだけ優雅に、しかし普通と同じく一定に、過ぎ去って行った。

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