つのつきのかみさま

きー子

異界の時代/7

 命からがら逃げ出した異邦人たちは、おそらくその脚で連邦領へ逃げ込むであろうことが予想された。連邦のつのなしたちと連携して敗残兵狩りを行うこともつのつきたちにはできたけれど、それは最終的に取りやめになった。先の戦場にいた兵員が"安全保障維持軍"の全容であるはずはなく、ことによっては異邦人たちの矛先が連邦に向かう危険が大いにあったからだ。予想だにもしていない大損害を食った異邦人たちがそう考える可能性は、決して低いものではない。できればこれに凝りて"裂け目"の向こう側に帰ってほしいのだけれど、そこまでを求めるのは高望みというもの。"鉄の鳥"と連携しての動きから見るにできるだけ損害を抑えたく思っているのは明らかだったし、これで手土産もなく"向こう側"に帰っていったら大目玉を食うのはわたしにだって予想がつく。つのつきたちが一番厄介に思っているのは長期間の泥沼に突入することで、そうなるとどうしても兵の士気が保ちにくくなってしまう。損害はどうあがいても不可避なものになるし、なにより異邦人たちがどれだけの兵力を有しているのか全くの未知なのが気にかかる。まさか重要な空爆任務にぽんこつをよこしたわけはないだろうから、あの"鉄の鳥"はそれなりの性能を有していたのだろうけれど。
 それももう、わからずじまいだ。なにせ徹底的にやったものだから、"鉄の鳥"は木っ端微塵になって跡形も無い。搭乗者にいたっては骨も残らなかった。
 少なくとも原型が残っている異邦人の死体は、扱いに困った末に首都の傷病院──その地下にある霊安室に保管されることになった。何かのときのために取引材料に使うためだった。"安全保障維持軍"は全くもっていらないだろうけれど、死んだ兵の遺族が絡んでくるならまた話は別。そういう算段だった。問題があるとすればあまりに死体が多すぎて全て保管するのは無理だったし、傷がひどい死体はさらに多かったということだろうか。そういった死体は、みんな焼かれて葬られた。肉を腐らせる前に焚き上げてしまうのが、つのつきなりの唯一の慈悲ということだろう。
 それからしばらく経ったものの、報復攻撃が仕掛けられる徴候はなかった。相変わらず輸送車はしばしば見かけられたけれど経路はみんな人目をはばかるようなものだったし、台数にしたって些細なもの。戦線の拡大を図っているとはとても思えず、あくまでも現状の維持が目的なのだろう。結局連邦を実質的に支配していたのもほんの数日の間でしかなく、連邦は恭順の協定を取り下げてはいないものの実質的な権威の座は時間とともに緩やかに取り戻しつつあった。手酷い傷を負った異邦人たちがつのなしに手当てをされる光景もしばしばあって、それらは嘲りを通り越して連邦のつのなしに憐憫さえも思い起こさせるものだった。そして連邦のつのなしは、口々にささやくのだ。「"内陸の悪鬼"を敵に回してはいけない」その戒めはもう、悪名なのか威名なのかさえも定かではなかった。
 そういうわけで、西方諸国家の大混乱は別にしても、つのつきの国にようやく平和が戻ってきた。辺境付近はまた別だけれど、内地では非常事態といった感じの空気はすっかりと無くなっている。"向こう側"の軍がこんなことになって、あの五人組の異邦人たちはどうなっただろうと、わたしはそんなことがふと気掛かりになるくらいだった。情報提供が無くともつのつきたちならばどうにでもできた、というのは全くわたしの贔屓目なのだけれど、ともかく彼らの警告によってつのつきたちが迅速な対処を行えたのは間違いがない。その責任を問われるのが自然の流れだろうけれど、あるいはうまいこと漏洩を隠し通せただろうか。確かめるすべは、今のところなさそうだった。
 今日もまた、朝からつのつきたちが動きはじめる。今日の空模様は、とても景気のいい晴れ。"神代"の少女による全天的な予報によると────予報は、なかった。
 愕然とした。
 そんなことは、わたしがずっと見守ってきて以来、一度たりともなかった。代々の"神代"の少女は、例え体調がかんばしくなくとも"月詠"の任を真っ当していたのである。わたしは常々しんどいときは休めばいいのにと神妙に思ったものだけれど、いざ実際に彼女が休むなんてことが起きたのなら話は別だった。もちろん、休むなと言うわけでは全くない。ちょっと風邪をこじらせて休んでいるとか、そんなことならぜんぜんいい。風邪はよくないけれど、休みを取るのはいいことだ。少なくとも、"神代"の少女に付き従う神殿のつのつきは公式に"病に臥せっておられる"と発表していた。
 問題は、本当のことがそれよりずっとひどかった時だ。わたしが是非もなく神殿のほうに目を向ける。"聖地"であり"はじまりの地"ともいわれる内地に神殿はあって、そこに住んでいるつのつきはすこぶる少ない。そのほとんどが神殿の関係者か、ほうぼうへの交通を斡旋する御者ぐらいのもの。それも"鉄馬"の影響でずいぶんと減っているから、"聖地"は昔よりもはるかにひっそりとして佇んでいた。わたしはそれを、少しだけさびしく思った。かつては多くのつのつきが──今繁栄しているつのつきの人数に比べれば、ほんの微々たるものだけれど──穏やかな生活を営んでいたなんて、ひょっとしたら信じてもらえないかもしれない。わたしをかみさまとそう呼んだつのつきもまた、確かにこの土地に暮らしていたというれっきとした事実を。わたしは幸い、"はじまりの地の彼女"のことを、いまだにしぶとく覚えていた。
 果たして神殿のほうに目を向けてみれば、"神代"の少女の姿はそこにあった。ほんとうにいつもの通り、空に向かっての祈りを捧げながら彼女はいた。
 思わずわたしは胸を撫で下ろしながら、けれども一瞬のちにもっとおかしいことに気づく──そんなことは、わたしでも気づく。彼女は至ってなにごともなさそうなのに、どうして、"病に臥せっている"なんて虚報を流さなければならないのか? これはあからさまにわけありだった。わたしは改めて"神代"の少女をじっと見守る。
 よくよく見てみれば、全くのいつも通りというわけでは決してない。"神代"の薄衣めいた祭礼衣装はどこかいつもより手が込んでいるにも見え、それは出すところに出せばいつもの彼女よりずっと目を引いたことだろう。もっとも少女の周りには、いつものように静謐を保って警護をする侍従のつのつきしかいないのだけれど。彼女たちの視線はまっすぐに"神代"の少女へと向かっていて、そこにはどこか切実とした気配が感じられないでもない。まるでそこに数少ないよすがを求めるような──すがりつくような目つきだった。それはきっと、今日、少女が見て取ったはずのものと決して無関係ではあるまい。それとこれを切り離して考えるほどわたしは脳天気ではなかった。
 当の"神代"の少女はといえば、向けられる視線さえも意に介さないかのように一心不乱。その口は秘めやかになにかをつぶやき続けていて、わたしにはなにをいっているのか全くわからなかった。言葉なのかもしれないけれど、あまりにささやかなものだからごくごく小さい音としか認識できない。ただわたしは、きれいな音だと思った。それだけは間違いのないことだった。
 少女はきゅっと目をつむり、唇をまっすぐに引き結び、祭壇に膝をついた。揺れる羽衣にひきつれて、しゃん、と角飾りがかすかな音を立てる。銀色の髪をいろどる金色の鈴が涼やかに鳴る。か細いのにすらりと長い睫毛が、ふる、とちいさく震えた。わたしは思わず、ちょっとばかり見とれてしまった。その鮮烈な音色と、流麗な振る舞いに、わたしはなぜか、"はじまりの地の彼女"を見て取った。かつてはこんなにも衣装は洗練されてはいなかったし、完全な清潔さも保ってはいなかったから、わたし自身もそれを連想したのが不思議なくらいだった。
 そのまま"神代"の少女は面差しを全く伏せてしまう。ぴん、と凛々しく空に向けて立った角が頭の上に覗いている。どちらかといえば幼さを思わせる今代の"神代"の少女の姿によく似合う、無垢にさえも感じてしまう純血の白。少女は、さながらひとりのつのつきに過ぎないかのように、目を伏せて、そして秘めやかにつぶやいた。その声はごくちいさなもののはずなのに、なぜかわたしにもよく聞こえた。
 ────くらいくも、そらのとり、かつてのあらし。すぎたわざわいはとおくない。
 聞こえた途端に、震える肉体もないはずのわたしが、急にふるえを覚えたような気がした。もちろん気のせい、あるいはわたしの願望でしかないのだけれど、つまりそれほどの衝撃だったということだ。
 それはどこか謎めいた言葉ではあったけれど、つのつきたちが不可思議なのはわたしにとって今さらだ。彼らがやることなすこと不思議なのはいつだってそうだ。すっかりわたしは慣れていたし、それはなによりの幸いだった。今わたしに伝えられた言葉こそは今朝に"共有化"されるはずだった空模様、つまるところが予言だろう。"神代"の少女が予言したことは一度たりとも外れたためしがないために絶対的で、彼女がそんなことを言い出したら国中が大騒動になるのは想像に難くない。それはたぶん、先の空爆以上の凶報といってもいい。
 救いがあるとすれば、その予言はちょっと──いやかなり曖昧なことだろう。"神代"の少女は例えば空模様といった極めて単純であるがゆえに誤魔化しのきかない予言が多く、あまりややこしい問題について言及することはまずなかった。古代には"月詠"と呼ばれたほどに空模様を読むことに特化していた力だから、というのも大いにあるだろうけれど。
 そもそも"神代"の少女は国の一領主でもあったが、政治的・経済的な働きは彼女の後見人が代行することが大半だ。それにしたって少女の心をある程度汲んでいたことは間違いないだろうけれど、少なくとも戦や軍事に口を出したりするようなことはまずなかった。国の趨勢や行末を語ることも。ひょっとしたら、つのつきたちの営みによって起きることはあんまりに複雑すぎて、ともすれば天体の働きよりも予言することがずっとずっと難しいのかもしれない。ゆえに、そのどちらかといえばふわっとした予言は、天体の働きなどとは違って、回避できる可能性は十分すぎるくらいにある。
 けれども、"かつてのあらし"というのは示唆的だった────ずっとずっと昔の、わたしもすっかりと忘れかけていた嵐のことを否が応でも思い出させる。今となっては嵐のひとつやふたつで動じるつのつきたちではないけれど、再来の予言というのはなんとはなしに不気味だ。手を貸す必要があるかないかといえば、無いような気もする。だってつのつきたちはすでに嵐に類する災害を強靭な街の壁によって克服していたし、崩されるようなことはめったにない。事が起きても被害は最小限にとどめられ、修復手段についてもあらかじめ検討されている。そしてなにより、つのつきたちはすでに、大嵐なんか比べものにならないくらいの厄介事をいくつも打ち払ってきた。その力は、あるいはわたしができることより、すでにずっとずっと大きいはずだ。わたしにいったい、つのつきたちを見守るほかに、なにができる?
 "神代"の少女が、ただのひとりのつのつきが、空をふっと見上げたあと、頭を垂れた。一瞬だけ、青空みたいに蒼い瞳が見えた。
「かみさま」
 ────うん。
「どうか、力を、お貸しください────」
 ────いいよ。
 考えるより先に、言葉が出てきていた。その声が届くかどうかはもはや問題ではなかった。つのつきが、見守るだけでも、とずっといってきたつのつきたちが、今になって、助けを求める言葉を口にしたのだ。今この時にわたしが応えないで、今まで見守ってきたことにいったい何の意味がある。わたしがいたことに、どれだけの意味がある? そんなものは、なにがなんだかわからない。わたしはなんだ? わざわざそれを問いかけるまでもなく、答えはわたしの中にあった。それはわたしから生じたものではなく、ずっと昔に与えられたものだったけれど、十分だ。わたしがいる意味は、それだけで十分だ。
 わたしはつのつきのかみさまだ。わたしはいった。
 かんばせを伏せっていた"神代"の少女が、震える角をゆっくりともたげた。視線がゆっくりとかかげられる。少女は天上をじっと見つめている。蒼い瞳が少しばかり濡れてしまったみたいにきらきらと光を帯びている。
「……かみさま」
 少女がひめやかに繰り返した。信じがたい、という響きがいかんともしがたくあった。侍従のつのつきたちが現状を理解しえないように慌てふためくも、騒ぎ出すようなことは決してない。表面上ばかりは決然的に静謐を保っている。ただ、見開かれた双眸にはどうあがいたって隠すことのできない驚愕があった。
「久しゅう、ございます」
 ────うん。
「ずっと……ずっと、見守っていてくださったのですね」
 ────うん。
「私達は、それを、ずっと、気づかないままで」
 ────いい。わたしの手がいらなくなるのは、いいこと。
 わたしには、久しく通じたという思いと、けれどもそうすべきではなかったかもしれないという思いがないまぜにあった。わたしの手出しが全く無用になるなら、それは絶対に歓迎すべきことなのだから。まぎれもないわたしの本心のひとつといってもいい。それにそもそも、わたしになにができるかというのが一番の問題だった。応えるほかはないと応じはしたものの、だからといって希望になるような名案がぱっと浮かんでくるわけはなかった。"神代"の少女の予言でも対処すべきことがなにかさえ曖昧なのに、まさかわたしがわかるわけがない。
 少女の目がちょっと泣きそうになっている。いけない。泣かせてしまうのはすこぶるいけない。
 ────いってみて。なんでも。
「……かみさま。願わくば」
 ────わたしが聞こう。なんどでも。
「どうか……どうか、お傍に」
 ────ぜひもなし。
 わたしが、"神代"の少女にそう請け合った刹那。ふいに、わたしの視界が暗転する。
 いや。違った。暗転しているのではない──わたしの視界が、反転しているのだ。わたしは地表を見下ろしているのではなく、いつの間にか彼方の空を見上げていた。真っ暗な空の向こう側にいくつもの星々が絶え間なく輝く天体を見通した刹那、それがゆっくりと遠ざかっていく。彼女の蒼い瞳によくにた色の青空が見える。雲間ですれ違うみたいに空模様が瞬く間に通り過ぎていく。まるで地表に吸い寄せられるみたいに。
 わたしは、墜ちていく。
 止まることはない。声どころか悲鳴もでなかった。わたしには肉体なんてないはずなのに。"神代"の少女には、わたしの姿が見えていたのだろうか。先々代の彼女が、わたしの姿を見て取ったといったように。わたしのほんとうにすぐそばで、鈴の音のようにきれいな声がした。「ふたつめのおつきさまが、おちてくる────」わたしの意識が深いところに沈む寸前、彼女のかんばせがちらりと見えた。淡い蕾を芽吹かせる花のような笑みだった。

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