つのつきのかみさま

きー子

異界の時代/4

 現在、"異邦人"と言葉での交流を行うことができる民族はつのつきを置いてほかにない。連邦の極一部のつのなしにはつのつきの手による言語教育が行われたけれど、それはとても十分なものとはいえなかった。西方諸国家に至っては解読の気配など影も形も見当たらず、結果的に"異邦人"たちには手の施しようもないある傾向が生じた。
 ひとつは、彼らの言葉を容易く解したつのつきを化け物めいて気味悪く思うこと。もうひとつは、言葉を解さないつのなしを未開の蛮人と見下したことだった。もちろんみながみなそうだったというわけではないけれど、偏りは間違いなくあった。教育程度の差によって変わってくるのだろうけれど、大なり小なりそういう物の見方は振る舞いにもあらわれてくる。そうでない"異邦人"も当然いたものだけれど、残念ながらそれが全般というわけではなかった。調査団が相対した彼らのようなものばかりでは、決してなかった。
 事が起きたのは、つまり、その偏りの中でも極北とでもいうべき"異邦人"がいたからだ。そういう手合いは多くが"安全保障維持軍"駐屯地への輸送を担っていて、おまけに大抵は軍服ですらない。ひょっとしたら民間人なのかもしれないけれど、わたしにわかるわけもない。輸送に使われるのはいかにも頑丈そうで大きな車──それはどちらというと荷車などよりも金属でできた幌のようで、背面から煙を吹かしながら走るようにできている。ぶつかったりでもしたらちょっとした惨事になりそうだった。少なくとも蒸気機関で動いているわけではなさそうで、"異邦人"はそれをトラックといった。
 彼らの辿る輸送経路はだいたい決まっていて、多くはつのつきの国や連邦を迂回して回り込みながら"安全保障維持軍"へとたどり着く。しかし、そうではないトラックもしばしばある。道を間違えたのか、日時を間に合わせるために多少無理な道を選ぼうとしているのか。果たしてどちらかは定かではないけれど、ともかくそういったトラックが連邦領にまぎれこむことがしばしばあった。つのつきの国に入りこむようなことは立地上まずありえなかったけれど、いずれにせよ歓迎し難いことであるのは間違いがない。なにかの間違いで畑を踏み荒らされたりでもしたら大いに困る。故意的ではない事故にせよ困るのは同じことだ。
 ──あるいは、事故ですむような話だったならば、まだいくらか良かったのかもしれない。
 それは連邦領の、ごくごくありふれた村で起きた。周りはまだ森に包まれているような、本当にちいさな村だった。
 時はほとんど日が暮れたころ、村の門前に現れたのは、二人組の異邦人の男性だった。村からそう遠くない場所には大型車両を留めていて、それが"安全保障維持軍"の関係者であることを知らせてくれる。彼らはゆっくりと村に踏み入り──まるで、品定めをするみたいに──集落の中をぐるっと見回した。それほどおかしなようには見えなかった。大柄で黒い眼鏡をつけている彼らはなんともいかめしく見えたけれど、少なくとも車両を村の中に入れたりはしていない。辺りはすでに暗くなり始めているし、未知の土地であることを思えば一夜の宿を求めることも特に不思議な話ではない。連邦のつのなしにとって、一晩の宿を貸す程度はそんなに大したことではない。土地を渡って旅から旅するものの話を聞けるのは貴重な経験でもある。だから、普通に訪問されたなら断ったりはしなかったはずだ。彼らが、悪意的でない限りは。
 そしてふたりの視線の先に、ふとひとりのつのなしが目に止まった。娘とはいえ日暮れ前には珍しくもない、おそらくは家路につくころだったのだろう。それなりの器量よしといえる彼女は畑を背にして、木造の家族が建ち並ぶ集落のほうへと向かっている。村の中だから当たり前ではあるけれども、その背はとても無防備なものだった。その姿を見た男たちは、頷き合って動き出した。その一連の流れたるや迅速というほかない。ひとりの男が背後から抜き去るように歩むやいなや彼女の前に立ちふさがり、驚いたところで背後から迫ったもうひとりが口元に手のひらを無理やり押し当てた。いうまでもなく、その口を塞いでしまうためだった。なにが起きのかわからないままに困惑するつのなしの娘に、腰から引き抜いた"筒"を背後から突きつける。手慣れた動きだ、とわたしは思った。「銃はわかるか? わからねえかもな」彼は銃と呼ぶそれを娘の頭にぐりっと押し当て、そんなふうなことをいった。馬鹿にしたような声だった。つのなしは困惑の極みに達したようにかぶりを振る。けれども、少なくとも、暴れるべきでないということは理解したみたいだった。「蛮人には、こっちが分かりやすかろうよ」首筋にぴたりと銀色の刃が押し当てられる。その冷たさを感じたのか、娘はすっかり大人しく押し黙った。賢明な判断だとわたしは思った。けれども、事態はそれでは解決しない。
 男たちの背丈はとても高くて、彼らの影の中に入った娘の姿はすっかりと隠れてしまっている。時間も少し間が悪かった。あるいは男たちが時間を選んだのかもしれないけれど、ともかく周りには異変に気づいてやれるつのなしの姿が全くない。暗くなりつつあるせいで視界もよくない。これで声を出せないのだから、どうにもならなかった。異邦人の男たちはそのまま娘をともない、自分たちが来た方へと向かっていく。トラックの中で慰みものにするつもりなのかもしれない、とわたしは思った。戦時下でそういう扱いを受けるつのなしはしばしば見かけたものだけれど、ほんの十五歳くらいの娘がそんな扱いを受けるいわれは全くない。あまつさえ、"裂け目"の向こう側に対しても全くの静観を貫いていた連邦だというのに。
「待て」
 不意に、声がひとつした。
 ひとりの、つのつきだ。どれだけちいさな村であっても、それが連邦領であるならばひとりかふたりくらいのつのつきの武官が駐留していることは珍しくない。逆にいえば、ほんの少数しかいないということでもあるけれど。角のもたらす感覚強化が、なんらかの異変を捉えていたのか。まるでなにかに急き立てられるみたいにして、ゆっくりとした足取りで村から離れていく異邦人たちを呼び止める。瞬間、男たちは舌打ちをひとつした。
「なんだ?」と、男のひとりはまるで何事もないようにいった。「呼び止めるほどのなにかが?」
「無法な手出しは止してもらいたい」そういうつのつきの声は硬い。なにせ、相手に領民のひとりの命をすっかり握られてしまっている。「今のうちなら、咎め立てはしない」
「ここで止めて、困るのは、お前さんだろうよ」もう一人の男が、短刀の刃を娘の首筋にそえた。ちいさく滑って、淡く薄い傷がつく。そこからゆっくりと血が流れている。「手が狂っちまうかもしれねえ」
「その通りだな」と、もうひとりの男が、"銃"を娘に向けた。「指がブルっちまっちゃいけねえ」
「銃は勧めない」つのつきがゆっくりと首を振った。「音がすれば、村のものがこぞって来るぞ」それは本意ではないだろう、と言うように。つとめて冷静に。
「ご忠告、いたみいるぜ」"銃"を握った男は、その先端をゆっくりと動かし、つのつきのほうに向けた。
 たやすく引き金が落とされる。
 ちゅん、とちいさな音がしてそれはつのつきの目の前の地面を撃った。それは村のつのなしたちを呼び集めてしまうような音では決してなかった。つのつきの"筒"とは比べ物にならないほどの消音性だ。
「だが、心配はねえんだな、これが」今まさに実演してみせたように、と男はいってのける。そして、狙いをきちんとつのつきに定めた。「帰りなタフボーイ。撃たれたいのなら話は別だがな」
「撃ってみろ」
 つのつきは間髪入れずに答えた。男が一瞬たじろいだ。狙いがぶるっと一瞬ずれる。そして、つのつきの言葉に煽られるみたいに、まるで慌てたように引き金をひいた。つのつきが微妙な体捌きで頭や心臓を守っていたことには、たぶん、この暗がりの中では気づいてもいないだろう。
 ばっ、とつのつきのたおやかな肩から赤いものがはじけた。男の腕の中でつのなしの娘がびくんと震える。つのつきは、身じろぎもしなかった。男たちが持っているような小銃ではすぐには死に至らないと、つのつきは間諜のつのつきが共有化した情報からよくよく知っていたのだろう。異邦人たちのつのつきを見る目が、ひどく気味の悪いものを見る目になった。恐れがその眼の奥にひそんでいる。「この子にご執心らしいな?」その心を振り払うみたいに、男からあざわらう声が飛んだ。
「こんなことを、どこでもやっているのか」つのつきは取りあえずに問う。「いいや」銃を持った男が首を振る。「"此方側"でだけさ」そして、おどけるようにいった。
「やめろ」つのつきが断定的にいった──驚くほどに力強く。人質に取られていることを覚えているのか疑わしくなるくらいに。
「どういう立場のつもりだ?」男は気圧されぬためにか、頑なに引かない。
「私たちは、"ぴりぴり"している。外から来ては無茶をやっているお前たちのやりように」つのつきの口調とは裏腹に、表情は透徹とした無表情。「代わりを用意してくれるってんなら、考えなくもねえな」
「私でよければ使えばよい」その言葉に、男たちは揃って「は?」と間の抜けた声をあげた。そして一瞬のあと、ひどく下卑た表情をして笑った。そこにつのつきは絶え間なく続ける。「もっとも、手遅れだが」
「……? なん──」
 男たちが訝しむ間もなく、がっつんと盛大な音がした。ほど近い森の茂みから飛び出したなにものかが、その手に担いだスコップを思い切り異邦人の男の頭に、背後から叩きつけていたからだ。娘を捕まえていた男がそのままずるずると崩れ落ちる。同時につのつきも前傾で駆け出した。今一度、異邦人の銃が火を吹いたものの、銃弾はつのつきの角に弾き飛ばされて無効化されるに終わった。
 つのつきは肉薄した異邦人の男の胸ぐらを捕まえ、接触点から"角張網"を男に直結した。それはつまり相手の頭の中を無理やりに侵食するようなもので、相手の考えていることを引き出すことから記憶をぐちゃぐちゃにするまで自由自在だった。つのつきはそのまま男の感覚に"産みの苦しみ"の共有化感覚を流し込んだ。本来はつのつきの角を介してのみ行われる感覚の共有は、角という感覚受容器を通さない場合、どうやら原型に数倍する激感を味わわされることになるらしい。ひどい場合は神経が破壊されて死に至ることもあった。
 もっとも、今回はそうはならないで済んだみたい。まともに激痛を浴びせられた異邦人の男は、がくがくと尋常でないくらい痙攣しながら気を失っただけだった。あらぬうろごとを零しているので息はあった。つのつきは手早く手足を縛り上げるとそれを放り投げ、人質の容態を確認するために走り寄る。
 幸いにしてつのなしの娘に怪我らしい怪我はほとんどない。首筋が切れているのは本当に薄皮一枚程度のもので、ちゃんと手当てをすれば数日のうちに消えてなくなるだろう。
 けれども、つのなしが受けたショックはそれどころでは済まなかった。しばらく言葉を口にするのもおぼつかないみたいに震え上がり、涙を零してはしゃくりあげたままものも言えない。つのつきに抱き寄せられるがままになっている娘の様子を見るにつけても、しばらくは安静が必要に違いなかった。つのつきのほうが娘を慰めているのも、その村人が男性であるがために無意識に避けていたからだ。彼女は思わずといった感じで嘆息した。
 なにはともあれ、明確な被害といえる被害はなかった。どうやらさっきの会話はつのつきが異邦人たちの注意を引きつけるためのもので、その隙に森を大きく迂回してきた村のつのなしが不意を打つという作戦だったみたい。何か異変を気取ったつのつきが、念のため村のつのなしにも声をかけていたというのは全くの僥倖だった。下手をすれば、娘がひとり慰みものになるどころかつのつきまでも嬲り殺しにされてしまっていたかもしれない。
 事件そのものが衝撃的であることは間違いがないけれど、より面倒なことになったのはその後だ。事の次第が全て"角張網"を通じて共有化されたのはいわずもがなで、それは当然"異邦人"への反感を高めることになる。しかも、もっと悪いことがあった。こういうことは一件二件にとどまることなく、それからも立て続けといえるくらいに民族間での事件が確認されたのだ。
 当たり前のことをいってしまえば、一口に"異邦人"といっても無法を働かないもののほうがずっと多い。決して少なくない異邦人たちが、できる限りつのつきやつのなしとの接触を避けて物資輸送・輸送警護に当たっている。そのことは当然つのつきたちみんなに知れていることだった。そういった揉め事を起こしているのは大半が民間らしい"異邦人"で、軍人としての訓練を積んでいると思しい"安全保障維持軍"とはまた別の所属であろうことも。
 そして同時に、数の問題ではないということもまた間違いがない。つのつきたちは"安全保障維持軍"の駐屯地に向かいこぞって抗議を送ったものだけれど、効き目のほどは薄いと言わざるをえなかった。尋問をやって引き出せる限りの情報や所属は引き出したものだけれど、それを伝えたって"向こう側"でしかるべき罰則が与えられているかどうかなんてわかったものではない。輸送経路の徹底がされるわけではなく、目に見えてわかるような効果は全くなかった。
 それでもまだ、つのつきの間での議論は均衡していた。異邦人への反感を限りなく高めているものにしても、まだ非暴力的な抗議で訴えるべきという段階にとどまっていた。不可解とすらいえる超常的な力を持っているつのつきは、それ相応の尋常ならざる忍耐を要していた。その忍耐こそは、時代を問わずつのつきたちを常々助けてきたものだった。
 最終的につのつきは、怒った。ものすごく怒った。烈火のごとく怒った。
 角も生え揃わないつのつきの子どもから、死者がひとり出てしまったからだった。

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