歴史オタクと死の予言

巫夏希

001~003

[1]

 県史編纂室。
 名前のとおり、県史――県の歴史を取りまとめる部署のことだ。
 古文書や文献は、年代が変わるごとに記述も変わってくる。当たり前だ。書いている人が違うのだから、記述も変わってきてしまうのは自明であった。それで、ある本を底本としてひとつの資料にまとめあげる……これが県史を作る上で重要なことといえよう。
 そんな中で、ひたすらに本を読んでいる人間がいる。
 左沢心。
 県史編纂室唯一の女性職員で、歴史オタクとして知られる彼女は僅か二年で県史編纂室の副室長に任命されるほどだった。

「やあ、左沢くん。仕事はどうしたのかな」
「仕事ですか、既に終わらせてあります」

 スーツ姿の男、平野弥ひらのわたるはそれを聞いて小さくため息をついた。

「私の地位を知っていて言っているのかな。別に地位がどうこうと言うつもりはないが、一応私は君の上司なんだぞ?」
「言わせていただきますが、ほかのメンバーが出来なかったこと凡て私が担っている事を知っていて言っているのでしょうか?」

 心の言葉は正論だった。そして、それに対して弥がなにも言い返せないのもまた事実だった。
 心の仕事の速さはピカイチだ。それこそ、彼女一人で職員五人分の働きに値する。

「……まあ、今それを話している場合ではない。僕が言いたいのはこれだよ」

 そう言って、弥は一枚の写真を心に手渡した。

「これは……鹿島神宮?」

 そこに写っていたのは、鳥居だった。石の鳥居は、確か二年前にあった震災で崩壊したものを新たに建立し直したものだったと記憶しているのだが……。

「そう。鹿島神宮だ。ここの神様は勿論知っているよね?」
「タケミカヅチでしょう。雷神でもあり、剣の神とも呼ばれる存在」
「まあ、それくらいは知っているか」

 弥は呟く。

「鹿島神宮なんだけれど、調査が足りていない……というより、新たに調査し直して欲しいんだよ」
「調査しなおすったって、そんなことありましたっけ?」
「鹿島の七不思議。あれが何だか新しくなったらしいんだよね。新しくなった、というよりは状況が変わったというのが正しいかな」

 そう言って弥は持っていたマグカップを口に添えて傾ける。一口コーヒーを飲んで、それを机に置いた。

「鹿島の七不思議……ね。いいわ、調べますよ。んで、どれくらい時間使えます?」
「恐らく一週間は可能だ。県史の修正を行えるのは二月、五月、八月、十一月の四回。それまでに原稿を提出すればいい話だが、色んな手間を考えると最短で四月半ばまでには提出して欲しいものだ」
「四月半ばってことは」

 心は机に置かれている卓上カレンダーを見る。

「あと半月ってことかな」

 今日は三月二十八日。四月半ばを十五日と捉えると凡そ二週間はある。

「二週間なら余裕でしょ」

 そう言って彼女は床に置かれたカバンの上に置かれたコートを羽織り、カバンを手に持った。

「それじゃ、今日はここで。いいですよね?」
「ああ。レシートとか、領収書は取っておいてくれよ」

 それだけを言って弥は彼女を見送った。





[2]

 赤い車体に白のカラーライン。気動車独特の駆動音が車内に響いていた。鹿島臨海鉄道大洗鹿島線は茨城県の県庁所在地である水戸駅から鹿島サッカースタジアム駅まで繋ぐ私鉄路線である。しかし鹿島サッカースタジアム駅は試合の日のみしか開業していないため、厳密に言えばジェイアール鹿島線の終点となる鹿島神宮駅までということになる。
 鹿島神宮駅までは水戸駅から一時間少々かかる。それまでの区間、ICカードは使えないために、切符しか使うことが出来ない。

「千円超のキップなんて本当に久しぶりね……」

 心は呟きながら、窓から外を眺める。

『次は…………です。………………は………………』

 車掌によるアナウンスが聞こえたが、気動車の駆動音が騒音となってしまい全く聞こえない。
 樹木のトンネルをくぐり、海が見えてくる。そうして漸くアナウンスが聞き取れてきた。

『まもなく、大洗です』
「大洗かー……。海の幸も食べたいなあ……」

 そう言って、気がつけば彼女は大洗駅のホームに立っていた。
 次の列車まで一時間。
 そして今の時間は十一時すぎ。

「少し早いけれど……食事にしようかなあ」

 そう言って階段をゆっくりと降りていった。


 ◇◇◇


 とあるお店で、彼女はテレビを見ながら注文した食品が来るのを待っていた。
 ここは窓から海が見える食事処である。大洗駅から周遊バスで少しいったところにある海岸沿いの大通りにある小さなお店だ。

「そういえばここには神社があったかな……」

 暇だしそっちも見に行こう、とか思ったその時だった。

「はいよ、しらす丼お待ちどう様」

 そう言いながらお店の看板娘、御年七十八歳のおばあちゃんがお盆を持ってきた。
 お盆をテーブルにおいて、おばあちゃんは去っていく。おばあちゃんが持ってきたのは丼に大量に乗ったしらすだった。ご飯が見えなくて、ご飯が入っているのだろうか? と疑ってしまうほどだった。

「どうも」

 そして、彼女は箸を手に取り、「いただきまーす!」と声高々に言った。


 ◇◇◇


「ふー、満腹満腹」

 そう言って彼女は再び大洗駅へと戻ってきた。大洗駅の通路を見ると、女子高生の看板が置かれていた。何でも最近は『町おこし』としてこのようなアニメーションとのコラボをしているらしい。
 あいにく彼女はそのようなものに興味もなく、ただホームへと向かうだけなのだった。
 ホームの向こうにある車庫には、そのキャラクターがラッピングされた車両が置かれていた。
 近所のコンビニでボルヴィックを購入しておいた彼女は、水を飲みながら呟く。

「ラッピング電車のどこがいいのかね……」

 そう言うと、ホーム脇にて写真を撮っていたいかにもそちらの道を進んでいるカメラマンの人がこちらを振り向いた。しかし彼女は敢えて気付かないふりをした。関わったら良くないことが起きる――咄嗟に彼女はそう思ったからである。

「……まあ、いいか。関わると、本当に面倒臭いことになる」

 そうつぶやいて、彼女はやってきた電車に乗り込んだ。




[3]

 鹿島神宮に着いたのは、午後一時くらいだった。天気予報では雨は降らないとのことだったが、どことなく空は薄暗い。

「少し天気予報を信用しておけばよかったな」

 彼女は天気予報を一切信用しない。それゆえ、天気予報が当たって雨に濡れても問題ない。寧ろ『どんとこい』というレベルだ。
 駅前にある坂を上った途中で、彼女は銅像を発見した。

「何だ、この銅像?」

 彼女はそう言って近くにある案内板を見た。
 塚原卜伝――という人間の銅像らしかった。詳しくは彼女も知らなかったが、これも何か役立つだろうとスマートフォンで写真を撮影し、ノートにメモ書きした。
 彼女は県史編纂室の職務以外にもノートをつけている。それは彼女だけなのかもしれなかったが、彼女はいわゆる歴史オタクなわけで、そもそも彼女が県史編纂室に入ったのもそういうことが理由であったりする。
 自分の趣味を仕事に出来るということは、何とも嬉しいことであろうか。
 少なくとも彼女はそれをして、現に成功している。それは嬉しいことであろう。少なくとも、悲しいことではないはずだった。

「ここね」

 そう言って、彼女は顔を上げる。
 目の前に広がるのは、大きな石の鳥居だった。
 鹿島神宮、その大鳥居。

「やっぱり、ここはエネルギーを感じるわね……」

 そう言ってカメラを構え、写真を撮っていく。
 数枚か写真を撮り終えて、彼女は鳥居を潜ろうとした――ちょうどその時だった。

「もし、そこのお嬢さん」

 ふいに、声がかかった。
 声が聞こえた方に振り返ると、そこには巫女服を着たひとりの女性がいた。しかし、その妖艶な雰囲気はどちらかといえば呪術師に近いような、そんな感覚を覚えた。

「……なんですか」

 彼女は訊ねる。女性は、小さく微笑んで、

「少し、占ってみませんか?」
「占いですか……私、信じてないんですよね」

 そう言って彼女が立ち去ろうとした其の時だった。
 女性が持っていた扇子をばさっ! と大きく広げた。

「あなたはー、あと二十四時間で死に至るでしょう!」

 あたりに歩いている人にも聞こえるような大声で、そう言ったのだった。
 あまりにおかしくなって、心は振り返る。

「何を言っているんですか?」
「あなたはあと二十四時間で死ぬ! それは間違いない」
「間違いない……って。人を誑かすのも大概にしたらいかがです?」

 心の言葉を聞いて、かっかっかと笑った。

「まだ信じないか。まあ、それもよい。信じず、死を恐れず、死んでいくのもまた一興。それが人間というものでもあるやもしれん」
「あなた、何者ですか」
「私は、天地あめつち。しがない占い師ですよ、ただし人の生死に限っては必ず当たると評判ですが、ね」

 そう、高らかに笑って天地は去っていった。
 心はぽつんと一人、その場に取り残される形となった。

「あれは……何なのよ、いったい」

 心は先程のことを思い返す。占い師に占ってやろうと言われ、それを拒んだら「お前はあと一日で死ぬ」――普通に考えてみれば、脅迫にしか思えないそのやりとりは、しかし彼女に少々の違和感を残していた。

「やあ」

 そんな思考を中断させるように――若い声がかかった。振り返るとそこには若い男が立っていた。青いオープンシャツに白いワイシャツ、ジーンズを履いて肩からバッグを提げ、首からカメラをかけている男は一目である職業であることが理解出来た。

「……記者か、或いはルポライターと思われるあなたが何の御用?」
「おや、一発で僕の職業が解るとは。君もなかなか見る目があるね」

 男はそう言ってかけていたサングラスを外した。

「僕の名前は日下彰二、君の言ったとおりルポライターだ。茨城県を中心に発行している地方雑誌『つくばね』を専門として活動しているけれどね」

 そう言って彰二は名刺を心に差し出す。

「ふうん……」

 心は受け取って、そう頷いた。

「僕はこういうことを色々と調べていてね。特に日本神話、そういうものを調べているよ。今日はタケミカヅチについて少ししらべようと思ったのだけれど……少々方向転換してみようかな」
「私の死にゆく様を記事にするわけですか」

 そう言って心は歩き出す。
 それを見て彰二も後を追った。

「待ってくれよ! ……君だって、そう簡単にあの占い師の言うことを聞くつもりもないんだろ?」
「あるわけないじゃあない、そんなこと」

 心は憤慨していた。占いなど信じてもいなかったが、ああ言われるともう怒りをあの占い師にぶつけてやろうと考えるのも道理だった。

「もっと言うなら、あの占い師に一泡吹かせてやろう、とも思うわけよ」
「なるほどね」

 彰二はメモ帳を取り出して、話を続ける。

「……僕も一緒に行ってもいいかな。僕も色々とこれに関して調べているんだよ。なにせ本当に死人が出ている。にもかかわらず、警察は調べようとしない。だって普通に考えてみろよ、『占いで「いついつまでに死ぬ」と言われたから死んだ』と警察に言ってみろよ、普通に警察が対処すると思うか?」
「でも話くらいは聞くでしょう?」
「聞いたらしいさ。だが、『私は占っただけだ』との一点張り。そんなやつにはまともな取り調べなど待ってはいない。すぐ証拠不十分で釈放だよ」

 彰二の言葉を聞いて、心は考える。
 あの占い師はどうして人の生死が解るのだろうか。
 はたして、未来でも見えるのだろうか。
 未来でも見えている――すなわち、未来視。
 そんなことが果たして有り得るのだろうか?

「……解らない」
「ああ、まったくだ」

 二人は同時にそう言ったので、思わず顔を見合わせた。
 しかし、そんなことをしようとも、結局どうすればいいのかは解らないのであった。

「……一先ず、鹿島神宮の調査を済ませてしまいましょう。御手洗をすれば、少しは気分も変わるかもしれないし」
「そいつはいい判断だ」

 そうして、二人は鳥居を改めて潜った。

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