つのつきのかみさま

きー子

異界の時代/11

 ざわ、と動揺の波が水面下で秘めやかに波立った。残るESSFの面々はそれをあからさまに浮かべることはないが──だが、動揺していることは明らかだった。立て続けに、ふたりがやられた。運命共同体とすら言い表せよう同朋が、それこそほとんど一瞬のうちに。動揺しないわけがなかった。特に"キャリア"にその心の動きは顕著だった。
「くそったれ────」悪態づきながら思わず血の臭いが色濃い方を一瞥するが、"キャリア"もまた安穏としていられるわけはない。錫髪のつのつきの攻め手は奇妙であり独特であったが、実際的に巧みだ。片手には柄の短い槍があり、もう片方の手には比較的小型の"角笛"がある。制式三型"角笛"──小型化を施された最新鋭の呪具であり、出力は絞られるが取り回しに優れ、そして速射性は以前のものよりずっと高い。両手を武器で埋めた異形の仕手は、しかし確実に"キャリア"の行く手を追い詰めてもいた。
"キャリア"の手の中で鈍く重い銃声が唸る。隙あらば迫りきて命を貫こうとするその槍を阻むかのごとく、前方を掃射。すでに数の上でさえ劣勢とはいえ"ゴースト"がよく抑えてくれている。取り囲まれて嬲り殺しになるような有り様にはなっていない──少なくとも、まだ。"撤退を考えろ"不意にIRC上で"ボマー"のSay発言が踊る。正気か、と"キャリア"は考える。ここまで好きにやられていながら。
 そう思いながら、"キャリア"は敵手を忌々しく思う気持ちがないことに気づいた。別に珍しいことではなかった。気の進む殺しなど、それこそ片手の指で十分に事足りる。つまりESSFの仕事の大半は、気の進まない殺しであり……今回もまた、そうだった。あるいは、今回は取り分け気が進まなかったというべきか。なにせ、厭戦の感をただよわせるのが"キャリア"だけではなかったのだから。"死体を回収する"。気付けば"キャリア"はそんなSay発言を送っていた。"正気か?"すぐさま"ボマー"のReply返事を受信する。
 ああ、全く正気だとも。"キャリア"はひそかにつぶやいた。それは戦場において狂気以外のなにものでもない感情の発露であったが、"キャリア"はそれを正気と考えて疑わない。この上なく抑圧されてきた正気が、相次ぐ死によって、蓋を無理やりに押しのけてこようとしている。"仲間"の遺体を、どうして異郷に捨て置きたいと考えるだろうか。"考えなおせ"その瞬間にも"ボマー"の美点はいかんなく発揮されている。つまり、今生きている部下を最優先にするという部隊長にとって最高の美点であり、最上級の資質だ。そして"キャリア"は、その資質を裏切ることになる。最悪のかたちで。「俺には、俺の命は、安すぎるんだ」少なくとも、あいつらの遺体よりもずっと。"キャリア"は不意に駆け、真っ向から飛来する漆黒の角笛の投射を肩に食らう。予想外の暴走であったのだろう、狙いがそれている──傷は浅い。"キャリア"はそのまま"スラッシュ"の骸にまでも辿り着き、"内的世界インナー・スペース"に遺体をすっかり収めてしまった。本来、生き物のたぐいを収納することはできない"キャリア"の超常能力だったが──雨に打たれ続けた遺体はすでに冷たく、それはもう生きてはいない。ものである。もののために命を張る自分はやはり狂っているのかもしれない、と"キャリア"は考えた。構いはしない。
「馬鹿が……」"ボマー"はうめいたが、しかし"キャリア"の命を諦めることはしなかった。"キャリア"が全てに諦観を抱いているのとは裏腹に、彼は不屈であり、タフだ。壁のように真っ直ぐと駆け抜ける爆撃が"キャリア"と漆黒のつのつき、そして銀角のつのつきの間を全く遮断してしまう。"キャリア"は錫髪のつのつきに専念すればよい。そして当然、"ボマー"は気づかざるをえない。あるべき姿が見つからない。雨が降りしきる闇夜の空に、がさがさと茂みの音がふと響く。"ボマー"はそれを見上げるまでもなく、宙空から火山の噴火めいて吹き上がる爆撃を叩きこんだ。
 誰かなど知れている。白鑞のつのつきだ。間近に垣間見る彼は腕に奇妙な機械細工じみた篭手をつけており、その姿のどこにも"角笛"を持ちあわせてはいない。つまり、白兵戦に特化しているのだ。狂っている、と"ボマー"は言わざるをえなかった。蛮族どもは槍を引っさげて襲ってきたが、奴らはいわば、未開なだけだ。ただ、軍事の要請する段階に技術がまるで達していないという、それだけのこと。なのに目の前のつのつきは、あまりにも呆気無く射程距離という強力な武器を切って捨てている。
 遥か遠方から、音すらも届かない超遠距離射撃が"ゴースト"から撃ち込まれる。白鑞のつのつきはそれに応じて、弾丸を槍で叩き落とした。超人的と言わざるをえない技量であった。そして同時に、とても指揮官向きとは思われない資質でもあろう。ゆえに"ボマー"は、白鑞のつのつきと相対しながら──なおも生き残る術を考えている。つまり、いかに"キャリア"を生かすか。
「──どうして」まさに"キャリア"が相対する、錫髪のつのつき。彼女は漆黒の角笛の援護を受けながらに、ぽつりといった。「どうしてこうなったのかと、考えることがあります」「意外だな」"キャリア"がすっとぼけた調子でうそぶくが、視線は剣呑極まりない。続けざまに彼は"リキッド"へと向かっていたが、錫髪のつのつきの続けざまの投射がそれを許さなかった。「わからないことなどなにも無さそうな顔をしている」"そんなことない"瞬間、"キャリア"はぞっとした。脳内IRCに、1:1一対一の専用回線が開かれている──強制的に。表示されているIDはSUZU。電子的には何の手がかりもないだろうに、いったいどうしてハッキングを受けるなどと考えられよう。それに"キャリア"の脳髄にインプラントされた端末のセキュリティは万全だった。当たり前だ──彼の頭の中には一国を根底から揺るがすような機密情報が山のように詰めこまれている。
"なんのつもりだ"と"キャリア"は応射しながらいった。"あなたがひどい人に、見えないのです"奇遇だな、俺もそうだ。そういう代わりに"キャリア"は引き金をひいた。錫髪のつのつきはそれを全く予期していたように回避行動を取る。そこを狙いすましたように"ゴースト"が狙撃する。着弾。だが、咄嗟に反応していたのかとてもではないが致命傷とはいえない。だが、それでも彼女の動きを緩めるくらいの効果はある。"キャリア"は一気にその場を飛び出し、戦場を駆け抜けるようにして"リキッド"の元へとたどり着く。喉元に突き刺さったままのナイフを放り、また彼女の死体をも"内面世界"へと収納した。瞬間、錫髪のつのつきの放つ呪力投射がまともに"キャリア"の脇腹に撃ちこまれた。肉がごっそり持っていかれるが、作戦行動に差支えのない範疇だ。
 手向けがいる、と"キャリア"は思い、空っぽの手元に六連装ミサイル・ランチャーを引き出した。携帯にはとても向かない代物だが、一点もので攻めるものならこういうものを無理やりに携帯するのも悪くない。そして"キャリア"は、立て続けに地獄の弾頭を発射した。ふたつは錫髪のつのつきに届くことなく撃ち落とされた──またふたつを、彼女を援護する漆黒の角笛が撃ち落とした。だが、全ては殺しきれまい。"思い過ごしだったようだな"と、"キャリア"はうそぶき、さらに引き出したアサルトライフルをフルオートで全弾叩きこんだ。叩きこまれてきた訓練に相応しくない扱いだったが、構いはしない。弾頭はあえなく地面に着弾し、四散するかたちで周囲に爆風と鉄片をまき散らした。それは"ボマー"の爆撃とは異なり指向性を持たない、無作為で無秩序な破壊の権化であった。直撃は免れたようだが、関係はない────。
 瞬間、臓腑の奥から鉄の味がこみ上げる。"キャリア"の口腔から、どぼっと赤黒い塊が吐き出された。遅れて訪れる痛みに気づく。爆煙の晴れた向こう側、傷だらけで立ち尽くす錫髪のつのつきが、かかげた"角笛"の筒先を真っ直ぐ"キャリア"に向けていた。"────どうして"錫髪のつのつきが、にわかに表情を歪める。おやおや、これは意外なことだ、と"キャリア"は倒れ込みながら思った。彼女はもっとドライな人格と見ていたというのに。
 それを口にしようとしたが、もはや"キャリア"は声を出すことができなかった。後から出てくるものは血塊ばかりだ。全くもっていやになる。"さてな。皆は知らない……だが……"Replyはない。もはや彼女が受信しているかどうかもわからない。そのIRCは、単に"キャリア"を惑わすための一手に過ぎなかったのかもしれない。"おれは、あんまりにも……疲れた。ここまで耐えられたのは……あいつらがいたからだが"彼は淡々として続ける。"やつらが死んだとき、思ったわけだ……止め時だ、とな。"ボマー"にはわるいが……"そのまま、ゆっくりと"キャリア"の意識は遠ざかっていく。流れでた血の量はあまりにも多い。血とともに、"キャリア"の"内面世界"に格納されていたものが次々にあふれだす。携帯食料、ありとあらゆる武器、弾薬、医療品、日用雑貨、その他諸々、つまらない娯楽品──そして、枯れることもなく季節も土壌も無視して咲き誇り続ける桜の枝木。はらはらと、血に濡れた花びらが雨に打たれてこぼれ落ちていく。そして最後に、"スラッシュ"と"リキッド"の死体が零れた。彼らはまるで折り重なるか、あるいは抱き合うようにして倒れた。黄泉路までも付き添うように。"わるくはない気分だ。少なくとも、殺すよりは……"そして、"キャリア"は息絶えた。"────おやすみなさいませ"
 Replyはなかった。錫髪のつのつきは雨に打たれる桜の枝木を拾い、懐へと仕舞いこんだ。それが嵐に濡れ、傷めつけられてしまわぬように。

 そして白鑞のつのつきと"ボマー"の死闘もまた、佳境へと突入していた。"ゴースト"の援護射撃はいよいよ白鑞のつのつきに注ぎ込まれていたが、それを捌き続ける技量たるや全く化け物じみているとしか言いようがない。ただの身体能力や反射神経、そして探知能力だけならばまだしもだが──白兵戦に特化したその姿は、全くもって伊達ではない。「────ッ」三人だ。三人がすでに死した。それでいてなお"ボマー"は爆撃を敢行する。指向性の爆撃が白鑞のつのつきに真っ直ぐ向かい、しかしそれを予期していたように交わしてみせる。同心円上の爆撃もまた同じこと。大きく飛び退るように機動して爆風から逃れ、あるいは"ボマー"の視界から逃れるようにして巧みな奇襲を実行する。必殺の槍を手に。
 撤退すべきだとアラートを鳴らす心中で、しかし報復を叫ぶ内心が警告を全く抑えつける。理由などいうまでもない。"ボマー"にとって最優先すべきは部下の命であり、つまるところ守るべき命がある限りはそれを徹底して逃走も迷うこと無く考慮に入れるべきであった。言ってしまえば、"スラッシュ"がやられたとき、撤退を決定づけるべきだったのだ。しかし、戦の激的な流動性はそれをよしとはしなかった。今となっては悔やまれるばかりだがもう遅い。なればこそ、"ボマー"は報復攻撃を止めることがない。ほとんど二重に発する爆撃が地面をめくり上げ、木々を遍く薙ぎ倒す。それは"ボマー"自身の身体を危険に晒すことだが、同時に"ゴースト"の狙撃が一層精度を高めるということでもある。そういった危険性を"ボマー"は全く無視する。
 彼にとっての最重要事項とは、何を置いても部下の命であり──つまり、彼自身の命ではないのだから。絶対に死ぬことはありえないと信頼している"ゴースト"は別にすれば、もはや撤退の二文字はありえない。そして"ゴースト"がその意を具申することがないことも、またわかっていた。"おまえ一人でも撤退するんだ"と、"ボマー"はIRC上で言い含める。"……"それに応じるのは、"ゴースト"の無言、ではない。無言の抗議だ。だが、"ボマー"はそれを受け入れなかった。"ゴースト"もまた、行動から抗議の意を示すことはない。狙撃が止まることは一秒たりともありえない。
 遠い銃声、そして槍のように真っ直ぐと飛来する銃弾。それを後方に跳んで躱す白鑞のつのつき。いまだ、と"ボマー"は直感して踏み込んだ。即座に前方への爆撃を展開する。それはさながら突き進む壁のようであり爆破の津波ともいえようもの。嵐にさえをも匹敵する災厄であり、巻き込まれればなにがあろうとも圧殺は免れ得ない。他の三人のつのつきさえ対処せざるを得ない破壊規模であり、白鑞のつのつきに至っては爆心地も同然だった。
 空間が爆ぜるまさに瞬間、白鑞のつのつきが──踏み込んだ。前へ。ただ、前へ踏み出す。巻き起こる爆風に真っ向から突撃する。狂っているとしか言いようがなかった。腕の機械細工から熱された蒸気が不意に噴出し、つのつきをさらに強引に加速させる噴進装置の役目を果たす。槍の柄尻にもまた同様の機構が組み込まれており、圧倒的な加速度を得た白鑞のつのつきが直進する────爆風の向こう側から、爆煙を突っ切って、来る。"ゴースト"の狙撃が迎え撃つ。だがそれを無造作に切り払い、なおも煤と灰にまみれた白鑞が迫り来る。視線がかち合う。無言の交錯。"ボマー"は咄嗟に拳を打ち出した──ナイフを引き抜く時間さえも惜しまれて、それは実際的に功を奏した。拳のぶち当たったところから小爆発を起こし、その一撃は白鑞のつのつきの胸元をまともにえぐった。わずかな偏りで心の臓から逸らされたが、それでも尋常であるならば即座に戦闘不能へと追いこめるほどの傷だ。
 しかしその代償は大きかった。胸元を突き抜けていった角の槍に、"ボマー"の心臓を持っていかれたのだ。それはあまりにも大きすぎる代償だった──少なくとも、戦闘行為を無理やりに続行するには。
 そのまま、"ボマー"の屈強な身体が倒れこむ。もはや虫の息だ。すでに生命力だけで生き延びているも同然であり、すぐにその命もまた尽きることだろう。助かる術は、万にひとつも、ない。
 白鑞のつのつきはゆっくりと振り返り、そして今まさに力尽きようとしている"ボマー"を見た。彼は以前見たときと変わらない泰然とした表情で、ぼろぼろにされながら怒るでもなく──"ボマー"の手を取り、その巨体をなんとかして引きずっていった。なんのつもりだ? 思わず"ボマー"はいぶからずにはいられなかった。もはやほとんど麻痺した感覚に、なにか柔らかく暖かなものが伝わってくる。なんとか動く首だけを横に向けて、気づいた。先に逝った三人の骸が、そこにあった。共に逝かせてくれるというのなら、なんとも慈悲深い話である。"ボマー"は諧謔的にそう言おうとしたが、もはや口はまともに動かなかった。"ボマー"はゆっくりと顔だけをあげ、そして白鑞のつのつきに向かってウィンクした。
 白鑞のつのつきは、まるでお返しのように硬貨を置いた。あの時、"ボマー"が手渡しした1$硬貨であった。
「これは、返したい」傷だらけのつのつきが、息のあがった様子で、しかし決然としていった。「こうはならないことを願いたかった」
 全くだ。"ボマー"は肩をすくめ、そのコインを受け取った。思わず、笑った。死に際だってのに律儀なことだ、と思った。
「また」
 ああ、またな。俺には、行くところがあるから。"ボマー"は考え、ゆっくりと目を閉じた。"ボマー"は死んだ。

 最後に残るは、ただひとり。"ゴースト"。絶対不可侵の超常能力者であり、それはつのつきの探知能力をもってしても絶対に探知することはままならない。
 彼の能力は極めて単純だ。言うなれば隠密系の行き着く果てであり、極地とも呼べよう代物。透明化なんてちゃちなものでは断じてなく、消音や消臭など児戯にも等しい。そんな能力では断じてありえない。"世界からの消失バニシング"。この世界から、完全に消えて無くなること。この世界に存在しなくなっているのにも関わらず、世界に干渉する能力を有していること。その能力は、至極簡潔にあるひとつの怪奇の性質をあらわしていた。すなわち、"ゴースト"と。
 ところが、彼が干渉できる範囲は極めて狭い。すなわち、自分の手に触れているもの。干渉できる力も限られている。つまりは、知らぬ間に敵を絞め殺したりするようなことはできない。しかしそんな手間は必要なかった。引き金ひとつ引くことができればそれでいい。引き金を絞り、吐き出される弾丸があれば、世界はあらまほしく変革される。
 だが、その力もいまや虚しい。彼の力は彼の存在を絶対的に守るが、一方で他の誰かを守ることは絶対に出来ない。ただ弾丸で、敵を打ち倒すことでしか。つまりそれがままならなければ、彼の力はなんにもならない。つまるところが、攻め手というものに決定的に欠けている。
 しかし、他の四人の生命反応がアウトしてなお、"ゴースト"に反応らしい反応は見られなかった。ただ、彼は消失したままにつのつきへの肉迫を敢行した。どれだけ距離を詰めてもその存在が気づかれることはなく、探知をゆうゆうとくぐり抜けて仲間たちの元へとたどり着く。仲間のように、あるいは家族のように生死を共にした仲間のもとへと。"ボマー"から最期に伝えられた言葉は、もちろん忘れていない。大切な仲間のいった言葉を忘れるわけがない。ただ、それをみんな守る必要はないというのが"ゴースト"の思うところだった。
 そのまま"ゴースト"のちいさな手が、すでに動かなくなった仲間たちの骸へと触れる。"ボマー"。頼れる皆のまとめ役で、足りない所を見つけてはそれを埋めていくのが異常なまでに上手。大きい身体のわりに細かく、時にそれは偏執的でさえあった。"キャリア"。心配性でどうしようもなく陰気で、おまけにNerdオタクだけれども、一番優しい。"リキッド"。部隊にただひとりの女性で、しかし不思議とそれを思わせないしたたかさ。それでいて女性らしさを損なわないふしぎ。"スラッシュ"。お調子者で、皮肉屋で、はっきりいって性格は一番悪いけれども一番たのしいひと。
 そうやって、雨に打たれて冷たくなった骸に触れているうち、なにか熱いものがこみ上げてくる。"ゴースト"にはそれが何かはわからなかった。ただ、頬を濡らす雨粒とともに熱いものが流れていった。いつしかとうに"世界からの消失バニシング"は解除され、"ゴースト"の姿は忽然と──そして唐突に、つのつきたちのど真ん中に出現していた。
 必然的につのつきたち四人に包囲されている状況で、しかし"ゴースト"はうろたえもしない。困惑とともに四人が見守る最中、"ゴースト"も立ち上がってまた彼らを見返した。
「みんなは」枯れた声が、喉をついた。つのつきたちの表情が、にわかに驚きを浮かべていた。「わたしの、だから」"ゴースト"のちいさな腕が広げられる。こうして見れば、それはまるっきり、子どもだ。どちらとも判然としない性別に、そして小柄だ──とても成人のそれとは思われないほどに。「だから、いくね」"ゴースト"は四人の骸に寄り添う。「……どこにだ?」白鑞のつのつきが問う。「どこにでもない」"ゴースト"は即答した。「ずっといっしょにいられるの」白鑞のつのつきはいぶかったが、錫髪のつのつきはどこか──諦めたようだった。まるで"キャリア"の諦観を内包しているかのごとく。彼女は静かな微笑をたたえ、ゆっくりと頭を垂れた。「……おやすみ、ね」「うん」"ゴースト"が、四人をぎゅっと掻き抱くようにする。「ばいばい」
 そういった瞬間、彼らはすでに掻き消えていた。"ゴースト"の力による、完全な消失。それは骸の四人をともに連れ去り、自身もまた行ってしまった。どこでもない、そしてここでもないどこかへ。
 ────この日を境に、ESSFの消息は完全に断たれた。彼らが姿を現すことは、二度となかった。

 ────しゃん、と涼やかな音色が鳴り響く。どこかふらふらと頼りない足取りは、脚で歩くという行為に全く慣れていないためのものだろう。だが、それは今の状況を見れば全く不釣り合いなものであると言わざるをえない。
 なにせ少女は世界の"裂け目"を眼前にしており、"裂け目"のはべる"赤土の辺獄"に至るためにはありとあらゆる自然の脅威を乗り越えてこなければならなかった。ただ歩くこともおぼつかないひとりの少女に、どうしてこんな土地にまで辿り着く由縁があろうか。
 誰もが不思議に思うだろうその光景に、しかし疑問を呈するつのつきはひとりもいまい。なにせ少女は"神代"と呼び慣わされる神降しの巫女であり──そして今、少女は"神代"でありながらも"神代"でない。つまるところが神そのものといっても過言ではない姿のまま、彼女は泰然としてそこにいる。薄手の祭礼衣装に色気のない外套を羽織った姿はともすればかえって妖艶さを引き立てているようでもあり、しかし"いやらしさ"は全くない。端的にいって美しい──流麗な銀色の髪も、さながら宝玉めいている青空色の瞳も。おぼつかない足取りにしゃんと音が立ち、それもまた世俗離れした少女の神秘性を高めているかのようだった。
 少女は何の気なしに空を見上げて、そこにあるものを見て取る。夜に輝くまばゆい月と、まるで霞のようにゆらゆらと歪み、輪郭がはっきりとしないおぼろげな"ふたつめのつき"。少女はそれを見ていると、そこから見下ろす景色を見ることができた。それは少女が──厳密にいえば少女ではない存在が、永久とこしえにずっと見続けてきた光景そのものだった。
 わたしは、あそこからつのつきたちをみてきたんだ。理屈ではなしにそう思わせるものがあった。"神代"の少女たちは、あれをまさにわたしと思っていたに違いない。もっとも、今わたしはここにいるのだから、あれはわたしではないということになるのだけれど──なんともはや、わけのわからぬ話ではあった。
 だが、そうであればこそ調査団のつのつきたちに"託宣"をくだすこともできた。今や彼女は"月詠"による"予言"を自在にし、つのつきとしての共感覚もまた自在に得ることができる。だから、調査団のつのつきたちがうまくやってくれたことも彼女にはすでによくわかっていた。
「あとはわたしのすべきこと──これは、わたしのすべきこと」
 正直いって、彼女にもそれを惜しむ気持ちはあった。けれども彼女は今、あくまで"神代"の少女の身体を間借りしている存在に過ぎない。彼女はそれをよく自覚していて、なすべきことを終えたあとにはすっかり返してしまうのが筋というものである。彼女はこの身とお別れをする覚悟を決めたあと──また改めて、ふたつめのつきを通して、"此方側"の世界をゆっくりと見下ろした。
 ────これで最後になるかもしれない。わたしのすべきことが終わったあとに、わたしの役目はもうないだろうから。最後くらい、じっくりと見守っていてもいいじゃないか。
 そんなふうに思いながら、しかし彼女はどうしても考えてしまう。まだ終わっていない、という思いに気が散ってしまう。やっぱりみんな終わらせてしまおう、と彼女は改めて考えなおした。ひょっとしたらそれくらいの自由は許されるかもしれない──長年の間に培ってきた楽観的な思考を、脳天気に頭の中でめぐらせながら。
 綺麗さっぱり、片付けてしまおう。禍根もなにも、残らないように。残さないように。
 少女はやっぱりおぼつかない足取りで、何の気無く"裂け目"をくぐりぬけた。見送るものはいない。けれども彼女は寂しくはなかった。本当に多くのつのつきたちが"彼女"のことを思い出して、"聖地"にさえもにわかに流入の動きが起こっているのだ。もっともそれは一過性の働きかもしれないが、"角張網"はよくその歴史を伝えてくれることだろう。彼女はその点、つのつきを──"メーヴェの一ツ角の民"を心底から信頼して止まなかった。
 そして彼女は"向こう側"へ渡った最初のつのつきになり、あるいは"向こう側"へ渡った最後のつのつきともなった。

 ────ふりやまぬあめ、だいちをみたしてそらまでとどけ────。

 一節の舌っ足らずでさえある歌が、"向こう側"の世界を瞬く間に満たした。
 少女の言葉は"予言"でありながら"予言"ではない。決まりきった事象を"予言"しているわけではない。世界はいつも揺らいでいる。天体は絶え間なく動いている。
 少女の言葉に、天体こそが膝を屈して従っているのだ。
 程なくして、しとしとと雨粒がこぼれ始めた。空が泣くかのように、ゆっくりと雫が零れていった。初めはとても穏やかな雨足で、雨は世界を満たしていった。
 雨は次第に勢いを増した。半日ほどしてすでに雨粒は地面をめった打ちにするかのごとく勢いで、青空を灰色の雲が塗りつぶしていった。光が陰り、空が秘される。
 この時すでに、少女の影はこの世界にない。雨は三日三晩、止むことがなかった。

 三十日が経った。雨は降り止まなかった。
 止む気配すらもなく、それどころか勢いはさらに増していくかのようだった。

 三百六十五日が経った。雨は降り止まなかった。

 三年が経った。雨は降り止まなかった。

 三十年が経った。雨は降り止まなかった。

 百年が経った。
 雨は降り続いている。

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