異世界レストランガイド
チーズフォンデュ(前編)
「どうしてこんな暑い日なのに、チーズフォンデュを食べなくてはならんのだ」
俺はぶつくさ言いながら、隣に歩いているアカリに言った。
アカリは俺の不満を軽くスルーして、
「うん? 私と食事をすることがそんなに不満かい?」
「そういうことじゃない……そういうことじゃないんだよなあ……」
問題はアカリと食べる『もの』についてだ。
チーズフォンデュ。
チーズを白ワインで煮込んだ料理のことだ。もともと味の悪くなったチーズをどうにかして食事に利用できないか――と考えた人間によって考案されたものであるが、今はそんなことどうでもいいのか、気前よく新しいチーズが使われていたりする。
それはどうでもいい。
だが、こんな蒸し暑い熱帯夜に、どうしてチーズフォンデュを食べなくちゃいけないのか、それが疑問でもあった。
「……私、言ってなかったけ?」
そう言って、アカリは俺にあるものを見せた。
それはチケットだった。チケットは二枚あって、そこにはこう書かれていた。
『レストラン・ファウンテン お試しチケット』――と。
レストラン・ファウンテン。それを聞いて俺の胸は少し高鳴った。
レストラン・ファウンテンといえば、美味しいチーズフォンデュのお店で有名だ。いや、別にこのお店だけではなくチーズフォンデュはいろんなお店で販売されている。これも、ユニから送られてくるチーズが原因だといえるだろう。
数年前、ユニで大量に余ったチーズをどうにかして消化できないか考えた若い農場経営者はチーズを鍋でとかして、それにワインを追加してみた。するとワインの芳醇な香りがチーズに移り、とてもいい香りとなったのだ。そして、それをパンや野菜につけてみると、そのチーズの濃厚な味が口の中に広がったという。
そこで彼は、閃いた。
この料理を作るお店をだそう、と。
そしてセプターに作ったのがレストラン・ファウンテンだ。当時は小さいお店だったが、チーズフォンデュの味に目覚めた多くの市民が訪れるようになってから、現在の姿になったのだという。
そしてそれの後を追うようにチーズフォンデュ専門店が多く出されるようになった。しかし、それでも、味が一番なのはファウンテンだろう。一度ファウンテンには訪れたことがあるが、味に見合った値段だ。正直モンスター狩りで得たドロップアイテムの換金だけで食べられる代物ではない。
「あんたがまたファウンテンに行きたい的な話をこの前聞いたから、チケットを手に入れたのよ」
「すごいな……」
相変わらず、アカリのつながりはすごい。
いったいどこからそれを手に入れたのか――と聞こうと思ったが、それはまあ、食事中でもいいだろう。
「はい、着いたわよ」
そう言ったアカリの声を聞いて、俺はそちらを向いた。
そこにあったのは、服屋だった。
防具屋ではない。服屋である。
服屋と防具屋の違いは細々と存在しているが、大きく分けて言えることは一つ。守備力の高い装備が置いてあるのが防具屋、それに対して服屋はおしゃれな服が置いてある店である。
「なんでここなんだ……? 俺はてっきりファウンテンに連れて行かれるものかと……」
「あんたねえ……。ファウンテンはフォーマル装備ポイントが70以上じゃないと入れない、って知ってた?」
そもそもフォーマル装備ポイントなんていうパラメータがあることを知らなかったので、俺は首を横に振る。
そのあと、くどくどとアカリから聞いた情報を簡単にまとめると、フォーマル装備ポイントとは、通常の対モンスター装備ではあまりにも低いフォーマルさを数値化したものであるという。俺が今装備している鱗の鎧とズボン、銅の剣に鱗の盾、そしてルビーの指輪ではフォーマル装備ポイントが20にしかならないのだとか。ちなみにそのうち16がルビーの指輪で、残り4つの装備で仲良く1ポイントづつ分けあっているのだという。
「このルビーの指輪はそれなりにポイントが高いからそのままでいいとして……残りは54ポイント以上。まあ、それなりのスーツをしたてあげれば問題ないわよね」
「す、スーツ?」
あまり聞かない言葉に俺は目を丸くする。
「そうよ。私がいつもの格好と違うことに気がつかなかったのかな?」
そう言われてみれば今日のアカリはいつもと服装が違うようにも見える。薄桃色のドレスに身を包んだ彼女は白いポーチを持っていた。頭にはリボンのカチューシャがつけられていて、ワンポイント引き立っている。
「……それで今日は格好が違う、ってことか」
溜息をついて、俺は言った。
アカリの言葉がそれに投げかけられる。
「昔はフォーマルは関係なかったけれど……やはり有名店になったからスタイルを変えたんでしょうね。値段もあんたが最初に行った頃に比べれば跳ね上がっているらしいわよ」
「おいおい、それってマジかよ。聞いてないぞ。……ちなみに相場は?」
一瞬間を置いて、恐る恐る聞いた。
「一食一万エンは余裕で越えるかしら。たぶん」
それを聞いて俺は絶句する。なんだよ一万エンって。俺が普段の食事で使えば四日程は使い切らないぞ。
「あんた、食事は好きなくせに食事にお金をかけようとはしないわよね……。なんでかしらないけど」
「それ、俺の稼ぎが悪いことを知ってて言ってるよな?」
そう。
モンスター狩りなんて、金にならないのだ。
今はこの前ユニでドロップしたゴールデンエッグを換金した分があるとはいえ、これも一週間ほどすればなくなってしまうだろう。
この辺りはただでさえ『親衛軍』によってモンスターが近寄りづらくなっているというのに、モンスターがドロップするアイテムが……その、しょぼいアイテムばかりなのだ。換金しても一日数千エン単位にしかならない。毎月の家賃とか冒険者ギルドの参加費だとか払っていればあっという間になくなってしまう。だから、食費を切り詰める必要があるのだ。
「まあ……別に辛いんだったら私を頼ってもいいのに。別に数万エン単位だったらぽーんと貸せるよ?」
「それは悪いよ。……というか、どうするんだ。服なんて? 俺はお金を持っていないぞ」
「そこで私の出番、でしょ。今回は私が払ってあげるから、ここでスーツとか揃えるわよ!」
……まじかよ。
俺はそれに即座に否定しようと思ったが……なにせ今から行くのは最高級と謳われるチーズフォンデュ専門店だ。ここで拒否すればいつ行けるか解ったものじゃない。
そう思った俺は、アカリの言葉に頷くことしかできなかったのだった。
◇◇◇
「いらっしゃいませー」
カランカラン、と扉についていた鈴が店内に鳴り響く。
ここはさきほどずっと店の前で俺たちが話をしていた服屋である。なるほど、こういうところには初めて入ってみたが、防具屋と比べて違う雰囲気が漂っているのが見て取れる。
「あの、彼に合うスーツをほしいんですけど」
そう言ってやってきたのは男性店員だった。しかし男性にしてはなんだか腰をうねうねと揺らしているようにも見える。というか見ている目つきがいやらしいんだが大丈夫かオイ。
「ふーん……」
そう言って、店員は徐に俺の身体を触り始める。瞬間的に胸、脇腹、腰、肩。最後になぜか股の間にある『モノ』をがしっと掴んで揉み始めたときはもう逃げ出したくなった。
「いいモン持ってんじゃなァい」
その声を聞いて俺はもう危険を感知していた。さっさと逃げたい。逃げ出したい。まるで蛇に睨まれた青蛙の気分を味わっているようにも思えた。
「と、とりあえず……スーツを……」
「あら、そうだったわねフフン」
もう口調はすっかり女性のそれだった。しかし話しているのはイケメンめいた男性であることをお忘れなく。
――誰に向かって忠告しているんだ、俺は。まるで外側の世界に人間が居るみたいな言い方だ。
店員の男性がスーツをもってやってきたのは、それから少し経ったことであった。
試着させてもらったが、予想以上にぴったりだったことには驚いた。
店員さん曰く、
「身体を触るだけで大抵のサイズがわかっちゃうのよフフン」
……どうやらすごい人だったらしい。
たぶんスキルの使い手なのかもしれない。
スキル。
この世界に住む人間なら誰もが持つ、能力のことだ。能力というより、特性なのかもしれない。或いは得意なことなのかもしれない。どちらにしろ、すごいものであるということは確かだ。
アカリはその中でも、情報収集能力とやらに長けている。だから情報屋なんて仕事をやっているのだ。
しかし、俺には――正直なところ何のとりえもなかった。強いて言うなら美味い飯を美味いふうに食べるだけ。それを見ていて、喜んでくれる人がいると思って。作ってくれた人に最大限の敬意を払って。
そうすることで、俺は優越感に浸れる。自己満足と言われても当然かもしれないが。
「……それじゃ、それください」
……我に返ると、アカリが普通にスーツを買っていた。サイズを合わせたということは、俺のために買うということなのだろうか。
店員はその場で計算して、言った。
「三万八千エンね」
三万八千エン……俺の食費の何週間分だろうか。ともかく、すごい金額であることは確かだ。
「あ、はい。それじゃ」
そう言ってアカリは紙幣四枚――その全部が一万エンの紙幣だ――を店員に手渡した。
店員はそれを数えて確認すると、カバンから紙幣二枚――こちらは二枚とも千エンの紙幣である――を差し出した。
そして俺にスーツを手渡す。
「感じからするとこれからフォーマルなお店に行くっぽいけど、どうする? ここで着替えていく?」
その言葉にアカリは頷く。
えっ、ちょっとアカリさん? 話聞いてます? 俺の話を、意見を聞かずに話進めてません?
店員はウキウキとした表情で、
「それじゃ、試着室へ案内するわねッ! さあさあ、行くわよォ!」
四の五の言わさずに、俺をそのまま試着室へと連れて行った。
俺の絶叫を聞きながら、アカリは笑みを浮かべて手を振っていた。
あいつ、鬼だ。
そう思いながら、俺はその光景を、アカリが遠ざかっていく光景を、スローモーションで見つめていた。
俺はぶつくさ言いながら、隣に歩いているアカリに言った。
アカリは俺の不満を軽くスルーして、
「うん? 私と食事をすることがそんなに不満かい?」
「そういうことじゃない……そういうことじゃないんだよなあ……」
問題はアカリと食べる『もの』についてだ。
チーズフォンデュ。
チーズを白ワインで煮込んだ料理のことだ。もともと味の悪くなったチーズをどうにかして食事に利用できないか――と考えた人間によって考案されたものであるが、今はそんなことどうでもいいのか、気前よく新しいチーズが使われていたりする。
それはどうでもいい。
だが、こんな蒸し暑い熱帯夜に、どうしてチーズフォンデュを食べなくちゃいけないのか、それが疑問でもあった。
「……私、言ってなかったけ?」
そう言って、アカリは俺にあるものを見せた。
それはチケットだった。チケットは二枚あって、そこにはこう書かれていた。
『レストラン・ファウンテン お試しチケット』――と。
レストラン・ファウンテン。それを聞いて俺の胸は少し高鳴った。
レストラン・ファウンテンといえば、美味しいチーズフォンデュのお店で有名だ。いや、別にこのお店だけではなくチーズフォンデュはいろんなお店で販売されている。これも、ユニから送られてくるチーズが原因だといえるだろう。
数年前、ユニで大量に余ったチーズをどうにかして消化できないか考えた若い農場経営者はチーズを鍋でとかして、それにワインを追加してみた。するとワインの芳醇な香りがチーズに移り、とてもいい香りとなったのだ。そして、それをパンや野菜につけてみると、そのチーズの濃厚な味が口の中に広がったという。
そこで彼は、閃いた。
この料理を作るお店をだそう、と。
そしてセプターに作ったのがレストラン・ファウンテンだ。当時は小さいお店だったが、チーズフォンデュの味に目覚めた多くの市民が訪れるようになってから、現在の姿になったのだという。
そしてそれの後を追うようにチーズフォンデュ専門店が多く出されるようになった。しかし、それでも、味が一番なのはファウンテンだろう。一度ファウンテンには訪れたことがあるが、味に見合った値段だ。正直モンスター狩りで得たドロップアイテムの換金だけで食べられる代物ではない。
「あんたがまたファウンテンに行きたい的な話をこの前聞いたから、チケットを手に入れたのよ」
「すごいな……」
相変わらず、アカリのつながりはすごい。
いったいどこからそれを手に入れたのか――と聞こうと思ったが、それはまあ、食事中でもいいだろう。
「はい、着いたわよ」
そう言ったアカリの声を聞いて、俺はそちらを向いた。
そこにあったのは、服屋だった。
防具屋ではない。服屋である。
服屋と防具屋の違いは細々と存在しているが、大きく分けて言えることは一つ。守備力の高い装備が置いてあるのが防具屋、それに対して服屋はおしゃれな服が置いてある店である。
「なんでここなんだ……? 俺はてっきりファウンテンに連れて行かれるものかと……」
「あんたねえ……。ファウンテンはフォーマル装備ポイントが70以上じゃないと入れない、って知ってた?」
そもそもフォーマル装備ポイントなんていうパラメータがあることを知らなかったので、俺は首を横に振る。
そのあと、くどくどとアカリから聞いた情報を簡単にまとめると、フォーマル装備ポイントとは、通常の対モンスター装備ではあまりにも低いフォーマルさを数値化したものであるという。俺が今装備している鱗の鎧とズボン、銅の剣に鱗の盾、そしてルビーの指輪ではフォーマル装備ポイントが20にしかならないのだとか。ちなみにそのうち16がルビーの指輪で、残り4つの装備で仲良く1ポイントづつ分けあっているのだという。
「このルビーの指輪はそれなりにポイントが高いからそのままでいいとして……残りは54ポイント以上。まあ、それなりのスーツをしたてあげれば問題ないわよね」
「す、スーツ?」
あまり聞かない言葉に俺は目を丸くする。
「そうよ。私がいつもの格好と違うことに気がつかなかったのかな?」
そう言われてみれば今日のアカリはいつもと服装が違うようにも見える。薄桃色のドレスに身を包んだ彼女は白いポーチを持っていた。頭にはリボンのカチューシャがつけられていて、ワンポイント引き立っている。
「……それで今日は格好が違う、ってことか」
溜息をついて、俺は言った。
アカリの言葉がそれに投げかけられる。
「昔はフォーマルは関係なかったけれど……やはり有名店になったからスタイルを変えたんでしょうね。値段もあんたが最初に行った頃に比べれば跳ね上がっているらしいわよ」
「おいおい、それってマジかよ。聞いてないぞ。……ちなみに相場は?」
一瞬間を置いて、恐る恐る聞いた。
「一食一万エンは余裕で越えるかしら。たぶん」
それを聞いて俺は絶句する。なんだよ一万エンって。俺が普段の食事で使えば四日程は使い切らないぞ。
「あんた、食事は好きなくせに食事にお金をかけようとはしないわよね……。なんでかしらないけど」
「それ、俺の稼ぎが悪いことを知ってて言ってるよな?」
そう。
モンスター狩りなんて、金にならないのだ。
今はこの前ユニでドロップしたゴールデンエッグを換金した分があるとはいえ、これも一週間ほどすればなくなってしまうだろう。
この辺りはただでさえ『親衛軍』によってモンスターが近寄りづらくなっているというのに、モンスターがドロップするアイテムが……その、しょぼいアイテムばかりなのだ。換金しても一日数千エン単位にしかならない。毎月の家賃とか冒険者ギルドの参加費だとか払っていればあっという間になくなってしまう。だから、食費を切り詰める必要があるのだ。
「まあ……別に辛いんだったら私を頼ってもいいのに。別に数万エン単位だったらぽーんと貸せるよ?」
「それは悪いよ。……というか、どうするんだ。服なんて? 俺はお金を持っていないぞ」
「そこで私の出番、でしょ。今回は私が払ってあげるから、ここでスーツとか揃えるわよ!」
……まじかよ。
俺はそれに即座に否定しようと思ったが……なにせ今から行くのは最高級と謳われるチーズフォンデュ専門店だ。ここで拒否すればいつ行けるか解ったものじゃない。
そう思った俺は、アカリの言葉に頷くことしかできなかったのだった。
◇◇◇
「いらっしゃいませー」
カランカラン、と扉についていた鈴が店内に鳴り響く。
ここはさきほどずっと店の前で俺たちが話をしていた服屋である。なるほど、こういうところには初めて入ってみたが、防具屋と比べて違う雰囲気が漂っているのが見て取れる。
「あの、彼に合うスーツをほしいんですけど」
そう言ってやってきたのは男性店員だった。しかし男性にしてはなんだか腰をうねうねと揺らしているようにも見える。というか見ている目つきがいやらしいんだが大丈夫かオイ。
「ふーん……」
そう言って、店員は徐に俺の身体を触り始める。瞬間的に胸、脇腹、腰、肩。最後になぜか股の間にある『モノ』をがしっと掴んで揉み始めたときはもう逃げ出したくなった。
「いいモン持ってんじゃなァい」
その声を聞いて俺はもう危険を感知していた。さっさと逃げたい。逃げ出したい。まるで蛇に睨まれた青蛙の気分を味わっているようにも思えた。
「と、とりあえず……スーツを……」
「あら、そうだったわねフフン」
もう口調はすっかり女性のそれだった。しかし話しているのはイケメンめいた男性であることをお忘れなく。
――誰に向かって忠告しているんだ、俺は。まるで外側の世界に人間が居るみたいな言い方だ。
店員の男性がスーツをもってやってきたのは、それから少し経ったことであった。
試着させてもらったが、予想以上にぴったりだったことには驚いた。
店員さん曰く、
「身体を触るだけで大抵のサイズがわかっちゃうのよフフン」
……どうやらすごい人だったらしい。
たぶんスキルの使い手なのかもしれない。
スキル。
この世界に住む人間なら誰もが持つ、能力のことだ。能力というより、特性なのかもしれない。或いは得意なことなのかもしれない。どちらにしろ、すごいものであるということは確かだ。
アカリはその中でも、情報収集能力とやらに長けている。だから情報屋なんて仕事をやっているのだ。
しかし、俺には――正直なところ何のとりえもなかった。強いて言うなら美味い飯を美味いふうに食べるだけ。それを見ていて、喜んでくれる人がいると思って。作ってくれた人に最大限の敬意を払って。
そうすることで、俺は優越感に浸れる。自己満足と言われても当然かもしれないが。
「……それじゃ、それください」
……我に返ると、アカリが普通にスーツを買っていた。サイズを合わせたということは、俺のために買うということなのだろうか。
店員はその場で計算して、言った。
「三万八千エンね」
三万八千エン……俺の食費の何週間分だろうか。ともかく、すごい金額であることは確かだ。
「あ、はい。それじゃ」
そう言ってアカリは紙幣四枚――その全部が一万エンの紙幣だ――を店員に手渡した。
店員はそれを数えて確認すると、カバンから紙幣二枚――こちらは二枚とも千エンの紙幣である――を差し出した。
そして俺にスーツを手渡す。
「感じからするとこれからフォーマルなお店に行くっぽいけど、どうする? ここで着替えていく?」
その言葉にアカリは頷く。
えっ、ちょっとアカリさん? 話聞いてます? 俺の話を、意見を聞かずに話進めてません?
店員はウキウキとした表情で、
「それじゃ、試着室へ案内するわねッ! さあさあ、行くわよォ!」
四の五の言わさずに、俺をそのまま試着室へと連れて行った。
俺の絶叫を聞きながら、アカリは笑みを浮かべて手を振っていた。
あいつ、鬼だ。
そう思いながら、俺はその光景を、アカリが遠ざかっていく光景を、スローモーションで見つめていた。
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