光輝の一等星

ノベルバユーザー172952

共に生きる

 

 梅艶の色鮮やかだった着物が胸の中心からじわじわと赤一色に染まっていくのを前にして黎愛は声を上げる。
 涙でぐしゃぐしゃになり、視界をぼやけさせながらも、声は枯れずに出ていた。

 どうしてこんなにも悲しいのかわからなかった、なぜこんなにも胸の奥から怒りが湧いてくるのか。
 黎愛はここで彼女と共に死ぬことを決めたはずだった。最後の一瞬まで彼女の瞳に自身の姿が映るこの最期に満足していると思っていた。

「なぜ……なぜじゃ、水仙!」

 黎愛の怒声に、ひるむことなく、顔色一つも変えずにいつもの調子で答える。

「水仙は確かに鬼神隊の血筋を持つ者っすよ、それはDNA鑑定してもらっている通りっす。でも、同時に、オルクス様に見初められてあの方の『副将』になった『片腕』でもあったんすよ」
「片腕、じゃと……?」

 水仙が手を挙げると、天守閣の中に何人もの武装したプレフュードが入ってきた。彼女に従っているのは確かなようだ。

 馬場水仙の過去については知らなかった。当然だ、両親が死に身売りされた少女の過去など聞けるはずがないと思ったからだ。
 今まで一度たりとも怪しい素振りすら見せなかった彼女の裏切りは考えもしなかった。ほとんどの人間を信用しないことにしていた黎愛はこの身になってから武虎と飛鷲涼以外の人間を信じ切ったことはなかったが、まさかこのタイミングで裏切られるなどといは考えていなかった。

「そうっすよ、オルクス様の命令で水仙は一番危険度の高いあんたたちの元に送り込まれたっす」
「オルクスが? 馬鹿な……」

 そもそもオルクスが家畜としか見ていない人間を周りに置くはずがないし、そんな話は聞いたことがない。信用のない者を捨て駒として黎愛たちの元へ送ったとしか考えられなかった。

 辛うじて息はしているようだが何も言えない様子の梅艶は、それでも、黎愛の身体は離さなかった。
 そんな娘に抱かれながら、黎愛は視線だけ馬場水仙へと向ける。

「水仙、お前は騙されておるのじゃ、オルクスは人間など信用せぬ」
「今更の説得っすか? そんなもの聞く耳持つはずないっすよ」

 確かにオルクス含めた『十二天将』には騎士という称号を与える権利があり、地上にいる他の10人の『十二天将』たちにはそれぞれ側近として『副将』の地位を与えたものがいると聞くが、『星団会』を手中に持つオルクスにそんな話は聞いたことがない。
 どう考えてもおかしい、と思うのだが、今、黎愛に彼女を説得するほどの力がないことはわかりきっていた。

「アンタレスと賭刻黎愛の首はこの城と一緒に燃やしてしまうには惜しい手柄っす、水仙もオルクス様に褒められたいっすから」

 そう言って馬場水仙がまた引き金を引くと、梅艶の身体がはじけ、身体にまた小さな穴が開く。
 その様子を見て、黎愛は自身の身体が動くことを祈った。彼女を守らなければと、本能的に感じていた。

 だが、身体は動いてくれない。

 利き腕は少しだが動く、これで片方の足だけでも動いてくれれば、なんとかなったのかもしれないが、黎愛に足の感覚はすでになかった。

 梅艶も反撃できずにその場から動かないのを見て、その首を取るためか、道義から馬場水仙は短刀を取り出して近づいてくる。
 黎愛には、もう、どうすることもできなかった。

(それでも……)

 悔しいという思いがある。
 こんな瞬間になるまで、黎愛は、本当の自分の願いに気付いていなかった。そして、気付いた時にはもう、手の届かないところに行ってしまったのだから。

 馬場水仙が、梅艶の背後にまで来る。
 梅艶の名前を呼んでも彼女は動かない、いや、おそらく、動けないのだろう。虚ろな目で、黎愛の顔を映していた。

 娘の死を目の前で見、そして自分の死を待つ、そんな生き地獄を感じながら死ぬのはもしかしたら、多くの者を殺めてきた罪の結果なのかもしれない。
 そう思い、ならば、その地獄を受け止めて死んでいこうと、目を閉じることなく、その瞬間を待つ。

 だが、そのとき、


「ふざけんじゃないわよ!」


『…………っ!』

 思わぬ声が、思わぬところから入ってきて、室内に響き渡った。
 天守閣の外から聞こえてきたその声に対して、手を止めた馬場水仙は、声の下方向、窓の外へと目をやる。
 梅艶からは目の光彩がうっすらと戻り、黎愛はただただ驚くしかなかった。

 声は続く。

「勝手にこんなところに連れて来られて! 勝手に牢屋に閉じ込められて! そんな私に何の説明もないわけ!?」

 声は、下の階から聞こえてくるようだった。
 その声の主は、考えなくともわかる。我が子の声くらい、すぐにわからなければ母親失格だ。

 違う、恋華には、黎愛には、もう一人この体が朽ちてでも守らなければならない、守りたい存在があったことを思い出した。

「どうしてこんなことのなっているのか、どんな状況なのか、仲間外れにしないで、あんたの口から一から百まで説明するのが筋ってっもんでしょ!」

 一方的な涼の声に、黎愛は、雷に打たれたようなショックを受ける。
 なぜかはわからなかったが、彼女の言葉は耳に入ってきて体に染みてくるようだった。

「自分の蒔いた種くらい責任とりなさい! 死に人に口なしだからって、勝手に放棄しないで頂戴!」

 その力強い声に、目頭が熱くなっていく、心が熱くなっていく。
 一度消えてなくなってしまったかのように思っていたものが、再び灯った気がした。

 そして、ほんの少しの間が開く。
 それは黎愛が今まで生きてきた中で、最も長い時間のように感じられた。


「戻ってきてよ――お姉ちゃん!」


「…………っ!」

 その瞬間、梅艶の瞳に完全に光が戻ったように感じた。『姉』と呼ばれた直後、彼女の身体が確かに反応していた。

 涼の声が止み、再び静寂が訪れると、黎愛が目の前の娘に告げる。

「……妾たちはどうやら間違っていたようじゃ」
「まち、がえ……?」

 最愛の娘と最期を迎えるのは悪くないと思っていた。この暖かな腕に抱かれて死ねるならば怖くはないし、心地よいとさえ感じていた。

 しかし、それは単なる逃げに過ぎない。

 黎愛は聞き返してきた梅艶の眼を見つめて、言う。

「少なくとも妾は今、死ぬ気はなくなった」
「ぇ……?」

 驚きと戸惑いの入り混じった声が梅艶から出る。
 まるで裏切られたかのような目をしている彼女に向かって、「そして、」と、黎愛は続ける。

「梅艶、お主の死も妾は絶対に許したくなくなった」

 自分は賭刻黎愛の本来の役割を放棄し、全てを放り投げようとしていた。

「確かに、ここで死ぬのは楽じゃ。最期にお主に抱かれて死ぬのも悪くはない」

 全ての初めに決めたその役割は他の誰が決めたわけでもない、自分自身のまっすぐな欲望だったはずだ。決して義務的なものではなかったはずだ。
 それは今も変わるはずがない、妥協していいはずもない。

 そのために、今まで自分はこの道を歩んできたのだから。

「だが、それでは先はない、失われた時間を、絆を取り戻すことさえもできなくなってしまう。私はお前と――そして涼と、取り戻したい。梅艶、お前も気付いているはずじゃろう!」

 いつの間にか黎愛は動く片手で梅艶の胸ぐらをつかんでいた。
 その目を見て、言葉に魂を入れるように、一言、一言を叫ぶ。

「一緒に、生きるのじゃ!」
「…………」

 ハッとした梅艶は、その場で涙を流したまま、目を瞑る。
 何かを考えるように、閉じた目は、数秒の間そのままだった。

「新手だったら面倒だったっすけど、声だけか――これで、ようやく終えられるっすね」

 涼の声に警戒していた馬場水仙が再び梅艶の背後に立ち、短刀を鞘から抜いた。

「――やめた、わぁ」

 その時、梅艶がか細い声でつぶやく。嗚咽交じりの、涙声だった。同時に、彼女の『結界グラス』が解かれ、消えていった。

 そんな梅艶の行動に黎愛は彼女の名前を呼んでみるが、反応しない。

 それを見た水仙が堪え切れないといったように笑いだす、あははははははっ、という壊れた笑い声が辺りに響いた。

「抵抗する気はないみたいで安心したっすよ――まっ、この中じゃ、抵抗する方が潔くなくて恰好悪いっすけど」

 馬場水仙は短刀を梅艶の首筋に突きつける。
 それを見て反射的に、抵抗しようと黎愛は手を伸ばしたのだが、わずかに首を横に振った梅艶の手がそれを止める。

 握られた手を見た黎愛は、彼女の表情を見て、それ以上の抵抗することなく、手を下した。

「ふっ……ふふふ……」

 高笑いする水仙とは対照的な堪えたような笑いが、辺りに響く。音量は水仙のものと比にならないくらいに小さなものなのに、誰もが彼女の方を見る。

「馬鹿ねぇ、私がやめるのはぁ――」

 梅艶がそうつぶやいた瞬間に、彼女の手に嵌っている指輪が黒く輝き出し『結界グラス』が展開される。
 しかし、その範囲は数十倍に膨れ上がっており、城一つを包み込むほどのものだった。

 ゆっくりと、梅艶は顔を上げた、


「――死ぬことを、よぉ?」


 彼女がそう言った瞬間、まるで地震が起こったかのように床が揺れる。
 黎愛の身体を抱いたまま立ち上がった梅艶が馬場水仙を睨み付けると、たった数センチ動かせば梅艶の首を切れるというのに震えたまま手は一ミリも動かなくなっていた。

「私自身の生死にお母様の手を煩わせるわけにいかないわぁ」

 梅艶が立ち上がった瞬間、黒い影が城の窓から現れる。出現した何かは月を覆うほどに巨大だった。
 そして、天守閣の壁一面を崩した『それ』は姿を現す。

「教えてあげるわぁ、これが本物の『ヨルムンガンド』よぉ」

 現れたのは、あまりにも巨大な蛇だった。
 黎愛が先ほど戦ったものとは比較対象にすらならないそれはその巨大な体を城に巻きつけていた。

 黎愛はあっけにとられながらも、彼女がまだこの城にいたときに聞いた一つの話を思い出していた。
 神日戦争の折、当時のアンタレスは大阪城よりも高い竜のような大蛇を用いていたという。彼の息子孫の代では、そんな巨大な蛇は『結界』で出すことができず、100年経った今ではすでにそれは『伝説』のような存在にまでなってしまっていた。しかし、この城が昇竜城と呼ばれている所以は、竜の主であるアンタレスが持つ城だからというのは聞いていた。

 だが、梅艶が、その竜……いや、正確には大蛇を、扱えるとは、想像もしていなかったため、驚きで声も出ない。

「それじゃあこれでぇ、今宵の祭りは終わりよぉ」

 梅艶がそう告げた瞬間、大きな口を開いた大蛇の頭が、全てを飲み込むように天守閣に突っ込んだ。




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