三題小説第二十三弾『海』『依存』『田園』タイトル「珊瑚の娘」

山本航

後編

 単調な揺れと、走行音が連続する。
 弁当を食べながら、特急の車窓から風景を眺める柘榴を眺める。私の向かいの席で目を丸くして風景にくぎ付けになっている。同時に口へと食べ物を運ぶが、ぽろぽろとこぼれていた。
 大きなフードコートを被った柘榴は明らかに悪目立ちしているが、珊瑚の頭を晒すよりはマシだろう。
 私の隣の席では慶次郎が舟を漕いでいる。

「どちらかにしたらどうだ?」

 私も思わず笑みがこぼれる。これほど好奇心を刺激されている人間は見世物小屋にもそういない。

「壮太郎さん。あたし、こんなの乗るの初めてです」
「それはもう十回は聞いたよ」
「それにこんなに美味しいものを食べるのも初めて」

 何の変哲もない弁当だ。白飯に梅干し、卵焼き、佃煮、焼き鯖、蓮根、沢庵。それほど酷い食生活を送っていたのだろうか。

「すき焼きは美味しくなかったのか?」

 何の事かしらと柘榴は首をかしげる。

「ほら。私達の家に初めて来た時に食べた肉だ」

 合点がいった様子で目を輝かせる。

「美味しかったです。でもこの弁当の方がもっと美味しい」
「変な奴だな」と慶次郎が言う。

 慶次郎を見ると目を瞑ったまま、にやりと口元を曲げていた。

「よく寝ていたな」
「まだ寝るつもりだよ。兄貴はもっと寝た方が良いと思うぜ」
「慶次郎は弁当食べないの?」

 柘榴が預かっていた弁当を掲げて弟に尋ねる。

「食いたきゃ食っていいよ。俺は腹空いてねえし」

 慶次郎の返事を聞くや否や謝意も言わずに柘榴は弁当を開け始めた。私はそれを取り上げる。柘榴は小さな悲鳴を上げて私を睨みつけた。

「まだ自分のが残っているだろう。先にそれを食べなさい」

 柘榴は自分の膝の上に乗っている弁当の存在に気付き、また食べ始めた。

「ところでこ本当にM海岸が柘榴の故郷なのか?」と、慶次郎がのたまった。
「何の話だ」
「浩作に言ってたじゃないか。柘榴の故郷の海に目星をつけたって。M海岸だって」
「そんなものは口から出まかせだ。時間稼ぎになるかも分からん」

 さすがの私も呆れて言う。

「じゃあ俺達はどこに向かっているんだ? 本当の目星は付いているのか?」
「いや、知らないさ。だから知っているだろう人の所に行く」
「誰だよそれ」
「麒麟男。千治だ」

 え? と、柘榴と慶次郎が同時に言う。

「勘違いするな。ただ尋ねに行くだけだし、柘榴の事は知らせない」
「不自然だろう。どうやって言いくるめるんだ?」
「その時までに考えるさ」

 柘榴は不安な表情をこちらに向け続ける。

「心配しなくて良い。柘榴があそこに戻る事は二度とない」
「はい」と、電車の走行音に負けそうな声で柘榴は呟いた。


 しばらくして慶次郎はまた眠った。柘榴も二人分の弁当を食べ終え、飽きずに風景を見つめている。

「そうだ。まだ謝っていなかったな」

 柘榴がこちらを向いてきょとんとする。

「父の事だ。すぐに気付いてやれなくて」

 気付いたところで何もできなかった。

「別にいいです。あんなの慣れっこです。千治さんに比べたら。慶次郎が一度お父さんを殴った時すかっとしました」

 そう言って柘榴は悪戯っぽく笑う。胸の奥がちくちくと痛んだ。

「別に柘榴がお父さんと言わなくても良いんだ」
「気に入ろうが気に入るまいがお父さんはお父さんです」
「それは、そうかもしれないけど」

 本当ににそうなのだろうか。

「憎んではいないのか?」
「いいえ。でもそうしなければ生きていけなかったと思いますから。千治さんにせよ、お父さんにせよ」

 私にせよ。誰かに依存する事に慣れきっているのではないだろうか。私にそれを断ち切る事は出来るだろうか。その毒は時に甘い。
 柘榴は物思うように視線を右左と動かした。

「お母さんを一度も見ることなく出てきてしまいました。心残りです」
「まあ仕方ないさ。どの道会えなかったと思う。母は肺の病でね。滅多に人には合わないんだ」
「そうなんですか。あたしとは反対ですね」
「反対? 柘榴は健康そのものってことか? まあそうだろうけど」

 それだけ食べれて不健康な人間などそうそういない。

「違います。あたしは人に見られるのが仕事だったから」
「そういう事か。見られる、か。あのダンスは素晴らしかったよ。心からそう思う」
「ありがとうございます。あ!」

 柘榴の目が見開く。その瞳も若干赤みがかっている事に気付いた。

「どうした?」
「そういえば小屋に壮太郎さんが来た時、壮太郎さん、あたしを子供だって言った」
「そうだったか? いや、すまない。しかし色つきの照明で目算が狂ったのだろう。しかし一心不乱に
踊っているように見えたが、客の声が聞こえていたんだな」
「その直前に慶次郎があたしをからかったから、嫌でも耳を向けてしまいますよ」
「それもそうだ」

 走行音に負けない声で二人して笑った。
 電車はN県S市に近づいていく。


 駅に着いた時にはとっくに日も暮れており、祭も終わっていた。
 村とは違い大きな祭だったのだろう。そこここにお祭り騒ぎの残滓を感じる。まだ閉めていない露店もある。道路はごみで散らかっており、残飯狙いの野犬がうろついていた。酔っ払いが電柱にもたれかかって寝ており、そうでなくともあちらこちらへとふらついている。

 目星を付けていた公園に麒麟児興行社の見世物小屋を見つけた。

「慶次郎と柘榴は駅で待っていてくれ」
「はあ? 俺も行くに決まってんだろ。どうせあいつも親父を憎んでるんだ。何されるか分かったもんじゃないぞ」
「柘榴を一人で置いていく訳にはいかないだろう」慶次郎が口を挟もうとするが、「それに、お前一人で行っても聞き出せるとは思えない」と言うと納得した。

 見世物小屋も閉店したようだ。明かりが消えている。しかし中に人の気配がする。柘榴の話によると人数が変わっていなければ十一人がいるはずだとの事だ。

 私は名を名乗りつつ外から呼びかける。中で慌ただしく人の動きが起きた。
 誰かが怒鳴り、誰かが泣きべそをかいている。
 数秒たってもう一度呼びかけようとすると、鉄のマスクをかぶった男が顔を出した。

「これはこれは旦那。こんな所まで一体何の御用で?」

 その声は大の大人のそれだが、怯える子供のように震えている。

「千治さんを呼んでください。話したい事があります」

 表情は読めないが、声の震えから察するにマスクの男は緊張していているようだ。

「へえ。しばしお待ちを」

 そう言うとすぐに引っ込んだ。中で千治を呼ぶ声がする。何やら言い争っている様子だ。そして麒麟男の千治が長い首の上の変わらない髭面を覗かせて辺りを見回した。背の高さを補う程に腰が低い。

「いやいや、壮太郎君。こんな所までやって来て私に話したいとは一体全体何の御用で?」
「その様子だとここにいるんじゃないですか? どうやって連れ出したのか知らないですけど返してもらいたい」
「へ? いやいや何の話です? 誰がいるというのです?」
「柘榴です。ここにいるのでしょう」
「いやいやここにはおりませんよ。何です? 失踪したのですか?」
「金を持って逃げました。事を荒立てるのは最終手段として、まずは心当たりを探しに来たという訳です」

 千治がもう一度辺りを見回す。さぞ遠くまで見えるのだろう。夜目が利くのかは知らないが。

「ん? あの秘書はおらんのですかい? お一人で?」
「浩作ですか? いえ、彼は来ていませんが。それが?」
「なんだい。脅かしやがって」

 急に尊大な態度になった。どうやら柘榴を貰い受ける『交渉』は浩作が行ったらしい。
 近くにいるという事にしておけば良かったと後悔する。

「それで柘榴? 来てない来てない。来てても教えませんがな」

 少し思案するふりをする。

「それなら他に柘榴が行きそうな所は知りませんか? たとえば柘榴が引き上げられたという海は? どちらの港に引き揚げられたのです?」

 千治は遥か高みから値踏みするような目つきで見下ろす。

「そもそも教える義理がないですな。柘榴を手放したのは大きな痛手なんですよ。言ったでしょう? 稼ぎ頭だって。大損ですわ」
「そこを何とか。何なら見つけた暁には柘榴を引き渡しますよ。最悪金さえ戻れば良いのです」
「いりませんよ。手癖の悪い女を置いとくわけにはいきませんからね。どうしても必要なら我々で探します。大体そもそも今の話が本当かどうかも分かったもんじゃない」

 僕は大仰に呆れたという身振りをする。

「そこを疑いだしてはきりがないでしょう」
「この際はっきり言わせてもらいますがね」そう言って千治が長い人差し指で私を指す。「私はあんたの父親の人間性が大っ嫌いなんですよ。金を借りた恩がありますからね。決して無碍にはしませんが。あんたは違う」

 父を好いている人間などそうはいない。浩作はそうだろう。他にいただろうか。

「私とは関係ないでしょう。ましてや今回の事とは」
「あんたには金を借りちゃいないからね。あんたの父親やあんたみたいな人間が一番大嫌いなんだ」
「千治さん。少し落ち着いて」
「知ってますか? 今あんた、父親にそっくりですよ」

 次の瞬間には己の血が全て沸騰したような気分になった。目の前にある全てのものに怒りを覚える。私はほとんど無意識に懐に隠し持っていたナイフを取り出して振り上げ、目の前の肉の壁に振り下ろす。が、すんでの所で刃は止まった。
 千治が声も出せずに後ろに倒れる。私の腕が後ろにいる誰かに掴まれている。慶次郎だった。

「落ちつけ兄貴。殺しちまったら聞けやしないぞ。ナイフを寄越せ」

 私は無言でナイフを慶次郎に渡す。そうして地面に這いつくばる千治を見下ろす。

「千治さん。教えてください」

 私の声は震えている。怒りと悲しみによって。
 千治は身を庇うように長い腕を盾にして、やはり震える声で言った。

「柘榴を受け取ったのはKの港だ。そこの沖合で引き揚げたと聞いた。そんな事を柘榴が覚えているとも思えんがね」
「行こう。慶次郎」

 私達は振り返り、柘榴の元へ戻る。

「くたばれ! クソども! 売女の息子が! 知ってるか!? あの女もあの男が俺から買い取って行ったんだ!」

 また私の体が私の意識の制御を離れた。駆け戻り、千治を蹴りつける。顔を胸を腹を。慶次郎が無理やり引っ張っていくまで。何度も何度も。


 足早に駅へと向かう。人通りはもうほとんどない。

「馬鹿な事をしてくれたな、兄貴」
「すまん」

 それ以上は言えなかった。

「柘榴の故郷の海が分かっただけでもよしとするさ。しかし通報されるかもしれねえ。急がなきゃあな」
「柘榴は?」
「すまん。駅においてきちまった」

 中心地である駅の周りは居酒屋も営業しているし、明るく人通りもある。
 そこには見覚えのあるフォードがあった。

「さすが浩作。仕事が早い」

 私は舌打ちの後にひとりごちる。
 フォードの前には背筋をぴんと伸ばした浩作と、浩作に腕を掴まれて抵抗できそうにない柘榴の姿があった。浩作が深々と頭を下げて言う。

「お待ちしておりました。お二人を連れ戻すよう仰せつかっております」
「今度は俺達を連れ戻すよう命令されてきたってわけか?」
「左様でございます」
「どうするよ兄貴。もちろん浩作相手に力づくは諦めてくれよ」

 私は黙って浩作を見ていた。
 彼の父に対する忠義と世の中に対する正直さを疑った事はないし、これからも疑うことはないだろう。浩作は嘘をつかない。しかし問われない限りは必要に応じて隠し事をする人間だ。

「父は二人を連れ戻せと命じたのか」
「はい。仰る通りでございます」

 私は浩作を見、柘榴を見た。柘榴はぽかんとして一人一人に視線を向けている。

「誰と誰だ?」

 慶次郎が私と浩作を何度も見比べる。

「は? え? どういうこった?」

 浩作は淡々と言葉を紡ぐ。

「慶次郎様と柘榴様を連れ戻せ、と」
「はあ? 兄貴だけ勘当だ? 兄貴だけ置いてこいってのか? 何だそりゃ。何でそうなる」
「いえ。壮太郎様を連れ戻すな、とは命じられておりませんので自己判断で連れ戻すつもりでした」
「だからどうしてそうなるんだよって話だよ」
「旦那さまのご判断については私の身に余ります」

 私は、何か言い返そうとする慶次郎を制して浩作に言う。

「他に何かあるのか?」
「はい。ご報告があります。奥様がお亡くなりになりました」

 血の気が引くように感じた。全身に悪寒を感じる。

「は? 嘘だろ?」

 浩作は嘘なんてつかないんだよ慶次郎。

「前に話した時は普通だったぞ?」

 最近はかなり弱っていたんだよ慶次郎。

「だけどそれが兄貴だけシカトするのとどういう関係があるんだよ」
「これに限らず」と私は割って入る。「父さんの考えはいつも突拍子もないだろう慶次郎」
「それはそうだけどよ」
「潮時だな。二人は帰れ」

 そう言うと慶次郎が私の顔を覗き込むようにして言った。

「本気で言ってるのか?」
「ああ」

 慶次郎は一しきり私の顔を子細に眺めると深くため息をついた。

「分かった。帰るわ。浩作。せめて兄貴に車を置いて行ってくれ。もうほとんど金が残ってないんだ」

 浩作は押し黙る。いくつもの考えが頭の中で競合しているのだろう。

「分かりました。では電車で」
「壮太郎さん」

 柘榴がすがる様な目で私を見つめる。
 私は何も言えなかった。達者で、とは口が裂けても言えない。
 三人が見えなくなるまでその後ろ姿をずっと見ていた。柘榴は何度も何度も振り返って、何事かを言っている。
 姿が見えなくなると私はフォードの座席に乗り込んだ。ハンドルにもたれかかり、真っ暗な駅前を見つめ、世の中を呪った。


 どれくらいたっただろう。実際はそれほど長い時は経っていないはずだ。しかし嫌に長く感じた。
 突然ドアが開き、柘榴と慶次郎が荷物を詰め込み、後部座席に座った。

「ど、どうやったんだ?」

 我ながら最初に疑問を持ったのが浩作から逃走する事だとはおかしな話だ。
 柘榴も慶次郎も息を弾ませ、二人して笑っている。

「出発直後に飛び降りてやったよ。ざまみろだ」
「危ない事をしたな」
「まあな。兄貴がこうして欲しそうな顔してたからな」
「ありがとう。慶次郎」と私が言うと、
「ありがとう」と柘榴も言った。
「どういたしましてだ。さあ出発しようぜ」
「ああ」

 笑いながら胸に手を抑えて息を整える柘榴を一しきり見ると、私はハンドルと向き合った。
 エンジンをかけてブレーキを踏む。クラッチペダルを中間まで踏み、ハンドレバーを立てる。ブレーキを離しつつ、クラッチを踏みこむと。フォードは滑るように駅から離れていった。



 市街地を抜け、山越え谷越え車は走って行く。

 柘榴は助手席に座り、目を輝かせて風景を一心に楽しんでいる。慶次郎は、後部座席で横になりいびきをかいて眠っている。
 数分走るごとにあれは何ですか? これは何ですか? と柘榴に尋ねられる。その度にこれはトンネルだ、あれは肥溜だ、と答える。

 昼過ぎから降り始めた雨は夕方になっても一向にやむ気配が無い。
 薄暗い景色の中で看板や地図を何度も何度も見比べた。どうやら今夜の内にKの港に到着しそうだ。
 ある杉林を越えると、車の中にあって潮の匂いを感じた。

「海の匂い」と、柘榴が呟いた。
「覚えてるのか?」

 そう言うと柘榴の視線を感じた。何かおかしな事を言っただろうか。

「思い出したんだと思います。今までずっと忘れてました。とても懐かしい匂いです」
「懐かしい、か。正直なところ半信半疑だったが。本当に海に、少なくとも海の近くに住んでいたんだろうな」

 こつん、と柘榴の頭の珊瑚が窓ガラスに当たった。

「壮太郎さんと、慶次郎はずうっとあの屋敷に住んでいたのですか?」
「ああ、生まれも育ちもずっとあの村だ」
「お父さんとお母さんとずうっと一緒」

 柘榴は寂しげに呟いた。
 何が言いたいのかは分からないが、何を考えているのかは分かる。

「母は私の実の母ではないよ。慶次郎の母だ」

 だから、本当の所は慶次郎の方が深い悲しみに襲われているはずだ。そんな素振りは少しも見せないが。

「てっきり逆なのかと思いました。壮太郎さんの母で、慶次郎の母ではないのではないかと」
「そうか。柘榴にはそう思えたか」
「はい。壮太郎さんの方が悲しんでいるように思えました」

 私は苦笑した。柘榴をまだ子供と思っていた私が子供だったのだろう。

「気に入ろうが気に入るまいが母は母だからな」

 柘榴はその言葉の意味を頭の中で右へ左へと転がしているようだった。
 さらに暫く走って私たちの車は目的の場所、目的の港に辿り着いた。
 生憎の雨で生憎の夜だ。

「どうする柘榴。雨が止むのを待つか。それとも夜が明けるのを待つか」

 私自身はより長く引き止められるなら何でも良かった。

「日が昇るのを待ちましょう。すぐにお別れは辛いです。慶次郎はまだ寝てますし」
「うん」

 車を叩く雨の音が耳の奥でこだまする。慶次郎の寝息は静まり返っていた。前の座席は寝るには余りに窮屈だ。このまま朝まで起きているか。しかし睡魔は容赦なく私を夢の中へと引きずり込もうとしている。
 ふと柘榴の方を見ると、柘榴もこちらを見つめていた。

「泣いてます?」
「うん」
「何が悲しいんですか?」
「君との別れだ」
「私もです」

 私は手を伸ばし、柘榴の手を握る。冷たい手に皮膚と鱗の感触を感じる。

「あの時、君は家にいたくないと言った」
「はい」
「でも、海に帰りたいとは言わなかった」
「はい」

 指と指を絡ませる。私の手まで冷たくなってきた。

 海の世界に思いをはせる。それは竜宮城のような様子であったり、井戸の底のような黄泉の国を思わせる様子であったりした。
 別に地上にいたのでは死んでしまうというのでもあるまい。十五年もの間地上で生活していたんだ。

 気が付くと柘榴も眠りに入っていた。指から力が抜けている。

 私はもう一方の腕を伸ばし、柘榴の頭の珊瑚に触れる。硬く艶々している。
 私は姿勢を戻して寝に入ろうと努める。とりとめもない考えが泡のように浮かんでは消える。
 どこへ行こう。仕事はどうしよう。慶次郎にはどう切り出そう。どこで暮らそう。何をしよう。父に言う機会は訪れるだろうか。浩作は追ってくるだろうか。私は。柘榴は。


 日の出は背後からやって来た。朝に気付く少し前に、私の手の中に柘榴の指を感じない事に気付く。
 一つ伸びをして隣を見るが柘榴はそこにいない。身を乗り出して車の外を見渡す。砂浜で誰かが犬と共に走っている。地元の子供のようだ。

 後部座席を見ると、そこに慶次郎はいなかった。

 私は車を降り、辺りを見回す。遠目に見える港にいくつもの舟が停泊しており、漁師らしき人達が行き交っている。海の向こうにも何隻か舟が見える。
 他には誰もいない。

 柘榴は別れも言わずに海へと帰ってしまったのか?

 私は車に戻り、何か見落としていないかともう一度中を見る。誰もいない。何もない。本当に、何もない。そこにあった荷物も、全て。

 もう一度辺りを見渡す。もう一度車の中を見る。血の気が引いて行くのを感じる。
 柘榴がいない。慶次郎もいない。私の知らないうちに去って行った。私の知らないうちに心を通わせて。

 私は見知らぬ海岸で孤独だった。

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