つのつきのかみさま

きー子

異界の時代/1

 つのつきたちの平和は、百年以上も続いた。
 それは同時に、西方の諸国家が百年もの間、戦乱に飽くことなく明け暮れているという意味でもある。なにをやっているのだろうと思った。いってしまえば悲惨な状況であることは間違いがない。戦乱が飢餓を呼び飢餓が戦乱を呼ぶ最悪の禍根の悪循環、それを横目にしながらつのつきたちの平和な年月を見守っているのはなんだかとても不思議な感覚ですらあった。
 もっとも、帝国が崩壊して千々に散らばった西方諸国家とても絶え間なく戦争を続けていたわけではない。合間合間に数年や数ヶ月単位の停戦を挟みながら、それでも止むこと無く戦を再び始めてしまうのだから業が深い。かつての連邦のつのなしたちは、休戦している間にも士気を昂ぶらせる恰好で解放戦争を電撃的な勝利に導いたものだけれど、それが悪い方向に左右すればこうなるらしい。憎みあいながらも手を出すことが出来ないという状況は加速度的に憎悪のたぐいもいや増すし、あんまり長い時間をかけていると戦争のきっかけや目的がなんだったかもわからなくなってくるという有り様。つのつきたちでさえも全くのお手上げで、ほとんど火薬庫みたいな諸国家に手を伸ばさずにいたのはある種当然のことだろう。商人のつのつきを狙おうとする賊のたぐいには容赦のない攻撃が行われていたけれども。
 無理に戦乱を平定して国を治めても内戦の火種になってしまう気がしてならないし、平和が続いている現状を見ればやっぱりそれは正解だったのだろうと思う。
 そういうわけで、つのつきたちが安穏として平和をむさぼってきたわけでは、もちろんない。結果的につのつきたちはこれといった深刻な戦を繰り広げることなく百年という歳月をくぐり抜けてきたのだけれど、それは文字通り危険との隣合わせですらあった。そんな中でそれでも無用な戦を避けるため、つのつきたちは最大限に有効な手をつくした。それは今さらいうまでもなく、様々な技術や人材への投資を事欠かないこと。安全保障上の保険分をあらかじめ取っておくのは当たり前として、公民問わず援助というものをためらわないこと。富めるものの暴力的な論理といえなくもないそれは、実際呆れるほどに有効というほかなかった。つのなしでは得ることのできない力なぞあるからこそ、それはなおさらつのつきたちの強力な優位性として機能する。巡り巡ってつのつきたちを利するのだから税をつぎ込むにもわけはないし、つのつきの国力が強化されれば前哨地めいた役割を果たす連邦──同盟関係はいまだ健在だった──にも利するものがある。周囲の反対があろうはずもなかった。
 いわゆる火砲は正式な完成の眼を見ながらにいささか"時代遅れ"の感があるとして採用はお流れになってしまったり、そんな悲しいことがあったりはしたものの、ひとつに蒸気機関というものの発達は目を見張るものがあった。前時代ではあまり目をかけられていなかった、鉱山からめいっぱい採掘することのできる"黒炭"──それを燃やすことによって生まれる熱を取り入れることによって動く一種の機構。ものすごく上等な歯車仕掛け、というのはあまりにも大雑把なわたしの見るところだけれど、なにせ細かいところがいまひとつわからないのだから仕方がない。ただひとつ確かなのは、蒸気機関が果たしてくれる役割はものすごくたくさんの分野に渡るということだった。中でも一番大きいのは輸送手段の改革で、それはけだものに荷車をひかせていた馬車や鹿車かしゃよりいくらか──あるいはずっと効率がいいものだった。"共有化"による思考の流動性のみならず物資も滞りなく行き来するようになればつのつきたちの経済もよく活性化して、領地の間でことさらに物資の融通を画策したりする必要もなくなる。そういった市場の営みは、民間のつのつきたちから作為もなく、ごくごく自然に生まれてくれるものだった。
 ひとつの革命ともいえるほど物資輸送に変革をもたらしたその発明は、"鉄馬てつば"と呼ばれた。言葉通り灰鋼と黒金、そして機械仕掛けによって編まれたそれは大型から小型にまで多岐にわたって存在する乗り物ないし牽引役で、個人規模の商人から大口の取引にいたるまで手広く使い続けられることになる。面倒といえば職人の整備が必要になることだけれど、それは鹿や羊の面倒を見るほど大変なことではない。もっとも、少なくないつのつきは動物の果たす役割が削られてしまうのを悲しむ向きもあったのだけれど。時間の流れはいつだって無常だ。騎手と乗騎にはあって然るべき相当の信頼関係があるということは別にして、無理に働かせなくて済むのなら、それはそれでいいのではないかとも思う。
 蒸気機関の影響はつのつきたちの採用する武具にまでも取り入れられて、これが火砲を代表とする攻城兵器を半ば無用にしてしまったひとつの遠因でもあった。蒸気の噴射機構で機動力と防御力を担保してから繰り出される角の槍は歩兵のつのつきでありながら騎馬の突撃もかくやで、貫けぬもののない角の槍をもってすれば城門の一枚など紙切れにも等しい。弓矢や"笛"の脅威があったからこれまでは猛威を振るえなかったそれらも、今や技術の発展によって十分に有用な戦術に含まれている。
 蒸気機関の波及効果は大きくて、他にも大なり小なり決して少なくない変化をつのつきたちの国にもたらしたものだけれど──それだけでは足りない。それだけで終わってしまったら片手落ちにすぎる。つのつきたちの発展の軌跡を刻んできた片輪が蒸気機関であるとすれば、両輪のもう一方が必然的に存在するのだ。というより、そちらこそが最たるものであるといわざるをえなかった。つのつきたちの唯一無二にして歴史の精髄、"角"という摩訶不思議なものがもたらした神業の顕現。
 呪術。それは、百年前のかつてと変わらないまんまでそう呼ばれていた。一種のおまじないで、また呪いにもなりえるつのつき特有の能力。つのなしには決してない特異な力でありながら、にも関わらず角の生えそろった成人のつのつき"みんな"が例外なく扱うことのできるほどにそれは普遍化している。神秘なんて言葉が遠く思われるくらいにそれはつのつきたちにとって当たり前の力になっていて、だというのに能力の神秘性そのものは失われていないのだからわけがわからない。
 そう、わからない。わたしにはそれについてわからないことが多すぎた。けれども結果からそれがなにかを推測することはできるから、呪術というものの基礎の基礎から"それがなにか"を演繹的に考えてみることもできる。実際、つのつきを見守りながらわたしが考えをめぐらせるのはだいたいがそのことだった。
 一番初めに、つのつきたちの呪術という力の一番根っこに"角張網ネット"というものがある。これはつまり昔々に"つののしらせ"と呼ばれていた力で、言葉が変わっても意味するところは変わったところがない。ただつのつきたちが感覚的な理解だけでなく、観念として理解するために整理したというだけのことみたい。わたしには余計わかりづらいような気もするけれど、つのつきたちがそうしたのだから仕方ない。ともかく"角張網"とはつのつきたちの角が自然と有する基本的な機能を指していて、周囲の音や光を探知する身体感覚の角長であったり、感覚や記憶に類する情報を"共有化"する発信装置であり、また"共有化"された情報を捕まえることができる感覚の受容体でもあったりする。驚きの多機能だった。それはつのつきみんなが扱うことのできる力で、その角がしっかり生えそろっている大人であるならばただのひとりの例外はない。逆説的に、つまり子どものつのつきは扱うことができないということでもある。
 つのつきたちの"呪術"とはつまり大半がこの発展形にあたり、"似たようなふたつのものを同じものと見なす、また同じ性質を見出す"というつのつきたちの大雑把な気質が大いに生かされたものである。四つ足の獣に語りかけることに始まり、また角の有無さえも飛び越えてのつのなしに対する読心術。かつての"角笛"などは"笛"の強力さを転用した攻撃的呪術で、つまりは引き金をひくだけで敵が倒れるという一見すれば不可思議な現象を別のものに置き換えたものだった。"笛"を敵に向け、引き金を引く、すると敵は倒れる────「"笛"によくにた"角笛"でやってもそれは同じこと」という、むちゃくちゃな理屈でそれは成り立っている。理屈にもなっていないようにわたしは思えてならないのだけれど、実際に成り立っているのだからしかたがない。そういう力なのだとわたしから納得しなければなにも始まらない。
 そうやって理屈を並べ立てるのは呪術というものの神秘性を暴き立ててもいるようで、実際にはあながちそうとも言い切れない。なぜならそれができるという事実──あるいは確信、いってしまえば信仰は"角張網"を介しあまねくつのつきに共有化されている。つまり、つのつきの数が増せば増すほど、そうできるという確信がつのつきの間でまかり通るほどに、呪術の強度と確度は際限なしに高まっていく。つのつきたちの頭の中だけに寄っている呪術という力は本来きっと不安定極まりなく、けれどもつのつきたちの"角"と実際的な繁栄がそれを保証する。そしてつのつきたちの間では自明の力であるのにも関わらず、なにもわからずに傍から見ているわたしにすればそれは神秘そのものだった。なにせ今いったのはわたしがなんとか理解できるくらいのことで、つのつきたちが網羅している呪術の深淵ときたらもはや想像もつかない。つのつきの国は至って平和であるために実戦で垣間見るようなことも多くはなく、大々的に学問所で研究されているのにも関わらずどこか秘密主義的なきらいさえ漂う始末。
 わたしは、それをどこか複雑に思う。その力はつのつきたちをいつか、ほんものの神と呼ばれるものの領域に届かせうるかもしれないと。そんな淡い期待をどうしようもなく抱いているわたしがいる。わたしの見下ろす空に届かせてくれるかもしれないと、救いがたいまでに期待している。
 そして同時にまた、こうも思う。その力がつのつきの猛威として振るわれることもなく、平和な学究の対象のままでいてくれるならば、どれだけ心安らぐものだろうかと。
 そんな望みは、とっくのとうに手遅れなのかもしれないけれど。そんなことを、わたしは思った。
 思いは、思いでしかなかった。わたしの感傷は、あまりにあっさりとばらばらになった。それは、途方もない"異変"というほかなかった。
 ──西方諸国の戦乱絶えやらぬ夏の日。南の彼方に開かれし"大穴"から始まった。

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