つのつきのかみさま

きー子

異界の時代/9

 遥か古代につのつきを襲った大嵐の再来。そう囁かれるほどにいかんともしがたい悪環境のもと、"安全保障維持軍"はつのつきの国への進軍を開始した。
 つのつきの国は対応に苦慮した。なにより常日頃から天候を読み続けてきた"神代"の座にある少女がしばしの昏睡状態に陥っており、此度の天災に全く対応することができていなかったからだ。いわばつのつきの国は近年まれな内情不安定の状況にあり、その隙を異邦人たちにまんまと突かれてしまった恰好である。つのつき軍の兵数は十分に確保できており、兵站の備えにも問題はなかったが、対応は大いに後手後手に回ってしまっていた。唯一幸いなことがあるとするならば、西方辺境への進軍はあくまで陽動に過ぎないということをつのつきたちが読みきったことだろう。宣戦布告の折から南方辺境を東西問わず強化し、つのつきの調査団は西南辺境で敵軍の秘密部隊を索敵することに成功した。今はそちらに兵を向けさせる余裕などほとんど無いが、当座を凌ぎきることができれば勝ちの目は約束されたといっていい。
 そして最大の難事こそは、狂飆きょうひょうとともに迫り来る"安全保障維持軍"だ。実際問題、異邦人たちの地上兵力は全く大したことがない。この程度なら、千もつのつきがいればたやすく打ち払うことができるだろう。まだ先の交戦のほうがまともな行軍をしていたとすら言えよう。最大の厄介事は、つまるところが────空にあった。
「空を侵すだけでは……まだ、足りぬと?」
 つのつきのひとりが、茫然としていった。少尉の位にある小隊指揮官である彼はさして多くもない手勢を率い、要塞の尖塔に陣取っては"呪術"による守勢に専念していた。なによりもの脅威は空からの一撃を食らわされることであり、それさえ免れるならばつのつきの勝利が揺らぐことは一切ない。そう思えば、どれだけの大雨に打たれようと暴風に吹かれようとも耐えられようもの。吹き荒れる強風にはためく外套を胸元にかき寄せるようにして、そのつのつきは空を見上げた。いや、空ではない。空というべきではないだろう。あんなものは。
 我が物顔で空にはべる、異形の"鉄の鳥"──あるい、もはや鳥と呼ぶのもおこがましい。そんな上等なものでは決してない。あれに比べれば爆撃機も戦闘機もよほど上品なものだ。あれは、空に居座って空の色をすっかり黒く塗りつぶしてしまった。端的にいってそれは、"鉄塊"だった。あんなものが浮いていることこそがこの世の条理から外れており、存在そのものが間違っているとすら断言しよう。実際それは、あんまりにもあんまりな威容だった。
 ────空中浮遊機動要塞"フライング・ロック"。元々は国境近辺の長期偵察飛空船として開発されたそれは、いったいどこで何を間違ったのか。まさに要塞と呼び表すにふさわしい黒鉄の巨躯をほこる、異形にして偉大なる空の王者。その外観はといえば戦闘機に代表される流麗な輪郭フォルムには程遠く、いってしまえば重度の肥大症と肉腫を併発させた気球船のようなもの。それらは全てが物々しい黒鉄で構成されているように見え、眼下にある遍く全てを威圧しているようでもある。装甲ともなる外殻にはまた驚異的な数多の兵器を内蔵しており、機動は鈍重であるために搭乗した兵を降下させて送りこむことも極めて容易。とりわけ爆撃はこの要塞が取り得る戦術の中でも極めて強力で、効果的なものだ────単純な話、通常の爆撃機よりも搭載することのできる爆弾が圧倒的に多いからだった。
 つのつきの守兵たちはほとんど絶え間ない呪力の投射を"フライング・ロック"へと撃ちこみ続けているが、はっきりいって効果は薄い。かの機動要塞が強固な装甲を有していることもあるだろうが、よりにもよって災害でつのつきたちが弱っているところを狙われたのは痛かった。呪力容量プールは平時よりも明らかに低下していて、さらに"神代"の少女が病に臥せっていることも拍車をかける。今やつのつきたちの信仰の大部分を担っているといってもいい"神代"の少女は、ことつのつきたちにとって絶対的な存在だ。つのつきの国のほんの一領主に過ぎないとはとてもでは思えないほどの影響力を有しており、流布する姿絵などを数えてみればそれこそ夥しい量にもなろう。彼女の不在は戦術上なんら問題にもならないが、戦略上においては決定的な陥穽にさえなり得る。それでもいまだ要塞上空に至らしめることなく押しとどめているのは、さすがの奮闘と賞賛すべき快挙だった。
 唯一の弱みはやはり、"フライング・ロック"の鈍重さにある。ゆえにつのつきは徹底的に、数で押す。一切の絶え間ない呪力の投射が、ほんのわずかだが"フライング・ロック"を押し返す。そしてそれでもかの機動要塞は単純な歩みを止めはしない。地上戦はすでに膠着状態へと陥っている──下手に兵を退かせれば敵手からなだれ込んでくる可能性は少なからずあり、守勢に増員を回すことはままならない。
「この手が届くならば」
 じかに槍を叩きこんでやれるというのに。少尉のつのつきは呻くようにいった。それならば一撃で勝敗を決せられる。"フライング・ロック"がどれほどの装甲を、防御力を有していようと同じことだ。"角の槍"は遍く全てを貫きせしめる。そこにはただのひとつの例外もない──その槍がつのつきの手によって振るわれる限りは。
 もちろん、そんなものは無いものねだりに過ぎない。甘えと弱音が許される状況ではない。各々は携帯する"角笛"を構え、絶え間なく射撃を続ける。時に総員が協力して一点集中を試みたりするものの、焼け石に水だ。涙ぐましい努力と言わざるをえまい。
 時折り不意を打つようにして、"フライング・ロック"からの爆撃が開始される。籠をひっくり返したように凶悪な雨が降り続く中、爆撃を余すところなく探知するのはひどく精神を削る作業であった。つのつきはそれでも懸命に連携し続け、爆弾を全て空中で仕留めていく。爆発した鉄片が周囲に四散して"フライング・ロック"までも巻き込むものの、以前の"鉄の鳥"──爆撃機のような末路は全くもって期待できそうにない。なにせ機動要塞がどれだけの爆風に晒されようと、なにひとつ動じる気配すらうかがえないのだから。
 泥沼の様相を呈する戦況に、つのつきたちは少しずつ追い詰められていく。時折りの爆撃はいわずもがな、何より止むことのない雨と大風が深刻だった。爆弾を余さず探知するためには複数人の観測が必要不可欠であり、観測役の配置を削って順番に休憩を取らせる提案は危険性が極めて高いゆえに却下された。致し方のないことだった。疲労が蓄積されていくことは承知のうえだが、それでも甚大な被害を生む可能性を野放しにするわけにはいかない。
 それほどにつのつきが身体を張り、命を削る一方──"フライング・ロック"は全くそうではない。搭乗者が雨風に悩まされる心配は全くない。機体そのものとて燃料を用いて動いているのであり、つまり燃料が続く限りはいくらでも機動する。つのつきが千人単位でいてようやく払い出せる労力を、"フライング・ロック"は決して多すぎない資源によって無化することができる。
 ごうん、と"フライング・ロック"が不吉なうなりをあげて要塞の上空に肉迫した。そこに来たとき、つのつきは爆撃のみならず機関砲の斉射にまでも晒されることになる。そうなれば一巻の終わりだ。前もって破壊したいことはやまやまだが、外殻に覆い隠されていてはそれさえもかなわない。
「────かみよ」
 ひとりのつのつきが、堪えがたいようにうめく。空を見上げる。そこにいるはずの──そこにいるのだと語られた神に、つのつきは縋る。他に縋るものなどなにもなく、また縋ったとてどうにもならないのだとしても。なおも呪力の投射を続ける。"角笛"を掴む手から、握力が失われてしまいそうになる。もはやこれまでか。ごうん、と空で機動要塞が唸りを上げる。もはやそれは、数多の地獄を孕んだ悪魔にさえも思われた。
 ──しゃん。
 振り続ける雨の中、ふいに場違いな音が聞こえた。それは雨音の真っ只中でさえもよく響く、玲瓏とした鮮烈な音色。少尉のつのつきのみならず、手勢のつのつきたちもまた一瞬聞き惚れてしまったようだった。意識が揃ってそちらに向くも、さすがというべきか、すぐに気を取り戻したように彼らは反攻を再開する。
 ────しゃん。
 音は鳴り止まない。それどころか近づいてくる。雨の中、まるでその音だけが世界から切り取られたかのように鮮やかだった。少尉のつのつきはその音がなにかを思い出していた。角飾り。そして鈴の音。"角張網ネット"上で幾度ともなく耳にしたそれを、どうして知らないわけがあろうか。一瞬気づかなかったほうが不思議なくらいだった。だが、思い至らないのも無理はない。その艶めく音色を振りまく主は、今このようなところにいるべきではない。いるはずがないのだ。
 ──────しゃん。
 角飾りが揺れ、肌に重なって、落ちる。かすかな軽い足音が近づいてくる。後方がにわかに騒々しい。そのような状況ではないだろうに、と少尉のつのつきは"角笛"をかかげた。不可解ではあるが、しかし不思議と勇気づけられたような心地がしたのだった。引き金を、ことりと落とした。投射された呪力が、甲高い金属音を立てて外殻の端をえぐりとった。
「な……?」
 不可解なまでの効力だった。何か特別な弱点でもあるのかと思われたが、そんなはずはなかった。狙いはほとんど先程から同じであり、少しでも有効打を与えるために一点を狙い続けているのだ。かといって少しずつ内部から崩れているような様子は、これっぽっちも無かった。突如として呪力の出力が増したようにしか思われぬほどの威力であった。だが、構わない。軍人に大切なのは考えることではない。ただやることなのだ。効果的ならば、立て続けに撃ち続けるべきだった。ことりと、引き金を落とす。手勢にもまた命じながら、一斉に。外殻の最外層に、ちいさな穴が穿たれる。ちいさくとも、決定的な傷が。
 ────────しゃん。
 その瞬間、それは鈴の音を引き連れて要塞の下層階から上階へと駆け上がってきた。足元はひどくおぼつかなくて、まるで夢遊病患者のそれだった。にも関わらず足取りはしっかりとして、足場を踏み外して転げ落ちてしまうようなことは決してない。そのつのつきは薄手の衣装にすっぽりと黒い外套を羽織っていて、見ればなかなか上品な装いに見えた。今は洪水のような雨水にまみれて見る影もないが、おそらくはさる令嬢に違いあるまい。少し幼いきらいはあったが、それもまた永遠を象徴する美しさの範疇といえようもの。濡れた銀の髪がなおも艶めいてこぼれ、青空のような瞳と少尉のつのつきの目があった。そして少女は、彼にうっすら微笑むと、脇をすり抜けるみたいにして瞬く間に尖塔を駆け上った。頼りなく思える風貌とは裏腹に、それは全く迷いのない行動だった。
 一方で、少尉のつのつきにはおびただしい困惑が生じた。その手は"角笛"の引き金を落としながら、しかし頭の中では疑問が怒涛のごとく渦巻いている。
 ──今のは"神代"の方ではあるまいか。
 そう思った瞬間にも、瞬く間に共有化された情報が"角張網"を通じて流れこんでくる。見たのはどうやら少尉のつのつきだけではなかった。つまり幻覚のたぐいではないということだが、かえってますます疑問が深まったようにも思える。これほど危険な戦場に、どうして彼女が出張ってくるのか。要塞守将のつのつきは"聖地"のつのつきと接触を試みているようだ──国の重要人物を安全な場所に確保しておこうというのは、至極当たり前の考えだろう。しかし存外に相手方の反応は思わしくないようだった。いわく、彼女らはあくまで"神代"の少女に付き従うのみであり、その意向に背くつもりはない、とのこと。
 つまり"神代"の少女は、彼女自身の意志でこの最前線に出張ってきたということになる。こんな大嵐の中に、わざわざ。病というのは嘘偽りであったか、と少尉のつのつきは考える。あるいは行方知れずであることをごまかす方便であったのかもしれない。あまり褒められた話ではないが、本当のところを伝えていたら士気はさらにがた落ちしていた可能性は高い。英断と言わざるを得なかった。
 しゃん、と鈴の音が高みに響く。尖塔に至らしめた"神代"の少女が、そこにいた。薄手の祭礼衣装はすっかりと濡れて肌に張り付き、ともすれば艶かしい姿を厚手の外套がしっかりと覆い隠している。彼女は静謐とともに指先を絡み合わせ、空にはべる"フライング・ロック"を見すえる。その姿を、数多のつのつきが見とれたように見つめている。少尉のつのつきはかろうじて"角笛"を繰ることを止めてはいなかったが、呆けているつのつきたちを叱咤するほどの余裕はなかった。
 最も高きところに至らしめ、黒き要塞と相対する"神代"の娘。えも言われぬ神々しさが、そこにある。耳目を向けずにはいられぬとて無理はない。
 そして"神代"の少女は、ひめやかに唇を開いた。雨の中、静かな言葉がつむがれる。
「そらにさばきを。とりにむくいを。────いかずちのやり」
 まるで、謳うように。どこか舌っ足らずでさえある口振りは、まるでしゃべるという行為に親しんでいないかのように。しかしそれこそはまごうことなき"神代"の予言に違いない。しゃん、と角飾りがちいさな音を立てる
 絶え間ない嵐。空を覆い包む暗い雲。雲間を割るようにして、不意に稲光が天に輝く。幾重にも重なる光の筋が、音に先んじて明滅する。
 空がいた。そう思わせるほどの轟天の響きがして、槍が落ちる。言葉の通り、それは、雷の槍だった。空にはべる機動要塞も、しかし彼方の見果てぬ空に比べればまだ低い。まるで狙いすましたように落ちた稲妻が要塞を撃つ。穿つ。貫いていく。十億ボルトにも達する衝撃が"フライング・ロック"の表皮を光の速度で駆け巡り、その外殻をことごとく引き剥がしていく。
 蹂躙する。
 四散した外殻から内面装甲を痛々しげに晒し者にされ、しかし飛行物体はなおも堕ちる気配は全くない。当たり前のことだった。"フライング・ロック"の巨大さたるや空に横渡ること遥か数kmにも及び、一片の殻を剥がされたといえどそれはほんのわずかな傷に過ぎない。"フライング・ロック"の内蔵に飲みこまれた航空機構に損害を与えるには、神がかり的とはいえまぐれ当たりの稲妻一筋ではまるで足りない。しかしその雷は、直接的に"フライング・ロック"を穿った傷より、さらに多くの恵みをもたらしていた。
 つのつきたちが騒然とする。にわかにどよめく。それはもはや少尉のつのつきでさえも例外ではなかった。今この瞬間"フライング・ロック"が爆撃を仕掛けていたら要塞はあえなく半壊していたに違いない──もっとも、そんな余裕があるはずはなかったが。
 数多のつのつきが"神代"の少女を見上げた。数えきれないほどの視線が彼女へとそそがれた。本当に多くのつのつきが、彼女を見た。その神々しさたるや、神秘的な業たるや──それはつのつきたちに兆していたはずの圧倒的な違和感さえも、いともたやすく排他してしまう。なぜ"神代"の少女は今ここにいるのか、なぜこのような奇跡を引き起こすことができるのか。
「そらをおかすもの、ちにおちよ」
 狂騒の極地に達したつのつきたちへと見せつけるかのごとく──その身をもって語るかのごとく、少女は謳う。玲瓏とした声が重なり、それは予言という名の呪術となって天体に作用する。空が二度哭いた。
 一度目からほとんど間を置かないで、立て続けに雷撃の洗礼が"フライング・ロック"に襲いかかる。まぐれ当たりなどというものでは断じてない。極めて正鵠無比でありながらに光速で迫る空の裁きが、機動要塞をまともに穿った。まごうことのない直撃だ。中心部にほど近い外殻が炸裂──四散させ、ぶすぶすと黒煙をあげる内面装甲をあらわにする。
 そしてそのまま止まらなくなった。落雷がとどまることなく連鎖する。"その全て"が"フライング・ロック"を余すところなく射抜いていく。空を征く巨大な物体がはじめてぐらついた。ぼっ、とあちこちから炎が吹き上がり内側の圧力に弾き飛ばされるかのごとく装甲が爆ぜる。
「かみさま」
 宙空に繰り広げられる無慈悲な奇跡。それを目にしたつのつきは、敬い、崇め、そして畏れた。絶えて久しいその名を呼んだ。"神代"の少女であるならばここにいることは不可解極まりない。だが、それが彼女でないならばどうだ。尋常のつのつきを、言葉通りの神の代行者たる"神代"をも超越する存在──それはもう、ただのひとつしかありえない。それがなにものかなど、決まっている。神の代行者が招き、そして引き連れる存在など──"神代"こそが崇め奉るその存在に、ほかならないではあるまいか。その名を、古代のつのつきは、いやというほどに伝えてきたではないか。その名は今になってもなお、"角張網ネット"上にふわふわと漂っている。
「────かみさま」
 その言葉を発したのは誰か。わかるはずもない。少尉のつのつきが知らず知らずそれを口にしていた瞬間、手勢のつのつきたちもまた同様の信仰に見舞われていたのだから。
 その瞬間、"角張網"がにわかに沸いた。"神代"でありながら"神代"の少女でないその姿が、瞬く間にしてつのつきたちの共感覚を席巻した。それは戦場のつのつきのみならず内地のつのつきにまでも一瞬にして行きわたる。脳内の蹂躙と呼ぶのがふさわしいほどに、彼らはそれを否が応でも思い出さざるを得ない。つのつきをつのつきたらしめる"角"を与えたもうたのは果たして誰か。呪術に類するあらゆる力は、その誰かがあったからこそ現存する力ではないか。
 かみさま、とどこかのつのつきが誰にともなくその名を呼んだ。あるいは誰もがその名を口にした。"神代"の不在というつのつきたちの心に根ざした不安が即座に払拭されるとともに、全ての疑問が解消される。彼女がしばらく臥せっていたのは、今この時のためだったのだ。その身に神を降ろさんがために。つのつきたちは全てを理解した──あるいはそれが真実であろうとも、なかろうとも。今のつのつきたちには、それが全てだ。
 減退していた呪術容量プールが、まるで泉のごとく湧き上がる。それは元の値をはるかに超えて天井知らずで上昇していく。内圧のごとく溢れかえる呪力に衝き動かされ、少尉のつのつきはその情動を吐き出すかのごとく引き金をことりと落とした。手勢のつのつきたちがみなそれに続く。数多の投射が"フライング・ロック"を撃つ。
 それはただの一度の斉射であったが、あらわになった装甲には呆気無く十以上のからっぽの穴が穿たれた。また別の隊が投射を続ける。いまだなお健在な外殻がまるで卵の殻のようにぼろぼろと剥がれていく。もちろん、機動要塞の外殻が急にもろくなるわけがない。単純な話だった。呪力投射は呪力容量の向上によって格段に威力を高める──向上の度合いが激しいならば、なおさらに烈しく。
「射て」「ひたすらに」「神に捧げよ!」「結婚してくれ!」「神に供物を!」「かみさま!」「射て!」「────墜ちろ!」
 もはや流れは止まらない。爆撃など懸念する必要さえ微塵もなかった。つのつきたちはほとんど歓声じみて戦意高揚の言の葉を歌い上げる。それに"呪力"の投射が重層的にいくつも重なる。"神代"であって"神代"でない──ただひとりの少女にしか見えない"それ"が、どこか満足気に"フライング・ロック"を見つめている。それは数多の呪いの矢に撃たれ、もはや完膚なきまでにその翼をもがれていた。高度はゆるやかな降下を示しており、もしその巨体が落下しきればつのつきたちにも夥しい被害が出ることだろう。要塞の外殻からは多くの航空機や降下兵が射出されてもいて、つまり彼らはもはや撤退をはかる段階に到達している。
 もちろん、今のつのつきたちは、そんなことは全く構わなかった。がむしゃらに引き金を落とす。無数の投射が要塞を撃つ。穴だらけになった"フライング・ロック"を不沈の要塞と呼ぶものはもういまい。最上級の航空戦力といってもいいそれを叩きのめされた結果、"安全保障維持軍"の地上兵力は完全に士気を落としてしまっている。そこに戦線を敷いていたつのつきが大挙して流れこむ。彼らにもまた"角張網"を通じ、"かみさま"が現れたという情報が瞬く間に拡散していた。戦意は最高潮といって差し支えない。"安全保障維持軍"の地上兵力はそのまま十分と持たずに完全に崩壊した。
 そしてまた、"フライング・ロック"にも引導が渡されるときがきた。
 少女が、秘めやかにかかげた手のひらをひらりと落とす。しゃん、と涼やかな音色が響く。守兵のつのつきたちが、ほとんど揃って"角笛"の引き金を落とした。
 ────それはまるでちいさな太陽のよう。緩やかな墜落を続けていた"フライング・ロック"は、しかし地表に堕ちることさえも許されない。最奥から溢れかえるかのごとき内圧に巨魁がぶわっと膨張したあと、全てがばらばらに弾き飛ばされるかのごとくして爆発四散した。空中を旋回していた戦闘機も、落下傘を頼りにしていた降下兵も、まとめて爆発に巻きこまれ消滅した。骨も残るまい。
 爆風にさいなまれるのはつのつきたちもまた例外ではなかったが、少なくとも甚大な被害をもよおすほどのものではない。それぞれが物陰に隠れ、あるいは胸壁に伏せて飛来する鉄片をやり過ごす。少尉のつのつきもまた、外套を掻き抱いて目をやられないよう目蓋を閉ざす。嵐と爆風の二重苦に苛まれながら、どこからかちいさな声が聞こえた気がした。「くもまよひらけ。────ひかりあれ」どこか舌っ足らずな歌声だった。少尉のつのつきは中々目を開けることもできず、身を伏せってそのままでいる。
 どうにか爆発の余韻をやり過ごすと、少尉のつのつきはすぐに部下の安全確認に走った。"角張網"上で応答のないものもあったが、実際に駆け寄ってみれば息はある。ひそかに胸をなでおろしたあと、彼はふっと尖塔を見上げた。先ほどまでそこにいたはずの彼女の姿を求めて。
 だが、すでに少女はいなかった。忽然として消えていた。
 どこへともなく消えた姿に、幻覚を疑うつのつきもあった。だが、そんなはずはない。そうでなければ、今自分たちは生きてはいまい。少尉のつのつきはそう確信している。そして"神代"の少女の姿は、あまりにもたくさんのつのつきが目撃していた。あまりにも切迫した緊張感をともなって感覚される共有情報が、その全ては夢幻のたぐいでないことを如実に物語ってもいる。
 ふと、"角張網"上に一件のメッセージがポップする。"いかなきゃ"発信元は"神代"の少女であったが、それはあまりに手短で素っ気もへったくれもないものだった。健在であったときの"神代"の少女ならば、よもやこんな一言は共有化するまい。戯れに少尉のつのつきは返事を一件したためる────"どうかご無事で"。否、一件どころの話ではない。すでに溢れかえらんばかりの共有情報が"角張網"に乱れ飛んでいる。
 それらに対する反応もまた、簡潔極まりないひとことだった。"かならずかえる"、"かならずかえす"。それはどこか謎めいた言葉であったが、しかし彼女が無事であることはどうやら疑いようもない事実だ。すでに決着はついた。つのつきたちが、喝采めいて鬨の声をあげる。
 少尉のつのつきが見上げた尖塔のさらに上空、雲間から太陽の光が煌々と顔を覗かせている。
 雨はいつしか、やんでいた。

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