花嫁、高額買い取ります!

いぬがみクロ

5.


 応接間の扉を開けると、ティーカップを口に運ぶマハが、ぎょろりと目だけこちらに向けた。ラシャの不在時に、別のメイドが食後のお茶を持ってきたのだろう。彼が飲んでいるのは、牛乳で煮出した紅茶である。

「それで、婚約者殿はどうした? そろそろ来てもいい頃じゃないのか」

 視線を泳がせ、ラシャは偽りを述べる。

「ええと……。お部屋を覗いてみたのですが、まだお化粧が終わっていらっしゃらないようで。アイシャドウの色が決まらないみたいです……」
「くそ……。どんだけ厚塗りなんだ」

 口ではそれ以上言わなかったが、マハはソファの肘置きにやった指を苛々と上下させた。

 ――あと何時間、足止めできればいいのだろう。

 ラグスットを逃がしてから、ようやく一時間が経とうとするところだ。首都へ辿り着き、式を挙げるのに、もう三、四時間あれば大丈夫だろうか。だがなにがあるか分からないから、できるだけ時間を稼いだほうがいいだろう。

「座れ」
「え!?」

 いきなり話しかけられて、ラシャの息は止まりそうになった。
 見ればマハはソファの隅へ移動し、空いた隣をぽんぽんと叩いている。

「あ、でも、私は使用人ですので、座るわけには」
「客の願いでも、聞いてもらえないのか。婚約者殿が来るまで、せめて彼女の人となりを教えてくれ」
「ですが……」

 ラシャが固辞していると、マハはわざと大きな音が出るように、パンパンとソファを叩いた。

「もう! 子供ですか!」

 仕方なくマハの隣へ腰掛けると、体重を受け止めたソファの座面がぐっと沈み、ラシャは思わず悲鳴を上げた。

「きゃっ……!」

 生真面目なラシャは、それこそ子供が大人になるだけの年月働いてきたこの家のソファに、今まで座ったことがなかった。だからこんなにもスプリングが効いているとは、知らなかったのだ。
 慌てふためくラシャを見て、マハは吹き出した。

「変な奴」
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか……」

 目を細めて屈託なく笑うマハは、幼く見える。ラシャはなぜか彼の顔をまともに見ることができず、膝の上で握り締めた自分の手をじっと見詰めた。

「婚約者殿は……ラグスットといったか。どういう女だ?」

 マハがそう尋ねた途端、ラシャはぱっと顔を上げた。

「ラグスット様はちっちゃくて、ちょこちょこっとしてて、すごく可愛いんです! 優しくて賢くて、当家自慢のお嬢様なんですよ! それから――」

 捲し立てるようなラシャの勢いに、マハは引き気味だ。
 ラグスットを語るとき、ラシャは饒舌になる。
 天使のように愛らしいのに、どこか遠慮がちな少女。だがラシャにだけは、家族同然に甘えてくれた。
 成長するにつけ、ラグスットは周りのことばかり気にするようになった。ガトゥールという迷惑な父親への非難を、自分のことのように受け止めて、傷つき、その様が痛々しくて、可哀想で……。

 ――だけど今日ラグ様は、この家のしがらみから解き放たれて、自由になれるんだ。

 とても素晴らしいことだが、ラシャにはひとつだけ残念なことがあった。ラグスットの花嫁姿を見られないことだ。
 いつか自分の大切なお嬢様は、愛する人のもとへと嫁ぐ。
 美しく装った、晴れの日のラグスットを見送りたい。そんな日が来るのを楽しみにしていたのに、まさかこんな慌しい別れを迎えることになるとは思ってもみなかった。

 ――お嬢様とは、もう会えないかもしれないんだ……。

「あ……」

 不覚にも涙が溢れ出し、ラシャは慌てて瞼を拭った。隣に座るマハは戸惑っている。

「なぜ泣く……?」
「す、すみません。お嬢様ともうじきお別れかと思うと、つい……」

 本当は過去形だ。「お別れしてしまった」ことが悲しい。
 先ほどまではラグスットを逃がすことに夢中になっていて、別離の感傷などそっちのけだったが、少し落ち着いてきた今、ラグスットと会えない寂しさがラシャの胸を塞いだ。

「変なところをお見せしてしまって……」

 ラシャは腰に下げている小さな鞄からハンカチを取り出し、目尻に当てた。

「いや……。俺だって、近しい奴が結婚するとなったら、泣くかもしれない。嬉しいような、寂しいような気がして」

 意外な答えに、ラシャは思わずマハの横顔を覗いた。冗談かと思ったが、彼は真顔だった。

「俺の実家は大所帯でな。両親と、兄が二人に、弟。それから住み込みで働いている従業員が、十人ほどいるかな。そんな家で育ったんだ」
「それは……賑やかですね」

 マハの身の上話に興味が湧いてきて、ラシャの涙は止まった。

「そりゃもう、うるさいぞ。それに大変だ! 俺たちはみんな自分のことは自分でするのが前提だし、家事も分担しているからな。なにもやらなくていいのは、両親だけだ。俺たちなんかよりずっと、店の仕事が忙しいからな」
「えっ!? マハ様やご兄弟も家事をなさるのですか!?」
「なさるのだ。俺は料理がどうしても下手で、とうとう台所から閉め出されてしまったが、洗濯や掃除は普通に上手いぞ」

 胸を張るマハを、ラシャは驚きの目で見上げた。
 お金持ちの子息が、自ら身の回りの雑事をするなんて、信じられない。

「まあ、そんな風に暮らしているから、従業員も家族みたいなもんでな。仲もいい。だから、結婚して独立するなんて聞かされたら、もちろん祝福するけれど……。寂しいだろうなあ」
「……………………」

 しみじみとしたマハのつぶやきを聞いて、ラシャは逃げるように正面を向いた。

 ――どうしよう、いい人だ……。

 マハを騙している。ラシャの抱く罪悪感は、むくむくと大きく育った。

「どうした? 体調でも悪いのか?」
「えっ……」

 マハは黙ってしまったラシャの顎に手をやり、無造作に上を向かせた。

「あ、ああああのっ! 最初にお会いしたときも思いましたけど! どうしてそんなに人の顔を、じっと見るんですか!」
「俺は、女のことがよく分からない。兄弟も男ばかりだし、一緒に暮らしている従業員だって全員男だ。――女はなにを考えているか分からないから、だから目を見ることにしている」

 少し顔を赤らめて、だがマハはぐいぐいとラシャに詰め寄る。
 あまりに強い視線を至近距離からぶつけられて、ラシャは目眩に襲われた。
 この男は自覚があるのだろうか? 己の目力の強さと、その威力を。

「ひ、人の胸とかお尻とか、触ったのはっ? なんでっ?」
「あれは、大事なことだろう。嫁選びは慎重にせねば。ま、お前は俺の嫁ではなかったわけだが」
「………………」

 アプローチの仕方は若干問題だが、マハはそれなりの気構えをもって、ガヌドゥ家との結婚に臨もうとしているらしい。
 彼にとっては、「形だけの」結婚ではないのか。
 真剣に花嫁を娶ろうというのか。
 ――どうしてだろう。ラシャの胸は痛んだ。

「ラグスット様に、お会いになりたいですか……?」

 なにを言っているんだろう。ラシャの口は勝手に動く。
 ガヌドゥ家の令嬢は、もうここにはいない。会わせることなんてできないのに。

 ――ああ、そうか。私は探っているんだ。マハ様の気持ちを。

「会わないと、来た意味がない」
「そうですよね……」

 二人は見詰め合い、時は流れる。やがてマハがぽつりと、問われてもいない答えを口にした。

「だが今はもうちょっと、お前と話していたい気がする……」

 掠れたような小声で囁かれて、ラシャの心臓は跳ね上がった。

 ――ダメだ。これはダメだ。絶対にダメだ……!

「あっ! あのおっ!」
「!?」

 必要以上に大きな声を出してしまった。ラシャ自身もびっくりしたのだから、すぐ側にいたマハはもっと驚いたのだろう。マハは大袈裟なほど、びくっと体を仰け反らせた。

「せっかくですから、当家自慢の庭園をご覧になりませんか! す、すっごくキレイですよ!」
「あ、ああ……」

 突然の申し出にマハが怯んだ隙に、ラシャは彼の手からするりと逃れた。

「あ……」

 マハが残念そうに漏らした声を、ラシャは聞かなかったことにした。
 熱湯をかぶったように、顔が熱い。

 ――こんなこと、してる場合じゃないのに。

 「ささっ、行きましょう!」

 浮ついた心を誤魔化すように、ラシャはソファから立ち上がったマハの背中をぐいぐいと力いっぱい押して、外へ向かった。








 ガヌドゥ家自慢の庭を、褐色の肌の青年と金色の髪をした娘が歩く。
 晴天の下で鑑賞する草花は、より一層輝きを増しているようだ。

「ほう……! これは見事なものだな」

 マハにお褒めの言葉をいただき、ラシャは誇らしげに微笑んだ。
 身びいきは差し引いても、ガヌドゥ家の庭園は素晴らしいという自負がある。
 それもそのはずで、見栄っ張りなこの家の主は、人目につくところの整備には余念がないのだ。だから使用人の人件費は無慈悲なほど削るくせに、庭の維持費などはガヌドゥ家が最盛期だった頃の水準を保ったままである。
 咲き誇った花々を愛でながら、ラシャたちは庭を進んだ。そんな二人の様子を、大きなクスノキの影に隠れ、こっそりと伺っている男がいる。
 男に気づいたラシャは、彼の名を呼んだ。

「小太郎!」

 大木の後ろから現れた男を、ラシャはマハに紹介した。

「うちの庭師で、小太郎と申します。この庭は、彼が丹精したのですよ」
「……はじめまして」

 小太郎が会釈を交えて挨拶する。しかしマハはそれに応えず、小太郎の顔をじろじろと無遠慮に眺めた。

「なにか……?」

 不審げに尋ねる庭師に、マハは単刀直入に切り出した。

「あなたは、この国の人間ではないな」
「……はい。私は東国の生まれです」

 異邦人を見る目は、どこも厳しい。小太郎もガヌドゥ家に雇って貰えるまで、数十軒ほどに断られたという。
 しかし小太郎は庭師として有能なだけでなく、真面目で優しい紳士だ。

 ――それなのにマハ様も、小太郎を差別するの……?

 浅薄な人間ではないと思っていただけに、ラシャは少々マハに幻滅した。
 その間も、マハと小太郎は睨み合っている。二人から発せられる緊張感は膨れ上がり、爆発寸前だ。やがてマハが口火を切った。

「小太郎殿。東国出身の庭師であれば、アレを知らないか?」
「あれ……?」
「とても質素な庭で、石と木だけで作る……。ええと、なんと言ったか……」
「……もしや、枯山水のことでしょうか」

 ラシャには聞き慣れない響きの単語だ。自身も半信半疑で「カレサンスイ」と口にした庭師に、マハは勢い良く人差し指を突きつけた。

「それだ! 俺は憧れているんだ! 趣があっていいだろう? 新居の庭は、絶対にカレサンスイにすると決めている!」
「え……?」
「夢だったんだ。そういう庭を造るのが!」
「なんと……」

 マハの夢語りを聞いた小太郎は、石でも飲まされたかのようにギリギリと眉を吊り上げている。
 ラシャはハラハラと二人の顔を見比べた。
「カレサンスイ」とやらはなんなのだ。温厚な庭師を怒らせるような、侮蔑的な言葉なのだろうか。
 しかしマハは小太郎の変化に気づかず、上機嫌で話し続けている。

「小太郎殿。俺が無事ガヌドゥ家に婿入りした暁には、あなたに造園をお願いしてもいいだろうか?」
「!」

 最後の一言がとどめだったらしい。小太郎が動いた。

「ダメよ、小太郎!」

 ここでマハを殴るなどしてトラブルを起こせば、この庭師は間違いなくガヌドゥ家を解雇されるに違いない。

 ――あ、でもそれ以前に、今回のラグ様の件で、クビになる可能性もあるか。

 そんなことを考えたせいで、ラシャの制止は一瞬遅れた。だが、それで良かったのだ。

「貴殿は、侘び寂びを理解できるのか……!」

 小太郎は喜色満面でマハの手を掴み、上下にぶんぶんと振った。
 小太郎は明らかに興奮している。いつも無表情で、感情を表さない彼にしては、大変珍しい。

「……は?」

 盛大な握手を繰り返す男たちを見て、ラシャは呆気にとられた。
「カレサンスイ」とやらが、男二人の心を結びつけたのは間違いない。
 そういえば、と、ラシャは思い出した。
 小太郎がガヌドゥ家にやってきたのは、先代の庭師が給金の未払いが原因で逃げ出し、庭が荒れに荒れていたときのことだ。
「一から作り直せ!」という当主ガトゥールの命令の元で、小太郎が一発目に造った庭は、なんとも珍妙なものだった。
 地面に石を敷き詰め、決して華やかとはいえない苔むした老木を移植し――。
 感想を一言で述べるならば、「貧乏くさい」。そんな庭だった。
 ラシャがそう思うくらいだから、派手好きのガトゥールは当然怒り狂い、小太郎をこっぴどく叱りつけた。そして現在のような、華やかな庭に造り変えさせたという経緯がある。
 もしかしたらあのときの「貧乏くさい」庭が――?

「あの……小太郎。小太郎がこの家に来て、初めて造った庭が、『カレサンスイ』ってやつ?」
「そうだ!」

 マハの手を離さず、小太郎は吠えるように答えた。

「あー、やっぱり……」

 その良さがさっぱり分からないラシャは、曖昧に頷くしかない。

「俺は枯山水の良さを世界に伝えるため、故郷を後にしたのだ!」

 小太郎がそんな大志を抱いていたとは、ラシャは全く知らなかった。
 それはともかくこの孤高の庭師は、ようやくこの国で、彼の目指すところの芸術を理解してくれる人間と出会えたわけである。なるほど、感動のあまり、気分が高揚するのも分からぬではない。
 さてその初めての理解者であるマハは、小太郎のテンションの高さに困惑しながらも、とりあえず握手に応じていた。が、はっと表情を一変させる。

「小太郎殿。あなたの手の甲の、その刺青は……!」

 マハは相手の手を握り直し、まじまじと観察している。小太郎も先ほどまでの浮かれた調子を引っ込め、顔つきを険しくした。

「あなたは、この刺青を知っているのか……。――おかしいと思った。東国の文化に、これだけ詳しいということは……」
「?」

 男たちの会話の雲行きが、再び怪しくなる。ラシャはやっぱり蚊帳の外で、オロオロと狼狽えるしかなかった。





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