つのつきのかみさま

きー子

国土の時代/1

 朝が来る。目覚めとともに、つのつきたちは動き始める。それだけは、つのつきの今も昔も変わらなかった。
 一目ではみんなを見渡すことができないくらい、本当にたくさんの──まるで地表を埋め尽くしてしまいそうなほどに、ちょっと見ただけでは黒くちいさな点々の集まりにしか見えないような、たくさんのつのつき。その領地は以前とは比べものにならないほどに広大で、またその数はわたしなんかじゃ決して数えきれないくらいに大きな数になっていた。城壁に囲われた都市にいるつのつきもいればちいさな村々に点在するつのつきもいて、つのつきが最初に暮らし始めた領地などは今や"はじまりの地の彼女"が眠る聖地に定められている有り様だった。いいことなのか悪いことなのか、わたしにはわからない。代々その地に暮らしているつのつきは云百年も絶えずにいて、けれどもそこより賑やかな要塞があるのを寂しく思う気持ちもやっぱり無いではない。
 昔ながらの農作や狩猟をやるつのつきはまだまだ少なくなくて、むしろ以前よりずっと盛んになったくらいだった。そうでなければ、あんなにたくさんいるつのつきたちをみんな養えるはずもない。けれどもそれはあながち大変なばかりでなく、作業量でいえばかえって楽になっているといってもいい。家畜を利用したり、金属製の農具をつかったりすることで、農作の手間を大きく省けるようになったのだ。より強く、より多くの実りを芽生えさせる種をかけあわせることによってより良い種を生み出すといった研究も行われて、そのおかげで例えちいさな農地であろうとも以前よりもずっと多くの農作物を収穫できる。それはいわゆるつのつきたちの先人の知恵で、長い時間をかけて引き継がれながらも繰り返されてきたつのつきの叡智の賜物とさえいえるものだった。
 そんな流れの根底にある薬師のつのつきも、今はもういない。彼女もまた、わたしを神様といった彼女のように、空の向こう側に還っていった。わたしがつのつきたちを生み出したわけでもなければ、命というものをわたしがどうこうできるわけもなく、だから彼女たちがわたしの元に来るなんてありえなかった。わたしはただ、空高くに昇りつめていく黒い煙を見守るばかりだった。彼女はもういない。彼女たちから何世代も隔たった今でも、わたしはそれを思わずにはいられないでいる。
 つのつきたちは死ぬ。どうしようもなく死ぬ。どれだけ栄華をきわめても、どれだけ繁栄して地に満ちようともいずれは死ぬ。それはどうやっても代えがたい本当のことだった。肉体を持たないわたしとつのつきとの、それはあまりに決定的な違いだった。
 それでもわたしは、つのつきたちを見守り続けた。約束だからという理由ではなかった。それだけであるはずもなかった。わたしはほとんど縋るみたいに、つのつきたちが挑む探求の日々を見守り続けた。つのつきたちとわたしのはざまに、どうしようもなく横たわる隔絶を埋めてくれるものを、わたしは願った。つのつきたちこそがわたしに祈りを捧げるというのに、そのわたしが願っているのだから、我ながらだめなかみさまだった。今やつのつきたちは祈りを捧げるにも立派な祭壇────神殿というきらびやかで頑丈そうな建物をこしらえていて、それはわたしがびっくりしてしまうくらいの発展だった。土の下を掘りこんだり、木と藁で仕立てた簡素な平屋とはずいぶんな違い。
 けれどもその大変な威容は、ともすれば、つのつきたちがわたしとの差異を思い知ってしまった証のようにも見えた。それはあるいは身の丈というものを知ったといえるのかもしれないけれど、わたしはそれが少しだけ悲しかった。かつて酋長であった彼女の末裔たる少女は欠かさず毎朝祈りを捧げてくれて、それがわたしの救いといえば救いだった。数少ない心の慰み。そして賑々しく都市の大通りを行き交うたくさんのつのつきたち。それを見守るのがわたしの唯一やることで、できること。そうしていると少しばかり気が安らぐような思いもするので、これはもうちょっとした病気かもしれなかった。云百年とやっていればもう治しようがないだろう。末期というのも生ぬるい。
 つのつきたちの探求、とはいっても決して大層なものではなくて、それは初めこじんまりとした学校から始まった。それはつまり、薬師のつのつきがやっていた弟子を取るという営みを拡張したようなもの。多くの分野に長ける師弟が入り交じることで多様性が生まれ、また違った物の見方を創出することができる。"つののしらせ"を持つつのつきたちは、それをとても効率的にやった。結果的にそれは各専門分野で突出した研究成果を産み出し、つのつきたちの持つ技術は飛躍的に発展することになった。医療に通じる調剤などはいわずもがなで、例えば冶金の発展は便利な道具を数多くつくりだすことに貢献する。鍛冶といったらどうしても武器なんかがはじめに浮かんでくるけれど、先にいったみたいに農具の進化もこれに寄るところが大きい。頑丈で速く長持ちする荷車にも欠かせない。建築にも多くの素材を取り入れることができるようになってくる。神殿をきらびやかに飾る硝子なんかは、まさにこういった技術発展によるところが大きかった。それはまさに、つのつきたちの歩んできた軌跡の象徴ともいえるくらいの一大事業だったのだ。
 研究は時に実際的な利益だけではなくて、思想的なものにも手がおよぶ。つのつきたちが好んで研究対象に選んだのは、つまり、彼ら自身──つのつきという存在そのものだった。
 それはわたしにとって盲点といえた。わたしはずっとずっと長い間つのつきたちを見守り続けて、なんとはなしに彼らみんなをわかったようなつもりでいたけれど、実のところはそうではない。わたしはつのつきというものをなにもわかってはいなかった。どうして彼らの角は不思議な力を持っているのか、どうして彼らの角はなにがあっても欠けることがないくらい頑丈なのか、そもそもどうしてつのつきたちは生まれながらに角を持って生まれてくるのか──彼ら以外の地表の民は、みんな角を持たないつのなしであるというのに。
 つのなしがつのつきと化する例は歴史上少なくなかったので、つのなしもまた潜在的に角を持っていて、けれどもたまたま角が生えてこなかっただけのこと。つのなしもまた元からつのつきなのだと、そんなふうに考えられたこともあったけれど、それは程なくしてなかったことになった。ひょんなことからつのなしを腑分けする機会にめぐまれたつのつきの学者が、そうではないことを確認したからだった。つのなしがつのつきと化する例は、やっぱり、後天的につのつきに"成る"みたいだった。なにかがわかったようで、結果はかえって謎が増えただけだった。
 つのつきとは、なんなのだろう。それはわたしがわたしに向かって抱いた疑問にも似ていたけれど、それよりもずっと根深い疑問に思えた。だってつのつきたちひとりひとりには名前があるし、生まれの親も明確であるから、少なくともつのつきは自分が何者かははっきりしているのである。ただ、つのつきという全体の種──つのつきたちがいうところの"メーヴェの一ツ角の民"とは、いったいなにものであるのか。わたしなんかにはぜんぜんわからなかった。わかるわけがないので、わたしに聞かれてもとても困る。だからこそ、それがわかるのはつのつきを差し置いて他にないだろうと思う。そうも思えば、やっぱりわたしはつのつきたちを見守るのをやめるわけにはいかなかった。
 つのつきたちはまず、探求の手始めに、絶好の研究対象を持っていた。"つののしらせ"。つのなしとつのつきを決定的に分かつ、角の有無にともなう能力の差異。それこそがつのつきという民の根底に通じるように考えられたのだった。いずれにしても何かの役には立つかもしれないから、是非やろうということになった。
 つのつきたちが食べるものにも着るものにも住むところにも困っていたときがあったけれども、そのころわたしは必要は発明の母と思っていた。つのつきたちは水を手に入れやすくするために土木工事をやったし、獣を効率的に狩るために弓や槍なんかがつくられた。けれども、実のところは違った。つのつきたちはどちらかといえば、必要に駆られて行動するより、まず先に行動をすることが多いくらいだった。まず気がおもむくままに研究を極めて、そこでもしなにか新奇なものが発明されたら、どう使うかは後で考えればいい、という感じ。"つののしらせ"のおかげで発明に対する理解は素早く、色んな土地に住むつのつきがそれぞれに好き勝手な物言いをするものだから、応用する方法については全く事欠かなかった。方針そのものは端的にいっていい加減とすら言えたけれども、そのおかげでつのつきは多様な文化や文明を築き上げられたのだから世の中なにが幸いするかわからないと思う。
 まず考えられたのは、"つののしらせ"とはなんなのか、ということ。ほとんど無意識に使われているその力は、とても大雑把にいえばつのつきたちが他のつのつきたちに"共感する"能力だ。わたしはそれを実際に体験できるわけではないけれど、外から見ているだけでも共感の度合いはかなり深いように思われた。時に物の考え方や記憶まで共有しているようなふしもあるし、つのつきたちの頭の中でなら共有できないものなんて無いようにさえ思えた。けれども他のつのつきたちと無差別に繋がりあっているわけでは決してなくて、どうも無意識下での選別が角で行われているみたいだった。そうでなければ、今や数多いるつのつきの感情をいっぺんに共感してしまい、当人の心がひどい混乱を起こしてしまうではないか、とのこと。確かにその通りだった。百に届くかどうかくらいの数だったころには考えもしなかったけれど、つのつきたちの数はとっくにその十倍を割らないくらいのものになっている。がんばって一から数えてみたけど、途中でどこまで数えたか、すでに数えたか数えていないかがわからなくなって諦めたくらいだった。国土の要衝に建てられた都市なんかは特につのつきの数が多くて、彼らがよく行き来する流動性の高い場所でもあるからなおさら難しい。数えられるわけがなかった。その周りにいくつも点在する昔ながらの農村ならば、まだなんとかならなくもないのだけれど。
 ともあれ、"つののしらせ"という力についての仮説が議論と思索の中で少しずつ組み立てられていく。必然的に生じる穴を、微修正を繰り返されながら埋め立てていく。それが正しいかどうかはともかくとして、それらしい説明ができるよう筋道だった理屈が積み上げられる。それは一見無意味なようで、無意識に使われていた"つののしらせ"を意識的に運用するには必要不可欠なものだった。問題は仮説が真実かどうかではなく、つのつきたちの中での意識付けが定まるかどうかというところにあるみたいだった。
 いわく"つののしらせ"とは、角を基点にして展開される空想の網の目のようなもの。それはつのつきひとりならば何の意味もない力だけれど、ふたりのつのつきがいることにより初めて意味を持つ。それぞれに展開したお互いの網の目が絡まるみたいにして繋がり合い、ひとつの大きな網を編み上げるのである。つのつきたちはこの網の目にまで、例えば感じたことや考えたこと、思い描いた空想や過去の記憶なんかを行き届かせることができる。これはつのつきたちがほとんど無意識的にすることで、だから当人が共有したくないと思っていることが共有化されることはまずない。反対に必要になったとき、抵抗がなければそれはすぐに網の目にまで送られる。受け手側のつのつきはまた無意識に空想の網の目に手を伸ばし、共有されたものをまるで我が事のように感じることができる。受け手側も望まないものをわざわざ共感してしまうことはまずない──それでもつのつきたちの多くが死というものを共感して知っているのは、つまり彼ら自身が望んでそうしているからだった。男性でありながらに悪阻つわりの苦しみを知るつのつきが少なくないのも、やっぱり同じことだった。そこには苦痛を分かつことによって和らげるというつのつき古来の奇妙な感性があって、ひょっとすればそれこそがつのつきの力の源なのではないかとも考えられた。力によってつのつきたちの感性が育まれたのではなく、その感性がつのつきたちに不思議な力を発現させたのではないか、と。
 果たして真偽は定かでないけれど、ともかく網の目になぞらえられた"つののしらせ"の理論は、それなりの説得力をもって巷間に知られることになった。名前も知らないし出会ったこともないつのつきとは"つののしらせ"が働かない、という事実にも説明がつくからだった。一方で名前さえ知っていたら遠隔地からでも言葉を通じ合わせることができた例もあるので、角が展開する空想の網はかなり強固なものらしい。あるいは共通の友を経由して網の目を繋ぎあわせたという可能性も考えられると思う。
 そのどちらが正しいかは置いておく。それは重要なことではない。重要なのは、俗に"天羅地網"とあだ名される理論がつのつきたちの知るところになったことで、"つののしらせ"の意識的な行使ができるようになったこと。つまるところが理論の応用で、つのつきの学者たちによって生み出された発明の活用。わたしにはそれがどれほど凄いことかなんて、いまだぜんぜん及びもつかないことだった。しいて言うならばやり取りする情報量が以前よりずっと増えたみたいで、頻度も頻繁に、速度もよりなめらかになって滞りなく。すごいことなのは間違いないというのはかろうじてわかるのだけれども。
 だからわたしがその真価を知るのは、やはりというべきか、情けないことだけれど、戦場の中だった。
 帝国のつのなしが威力偵察をしかけてくるいつもの日常で、わたしはそれを嫌というくらいに思い知らされることになる。

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