つのつきのかみさま
領地の時代/2
獣を手懐けること。長い年月を重ねるあいだ、つのつきたちが獣を家畜化しようと考えたのはこれがはじめてのことではなかった。
はじめは、羊。もこもことした毛皮にねじれたような角、そしていわずもがなごはんにするための肉。つのつきの反応を見れば独特のくせがあるようだけれど、それも味の範疇には違いない。それを苦手にするつのつきは、大抵遠くの水場から取ることのできる白い粒をふりかけて食べた。それをつのつきたちは塩と呼んでいて、かつてはなんだかよくわからなかったそれも今となっては広い用途で使われている。ごはんを食べるときの風味付けはもちろんのこと、塩漬けにすれば長持ちすることがわかったり、汁物に一匙あるのとないのではまるで出来上がりが違ってくるみたい。
これも水のように引いてこれたらよかったのだけれど、つのつきたちが話し合った結果それはあえなく却下されていた。塩っ辛くなった水はとても飲めたものではなくて、元ある水場と混ざってしまったら大変なことになる。湖の周りにはほとんど草木が見当たらないのもまた懸念の材料だった。もしかしたら塩の近くには、草木を枯らしてしまうような力があるのかもしれない。少なくともつのつきたちは、それを試すようなつもりは全くなかったようだった。当たり前といえば当たり前のこと。
はじめは湖の水から塩をつくるのも考えられようだけれど、雨がしばしば振るせいで難しくもある。たいていは水底でただよっている水藻なんかを押し車いっぱいに引き上げ、それを火にかけて抽出するという手はずになった。あまりたくさんの塩は採れないけれど、水草もごはんになるから決して悪いものではないみたい。汁物をつくるときの出汁にもなるようなのでなおのこといい。
なにはともあれ、羊だ。羊はいい。たっぷりとした脂肪がついているところもいいし、つのつきと違ってねじれ曲がったような角もかわいらしい。そしてなにより、気性が穏やかだった。ときおり草を食べすぎるのが難点だけれど、それも餌をしっかりとあげるようにすれば大丈夫。なのでメエメエとよくひびく鳴き声は、つのつきたちの拠点に今も少しばかりある。
けれども羊とは、わけがちがう。今回、狩人のつのつきが持ちこんだ獣は、鹿。羊とは比べ物にならないくらい大きく、俊敏で、そして雄々しく枝分かれした角を持つ、鹿だった。猪のような気性の荒さは持ちあわせていないけれど、それでも大人しいとはいえそうにない。特別力強いとはいえないけれど、大きいことはそれだけでも力だった。勢いのままにぶつかってこられたら、それはちょっとした惨事になってしまう。こわい。
もちろんそこのところは今代の酋長のつのつきもよくわかっていて、承知のうえでくだんの狩人と面会することにした。その手には油断なく握られた槍がある。その先端にはやっぱり、輝かしいまでに真っ白な角。いざとなっては突き殺すのもやむを得ないという感じ。それはつまり手懐けたという報告も、ちょっと信じかねるかのような。
だからそれを目にしたとき、彼女はおおいに驚いた。わたしはあんまり驚かなかった。前もって見ていたからなのであって、はじめて見たときは驚かないわけがなかったのだけれど。
まだ年若い狩人は二十歳を前にするくらいで、さっぱりとした茶色の髪に目鼻立ちがくっきりとした顔つき。浅黒い肌が力強くて、農業にいそしむよりなお鍛えられたような雰囲気がある。作物栽培にあたるつのつきたちが衰えた──というより、狩猟をやるつのつきの数が減ったぶん、少数のつのつきがいっそう頑張って狩りに励んでいるせいかもしれない。そんな男性のつのつきは、くいとロープを引いて招き寄せる。ロープでつくられた輪っかが結びつけられているのは、角。鹿の角だった。
そんな扱いをしたら怒り出すに違いないと、酋長のつのつきは思ったのだろう。実際つのつきたちも、角に向かってそういうことはやらない。なぜかはわからないけど、大事にしているということは間違いないみたい。彼女は目を丸くしたあと、槍を持った手を軽く持ち上げる。そして、鹿がほとんど反応を見せないのに二度おどろく。それどころか大きな身体を寄りそわせるようにして狩人に近づくくらいで、誰がみたって「この通り」よく手懐けているのは明らかだった。
酋長のつのつきはめちゃくちゃに驚いていたけれど、その動揺を引きずったりはしない。おどろくべきものを目にして、そのまま続けた言葉は職人的なくらいに実務のお話だった。わたしならばこうはいかないだろうとしみじみ思う。
つまり問題は、どうやってそれを実現しているか。そして彼以外にもやれるのかということ。その二点に絞られるのは、すこし考えればわたしでもわかるくらいのお話だった。飼いならす方法がわからなければ飼い続けることができるわけはないし、彼だけが無事でも彼以外を害してしまうのなら意味が無い。
「難しくはない。子どものうちは出来ないかもしれんが」
狩人のつのつきがわたしでもわかるくらい簡単に述べるところによれば、つまり、大人ならば誰しも持っている角の力の応用であるということ。角が育ちきっていない子どもでは難しくとも、大人の目が届くところなら安全は保障される。仮にそれが無くとも、日頃の躾けをしっかりとやれば問題はないということ。実際に初対面そのものの酋長のつのつきに対し、鹿はほとんど恭順を示しているくらいだった。彼女はこれといってなにもしていない様子なのに。
力と聞いて、彼女はぴんときた様子だった。わたしは全くぴんと来ないのだけれど、つのつきの持つ力というものを知ってはいた。力といえるほどにはっきりとしたものでなく、ぼんやりとした感覚のひとつのようにわたしは思っていたのだけれど。
つのつきたちは、みんな"つののしらせ"とそれを呼んだ。ほとんど言葉もなしに気持ちを交わしたり、言葉が通ったりする。つのつきたちみんなが持っている角を通して、共に同じものを感覚すること。つのつきの知恵袋みたいなものである薬師のつのつきの言葉を借りれば、共感現象。それを力というのはどこか奇妙な思いがしたけれど、決して違和感ばかりというわけでもない。わたしはそれが発揮されるところを前触れのように見守っていたし、わたしのいうことがつのつきに通じるのも力のおかげと考えたら、色々と不思議だったことが解決する。
きっとそれは最近になって突然生まれたものではなくて、ずっと昔から──つのつきたちが角を持って生まれてきたときから、持っていた力なのだろう。つのつきたちは"それ"を薄ぼんやりと感じていて、けれども"それ"があることに気づいてなかっただけなのだと思う。
「よく言い、聞かせる。それだけです。こいつらの頭は、ものがわかる」
つまるところ、むざむざ狩られるよりかは──ということなのかもしれない。飼い慣らされるのとどちらがいいのやらわたしにはわからないけれど、種をつなぐ可能性があるほうを選んでしまうのが生き物の気持ちなのだろうか。いずれつのつきたちの血肉になることは変わりないのだと考えれば、ちょっと空恐ろしいものを感じないでもない。これはほとんど間違いなくつのつきの暮らし向きをよくして、またつのつきが増える理由にもなるだろう。そのためのつのつきの歩みはたゆむことなく際限もなくて、いったいどこまで行き着くものやら、わたしにはぜんぜん予想がつかなかった。
酋長のつのつきがうなずいて、そっと鹿の毛並みを撫でる。大きな鹿はその毛を逆立たせながら頭を揺すって大人しくするばかり。羊のときも少し思ったのだけれど、どこか似ている角を持つ獣をごはんにするのは、つのつきとしてはありなのだろうか。今さらのことだからありに決まっているのだろうけれど。つのなしを見てなおごはんにすることを考えた彼らなのだから、近しいものを自分たちの血肉にするという考えはいまだに根強く残っているのかもしれない。
ずっと昔にわたしがいったことを、つのつきたちは果たして覚えているものだろうか。先代酋長の彼女はいまだしっかり永らえているけれど、あのとき言いふくめた狩猟団の長はすでに倒れてしまっている。またつのなしと巡り合うときがあるとしたら、つのつきたちはどう考えるだろう。あの時よりはずっと多くの食べるものがあるけれど、いったいつのつきたちはどうするだろうか。
物思い、見守りながら、ふと気づく。
つのつきたちが鹿を手懐けること。わたしがつのつきたちを見守り、時にものをいって聞かせること。
そこにどれだけの違いがあるというのだろう。わたしはつのつきを取って食べたりしないけれど、それはものを食べるための身体がないからというだけのことに過ぎないのかもしれない。
もしもわたしがものを食べられるとしたら────つのつきたちの味見をしたくならない保証は、つのつきが減ってほしくないという以上には、すこしもなかった。
はじめは、羊。もこもことした毛皮にねじれたような角、そしていわずもがなごはんにするための肉。つのつきの反応を見れば独特のくせがあるようだけれど、それも味の範疇には違いない。それを苦手にするつのつきは、大抵遠くの水場から取ることのできる白い粒をふりかけて食べた。それをつのつきたちは塩と呼んでいて、かつてはなんだかよくわからなかったそれも今となっては広い用途で使われている。ごはんを食べるときの風味付けはもちろんのこと、塩漬けにすれば長持ちすることがわかったり、汁物に一匙あるのとないのではまるで出来上がりが違ってくるみたい。
これも水のように引いてこれたらよかったのだけれど、つのつきたちが話し合った結果それはあえなく却下されていた。塩っ辛くなった水はとても飲めたものではなくて、元ある水場と混ざってしまったら大変なことになる。湖の周りにはほとんど草木が見当たらないのもまた懸念の材料だった。もしかしたら塩の近くには、草木を枯らしてしまうような力があるのかもしれない。少なくともつのつきたちは、それを試すようなつもりは全くなかったようだった。当たり前といえば当たり前のこと。
はじめは湖の水から塩をつくるのも考えられようだけれど、雨がしばしば振るせいで難しくもある。たいていは水底でただよっている水藻なんかを押し車いっぱいに引き上げ、それを火にかけて抽出するという手はずになった。あまりたくさんの塩は採れないけれど、水草もごはんになるから決して悪いものではないみたい。汁物をつくるときの出汁にもなるようなのでなおのこといい。
なにはともあれ、羊だ。羊はいい。たっぷりとした脂肪がついているところもいいし、つのつきと違ってねじれ曲がったような角もかわいらしい。そしてなにより、気性が穏やかだった。ときおり草を食べすぎるのが難点だけれど、それも餌をしっかりとあげるようにすれば大丈夫。なのでメエメエとよくひびく鳴き声は、つのつきたちの拠点に今も少しばかりある。
けれども羊とは、わけがちがう。今回、狩人のつのつきが持ちこんだ獣は、鹿。羊とは比べ物にならないくらい大きく、俊敏で、そして雄々しく枝分かれした角を持つ、鹿だった。猪のような気性の荒さは持ちあわせていないけれど、それでも大人しいとはいえそうにない。特別力強いとはいえないけれど、大きいことはそれだけでも力だった。勢いのままにぶつかってこられたら、それはちょっとした惨事になってしまう。こわい。
もちろんそこのところは今代の酋長のつのつきもよくわかっていて、承知のうえでくだんの狩人と面会することにした。その手には油断なく握られた槍がある。その先端にはやっぱり、輝かしいまでに真っ白な角。いざとなっては突き殺すのもやむを得ないという感じ。それはつまり手懐けたという報告も、ちょっと信じかねるかのような。
だからそれを目にしたとき、彼女はおおいに驚いた。わたしはあんまり驚かなかった。前もって見ていたからなのであって、はじめて見たときは驚かないわけがなかったのだけれど。
まだ年若い狩人は二十歳を前にするくらいで、さっぱりとした茶色の髪に目鼻立ちがくっきりとした顔つき。浅黒い肌が力強くて、農業にいそしむよりなお鍛えられたような雰囲気がある。作物栽培にあたるつのつきたちが衰えた──というより、狩猟をやるつのつきの数が減ったぶん、少数のつのつきがいっそう頑張って狩りに励んでいるせいかもしれない。そんな男性のつのつきは、くいとロープを引いて招き寄せる。ロープでつくられた輪っかが結びつけられているのは、角。鹿の角だった。
そんな扱いをしたら怒り出すに違いないと、酋長のつのつきは思ったのだろう。実際つのつきたちも、角に向かってそういうことはやらない。なぜかはわからないけど、大事にしているということは間違いないみたい。彼女は目を丸くしたあと、槍を持った手を軽く持ち上げる。そして、鹿がほとんど反応を見せないのに二度おどろく。それどころか大きな身体を寄りそわせるようにして狩人に近づくくらいで、誰がみたって「この通り」よく手懐けているのは明らかだった。
酋長のつのつきはめちゃくちゃに驚いていたけれど、その動揺を引きずったりはしない。おどろくべきものを目にして、そのまま続けた言葉は職人的なくらいに実務のお話だった。わたしならばこうはいかないだろうとしみじみ思う。
つまり問題は、どうやってそれを実現しているか。そして彼以外にもやれるのかということ。その二点に絞られるのは、すこし考えればわたしでもわかるくらいのお話だった。飼いならす方法がわからなければ飼い続けることができるわけはないし、彼だけが無事でも彼以外を害してしまうのなら意味が無い。
「難しくはない。子どものうちは出来ないかもしれんが」
狩人のつのつきがわたしでもわかるくらい簡単に述べるところによれば、つまり、大人ならば誰しも持っている角の力の応用であるということ。角が育ちきっていない子どもでは難しくとも、大人の目が届くところなら安全は保障される。仮にそれが無くとも、日頃の躾けをしっかりとやれば問題はないということ。実際に初対面そのものの酋長のつのつきに対し、鹿はほとんど恭順を示しているくらいだった。彼女はこれといってなにもしていない様子なのに。
力と聞いて、彼女はぴんときた様子だった。わたしは全くぴんと来ないのだけれど、つのつきの持つ力というものを知ってはいた。力といえるほどにはっきりとしたものでなく、ぼんやりとした感覚のひとつのようにわたしは思っていたのだけれど。
つのつきたちは、みんな"つののしらせ"とそれを呼んだ。ほとんど言葉もなしに気持ちを交わしたり、言葉が通ったりする。つのつきたちみんなが持っている角を通して、共に同じものを感覚すること。つのつきの知恵袋みたいなものである薬師のつのつきの言葉を借りれば、共感現象。それを力というのはどこか奇妙な思いがしたけれど、決して違和感ばかりというわけでもない。わたしはそれが発揮されるところを前触れのように見守っていたし、わたしのいうことがつのつきに通じるのも力のおかげと考えたら、色々と不思議だったことが解決する。
きっとそれは最近になって突然生まれたものではなくて、ずっと昔から──つのつきたちが角を持って生まれてきたときから、持っていた力なのだろう。つのつきたちは"それ"を薄ぼんやりと感じていて、けれども"それ"があることに気づいてなかっただけなのだと思う。
「よく言い、聞かせる。それだけです。こいつらの頭は、ものがわかる」
つまるところ、むざむざ狩られるよりかは──ということなのかもしれない。飼い慣らされるのとどちらがいいのやらわたしにはわからないけれど、種をつなぐ可能性があるほうを選んでしまうのが生き物の気持ちなのだろうか。いずれつのつきたちの血肉になることは変わりないのだと考えれば、ちょっと空恐ろしいものを感じないでもない。これはほとんど間違いなくつのつきの暮らし向きをよくして、またつのつきが増える理由にもなるだろう。そのためのつのつきの歩みはたゆむことなく際限もなくて、いったいどこまで行き着くものやら、わたしにはぜんぜん予想がつかなかった。
酋長のつのつきがうなずいて、そっと鹿の毛並みを撫でる。大きな鹿はその毛を逆立たせながら頭を揺すって大人しくするばかり。羊のときも少し思ったのだけれど、どこか似ている角を持つ獣をごはんにするのは、つのつきとしてはありなのだろうか。今さらのことだからありに決まっているのだろうけれど。つのなしを見てなおごはんにすることを考えた彼らなのだから、近しいものを自分たちの血肉にするという考えはいまだに根強く残っているのかもしれない。
ずっと昔にわたしがいったことを、つのつきたちは果たして覚えているものだろうか。先代酋長の彼女はいまだしっかり永らえているけれど、あのとき言いふくめた狩猟団の長はすでに倒れてしまっている。またつのなしと巡り合うときがあるとしたら、つのつきたちはどう考えるだろう。あの時よりはずっと多くの食べるものがあるけれど、いったいつのつきたちはどうするだろうか。
物思い、見守りながら、ふと気づく。
つのつきたちが鹿を手懐けること。わたしがつのつきたちを見守り、時にものをいって聞かせること。
そこにどれだけの違いがあるというのだろう。わたしはつのつきを取って食べたりしないけれど、それはものを食べるための身体がないからというだけのことに過ぎないのかもしれない。
もしもわたしがものを食べられるとしたら────つのつきたちの味見をしたくならない保証は、つのつきが減ってほしくないという以上には、すこしもなかった。
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