光輝の一等星

ノベルバユーザー172952

敗北

 
「ごめんなさい……ごめんなさい……」

  背中で泣きじゃくる娘を背負いながら、城の外を目指して駆けていく。なぜこの子が謝るのか、なぜこの子が拘束されていたのか、真冬の言葉の意味は何なのか。考えたいことは山ほどあったが、頭を使う余裕はなかった。
  今は前を向いて走るだけ、人影を見たら方向を変える。姿を現した相手はすべて敵であり、その全てから逃げきれるとは思っていなかったが、娘だけには人を殺す自分の姿など見られたくはなかった。

  後ろを向いても、誰もおってこないことを見るに、まだアンタレスは恋華たちの脱走について連絡を受けていないと見える。彼が動き始めればマズいことになる、城中の兵士たちが恋華たちを追いかけてくるのだから。
  もしも、これが単騎でならば、血路を開いてでもここを出ていけるのだが、子供とはいえ、人ひとり背負った状態ではそれは難しい。

  だが、まだ完全に調子が戻ったわけではない恋華は、半分の階まで来たところで息切れを起こしてしまう。剣術や戦闘勘のようなものは、先ほどだいぶ戻っているように感じていたが、体力は全然戻ってない。

  そのとき、頭上からチクチクした気配を感じ、チッ、と舌打ちした恋華は飛び上がり、体を回転させて娘を抱いたまま床に背中を打ち付ける。
  梅艶は何が分からないと言った様子であったが、一瞬前まで母のいた場所に木槌があり、地面が抉れているのを見て、理解した様子だった。

「やっと本性表しやがったか、女狐さんよ?」
「なぜ、お前がここに……」
「アンタレス様にここに張っているように命令されたのよ、裏切り者の親子をぶっ殺せってな?」
「…………っ!」

  重量感のある大きな木槌を軽々と肩に乗せたのは、武器相応の脂肪の一切のない筋肉質な体に恋華の三倍はあろうかという肩幅に、頭二つ分違う高身長といった男は『グラフィアス』といい、アンタレスの筆頭家老という地位である。
  別名『餅つきの切り込み隊長』と呼ばれており、まるで餅を搗くように敵をその手に持つ木槌でつぶしていくことから名付けられたらしい。
  いつもアンタレスの傍にいるため、剣を交わしたことはなかったが、少なくとも、両手を鎖で繋がれているこの状態で圧倒できるほどの力量差はないと直感的にわかる。

  いや、それよりもこいつは、今なんと言った?
  裏切り者の『親子』といったか?

「この子……も?」
「てめぇさんが、大人しくそいつをこっちに渡せば、そいつの命だけは保証してやるよ?」
「残念。こう見えて私、約束は破らない主義なの。あんたらを裏切っても、この子の約束だけは破るつもりはないから」

  そう、約束したのだ、『ずっと一緒にいる』と。
  自分を置いて、この城内にこの子を任せられるものがいないと分かった以上、この命尽きるまで抵抗してやる。

「少しだけ、ここで待っていて頂戴」

  そう言って娘に笑いかけてその場に下して頭を撫でた恋華は、目の前の敵を見据え、刀を構えた。
  剣先はピクリとも動かない恋華の呼吸が空気に溶けていき、その空気が揺れ動き流れていく。

  その恋華の姿を見て、『グラフィアス』は驚いたように一瞬目を開いてから、ふっ、と笑った。

「ただの無力な裏切り者じゃないらしい。中国三国時代の呂奉先といったところか、裏切りの道を行くが、力だけは別格、そこにいるだけで圧倒的なものを出しやがる」
「そう感じるなら、大人しくそこをどいてくれないかしら?」
「そいつは無理な話よ。ここを何もせずに通したら、俺は女相手に逃げ出した笑いものになっちまう」

  そう……、と呟いた恋華が足を動かしたかと思うと、彼女の姿は一瞬にして消える。
  そして次の瞬間には、その剣先は男の胸を切り割いていた。

  できることならば、娘に人を切るこの姿を見せたくはなかった。
  でも、そんな悠長なことは言っていられない。今は一刻も早くここを出なければならない。

  確かな感触と共に、一撃で終わり、恋華は刀を下す。

  どんなにパワーがあっても、スピードがなければ、そう、当たらなければ敵を倒すことはできない。当たり前のことだが、それがすべてだ。

  すぐに娘の元へ向かおうと、恋華が梅艶の方を向いたとき、後ろからゾッと悪寒が体を襲った。

「強い奴は、過信する。過信すれば、そこには油断が生まれる」
「…………っ!」

  振り返ったときには遅かった、グラフィアスの木槌はすでに目の前まで迫ってきており、恋華は手に持った刀で受け止めるしか方法がなかった。

  刀を木槌が接触すると、想像以上の力が腕に、体に、足に来て、つぶされそうになる。

(どうして……?)

  確かに感触はあった、躱したのならばこんなことはないはずだ。
  そう考えた、恋華が目の前の男を見て、驚愕する。
  そんなはずがない、こんなこと恋華が戦ってきた相手の中では今まで誰もいなかった。

(ありえないでしょう……)

  彼の腹は確かに切られていた。
  それもかなり深く、即死まではいたらないにしても、意識は飛んでしまうような大怪我のはずだ。このまま動いたら、間違いなく死ぬだろう。

  ガクン、と足元が揺らぐ。
  怪我人の力とは思えないくらいに、そのパワーは恋華の持つものそれとは比べ物にならないものだった。

「あんた、死ぬつもり?」
「お前こそ何を言ってやがる――俺がこの程度でくたばるわけがないだろう!」

  グラフィアスは木槌を恋華の持つ刀から離したかと思うと、間髪入れずに彼女の体をその木槌で叩く。
  頭上の一点にのみに力を入れていた恋華は急に方向が変えられたその攻撃を避けられなかった。

「ぐっ……」

  たった一撃、そう、たった一撃だ。
  それも刀や長刀のようなはものじゃない、ただ重いだけの武器。

  しかし、その一撃で、恋華の体の右側の骨が嫌な音を立て、また、感覚が消えていった。

  だらんと垂れた右腕を押さえながら、乱れた息を整えていると、彼女の前まで来たグラフィアスは、袖をまくり、その筋肉質な腕を出す。
  そこには、数えきれないくらいの傷跡があり、中にはどうして腕がまだつながっているのかと、思われるものまであった。

「俺とお前の差はただ一点、『経験』だ。お前は強い……だからこそ、お前は今までまともに攻撃を受けたことがねえだろう?」
「私が、打たれ弱いって言いたいのかしら?」
「現にお前は俺の一撃を食らって、かなり苦しそうにみえるが?」

  これは経験とかそういうレベルの話じゃない、自分の体と同じくらいの大きさの木槌でぶん殴られれば骨は折れるし、言いようのない痛みが体を襲って、熱を帯びる。
  根性だとか、やる気だとか、確かに、多少の怪我ならばそんなもので片付くかもしれないが、骨折などの大怪我の場合、前に進もうとしても体が動かなくなるものだ。

  こんな奴の相手をしている場合じゃないのに、手の握力さえもなくなってきて、刀を持つので精一杯。すでに満身創痍。

  それでも、この状況を打開できる策を考えていると、グラフィアスと恋華の間に一つの影が入り込んでくる。

「それ以上、お母様に近づくな!」

  間に入ってきたのは梅艶だった。その手には何も持たず、手を広げて恋華の前に立っている。
  その様子を眉一つ動かさずに見下ろしたグラフィアスは、躊躇することなく木槌を梅艶に向けた。

「…………っ!」

  いけない、あいつはやはり、梅艶も殺すつもりだ。
  そう思ったときには、足が動いていた。

  守らなきゃならない、大切なこの子だけは。
  この命に代えても、絶対に。

「ぐっ……!」

  守るようにして娘に覆いかぶさった恋華の感覚はその瞬間、消え去った。
  体が飛ばされて壁に打ち付けられる。

(あ……れ……?)

 体の全てがおかしい。痛みもなければ目の前も歪んで見える。音ももぞもぞと何が聞こえているのかわからなかった。
  体は動かなかった、いや、体の動かし方を忘れてしまったみたいにどうすれば動くのかわからない。感覚と言っていいのかはわからないがこの感覚はプカプカと宙に浮いている感じだ。

  揺らぐ視界の中に娘がいるような気がして、その頬を撫でたかったが、何もできない。

(ごめん、ね……ごめんなさい……)

  守れなくて。
  一緒にいられなくて。

  約束、守れなくて。

  段々と意識が消えていく、同時に、自分の存在が消えていく、全てが消えていく。
 そんな自分の持っていたものの何もかもが喪失する間、恋華はひたすらに娘へ謝っていたのであった。
  

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