つのつきのかみさま

きー子

国土の時代/3

 翌朝、"神代"の少女によってつのつきの民に本日の空模様が知らされる。終日にわたって晴天。領地の間で友誼を深めるうちに総領主の血筋と"月詠"の血筋はいつしか期せずして交わり、今代の祈り手はかつての"月詠"の力を発露するまでに至っていた。それは以前より発達した社会というものを形成するつのつきの中でもひときわ神秘的で、かつてよりかえって強固な信仰を獲得していた。神代、つまりは神様の象徴と呼ばれている彼女ではあるけれども、たぶんわたしよりいくらか信仰されているんじゃなかろうか。それはそれで少し寂しいことではあるけれども、聖地に住まうつのつきたちはその限りではないし、少女もまた欠かさず祈りを捧げてくれているのだから十分すぎるくらいかとも思う。なによりわたしは見守っているだけだし、それだけで済んでいるというのも、つのつきたちが問題を自分たちだけで解決できるという証にほかならなかった。見守るばかりで済んでいるというのは、つまりはいいことなのだ。余計なことをしないでいいのならそのほうがいいとわたしは改めて思う。
 ともあれそんな神代の少女は聖地の一領主でもあって、格別に一目置かれてはいるけれども、あくまでも一領主にすぎない。交易都市の市場で姿絵が広まっているくらいには通俗性も残している。それはかつてより国土が格段に大きくなったからこその、いわば必然というやつだった。
 彼女にもまた、交易都市の太守から合同協議の報がもたらされる。太守は他の領主と比べて特別にえらいわけではないけれども、全領地の中心にあたる緩衝地帯を担っていることもあって、場を取り持ったり調整役に回ったりすることが少なくなかった。要するに、名誉なことというよりはどちらかといえば貧乏くじに近いみたい。
 神代の少女がよもや聖地から離れるわけにもいかず、彼女の傍につかえる司祭が代理として出向くことになる。ただ協議するだけならば角を介しての通信でも全く問題はないようだけれど、大きなことを決めるからにはそれぞれが合意したという証拠を残さないといけないみたい。それだけのために移動しなければならないというのもいささか面倒ではあるけれど、大方の話し合いはすでに済んでしまっているようだから楽といえば楽な仕事だった。
 幌をひく鹿車かしゃに揺られて数日、つのつきの司祭は交易都市に到着する。都市と聖地との距離は近くもなく、さりとて遠くでもなく。近場の町の領主はとっくに到着しているし、反対に到着がもう少し遅れる領主もいるという。
 国の領土を治めているという意味でいえばみんな"領主"の一言でくくらせてしまうのだけれど、その実、領主の役割は場所によって少しずつ違ってくる。例えばちいさな村々を統括する領主は今回の招集の対象には含まれていない。元より村を統括する立場はつのつきたちには領主といわれず、昔みたいに酋長と呼び慣わされることが多いみたいだった。なんだか懐かしい響き。
 ともあれ、酋長といわれる領主はほとんどが兵力を持っていない。そのかわりに最寄りの町が村々の守りを代行していて、だからこそ近辺の村は町──あるいは要塞の支配下に属していることになる。けれども立場の上下はほとんどなく、要塞は村の収穫がなければ成り立たないのだから持ちつ持たれつといったところ。ただ矢面に立って命を張っているという差はつのつきたちにとって大きいみたいで、結果、要塞を治める領主が村々を代表して意見を立てることになる。
 これは逆にいえば、兵力を持っている領地だけが町と見なされるということでもある。生産活動には本来必要がない兵という余剰の労働力を持っていること、そして彼らをみんな養えることが、その領地が繁栄しているという一種のわかりやすい基準になっているからだろう。そしてつのつきの国でも最大規模にあたる町が、交易都市というわけだった。
 さらに数日して、交易都市につのつきの国の全領主が集まってくる。挨拶や歓談も程々にして、会談はその日のうちに早々と始められた。ことがことだから戦が始まる可能性もあり、懸念されたのは交易都市以外の辺境にあたる要塞の懐事情だけれども、これも今のところ不安や不満はないみたい。実際、つのつきたちの村々が餓えることは地域の別なくほとんどなかった。土地ごとに育てることのできる作物の違いや、天候や気温による作物の影響はあるけれども、そもそもの統治の方針にほとんど差がなかったからだ。
 方針はとても単純。税を取り、その大半を民へと投資する。冷害などに悩まされた場合は大人しく他の地方に助けを求め、税を減らす。つのつきを餓えさせることだけはしない。これはつのつきたちの先祖から学ぶところがとても大きかった────命がなくなるというのはとても深刻で、重大な、経済的損失なのだ。つのつきが一人前になるのにかかる時間やごはんのことを思えば、当たり前といえば当たり前のこと。つのつきが生きてさえいれば、つのつきひとりが産み出すものを思えば、損は後からいくらでも取り返せる。よそから借りてでも民は絞らない、餓えさせない。それがつのつきの統治者みんなに共通する理念のようだった。
 そんなつのつきたちが協議の結果、捕虜に対する扱いとして弾きだした答えはやっぱりあまりにも単純。"いかなる手段を用いてでも当捕虜の故郷を帝国支配下から解放する"とのこと。つまり、放置していたらいつか大きな火種になってしまってもおかしくないから、今のうちに迅速な対処をすべき、ということだった。
 けれどもその結論にはとても大きな穴があった。当のつのなしたちが納得してくれるかどうか。またそれを実行できたとしても、独立したつのなしたちが逆につのつきたちに矛先を向けてこないという保証はなかった。少しばかり場が紛糾しかけたところで、つのつきの領主のひとりがふっと切り出す。北方にあたる辺境の要塞を治めるつのつきで、北辺の帝国軍や海賊のつのなしの襲撃にあうことも少なくない、経験豊かな将のひとりだった。
「その地が解放されれば、帝国はそれを放ってはおかないだろう。他の支配地をどう扱っているかは知らんが、似たようなことをやっているなら間違いなく叛乱が相次ぐことになる。見せしめのためには、損を承知で、やるはずだ」
 渋みのある声につのつきたちが頷き、理解を示す。続きをうながすまた別の領主に応じて、彼は続けた。
「そんな状況で我々と事を構えるなど、全くの自殺行為だ。独立を守るためには……独立とは言えないが、我々との協力・連携は必要になってくる。利口であるならば無闇に歯向かったりはしない──そして彼らは、どうやら、末端の兵に至ってもなかなか利口なようではないか?」
 まさに、彼の言葉通りというほかなかった。また、その後は周囲の小規模な村の併合を視野に入れつつも帝国と本格的に事を構えるのは避けるべきと提言。勝ち目は十分にあるのではないかと唱えるつのつきもやっぱりいて、それには否定も肯定もせずにただこういった。「どちらに終わっても多くの民の血が流れる。それはうまくない」あくまで冷静な口振りで、それ以上の異議を唱えるつのつきはいなかった。
 一見すれば良識的な言葉ではあるけれども、当然、つのなしの土地を前線として帝国の矢面に立てる意図はあるだろう。そうなれば帝国は独立した領地を奪還するのにやっきになるだろうし、結果的につのつきの国土が侵攻を受ける危険も減る。少なくとも奪い返されてしまうまでは。
 最終的には帝国側の対応次第ではあるけれども、当面の方針としては十二分。着地点としてはちょうどよさそうで、あまり先々のことまで考えてもしかたがない。なにもかもが想像通りにうまくいくわけではないのだから。かくして協議の結果は各領主のつのつきたちに合意され、調印とともに要塞のつのつき兵に通達されることになる。つのつきたちの頭をめちゃくちゃに悩ませる難題として。

 問題の焦点になった捕虜の身柄は今、交易都市の最寄りの要塞にある。だからこそ、都市の要塞に所属するつのつきが一番苦労する羽目になるのはどうしようもないことだった。戦略上でつのつきの軍を主導することになるのもやっぱりここで、侵攻が決まったあかつきには各領地から兵力が集結することになっている。
 けれどもそれはどうやらまだ少しばかり先の話で、準備がゆっくりと進められているという段階だった。そしてつのつき兵たちには、その準備がすっかり済んでしまわないうちに取り組まなければならない難題がある。なにせ太守から直々に通達された会談の決定事項──そのために必要な仕事なのだから、やらないわけにはいかなかった。
 それは捕虜のつのなし兵の説得。あくまでつのつきたちは"圧政に苦しむつのなしの土地を帝国の圧政から解放"するのであって、自分たちの領土を拡張したいわけではない。あからさまに詭弁っぽい感じではあるけれど、歴史に根ざした深い恨みを抱いている彼らの土地を領地に加えるのは難しいというのも実際のところ。彼らがきつい締め付けから抜けだして、実際に独立してうまくやっていけるのならそれに越したことはない。つのつきの領主たちにはまた別の思惑があるのかもしれないけれど、少なくともわたしはそう思う。背後についたつのつきの国が抑止力になれば敵対するのも難しいだろうし、長い年月をかけてつちかわれた憎悪は、長い年月をかけて和らげることができるはずだとも。
 それでは実際にどうするかというと、つのなしたちに自ら帝国を離反するという意志を持ってもらうよう説得するとのこと。捕虜になったつのなし兵はあくまで民の一部でしかないけれど、ほんの少しでもいるといないでは大きく違う。つのなしたち自身が主導するかたちで独立の機運を高め、反帝国の勢力を形成してもらうためには、まさにその少数の主導者が必要なのだから。だからこそつのつきたちとしては、捕虜のつのなしを叛乱の主導者──反帝国の嚆矢として送りこむのが一番手っ取り早いのだ。
 内側から叛乱を起こさせ、つのつきの軍はその騒ぎに乗じるかたちで支援する。それが最終的な民族解放までの計画だった。
 そして、その一歩目でつのつきは盛大につまずいた。果たして捕虜のつのなしたちをどうやって納得させたものか、ほとほと困り果てたからだった。そもそも説得以前の問題で、会話が成立することさえも珍しいという有り様。参謀のつのつきは彼らの頭の中を覗くことができたけれど、かといって自由に読み取れるわけではない。いわば水面に石を投げこみ、生じる波紋を読み取るようなものだという。つまり、考えをまるごと書き換えたりはできるわけもなく──仮にできたとしてもあまりやらない方がいいような気はした。参謀のつのつきはあっさりとやりそうだったけれど。
 ともあれ思い悩んでいても立ち止まっているのと変わらないので、つのつきたちはあれこれと試行錯誤を繰り返す。そのうちに捕虜のつのなしたちも、自分たちに何かをさせたい、という事情ばかりは汲みとってくれたみたい。もちろん、だからといってすぐに協力的になってくれるはずもなく。十人余の捕虜のつのなしのうち、たったひとりを残して全員は「俺の裁量にない」というふうに突っぱねる有り様だった。とりつくしまもないとはこのこと。
 そして残ったひとりとは、つまりが彼らの小隊長だった。要塞の攻撃時から平時の行軍に至るまで常日頃から小隊を率いていたようで、帝国のつのつき兵とは独立して運用されていた様子。それは少数での危険な任務を押し付けられてきたということであり、また、それをこなしながらなお生き延びてきたという能力の証明でもある。そのために他のつのなしたちも彼のことはよく信頼している様子で、自死を試みないことにしても、どうやら彼がひそかに指示をしているようだった。彼が主導するかたちで脱走をくわだてられたらとても厄介だろうけれど、同時に彼さえ説得できれば麾下のつのなしもまた従ってくれるかもしれない。つのつきたちもまた、彼ひとりを説き伏せることに焦点をしぼったみたいだった。
 ある日のこと、参謀のつのつきは小隊長のつのなしがいる営倉までやってきた。傍にほかのつのつきは見当たらなくて、ぱっと見では一人でのこのことやってきたようにしか見えない。その手には武器らしい武器もない。腰には革袋に納められた短剣が吊るされているけれど、それにしたってすぐに抜き放てるようなものでもない。「不用心だな」粗末なベッドの上でじっと俯いていた小隊長のつのなしが、顔をあげて訝った。少しだけ緊張しているように見えた。重く、低い声だった。
「そうでもありません。入り口には見張りをつけていますから」
 言いながら、平然と鍵を開けてひとりで中に入る。そのまま扉を後ろ手で閉めるけれども、鍵はかけていない。不用心もいいところだった。
「脅しのつもりか」
「腹を晒しているのです。公平に話しませんか、と」
覗き魔ピーキィと、対等にか。笑えない冗談だ」
「私ひとりと侮って無茶をされては困る、ということです。きらわれたものですね」
「嫌わぬほうがどうかしているな」
「まあ、慣れています」
 小隊長のつのなしの言葉には全く遠慮するようなところがなく、あけすけといっていいくらいのもの。虜の身の上とは思えないくらいに堂々としていて、かといって投げやりになっているわけでもなさそうな感じ。利用価値があるということを見抜いてたかをくくっているようにも見えるけれど、振る舞いに乱暴なところはない。参謀のつのつきが座るようにと促せば、彼は対面の椅子に大人しく着席する。参謀のつのつきと彼の身の丈は、角を別にしてしまえば角二本分くらいの差があった。参謀のつのつきが特別ちいさいわけではない。彼が大きいのだ。
「それに、そんなことはしない」
「へえ。どうしてですか」
「あいつらを見捨てるような真似は、しない」
 捕虜のつのなしは、断言する。やっぱり囚われの身とは全く思えない。仮にやろうと思えば、ひょっとしたら、彼ひとりだけならば逃げ出せる可能性が万にひとつくらいはあるだろうけれど──だとしても小隊の部下を見捨てることはしない、と。それはあまりにも決然とした答えで、彼というつのなしの肝心なところであったのだろうと思う。思わず口を滑らせてしまうくらいには、譲ることができない一点。
 やっぱりというべきか、彼女はそれを見逃しはしなかった。嫌われることに慣れているといってはばからないだけはあった。つのつきをしてそんな扱いになるのだから、余程のものだと思う。あるいはそれも、わたしとしてはいい性格をしているようにも見えるのだけれど。
「なるほど。彼らの命を秤にかけましょうか」
 小隊のつのなしが、その一言にはっとする。自分の失態に気づいたという驚愕の表情。いかにもな仏頂面が崩れて、苦々しげに口元をゆがめる。
 けれども参謀のつのつきは、それにぜんぜん構う様子もなく言葉を続ける。
「冗談です。そんなことはしません」
「それこそ、笑えぬ冗談だ──信じられるものか」
 悪鬼め、とつのなしの彼は忌々しげに彼女をののしる。当たり前だった。ただでさえつのなしたちはつのつきにいい感情を覚えていないというのに、脅迫までもちらつかされたら堪ったものではないだろうと思う。余計に説得に困るようなことばかり参謀のつのつきはいっているけれど、果たしてなにか考えがあるのだろうか。
「本当にそうするつもりでしたら、軽々といったりはしません。そうやって無理やりに言うことを聞かせたとして、それは必ず後々の火種になる。つまり私の責任になるわけです。私は性格がよくありませんが、歴史に悪名を残したいとまでは思いませんので」
「ご立派なことだ。どうして同じことを歴史の中で出来なかった?」
「若かったのでしょう。今はそうでない」
 淡々と参謀のつのつきが述べる言葉は理路整然としていて、納得してもらえるかどうかはわからないけれど、ともかく一面的には筋が通っていた。つまりは見張りがいることを先立って示したのと、同じことなのだろう。「そうすることもできるけれど、やらない理由があるから、やらない」という対話上のポーズ。手を上げて、武器を手放し、害を与えるつもりはないという証を立てるみたいに。
 きつい皮肉にもさらりと返され、つのなしの小隊長もにわかに鼻白んでいる。無意味な挑発のようでもあったけれど、あえてつのつきを怒らせて、その真意を探り出そうとしたのかもしれない。実際、これが帝国の兵だったりすれば怒りをあらわにしていた可能性は高い。けれども彼は厳密にいえば違う。あくまでも帝国に虐げられた民のひとりに過ぎないと、そう見られている。わたしはそれを傲慢だと思わずにはいられないけれど、つのつきは実際そう振る舞えるくらいの国土と勢力がある。帝国と対等に、あるいはそれ以上に渡り合えるほどの。
「言葉が、過ぎた」
「いえ」
 意外にもつのなしはそういって、詫びた。頭を下げるわけでもないけれど、一方的に叩きつけられる憎悪に比べればずいぶんな進展だった。「話をしようという気にはなりましたか」続けた参謀のつのつきの言葉にゆっくりと頷く。半ば尋問のように言って聞かせるつのつき兵のやり方ではどうにもならなかっただろうから、これはまさに僥倖だった。暴力を下ろしたほうがいいこともあるんだ、とわたしは思った。
「結論からいいます。私達に、ついてください」
「断る」
「なぜです?」
「俺ひとりに、それを決められる力が、あると思うか」
 話し合いというか言葉の殴り合いじみてはいるけれども、ともかくもっともな話ではあった。
 けれども参謀のつのつきはぜんぜん気にした様子もない。表情がなにひとつ変わらない。ここまで来ると、ちょっと不気味だった。彼女がいやがられるのは、性格のせいではないのかもしれないとわたしは思う。
「そうですね。まあ、私達は嫌われているようですから。町の皆さんを説き伏せるというのは、少々骨が折れる」
「そういう問題ではない」
「そういう問題ですよ。貴方達が帝国についているのは、兵力で支配されているというのもあるでしょうが──私達"一ツ角の民"が帝国に下されるのならば、帝国の下につくのも我慢できると、そんなところなのでは?」
 参謀のつのつきはゆっくりと椅子から立って、まるで下から迫るみたいにぐっと顔を近づける。つのなしの小隊長の表情を、ものすごく近くから覗くようにする。彼もまたつのつきの仕草のみならず、突きつけるみたいに淡々という言葉に唖然としているようだった。ぎょっと表情が歪んだまま、口を開いても二の句はそのまま告げないでいる。参謀のつのつきの言葉がどこまで当たっているかは怪しいものだけれど──反応からして決して悪くない線といったところ。
「負けませんよ? "私達"は」
 参謀のつのつきは目を細めて言い切る。まるで蛇のよう。とはいえつのなしの小隊長も蛇に睨まれた蛙といえるほど大人しいものでもなく、ぐいと無理やりにつのつきの頬を面倒くさそうに押しのける。参謀のつのつきは残念そうにしながら、大人しく押しやられるがままに座り直した。顔のほうはにこにこと微笑んでいた。いいたいことをいうだけいってすっきりしたのかもしれない。とんでもないつのつきもいたものだった。なにも今に始まったことではないけれど。
「……俺に、なにをさせたい」
 けれども、そんな無茶苦茶なことをいって、いったいどんな心境の変化があったのだろう。つのなしは額をゆっくりと揉みながら、重く低い声でつのつきに問いかける。あからさまに渋々といった感じではあるけれど、積極的になってくれるのならばいうことはなかった。
「こちらにつく気になってくださいましたか?」
「そうじゃない」
 つのなしは首を振ったあと、自分の着せられている清潔なシャツを摘み上げながらいう。
「高度な縫製から始まって、建築、上下水道に至るまで完備。おまえの装備にしてもそうだ。おまけに怪しげな力まで使うときている」
 その眼は鋭くつのつきを見ている。それは参謀のつのつきという個人を警戒しているというより、"メーヴェの一ツ角の民"という全体に向けられているみたいだった。
 彼は時々営倉を出て要塞内を歩き回ったりしていたし、ひょっとしたらその間につのつきの持っている技術のほどを見極めていたのかもしれない。そして彼自身の目が、つのつきの程度は帝国よりも上だと判断したということだろうか。だとすれば、やはりというべきか、なんだかんだで彼は油断のならないつのなしだった。けれどもたまには相手の有能さに助けられることもある。
「では、本題に入らせていただきましょう。もともと私は無駄話が好きではありません」
 無駄話と切って捨てられるのにつのなしは流石に憮然とするものの、そろそろ彼女のあんまりな物言いにも慣れてきたらしい。当の参謀のつのつきはといえば、ひどく楽しげに笑みを浮かべているのだからびっくりするくらいたちが悪い。
 しかし、いざ参謀のつのつきが叛乱という種を撒いてみると、小隊長のつのなしは存外これに乗り気だった。というとちょっと語弊があるだろうか。これが勝ちの目のない戦いだったなら、反応はまた別のものになっただろうけれど。別につのつきに対する悪感情が晴れたとかそんなことは全くなく、つまり彼個人にとっては、帝国の支配はつのつきの存在と同じくらい──あるいはそれ以上に気に食わないものだったという、ただそれだけのこと。
 そんな彼が率いているだけあって、小隊のつのなしたちにも似たり寄ったりなところがあるという。わざわざ町のほうから引っ張りだされて命を張ることを強いられているのだから、それはある種当然のことなのかもしれない。少なくともごはんだけは食べることができる兵の彼らでさえそうなのだから、重税に苦しめられる貧困層のつのなしにいたっては憎悪はさらに深まるとも。聞くにつけても憎悪のるつぼというか、あまり下手に刺激しないほうがいいような気がものすごくする。参謀のつのつきはそれを聞いてとても楽しそうにしている。頭の中でいったいなにを考えているのだろうかと、わたしは少し戦々恐々とせざるをえなかった。
 なんにしても、歴史上の化物よりかは目の前の敵のほうがいくらか厄介ということなのかもしれない。化物という扱いにはひどく釈然としないものがあるけれど、実際そういうふうに伝えられているのだろうからしかたがない。わたしがどうこういって収まるようなことでもあるまい。というか、わたしが口出ししたら絶対に今以上にこじれるだろう。見守るだけにするのが一番いいに決まっていた。
 ともあれ、そういう考えだったらもう少し対話の余地を見せてくれてもいいような気がしたものだけれど。参謀のつのつきもまた同じようなことを考えていたのか、彼女が問いかけるやすぐに明瞭な答えが小隊長のつのなしから返ってくる。
「そちらが上手うわてらしいというのは薄っすら分かったが、それよりもっと大切なことが、まだわかっていなかった」
「と、いうと?」
「あんたらが腑抜けでないか、どうか、ってことだ」
 それはどうやら、捕虜としてのつのなしの扱いがずいぶん丁寧だったことがかえって災いしていたみたいだった。小隊の所属は帝国にあたるから、捕虜を処分することによって受ける報復をつのつきたちが恐れているのではないか、と。敵対的であることに積極的ではないのではないか、と。実際つのつきたちは自分から領土を広げるために進軍することをあまりしなかったから、そう考えられるのも決しておかしなことではなかった。何度も何度も攻撃を受けていて、それでいて反撃の部隊をまとめて送り出すようなこともない。つのつきの指揮官にいわせれば「大したことは、ない。やらせておけ」といったものだけれど、敵方から見ればやられっぱなしと言えなくもない、ということ。
 それに対する参謀のつのつきの見解は、このようなものだった。
「やるときは、綺麗さっぱり、やるものですよ。一気にね」
 底冷えのするような笑みだった──実際につのなしの顔が軽く固まっていた。捕虜のつのなしたちの総意を固めるにも、どうやらそれは十分な効果を発揮してくれたように思う。
 なにはともあれ、意見がまとまったのならば話は早い。タダ飯を食べさせ続ける義理はないとばかりにものの数日で出立の用意は整ってしまう。五人以下の少数のつのつきが援護するかたちで小隊に付き添い、つのなしたちは彼らの領地まで一気に向かうことになった。
 とはいえ、事はそう簡単ではない。月のない夜でも選べば楽にいけそうなものだけれど、そこで問題になるのが地形だった。
 つのなしの元いた要塞は森の中──深い森を切り開き、くり抜いたような場所につくられていて、通り抜ける道はひどく限られる。当然、ここに見張りを置かないはずがない。まともにやったら当然見つかってしまうだろうし、万が一逃げ延びたとしても、その先でたくさんのつのなし兵に待ち構えられていたりしたら一巻のお終いだろう。つのなしたちの前線要塞のほうでは、とっくに彼らが死んだものと扱っている可能性が濃厚らしいとのこと。そんな彼らがひょっこり見つかってしまえば、よくてまた帝国に酷使される生活に逆戻り。どういう理由で戻れなかったのか、戻ってこられたのかということにもなるし、悪ければ叛乱の疑いをかけられても全くおかしくはない。こそこそと逃げ隠れるように夜に現れたりするならなおさらだった──ちょっと里心がついたとか、そんな話では絶対にすまされない相手なのは明らかだった。
 なので任務は秘密裏に行われる。要塞のつのなし兵の眼をごまかすために別働隊が散発的な攻撃をしかけて陽動、その間につのなしの小隊が浸透突破を試みるという作戦。想定外の障害が発生した場合には、付き添いのつのつきたちも全力をもってその排除にあたるという算段だった。
 彼らに付き添うつのつきはみんなが一流の密偵と噂され、その隠密の技量たるや敵要塞に入りこんで隅から隅まで洗い出しては難なく脱出することも不可能ではないとうたわれるほどのもの。祖先をさかのぼっていけば、かつて帝国軍を撃退する際に暗躍した"奇襲部隊"のつのつきに行き当たるものも少なくはない。彼らに共通することとして、他のつのつきよりも少しだけ角が短いということがあった。そのために帽子なんかをかぶれば、つのなしたちにまぎれることも比較的容易い。
 彼らの役割はつのなしの小隊を支援することでもあり、つのつきたちと連絡を取るためのつなぎでもあり、そして当のつのなしたちを監視することでもあった。つのなしたちの故郷がいかな苦境に置かれていようとも、おいそれと信用できるわけはない。もし不幸なことがあった場合には、つのつきたちの矢先はすぐさま小隊のつのなしへと向けられることになる。そのことは当のつのなしたちも、すでに承知していることなのだろうと思う。
 かくしてつのつきの別働隊は敵前線の要塞近辺で潜伏。つのなしの小隊をふくむ本隊──というよりも、それはもはやつのなしの叛軍の萌芽とでもいうべきものなのだろうと思う。彼らは別働隊から離れた地点で待機して、攻撃が開始されると同時に進行を開始する。それはたった二十人にも満たなくて、民族すらも交わらず、それどころかつのつきはつのなしたちから嫌われてさえいる有り様だったけれども。
 その憎悪をさえも横において、別働隊のつのつきたちが空に号砲を打ち上げる。全体が慌ただしく、それでも整然と動き出す。それぞれの作戦行動が開始される。
 それはさながら、広大な帝国領の牙城の一端が崩壊する、始まりの鐘のようだった。

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