つのつきのかみさま

きー子

領地の時代/10

 羽飾りのつのなしの将は西門からの撤退を果たしてすぐに、いきなり切って返すかたちで正面のつのなし軍との合流をはかろうとする。散々にやられたのだから少しでもその分を取り返そうという気持ちはわからないでもないし、なにせ北門付近での戦況が伝わってきていないのだから無理もない。使いの者を遣って確認するには時間がかかってしまうし、のろのろしている間に乗り遅れてはたまらないと思ったのかもしれなかった。駆け抜ける騎兵隊はつのつきに打ちのめされた後にも関わらず、半数近くの犠牲を出したにも関わらず存外に士気は下がっていない。むしろ恨み骨髄といった感じで戦意は高まっているようにも見える。
 けれども、さすがに森の中に入ってからは、後悔している様子が明らかだった。彼らの勘がもう少しよかったなら空へと抜けていく黒煙から戦況を察したかもしれないけれど、将から兵に至るまで戦に逸るつのなしたちの頭はそこまで回らないみたいだった。たぶんわたしとあまり変わらない。肉体への危険がさし迫っているのだからそれ以上かもしれない。肉体がないのは不便だと常々思うわたしだけれど、あるならあるでやっぱり大変なのは変わらなさそうだった。
 いくら勢いに乗ってはいても、騎兵の突撃は森の中で活かされることは決してない。よもや当の騎兵であるつのなしが承知していないわけはないし、だから、森の真っ只中から攻撃を受けるなんてことがはなから想像の埒外だったのだろう。そこはつのなしの正面軍を崩壊させたつのつきの奇襲部隊の庭ともいうべき場所であって、西門で受けた射撃とは比べ物にならないほど容赦のない射撃を四方八方からめちゃくちゃに浴びせかけられることになる。そこで逃げられるのならまだぜんぜんよかったのだろうけれど、森の狭い道は一概にそれを許してはくれない。誘いこまれるようにして突き進みながらつのなしは数を刻一刻と減らしていく。しかし意外にも被害はそんなに多くはない。少数の騎兵だからこそ遠慮なしに速度も出せるし、そのおかげでぐっと被弾が減っているのかもしれなかった。
 けれども遠目にそれを見れば気づかずにはいられない。門の向こう側には確かに彼らの同胞であるつのなしがいるけれど、少なくとも騎兵のつのなしはひどく驚愕したようだった。
 門前はまるでつのなしの死体がいっぱいに敷きつめられたかのよう。その波は拠点の内側にまで続き、中では武装を解除されたつのなしがたくさん虜にされている。一般の歩兵はおろか、将の位と思しいたてがみ兜のつのなしさえも例外ではない。ここにきてようやく、羽飾りのつのなしも自軍の大敗を理解したみたいだった。そして、ぐずぐずしていれば彼ら騎兵隊もまた死者の仲間入りをする羽目になるということも。
 そこからのさらなる撤退は驚異的だった。反転する瞬間を狙った奇襲部隊の追撃は彼らの戦力を容赦なく削ぎ落とすも、まだ部隊の体裁は整うくらいの数が残っている。単なる矢にはおよばず火矢に毒矢にと無慈悲もここに極まれりといった矢勢を次々に射掛けられ、それでも羽飾りのつのなしの将は部隊を率いてほうほうの体で森を脱出。その外側にまでつのつきたちの追撃が及ぶことは流石になく、あえなく残党を逃してしまうかたちになる。
 つのなしの騎兵隊──その残党はほとんど馬を潰しかねない勢いでの撤退を続行する。平原を抜けて向かう先はいうまでもなく、つのなしの兵が占領して支配下に置いていた村の方向だった。
 羽飾りのつのなしの将は自ら殿に立ち、しきりに率いる兵を叱咤して駆けつづける。あれほどの目にあってまだ意気が残っているのだからおそろしい執念だった。なんていっているのかはわからないけれど、麾下の騎兵を叱りつけ、励まし、勇気づけ、逃げ延びる気力が続くように鼓舞しているのであろうことは間違いがない。どんな風に正面軍が壊滅したかも定かではなく、自分たちもまたひどい有様でも。あるいは、大軍を抜かれた光景を知らないからこそその気力を保っていられるのかもしれなかった。なんにしても、まず生き残らなければ話にならないのは確かだった。その点ばかりはつのつきたちとつのなしが一致するところ。生き残っていれば立て直しだってはかれるかもしれないし、けれども死んでしまったらなんにもならない。
 しばらくして、つのなしの騎兵隊が駆け走る前方につのなしの村が見えてくる。当たり前ではあるけれど、後ろから追跡をかけるつのつきの姿はひとりもいない。途中で重傷のつのなしから落伍兵を出してしまって、騎兵隊の兵数はすでにたった十人になってしまっていた。しかしそれでも、わたしから見れば十分に奇跡的といっていい。無防備かつさしたる数でもないつのなしの騎兵隊が、無防備なところにつのつきたちの奇襲をまともに受けて、それでもなお生存者をしっかりと残しているのだから。あるいはそれこそ、つのなしたちの日々の訓練の賜物というべきなのかもしれない。
 なかば血走った目で叱咤激励を飛ばしていた羽飾りのつのなしも、ここに来てようやく一息がつけるといった感じ。騎兵隊のつのなしは逆向きの鏃のような陣形を取り、左翼と右翼への警戒は欠かさないようにしながら村の門へと一目散。殿しんがりにいる将のつのなしは何気なく村内の監視塔を見上げて、いぶかるみたいに瞳を細める。監視塔には誰もいなかった。誰もいない。ただそれだけ。いるはずの監視のつのなしはそこにはいない。
 兜の下に潜んだ羽飾りのつのなしの瞳が、かっと見開かれる。なにか慌てた様子でわたしにはわからない言葉で周りのつのなしに怒鳴りつける。けれどももう遅い。陣頭を進むつのなしの騎兵がすでに、村の門をくぐりぬけてしまっている。
 僥倖は、そこまでだった。
 すでにつのなしの村は、彼らの占領下にはないのだから。
「射て」
 ひとりのつのつきの声がした。狩人の冷徹な声色。同時にひゅんひゅんといくつもの矢がまっすぐに飛来して、居並ぶつのなしの騎兵を次々と正確に射抜いていく。油断していなければ防御することは難しくなさそうだけれど、彼らからすれば完全に不意をつかれた格好だろうと思う。後続の騎馬もまた止まることができず、今度は騎馬から正確に一匹ずつ射られていく。つのなしの兵たちはわけもわからないまま土の上に投げ出される。追い打ちもいいところだったけれど、彼らを迎え撃つつのつきたちにとってそんなことは知ったことではないだろう。強襲部隊であった彼らはいまや村を守護する護衛部隊であって、陣形を組んで突っ込んでくる騎馬隊はもちろん敵だ。敵に決まっていた。
 残ったつのなしの騎兵隊の生存者はわずかに七。一方つのつきだってたったの十でしかなく、その数だけ見てれば力づくでひっくり返すのはそんなに難しくはないように見える。羽飾りのつのなしもまたそう思ったのかもしれない、一気につのつきとの距離を詰めようとする──たくさんの、五十も残っていたはずのつのなしの守兵はどこにいったのかという話さえ別にすれば。
 けれども、そうはさせまいとつのなし騎兵の進路に割りこむものがいた。村のつのなしたちだった。つのなし兵らに押収されていた武器はすでに取り戻している。それぞれが金属器──刃金というらしい灰色の金属でつくられた槍を手に、つのなしたちは十人単位で方陣を組む。槍衾を立てる。騎馬は突破力を殺されて死ぬ。
 つのなし兵みんなが騎馬から振り落とされる。将のつのなしの頭から羽飾りのついた兜が転がり落ちて土にまみれる。彼らは一様に周囲を見渡したり、今しがた突入してきた門を振り返るものの、とっくに手遅れだった。逃げ道は完全にふさがれている。さんざんに虐げられて、それでも生き残った村のつのなしたちの手によって。
 村のつのなしたちは、つのなしの兵らを包囲したままゆっくりと歩み寄る。少しずつ囲いを狭めていく。転がっていたつのなし騎兵の剣や槍が踏みつけにされる。あるいは手の届かないところに放り投げられる。羽飾りのついた兜が無造作に蹴っ飛ばされる。つのつきたちは弓を下ろして、その光景を包囲の外からじっと眺めている。
「いいのか」
「僕にはなにもいえません」
 狩人のつのつきが問う。傍らにいるつのなしの青年が静かに首を振った。彼は薬師のつのつきの元で静養していたから、村のつのなしたちと恨みを完全に共有しているわけではなかった。けれどもその眼に哀れみなんてものは一切ないし、止めるつもりも全くないみたいだった。
「そうか」
 つのつきの方も、特になにもいうことはないみたいだった。実際、同じ立場だったらつのつきたちもきっとそうした。あるいはそれ以上のこともやるだろう。傷みも、あるいは死の感覚さえも共有するつのつきたちは、生きながらにしてその苦しみの程を知っているのだから。なにせ彼らは角を通じて、死者の気持ちさえをもくみとっているようなふしがあった。
 村のつのなしたちの手には武器があった。あるいは畑を耕す農具があった。武器でなくても、痛めつけることができるならば何でも構わないみたいだった。彼らの数をみんなあわせれば、きっと三十はくだらないだろう。たくさんのつのなしが死んでしまったせいで以前よりはきっと心もとない数なのだろうけれど、騎兵隊の生き残りを踏みにじるには十分な数だった。
 村のつのなしのひとりが共同の墓地を指さしてなにかを叫ぶ。包囲があまりに狭まったせいでつのなし兵たちにはなにも見えていない。
「おまえたちが、やったのだ」
 狩人のつのつきが不意にいった。つのなしの青年が驚いたように眼を開く。
「わかるのですか」
「言葉はわからない」
 だがわかる、と狩人のつのつきは手短にいった。確かにそうだった。わたしにもわかるくらいにその意志は明白だった。
 狩人のつのつきが、言葉をいくつもなぞるように繰り返す。確かめるみたいに。他のつのつきたちにも言って聞かせて、わかるように。
「生きては帰さない」門を塞いだつのなしの叫ぶ声。
「やすやすとは死なせぬ」手にした武器を捨てて鍬に持ち替えた農夫。
「同じところに送ってやる」ごろりと守将のつのなしの首が投げ出された。
 悲鳴があがった。包囲されているつのなし兵のものだった。村のつのなしのひとりが鍬を叩きつけて黙らせる。
 彼らを虐げ、彼らに労働を強いるためにあった道具は今やつのなし兵たちに牙を剥いていた。けれども、殴られたつのなしはまだ死んではいない。収穫されるときをただ待つばかり。
「子どもが見るものではないと思う」
「あの御方はそうではないのです」
 村のつのなしたちをただ静かに見守る、つのなしの指導者。遠巻きにその光景を見る透明な瞳は無感情というほかない。
 つのなしの子どもはみんな集会場に集められ、ひそかにこの場から離されているみたいだった。わたしはぜんぜん気づかなかったけれども、確かに教育にはわるいだろうなと思った。
 けれどもツクヨミと呼ばれた彼女はその限りではないみたい。つのなしの青年がちいさく首を振る。特別な事情があるのかもしれないけれど、狩人のつのつきは深入りは避けた。肩をすくめただけのこと。
 一瞬して、暴力が吹き荒れた。悲鳴をみんな荒っぽい声がかき消した。わたしはただ見守っていた。といっても、つのなしたちがほとんど覆いかぶさるみたいになって見えなかったけれども。見えたのは飛び散る肉片とか、ちぎれた腕とか、吹き上がる血とか、飛び出た目玉とか、それくらいのものだった。
 収まったとき、生きていたのは四人だった。わたしはそれでも生きていることに少なからず驚いてしまっていた。つのなしの生命力はすごい。青あざにまみれ、傷だらけになって、血を流し、鎧の繋ぎ目なんかもぼろぼろになっているのに、生きていた。つのつきたちも凌駕しそうなくらいのしぶとさだった。生死を見分けるのはとても簡単である。ぴくりとも動かないか、ぴくぴくと痙攣しているかのどちらかだ。
 その時、少女は落ち着き払った静かな声で村のつのなしたちになにかを言った。途端につのなしたちはみんながそれぞれに、赤いものがこびりついた道具を下ろしはじめる。ふいに怒りを覚まし、取り憑かれていたものがふっと落ちてしまったようにみんなが落ち着きを取り戻していた。一言二言、少女がいくつか言葉を重ねると村のつのなしはそれぞれにその場を離れていく。何人かのつのなしが、ぼろくずみたいになったつのなし兵を抱え上げて連れて行く。死んだつのなし兵もまた葬られることになる。
「あれはなんと仰せられたのです」
「"晴天ならば生を。雨天ならば死を。命の采配は万天に"」
 その言葉に、狩人のつのつきは不思議そうに首をかしげた。意味を掴みかねたというわけではないと思った。響きはどこか呪文めいているけれども、つまりは占いのようなもの。けれども少女は、ツクヨミというものは、空模様を読むという触れこみであったはずなのだけれど。ずるい気がする。
「"我々が間違っているのならば、天が正して下さいます。いくらふたつの月を詠もうとも、明日になるまで真偽は定かでないのですから"と」
 それもまた少女の言葉なのだろうかとわたしは思う。一理はあるような気がした。やっぱりずるい気はするけれども。
「ふたつの月?」
「あの御方にはふたつ目の月が見えるのだそうです。夜だけではなく朝昼も」
「それで、月詠か」
 納得したような納得していないような感じで狩人のつのつきが頷く。ふたつめの月が見えるとして、それが空模様を読めることにどうつながるのだろうか。わたしにはぜんぜんわからないので、つまりそういうものなのだと思うしかなかった。
 ただひとつ、絶対にわかることがある。今の天気は雲ひとつ見当たらないくらいの見事な晴天ということだった。この天気が明日になったら崩れるなんて、ありえないことではないけれど、ちょっと想像できないくらいのいい天気。もし明日も晴れだったらつのなし兵たちはどうするつもりなのだろう、とわたしは少しいぶかしむ。
 翌日は土砂降りの雨だった。

 防衛線の決着がついたあと、拠点のつのつきたちは一日のほとんどを後片付けに費やしていた。生き残りのつのなしたちはそのいくらかが捕虜にされ、一部は武器や鎧を引っぺがしたあとで問いかけられる。村のつのなしたちに恭順して復興に誠心誠意身を尽くすか、否かである。渋ったつのなしは即座に殺された。後の禍根になりかねない種を残すわけにはいかないと、酋長のつのつきが率先してやった。ひょっとしたらなにもわからないままに兵隊として連れて来られたつのなしもいるかもしれないけれど、かといって襲いかかってきた敵のお腹に入れるようなごはんは一切ないのである。実際、さんざんに虐げてきた村のつのなしに今さら尽くすことを受け入れられないつのなし兵は少なくなかった。そのぶん死体がたくさん増えた。
 あまりに無慈悲な殺し方に震えがきてしまったのか、後のほうになるに従って恭順を誓うつのなしは少しずつ増えた。恐怖に駆られてその場だけ従っている可能性は否めないけれど、その手の輩は後々から教育していく魂胆が酋長のつのつきにはあるみたいだった。少数のつのつきにめちゃくちゃにやられた衝撃がこびりついているのか、心から誓っているように見えるつのなしの姿もしばしばあった。しばらくは村のつのなしからも疎まれるだろうけれど、その辺りはつのつきたちが間に入って調整して住み分けをはからうみたい。
「最後にものをいうのは時間ね。見守っていてくださることを願いたいもの」
 そんなふうに微笑む酋長はなんだか調子が良かった。けれども防衛がずいぶんとんとん拍子でうまいこといったのだから、今くらいは許されて然るべきだと思う。
 ────よくできました。
 あまり深く考えずにそう言ってみたのだけれど、彼女はあんまり気に入らなかったみたいだった。難しいと思った。昔はこれで通じたような覚えがうっすらとあるのだけれど。わたしも昔のままではだめということらしい。天気予報とかわたしもできればいいのだけれど、ないものねだりもいいところである。
 ともあれつのなし兵たちの処断を終えて、後片付けが始まる。いうまでもなく、あんまり愉快なものではない。厄介な敵のものではあるけれど、あくまでも死体は死体。きちんと葬る必要がある。おかしな病が流行ってはたまらないと薬師のつのつきは口を酸っぱくして言ったもの。
 葬り方について話し合ったあと、綺麗すっぱり焼くことになった。つのなしたちのやり方とはたぶん違うのだろうけれど、ここはつのつきの領地である。こんなところまで遠路はるばる訪れたからには、この地のやり方に従ってもらわなければならない。あまりにも膨大な数のつのなしの死体を葬るのはそれこそ一日がかりの大仕事で、空の高みまで上ってくる黒い煙も大変なことになっていた。つい先ほどに恭順を誓ったつのなし兵が黒い煙を見てパニックを起こしたりもした。さっきの戦場で披露された煙幕戦術のことを思い出してしまうみたいだった。どうやらさっきの戦場はわたしが思っていた以上にずっと、つのなしたちに大変な恐怖心を植え付けてしまっていたようだ。こわい。
 死体を焼いたあと残った骨は集めておいて、戦死者たちを慰霊する共有墓地にあとでまとめて埋めてしまうことになる。翌日は昨日の晴天から一転して盛大な雨模様だったから、あいにくお墓をつくる土木工事は先送り。つのつきたちは先に、後回しにしていた面倒事を片付けることにした。ちいさな部隊の指揮官、そしてたてがみのついた兜をかぶるつのなしの将。彼らをどうするかということだった。
 とはいえ、指揮官のつのなしの扱いは兵たちとほとんど変わらない。恭順か死のどちらかである。けれどもずいぶん異なり、そのほとんどが死を選ぶこととなった。その死に様はさまざまで、必死になって命乞いをするつのなしもいれば、まるで諦めたように無言で死を待つつのなしもいて、またあるいは多くの兵を死なせたことを悔いて自ら死を選ぶつのなしもいた。ひとりの兵の名を口にして、その安否を問うつのなしもいた。それはたまたま生きていて、また恭順を選んだつのなし兵の名前であった。そのことを告げると、安心したみたいにそのつのなしは静かに倒れた。なにを思って逝ったのか、わたしにはまるでわからなかった。
 最後に残されたのが、将のつのなしだった。彼については選択の余地はなかった。薬師のつのつきが通訳として傍らにつき、彼から情報を吐かせることに決めたからである。早い話が拷問だった。
 拷問とはいえ、薬師のつのつきがやるのだから力づくではもちろんない。手足を痛めつけてどうこうするのもひとつの手段ではあったけれど、そんな調子でやったら身体はすぐに壊れてしまう。それにつのなしの将はすでに死の運命を決めこんでいて、ちょっとばかり傷みを与えるくらいではその気持は揺るぎそうになかった。全てを話して恭順を誓えば、ここから解放して身柄をつのなしたちに引き渡す──といっても、それはやっぱり変わらなかった。ここで真にものをいったのは、皮肉にも酋長のつのつきがいった通り、時間だった。
 まずはじめに、彼らはどこの軍隊なのかを問う。つのなしの将は当たり前のように答えない。それでそのまま放置する。飢餓や渇きで苦しめるわけではない。それで死なれてしまったらとても困るので、ごはんはきちんと摂ってもらう。ただしその中に仕込みをする。薬師のつのつきいわく、喉を焼け付かせるたぐいの薬であるらしかった。そして彼女はいかにも意地の悪い老婆の声で、ちょっとささやいてみせる。
「口のきけるうちに、答えられる機会があればいいね」
 効果はてきめんだった。崩壊は見る間に早くなった。身体ではなく心のほうだ。つのつきは、その角で他のつのつきの気持ちをよく知ることができるからこそ、相手の気持ちというものに敏感だ。それは角を持たないつのなしでさえ例外ではなかった。日にちを重ねていれば、次第につのなしの将は自分からそれを口にするようになった。聞くことはないか、と。薬師のつのつきがそれをふいにして無言で去ったときがとどめだった。次につのつきたちが訪れたとき、彼は雪崩を打つようにして秘匿していた情報を語り始めた。
 彼らは北西から西南の一帯にかけてを領有する大きな領地──国に属していること。その国は各地でいくつもの民を相手に戦をしていて、彼が率いていたのは方面軍のひとつに過ぎないこと。彼らが支配下に置いたとある村から"内陸の人喰い鬼"と呼ばれる角持つ民のことを知り、今回の遠征に至ったとのこと。北面に位置する村を足がかりに地盤を整え、今回の進軍に踏み切ったこと。その他いくつもの細々としたこと。聞くべきことは全て聞き出された。
 鬼というのはどうやらつのなしたちの国の言葉で、頭から角が生えている異様な肌の色をした怪物であるらしい。失礼な話だと思った。つのつきには確かに角は生えているけれど、合っていることなんてそれくらいしかない。肌の色だってつのなしより少し色が濃いくらいのもの。怪物といえるところなんて、確かに大量の戦死者を出しているのだからわからなくもないけれど、戦の前からそう言われていたみたいだからそれは関係がない。それにどこからつのつきのことが知られたかというのも気になった。なにせつのつきたちはずっと長い間、他の民とはあまり交わることもなく暮らしてきたのだから。強いていうならば、ずっと前に、つのなしの狩猟団とはち合わせしたときくらいのものか。
 ……かつてのつのなしたちから話が伝わったと考えたら、そんなにおかしなことではないかもしれない。あるはずだと考えられていた報復がなかったのは、つのなしの大国の支配下に置かれていたから。つのつきの姿形は生き残りのつのなしから聞くこともできるだろうし、仲間をさんざんに殺された彼らがつのつきの脅威をことさらに大きく語ることも十分にありえる。つのつきが大国に討ち滅ぼされたならば間接的な復讐が成立するし、万にひとつ大国のほうが敗れたならば、彼らの勢力──ひいては支配下においた地域の締め付けがゆるむ可能性もある。どっちに転んでもおいしい話だった。
 ともあれ、そういうのを考えるのはわたしに向いていることではぜんぜんない。酋長のつのつきがきっとよくやってくれることだろうと思う。将のつのなしの話を聞き終えた彼女は思案げに瞳を細め、そして、ちいさく首を振って立ち上がった。すぐにはまとまりそうにないから、後でじっくり考えることにしたのだろう。
 酋長のつのつきは約束通りつのなしの将の戒めをほどいてやり、その身柄を解放する。彼の身体は少しも痛めつけられていないから、乱暴なことをしないか不安に思ったものだけれど、そんなことはぜんぜんなかった。深い沼みたいに濁りきった眼をして、つのつきたちに恭順を誓ったつのなし兵に引き渡され、引きずられていく。つのなしの将軍様を、北の村まで無事に護送すること。それが"元"兵であった彼らに言い渡された役目のひとつだった。
「本当によいのですか」
 その背中をすっかり見送ったあと、酋長のつのつきは訝しむようにいった。彼女はつのなしの将が全てを吐いたあと、綺麗さっぱり殺すつもりでいた。逃してやることは彼女の発案では全くない。
「いいのですよ」
 長老のつのつきは自信をもって断言する。つのなしの将に付き添っていったつのなしたちに、具体的な命令を与えたのは彼女だった。つのなしの将が生きるも死ぬも、彼自信の選択が全てを決めることになる。
「案ずることはないよ」
 今回の薬師のつのつきの役目はつのなしの将に情報を吐かせることであり、それ以外の話には全く関わっていない。あとはただわたしのように見守っていただけ。
「あれは必ず死ぬからね」
 けれども薬師のつのつきは、わたしにはぜんぜんわかりそうもないことを、まるで当たり前のようにきっぱりと言い切った。
 当のつのなしの将はといえば、つのなしたちに囲まれながらすっかり沈みこんだ様子で重い足取りを進めていた。最初のころ、まるで棒のように脚を動かしている姿にはまるで生気が感じられなかった。獣にでも襲いかかれたら、そのまま食い殺されてしまいそうなくらいだった。
 けれども少しばかり日をへだてれば話は違ってくる。閉じ込められている間、心の奥底に封じこめていたものが吹き上がるみたいだった。言葉こそぜんぜんわからないけれど、つのつきたちから受けた扱いをよく思っていないのは明らかである。どんよりと光を失ったような目も少しずつ輝きを見せていて、それは死ぬと決めていたつのなしが生きる意志をかいま見せるかのようだった。
 同時にそれは、失われた誇りを取り返すという意志でもあった。つのつきに奪われたものを、奪い返すということ。やられっぱなしでいるわけにはいかないと、手痛いしっぺ返しを食らわせてやると。将のつのなしを護送しているつのなしたちには、鬼なぞに服従を誓わねばならぬ苦境を味わわせてしまっているが、名誉を必ずや回復せねばならぬと。そのようなことが、密かにつのなしたちの後をつけている偵察部隊から伝わってくる。あれだけの戦死者を出してまだ戦う気があるのは本当に驚くべきことだけれど、彼は村の守兵が全滅していることをまだ知らないから無理からぬことかもしれない。ちょっとの留守の間に拠点が落とされているなんて、つのなしの常識内の速度ではまずありえないことなのだろう。
「まとめて始末しますか」
「酋長様は、まだ不要といっている。しばし待機だ」
 長老のつのつきが試したのは、つまり、将のつのなしが叛意を残しているかどうかということ。完全に折れていたならば、なにせ数百という手勢を率いた格上のつのなしである。彼らの国について聞いてみたいこともたくさんあったわけで、生かしておく価値はそれなりにあると長老のつのつきは考えていた。そしてその可能性はすでに消えた。結果的に酋長のつのつきが正しかったということで、早速始末の命令が"つののしらせ"で飛んでくる──かと思いきゃ、そういうわけでもないみたいだった。しかたなしといった感じで、偵察部隊のつのつきがつのなしたちの夜営を見張っている。ことはその日のうちに起こった。
「さわがしいな」
 焚き火が起こされているほうで、つのつきたちは何かその気配を感じ取ったみたいだった。空の高みから見下ろせばすぐにわかる。将のつのなしを護送していたはずのつのなしたちが、まさに彼を囲んで棒で叩いていた。寝こみを袋叩きにする問答無用の襲撃だった。その光景を垣間見るや否や、偵察していたつのつきたちさえ呆気にとられたみたいだった。
「なんだ……あれは」
「奴ら、みな農民の出のようですな」
 呆然とつぶやく隊長のつのつきに、若い補佐官がすばやく口添えする。彼は奇襲部隊の中で頭角をあらわしたつのつきで、遥か遠くの音や震えを取りこぼすことなく拾い上げるとりわけ優秀な角を持っていた。つのなしたちの言葉もすこしはわかるみたいだった。
「無理やり戦に連れてこられたようです」
「道理で若いやつばかりなわけだ」
 納得したように頷くつのつきたち。一方でつのなしたちは完全に殺気立っていた。ただごとではない。将のつのなしは何かを必死になって叫んでいるが、周りのつのなしたちは聞く耳をひとつも持たなかった。叫び、怒鳴り、怒りをぶつけるようにして木の棒を思いっきり叩きつけていた。
 彼らのようなつのなしにとって、誇りや名誉など知ったことではないのだろう。おおむねわたしも同感だった。誇りや名誉でごはんは食べられないので、つのつきたちにも第一に健康を大切にしてほしい。お腹を満たさないものは二の次でいい。
 あまりに容赦のない打擲にすこし引いてしまったわたしだけれど、考えてみればつのなしたちの怒りはもっともだった。国を離れた遠いところで無理やり戦わされるだけでも我慢ならないだろうに、山のような死者が出る中で命からがら生き残り、それでもまだ将軍のつのなしは戦争をやり足りないというのである。そりゃあ怒ると思った。わたしだって怒る。怒りのままに叩く音がする。すこしずつ囲いの中心からあがる悲鳴が聞こえなくなって、次第に聞こえるのはめった打ちにする音だけになる。湿った音が混ざりだす。そしてなにも聞こえなくなった。
 つのなしたちは死体を野ざらしにして北方の村へと向かう。将のつのなしを始末することが、彼らの役目のひとつでもあったのだろう。そして薬師のつのつきは、こうなることをきっと確信していたのだろう。
「終わったようです」
「帰ろう」
 隊長の判断は迅速だった。滅入った表情だった。つのつきの被害は決して多くはなかったけれど、短い間にあまりに多くのことがありすぎた。疲れたようにため息をつくと、偵察部隊はみんな揃って一路つのつきたちの領地を目指す。
 戦争は、ほんとうに、おわった。

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