つのつきのかみさま

きー子

領地の時代/1

 横殴りに吹きつけるような強風に、つのつきたちの拠点を覆い包むよう生い茂るたくさんの樹から、先っぽの尖った楕円形の木の葉がはらはらと散り落ちていく。けれども、地平を黄金に染め上げるような麦の穂がなぎ倒されることは決してない。それはさえぎるもののない平原にいくつもの年月をかけて育て上げられた樹の群れで、あるいは柵に支えられるようにしてぐるりと拠点を囲ってみせる石壁のおかげ。時には石が崩れてしまうようなこともあったけれど、本当に長い時間があって、つのつきたちの住まいにその防壁は築き上げられた。
 誰か、どこかに襲われたというわけではぜんぜんない。ただつのつきたちにとって、自然の災いこそが最大の難敵だったのだ。あるいはそれこそが他からの侵略をはばんだ一番大きな理由だったのかもしれない。それに対抗するための時間は、後になってはわたしがちょっと惚けているだけで過ぎてしまったみたいなもの。けれどもその実、それはほんとうに長い時間だった。百をこえてからは数え切れないくらいの月がめぐって、つのつきたちが減っては増えて、増えては減って──全体として見れば確かにずっと増え続けていて、ついにつのつきは百を数えるまでになった。こんなにもたくさんのつのつきがわたしの見下ろす先にいて、なのにつのつきが減るときのかなしみはいつまでも褪せることがなかった。つのつきが炎に葬られる光景をいくつも見て、わたしはそれをじっと見た。焼ける肉体と燃え残る角を、長いあいだずっと見守り続けた。
 けれども、慰みになることはいっぱいある。たくさんの実り、生まれるつのつき。たくさんのごはんが採れるようになって、そのおかげでつのつきが増えたってごはんに不自由するようなこともない。どんどん数が増えるにつれて、つのつきの土地はほんの少しずつ広がっていく。つのつきは、自分たちが生きて長らえるその土地を"領地"と呼んでいた。つのつきの領する土。悪くないひびき。
 つのつきの数はいっぱいに増えて、そのくせ住むための家なんかはそんなに増えていなかったりする。大きく頑丈な家を建てたあと、そこにたくさんのつのつきが住むようにしているせいだった。ずいぶんと大所帯になったのに、そんな風習はあんまり変わったところがない。古い時代のつのつきがまだ残っているからかもしれないけれど、かといって若いつのつきが嫌々ながらにそうしているというわけでもなし。それぞれがつがいや親と子として結びつけられているのとはまた別に、みんなが血を同じくする民だというみたいに。
 中でもわたしが一番うれしいことは──少なくとも平原を転々としていたころよりもはるかに、つのつきたちがぐっと長生きするようになったことだった。減らないことは、減ることよりもずっといい。食べるものがよくあるおかげで、お母さんの乳が出ないなんてことが少なくなったり。いまだ健在の薬師のつのつきがはつらつとしてよい薬を開発しているおかげでもあるし、水場が改良されたおかげで身綺麗にする習慣ができたのも大きかったのかもしれない。特に火を浸かって湯を焚くようにしたのは大きく、このおかげで冬の寒さにつのつきが耐えられるようになったといってもあながち過言ではないかもしれない。
 わたしはそれを弱さとは思わない。だって元のところがやせ我慢だ。肉体のないわたしに寒さというものはさっぱり感じられないけれど、毛皮のない身体を凍えそうに震わせる姿を見てわからないほどばかではない。それでも水仕事はどうしたって必要になるのだからなおさらだった。そうやってお湯を使えるのにしても、炭を長持ちさせられるようになったのが大きいのだろう。
 つのつきが長く生きるようになったことで、はじめてわかったこともある。ほとんどのつのつきが倒れるとき、その髪はつややかな色を持ったままだったし、痩せてはいてもその肉体はしなびてはいなかった。ただなにかが身体から抜けてしまったような、そんなほうけた顔をしているばかり。
 けれども彼女はそうではなかった。かつては鮮やかでさえあった長い髪は色が抜けきってしまったみたいに白く、それはなんだか雪のよう。肌も白くて血の管が葉脈みたいに浮かび上がってしまいそうなくらいで、手足はまるで枝のようにほっそりとした感じ。立ち姿は背が低くなってしまったのにかくしゃくとしていて最長老らしい威厳があるけれど、どうしたってその身体は衰えを隠せてはいなかった。
 彼女を、むかし酋長とそう呼ばれていたつのつきがどうしようもなく見舞われたもの。いくつもの長い年月を重ねるほどに、つのつきの姿形がほんの少しずつ変わっていく。それをつのつきは、老いといった。
 長く生きたつのつきは、老いる。どれだけ長く生きようとも、つのつきはいつか老いる。そして、いつかはわからないけれど、必ずいつか倒れることになる。それはわたしにとって、ちょっとどころではない衝撃だった。もしかしたら、ひょっとすれば、ずっとずっと長く生きるつのつきがひとりくらいはいて、ずっとこうして見守るわたしに付き合ってくれるのではないかと、そんなことを考えていたから。
 そんなわたしの思いの全く逆を行くみたいに老いを──その象徴みたいなしわを顔に刻み続ける彼女を見るのは、正直なところ、すこしつらいものがあった。それはともすれば、つのつきの遺体が葬られるのと同じくらいに。あるいはそれよりもずっと。全く別の痛みではあっても、感傷を覚えないわけではなかったから。遺体はほんの少しの時間で燃えつきてしまうけれど、彼女は老いを刻んだままでそこにいるのだから。
「──おかあ様」
 その身体でよもや働きに出られるわけはなく、彼女は隠棲するにも似て。普段はたいていつのつきの子どもたちに昔の事共を話し聞かせたりしているのだけれど、静まり返った夜などはその限りではない。彼女をたずねるつのつきも、また珍しいものではなかったからだ────彼女をそう呼ぶつのつきは、彼らの領地にたったの数人なのだけれど。
 老いた酋長をたずねたのは、妙齢を少し過ぎるかといったところのつのつき。決して若々しくはないけれど、母とそう呼んだつのつきに並んだらずっとずっと若く見える。一度わたしは見守るうちに、彼女こそがまさに酋長だったつのつきと見間違えたことがあった。それくらいに、彼女が年月を重ねたならばこうなるだろうと思うくらいに、よく似ていた。問題は、わたしの予想を年月は簡単に飛び越えていったということだった。
 実の娘であり、また今代の酋長でもあるつのつき。今夜うかがいに来たのはすこし特殊な用件であって、狩人をやるつのつきから持ちこまれた提案の吟味だった。いわく獣を手懐けてみせたもの、これを領地で飼育できないものかと。かつて草原の海を渡り歩いていたころの名残りで馬を使う技が伝え残されているのだけれど、狩りに相手取るような獣とはちょっとどころでなく勝手が違う。とても大きなししや鹿など、少数のつのつきでは手に余ってしまうことも珍しくない。ゆえに是非を問うためにも、御意見番ともいえそうな、長い年月の知見をたくわえた彼女が引っぱり出されたことになる。
 ──わたしが、酋長であった女性のつのつきを見続けるのを止めずにいたのは、ひとえにその振る舞いが変貌したわけではないからだった。契りを結んでうまれた子どもこそが酋長の座にあり、その子どもにもまた恵まれているのだから、まさかまるで変わっていないはずはないけれど。それでも変わり果てた姿のなかに、探し求めるまでもなく、彼女の面影を見て取ることができたから。わたしはいまだに、彼女を見守り続けていられるのだと思う。
 ゆえなき提案にはないでしょう、娘に言い含めるものは決して咎めるような色ではなく。にわかに緊張をおびた娘の頬を、老木のようにかわいたちいさな手がそっと撫でる。もはや娘よりちいさいのに、その仕草はまさに母親以外のなにものでもないようにわたしには見えた。
「心配することは、ありませぬ────神様は、今も私達を見守っていてくださっておるのですから」
 穏やかで理知的な言葉を裏付ける信仰心と長年の経験。まさかいまだに覚えていたなんてと、ほんの少ししか交わしたことのない言葉を反芻する。わたしのほうは半分くらい忘れかけていたというのに。もちろん、見守ることを忘れたりすることは決してないだろうけれど。
 あるいは娘のほうも心こそ定まっていたかのようにためらいのない頷き。ただ老いた母を思って祈るように、必要としていることを伝えるみたいに繁く通っているのかもしれない。細かなことはわからないけれど、きっと当たらずとも遠からず。わたしでも、見守るうちに少しくらいはわかるようになった、はずなのだ。肉体のないわたしでも、見るもののないわたしでさえも、きっとすこしは変わっているのだから。
 いくつ年を重ねてなおもなにひとつ変わらないのは、ぴんと凛々しく天を突くようなほっそりとしたしなやかな角。その角度さえ、老いた彼女の角は変わりがなく。
 角こそが、ただ角だけが永遠のようだった。

 ちなみに、もちろん薬師のつのつきもすっかりと老いていたのだけれど、なぜだかわたしはあまり衝撃を受けなかった。
 あんまりにも振る舞いが変わらなさすぎるし、長年の薬草摘みが祟って腰が曲がっているのに、ひょっとしたら以前よりも元気なくらいにはつらつとしているせいかもしれない。たぶんそのせい。きっとそう。
 ときおり怪しげな高笑いまであげるのがとてもわるいと、わたしは素直にそう思った。

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