光輝の一等星

ノベルバユーザー172952

蒼き決意

 二つの夢を見た。

 それぞれは対照的な夢であった。

 先に見たのは、大切な人を守るために、傷つけないために、その人のもとを離れてゆく、そんな、切ない夢。
 次に見たのは、終わることのない夏祭りの夜で、聖と葵、翔馬と共に、遊びつくすという、楽しい夢だった。

「……んっ…………」

 しかし、そんな楽しい夢から覚めた飛鷲涼の気分は最悪であった。

 目を開けるが、左目は見えない。体中が痛く、吐き気が収まらない。そんな不快しかない寝起きであった。
 右目を開けると、見慣れない天井が目に入る。ゆっくりと体を起こすと、涼は清潔なベッドに寝かされていた。
 涼の体にはいたるところに包帯が巻かれており、一体どこを怪我したのかさえわからないありさまである。

「ここは……どこ?」

 涼がそう呟いたとき、ポスンッ、と近くで、何かが落ちる音がした。

 ビクッ、として音のした方を見ると、そこには少女が立っていた。
 信じられないと言った様子で、呆然と立ち尽くす、銀に近い金色の髪を持った華奢な少女。その眼には涙さえ浮かべていた。

 少女――琴織聖は、ふらふらと、まるで立ったばかりの赤ん坊のような、おぼつかない足取りで歩み寄ってくる。
 そして、涼の前まで来ると、首に手を回して抱きしめてきた。

「よかった……本当に……良かったです…………」

 体の色々な箇所が痛んだが、泣きながら喜ぶ聖の姿を見ていたら、文句の言葉の一つも思いつくことができなかった。
 聖は少しやつれているような気がする。心なしか抱きしめる力もあまり強くないような感じも受けた。

  ひどく、頭が痛い.

 自分がどうしてここにいるのか、涼はすぐには思い出せなかった。
 だが、自身の周りに起こった出来事について段々と思い出すにつれ、悲しいという感情と安堵感、そして、酷い後悔が襲ってきた。

 そして、いつの間にか、涼は、無意識に強引に聖を引きはがしていた。
 少し傷ついた様子の聖を見て、良心が痛んだ涼は、彼女から目をそらして、

「何があったのか、全部説明して頂戴」

 そう、記憶の最後に見たのは、涼が倒れたあの場いたのは、間違いなく、今、涼の眼の前にいる彼女である。

 おそらく、彼女はプレフュード。
 それも、アドルフが殺そうとしていたことを考えれば、おそらく、彼女は、普通のプレフュードではないのだろう。
 そこまでは、痛んだ頭でも、予想することができた。

「……わかり、ました」

 そう言った聖は少し、悲しそうであった。
 ベッド脇の椅子に座った聖は、まず初めに、と、とんでもないことを言い出した。

「私は、プレフュードの王族です。なので、私がいる限りは貴女の命は保証しますので、安心してください」
「…………っ!」

 王族、つまり、琴織聖という少女は、人間の敵であるプレフュードのお姫様ということ。
 前置きから、衝撃的過ぎる。

 学校内でのことをいろいろと思い出し、道理で色々と無茶が聞いていたと納得できる。
 彼女の言葉をそのまま解釈すれば、つまり、葵を殺した根源が目の前にいるということ、復讐のためにも、悲劇を根本から破壊するためにも、涼は今すぐにでも彼女を殺さなければならないのかもしれない。
 だが、手よりも先に、口が開いていた。

「じゃあどうして、あんたたちにとって『食料』に過ぎない『家畜』である人間と一緒に生活しているのかしら」

 王族だというのが本当ならば、直系の血でないにしても、こんな、家畜小屋にいる人間ではないはずなのだ。
 涼の質問に対して、聖は指を二本たてた。

「理由は二つあります。簡単に説明しますと、一つは王族だからこそ、です。身分上、地上には私の顔を知っている敵が少なからずいます。なので、私が大人になるまでの間、プレフュードの多い地上ではなく、ここで生活しているのです」

 しかし、彼女の一つ目の説明に、涼はイマイチ納得できなかった。
 というのも、地下なら地下で、人間――テロリストたちから狙われるからだ。現にアドルフは聖の身分を知った上で殺しにかかってきていた。

「そして、もう一つというのが、私の、『ベガ』の血族による権力の衰退によるものです。そもそもプレフュードには元をたどれば、三種類王の血統があります。その一つ『アルタイル』の血は完全に途絶えており、最後の、もう一つの王が、今現在全プレフュードを、つまり、地上を支配している状況なのです」

 人間の王家の中で、身内ながら争うことは歴史上を見ても、少なくない。血のつながりがないというのならば、尚更だろう。

「……文字通り『日の当たらないところ』に追いやられたわけね」

 しかし、「そうですね」と言った聖はあまり、気にしていない様子であった。薄ら笑顔さえ浮かべている。

「現在の王、『デネブ』は百年前の――『神日戦争』で勝利した後、すべての日本人を十二の地下世界へと収納させ、各バーンを十二人の騎士によって統括させたのです」
「ちょっと待って、『日本人』だけ?」

 コクリと頷いた聖は『そうです』と言い、淡々と、地下以上に酷い地上の現状について説明をし始めた。

「地上では、私たちが旧日本を制圧した後に、世界大戦、それも核戦争がありました。私たちプレフュードは放射能や核爆弾への十分な対策を持って、地球に来たため、問題がなかったのですが、日本国を除く多くの国々が、都市が、大打撃を受けました。この国を除く世界の人口は今なお、数億程度にとどまっています」

 教科書に書いてあることの全部が全部、間違いではなかったということだ。
 あれ、と、涼にはある疑問が生まれてくる。
 その疑問の出所は、聖の『地球』に『来た』という言葉だ。

「じゃあ、そもそもプレフュードって……」
「貴女方からすれば、『宇宙人』……というくくりになるのかもしれませんね。まあ、私はこの地球で生まれて、この第9バーンで育ちましたから、あまり実感はないのですが」

 既にいろいろと、オカルトじみた話が続いているので、すんなりと受け入れることができたのだが、そもそも、今までの話、および、地上行きのエレベーター――『ミルファーカルオス』で起きたことがあら含めて、全部誰かの妄想ですと言われても驚かない自信はある。

「この第9バーンを統括していた騎士は『スピカ』……早乙女真珠と名乗っていた男ですが、今は全身包帯を巻かれて違う病院で特別に不味い病院食でも食べていることでしょう」
「そう、死んでいなかったのね……」

 安堵した気持ちと、少し残念な気持ちが入り混じっていたが、客観的に見ればよかったことなのだろう。
 葵は、天国で、どう思っているのだろうか。
 死んでいった葵を思い出すと、すぐに惨劇の記憶がよみがえってくる。時間的には三日も過ぎているらしいが、涼にとっては一瞬前の出来事のように感じた。

「貴方は……人間の肉を食べたことがあるのかしら?」

 つい、そんな質問をしてしまった。

 彼女はプレフュード、それも王族なのだから、答えは分かりきっているというのに。
 しかし、意外な返答が返ってきた。

「いいえ、私は人間に囲まれて生きてきたせいか、食べる気が起きません。ただ、熊谷さん――私の執事が将来のためにというから、時々、生血を飲むときがあります」
「私も、その被害者ってわけね」

 ええ、と言いながら聖は恥ずかしそうに俯いた。
 そんな聖の姿を不覚にも可愛いと思ってしまい、再び顔を逸らしてから、

「衰退しているといっても、貴女は一応お姫様なんだから、人を殺し食べるのくらいやめさせたりできないのかしら?」
「それは……無理です」
「どうしてよ!」

 すぐに帰ってきた返答に涼は声を荒げる。

「地上のプレフュードにとっては人間の肉は主食と言っていいでしょう。貴方は彼らに飢えろと言っているのですか?」
「食べものなら他にもたくさんあるじゃない、どうして人なのよ?」

「人間は秩序だけ保っておけば、何もせずとも増えます。人件費はほとんどありませんし、大して手のかからない、人間は経済動物としてあまりに優れすぎているのです」

「……っ! あんたも、同じ、ってことね」

 彼女の言った言葉は、早乙女真珠がホールで言っていた内容と酷似していた。つまり、この悪魔のような制度に関して何ら否定的なものを持っていない、むしろ肯定的だということだった。

「人選にはできるだけ家族のいない者を選んでいますし、家族からの苦情もほとんどありません。貴女方は無知ゆえに、ここで広々と暮らすことができる。今の地上では、そうはいきませんから。いわゆるギブアンドテイクというやつでしょう」

 淡々と話している聖に対して、沸々と怒りがこみあげてくる。彼女の言葉は、考えは、あまりにも『プレフュード』に偏っているように思えたからだ。

「人間とプレフュード、共存はできないというのね」
「それこそ愚問です。百年前、プレフュードは『神日戦争』で人間に完勝したのです。上下関係は決まっているでしょう」

 敗者にはあらゆる権利が与えられない、彼女はそう言いたいのだろう。
 だとしても、納得いくはずがなかった。

 少なくとも、こうやって同じ言葉が話せるのだから、彼女だって人間と共に成長してきたのだから、手を取り合って進める未来があってもよいのではないかと思う。
 聖は、一瞬、少し悲しそうな表情を浮かべたが、すぐにキツイ表情に戻り、突き放すかのような言い方で、

「つまり、涼、貴女のやったことは、プレフュード全体への『反逆行為』でしかありません。もう、私たちには関わらないでください」
「…………っ!」

 目の前が真っ暗になった。

 友達に『もう関わるな』と言われたことと、それ以上に今まで必死になってやってきた行動すらも否定されていたこと。

 同時に、葵、アドルフ、様々な人々の『死』の上に、自分は生きているということさえも否定されたような気がしたからだ。
 何も言えずに、俯く涼に対して、

「長峰……葵さんの遺体はこちらで預かっております。葬儀は明後日、『鹿鳴館』にて午前九時から行われますので、どうか出席してください」

 そう、まるで機械のように冷たく言い放ってから、「それでは」と言って、聖は、病室から出ていった。

 残された涼は、ただただ、俯くことしかできなかったのであった。





 翌日、かろうじて動けるようになった涼は、医師に無理を言って退院した。とはいっても、全身の包帯は取れていないし、毎日包帯の取り換えをするために病院へいかなければならないらしいのだが、それでも、薄暗い病室よりは自室の方が居心地良いのだから仕方がない。
 時間的には四日ぶりなのだが、久しぶりという気がしない寮へと帰ってくる。

 退寮したはずなのだが、聖が裏でご丁寧にも再び手続きをしてくれていたため、そのままの足で出る時と同じ部屋へと帰ってくることができた。
 見慣れているはずの入り口の前で、涼は立ち止まって、本当に自分たちがいた部屋がここで合っているのか不安になった。

 カギを開けてドアノブに手をかけると、また、得体のしれない不安に襲われる。
 その正体は、扉を開けた途端に分かった。

「ただ……いま…………」

 シンッ、とした室内で、一人ポツリという。
 しかし、返事は帰ってこなかった。
 静まり返った室内で、涼は自分の弱さを知った。

 ここへ帰ってくれば、また、当たり前のように、可愛らしくも鬱陶しい後輩の姿があるのだと、無意識のうちに考えていた。
 本当はそんな事、絶対にないと、頭ではわかっていた。だから、それが不安という心の中で形になっていたのだ。

 急激に体に入ってくる喪失感に耐え切れず、涼は膝をつく。
 部屋は怖いくらいに全然変わっていなかった。涼と葵の私物を除けば、全てそのままである。

 だが、そこに彼女は居ない。

 枯らす涙もない涼は、まるでゾンビのような足取りで、まっすぐ寝室へと向かい、そのままベッドにダイブする。
 また、葵のことを思い出した。
 あの惨劇の前夜、彼女はここで寝ていた。そして、様々なことを話した。

『地上って、星が良く見えますかね? 一緒に見たいですね!』

 曇りのない瞳で、まるでそれが自身の夢のように語っていた彼女は、真実を知ってしまった今では、道化の言葉となっていた。
 彼女が横にいたあの夜は、二人で寝るには暑すぎたような気がする。
 それから四日ほどしか経っていないにもかかわらず、今は、ひどく寒い。
 ここ五日間でのことが、全てが夢であることを願いながら、涼はひっそりと眠りに入ったのであった。





 涼が目を覚ましたのは、夜が更けた頃であった。

 起きても、酷い気分は続いており、できればもう少し夢と現の間を行き来していたい気分ではあったが、こんな時でもお腹は空く。
 何も食べたくない気分であるが、彼女の脳にお腹は完全に反発しており、早く飯を食わせろと唸っていた。

「うううっ……」

 唸った涼は、全身が気だるいながらも、ベッドから出て、冷蔵庫へと向かう。
 全身汗をかいており、汗が包帯について気持ちが悪かった。

 リビングを通りたどり着くが、冷蔵庫の中身は空。ここに戻ってくるなんて考えていなかったのだから、当然のことともいえた。
 ここに帰ってくるまでに何か買ってくればよかったと後悔しつつ、財布を持って外に出る。

 もしも、ここに葵がいれば『先輩も女の子なんだから、こんな夜中に外に出ないでください!』などと怒っただろうか。それとも、私も一緒についていきますなんて、笑顔でお供をしてくれただろうか。

 時間は深夜の一時、当然スーパーなどやっていない時間帯である。
 寮からもっとも近いコンビニまでは、徒歩で十分程度だ。

 深夜、昼間と比べて人気がなく、涼しい道を歩いていく。多くの建物の電気は消えているが、点いているところもある。
 家を通り過ぎるたびに、この家の人は、この世界の真実を知っているのだろうかと、などと考えてしまう。
 三日、いやもう四日前になるが、涼の周りで、少なくとも、百人以上は死んだのだ。三桁に上る死者というのは、普通ならば、大ニュースになるほどのもの。

 だが、誰一人として気づいていない、知らぬがゆえに無関心だった。
 無知とは罪、とは良く言ったもので、自分たちが『正義の味方』などと騒ぎ立てている『ジャスティス』の連中に、家畜として飼われ、食われていることを知らず、笑って過ごしている人たちが、涼からは愚かに思えた。
 罪に満ち満ちているこの世界は、とてもではないが、住むに堪えない場所のように感じた。

 コンビニにつくと、涼はまっすぐに弁当のコーナーへと行く。この時間帯であるため、かなり弁当の数は少なく、それでも選ぼうと手を伸ばしかけた。
 しかし、肉物の入っている弁当を見たとき、なんとなく、胃がキュウとしまった感覚を覚え、結局昆布と、梅のおにぎりを一つずつと、紙パックの野菜ジュースだけを買った。店員が、涼の左目や、全身に包帯が巻かれている姿に驚ていた。

 コンビニの前で食べるのは流石に行儀が悪いと思うが、家に帰るまで空腹と戦うのが面倒に感じた涼は、近くの公園のベンチの上で買ってきたおにぎりを頬張り、紙パックにストローをさして、ジュースを飲んだ。
 人体とは不思議なもので、少し物が口から入っただけなのに、体温が上がる感覚がある。
 血糖値が上がり、体の怠さもわずかに解消され、心の調子も少しだけ、よくなった。

 おにぎりを一気に口の中に詰め込んだ涼は月を見上げる。
 これは本物の月ではない、だが、それでも、その明かりは心を癒してくれていた。
 そんな月の輝きを見ていると、ふと、未だ右手に嵌ったままの指輪を思い出し、月にすかして見る。
 キラリ、と青色の宝石が光った。
 しかし、その光は、四日前、早乙女真珠を倒したときのものではなかった。

「こいつ、一体なんなのよ……」

 そう呟いた涼は、少しだけ、四日前の、彼女にとってはつい先ほどの記憶を思い出す。
 早乙女真珠に剣を突き付けられたとき、指輪が輝き出して、右腕に力が宿った瞬間、涼には何が起こっているのかわからなかった。いや、その右腕で既に三人ほど傷つけているが、未だにその正体はわかっていない。

 そもそもこの指輪は一度涼から葵に上げたもので、その前に涼は手にはめたりして見たりしたが、力は得られなかった。
 涼は、たまらなく悔しかった、この指輪の力がもっと早く表れていれば、誰一人彼女の周りから人が死ななかったかもしれないと考えると。
 直感では、この指輪の正体は、おそらく、聖の持っていたものと同じだ。
 彼女は名前を呼び、『結界グラス』の力を使っていた。
 ならば、涼の指輪にも、何か名前があるのかもしれないと思ったのだが……。

「私、神話とか詳しくないし、第一なんであんな厨二的なネーミングセンスなのよ……」

 確か聖の指輪の、『結界』の名前は『天の羽衣』……そんなもの、どうやって彼女は考えたのだろうか。
 厨二的に使えそうな資料を一生懸命に読み漁っている聖を思い浮かべて、一人笑っていると、

「同じ指輪の『結界グラス』の力は、根幹部分こそ変わりませんが、その形状、威力、色などは使用者によって決定いたします。故に、名前はご自身でお決めになった方がよろしいかと」
「……っ! あっ、あんたは……」

 独り言に対して、たいへん丁寧な回答を突然くれたので、涼は驚いてベンチからひっくり返りそうになった。
 声をかけてきたのは、いつぞやの、聖の執事である。確か、彼女曰く『理事長』だということだが、改めて色白い肌と、年不相応の体型、その雰囲気を見るにこの老人もまたプレフュードであることがうかがえた。

「熊谷でございます」
「そっ、そう……熊谷さんはこんな時間に何をしているのかしら?」

 涼が外に出たときには深夜の一時ごろだった。今はもっと遅くなっているはずだから、そんな時間に執事服の老人が公園にいるということはかなり不自然に映る。

「飛鷲様を探しておりました」
「えーと、堅苦しいのは嫌だからもう少し砕けてほしいのだけれど」
「貴女様にこれ以上の無礼は私どものプライドが許しません故、ご勘弁を」

 彼の涼に対する態度は最初に会った時とは明らかに違っていた。初めの時など、要件の詳細も言わずについてこい、であったのに対し、今はまるで、主人である琴織聖へ向ける態度と同一のもののように思えた。

 聖と友達というだけでここまで変わるのか、あるいは何か他の意図があるのか。
 非常にやりにくい、などと思っていると、ご老人が話し出す。

「お嬢様は、あまりにも優しすぎる故、きっと飛鷲様は勘違いをなさっているだろうと思い、迷惑ながら参上した次第にございます」
「聖に何を言われたのか知らないけど、帰って頂戴。二度と姿を見せるなといったのは聖の方だったはずよ」
「お嬢様――琴織聖様と飛鷲涼は、違えてはいけません。これは私の独断であり、この首をかけてのお諫めであり、同時にこの老いぼれのおせっかいでもあります。なにとぞ、お耳を貸してください」

 一々畏まってくる態度に、調子がくるってしまう。毒気が抜かれるというかなんというか……。
 本当は、聖のことなんて、名前すら聞きたくないくらいであったのに、ほんの少しだけ話を聞いても良いような気になってしまう。
 わかったわ、とため息を吐きながらに言うと、深々とお辞儀をした御老体は話し出す。

「まず初めに、お嬢様は人間を『家畜』として扱うことに酷く否定的でいらっしゃることを、頭に置いておいていただきたいのです」
「それは嘘よ、彼女、お姫様なのよね、貴方の言っていることが本当ならとっくにこんな制度消えてなくなっているはずよ」
「我々には、どうすることもできないからです」

 聖の言葉とは少しだけニュアンスが違っていた。聖の言い方は今の状況について『肯定的』に映ったのに対し、彼の言葉は現状に『否定的』であるように感じた。
 熊谷はゆっくりと続ける。

「確かにお嬢様の発言力ならば、制度の、この第9バーンだけという制限があるにしろ、改正できないこともないのです」
「……尚更、言っている意味が分からないわ」

 彼の言葉の前後は矛盾している。聖が制度に否定的であり、その力があるならば、涼が四日前にあんな経験をすることはなかったはずなのだ。

「問題は、我々の発言的な力ではありません。『リベレイターズ』と名乗るテロリスト集団のほうでございます」
「彼らは、ここを解放するために活動しているのでしょう? 制度の廃止なんて、彼らは喜ぶことなのではないの?」

 アドルフ・リヒターはここを解放するために、プレフュードの姫である聖を殺そうとしたのだ。
 真実を知っている人間の視点から見れば、彼らの行動はこのバーン内のただ『テロリスト』という評価ではなく、人間の自由復権のために活動している集団、むしろ、支持すべき対象となってしかるべきだ。
 彼らがバーンを解放することはあっても、『家畜』制度の廃止を拒絶するとは考え難い。

「ならば、制度が廃止された後のことを考えてみてくださいませ。今までプレフュードに向けられていた彼らの暴力は一体どこに向けられるでしょうか」
「まさか、ここが彼らに蹂躙されるとでも?」
「彼らの中に人類解放の大望を持った者がいないとはいませんが、彼らの多くが、社会からはみ出した『犯罪者』から成り立っていることを考えてみれば、想像に難くはありません」

 確かに、『リベレイターズ』は、警察に追われた犯罪者たちの救済の場となっているのは事実。
 革命によって、この第9バーンが不法地域になれば本末転倒である。

「加えて、この第9バーンでは、既に彼らの力は我々の手に負えるものではなくなっております。彼らが攻め寄せて来れば、ここはいとも簡単に落ちてしまうでしょう」

 ならば何で攻撃してこないのか、答えは簡単だ。それでは、第9バーンは孤立し、四方八方のプレフュードを敵に回す恐れがあるからだ。
 だからこそ、『リベレイターズ』は各バーンにあり、何か大きな行動を起こすときは、他バーンの連中と連携をとってのものにならざるを負えない。

「でも、貴方たちプレフュードは、悔しいけど、私たち人間よりも多くの点において優れているわ。『簡単に落ちる』は言い過ぎじゃないかしら?」
「残念ながら、この第9バーンのテロリストの中にはある男がいますゆえ、お恥ずかしながら、彼一人でも我々の手の負えるところではありません」

 四日前、処刑の行われたホールで、涼の二倍はある体格の男が目の前で、『ジャスティス』の一人に簡単に負けてしまったことを思い出し、自然と、こう、口に出た。

「……そんな人間がいるのかしら?」

 プレフュードを圧倒するような人間離れした存在が、いるとはとても思えなかったが。

「武虎光一朗、『神日戦争』で我々プレフュードと互角以上に戦った唯一の精鋭部隊である『鬼神隊きしんたい』の元一員であります。彼の一番の特徴としては、最高クラスの『神器じんぎ』の一つ、『神龍の鼓動』を体に宿しており、プレフュードを圧倒するパワーと、生き物全てを惑わす幻想を見せる力を併せ持っております」

 男の名前に引っ掛かりを覚えたが、それよりも先に出てくる疑問があった。

「その戦争って、百年以上も前じゃなかったかしら。その生き残りが生きているなんて、あり得ないわ」

 彼は敵のことについて良く知り過ぎた、故に、次の言葉をためらっているようであった。現に熊谷の言った次の言葉は涼を驚愕させた。

「彼は、神龍の力により、『不老不死』なのでございます」
「…………馬鹿げているわ」

 ここ数日で様々な『突拍子のないこと』を体験してきた涼ですら、死なない人間というのは信じられなかった。いや、だからこそ、だろう。
 人は簡単には死なないもの、そう信じて生きてきた涼だが、彼女の周りでは人が死に過ぎた。

 人はいとも簡単に死んでしまう、故に、子を作りDNAを継がせていくのだ。不老不死など、人間の踏み入って良い領域ではない。

「だからこそ、私共も困り果てているのです」

 熊谷が嘘を言っているようには見えなかった。
 プレフュードならばまだ理解ができる。それは彼らをまだ涼は知らないからだ。
 一方で、百年以上も前の『人間』が生きている、そんなことがありえるのだろうか、という疑問を涼は払拭できなかった。

「でも、私には関係ないわね」
「……確かに、そうかもしれませんな」

 そう、仮にも不死身でプレフュードよりも強く、おまけに惑わす幻想を見せる力を持っているなどというチートじみた人間がいたとしても、涼にとっては関係がないのだ。
 戦うこと以前に、そんな化け物と出会うことすらないだろうから。

 話がずれてしまいましたので元に戻しましょう、と言った熊谷は、

「聖お嬢様は大変、飛鷲様をお慕いなさっております。元来、人付き合いが苦手な方であるお嬢様は――人間相手であることもあり――今まで、近い年頃のご友人があまりおりませんでした。このままではお嬢様が不憫でなりません。飛鷲涼様、貴女様にならばお嬢様に相応しいご友人になられると、私共もそう考えております故、ご関係の修復をお願いいたします」
「……二つだけ、質問させてもらっていいかしら?」

 なんなりと、と頭を下げる熊谷。
 じゃあ一つ目ね、と言った涼は立ち上がり、ずっと気になっている事柄を聞く。

「随分と私を過大評価してくれているみたいだけれど、それは私が聖にとっての『初めての友達』であるからという理由だけかしら?」
「もちろんでござ――」
「嘘ね」

 即答しようとする熊谷の言葉を一蹴する。
 やはり、彼の涼に対する対応、評価は明らかに、初対面の時と違っていた。
 確かに、初対面と二度目とで、対応が変わるのが人間であれ、プレフュードであれ生き物であるなら同じことだが、そのほとんどが初対面よりも砕けるはずなのだ。
 彼はその逆、初対面よりも、二度目に会った今日の方が遥かに丁寧で、かしずいている。そう言う人もいることはいるのだろうが、少ない部類に入るだろう。涼にはそれがとても不自然に思えたのだ。
 涼の言葉に最初、何か考えるように、しばらく黙った熊谷は、ため息をつき、月を見上げながら話し始めた。

「指輪、およびその『結界グラス』の力は、プレフュード特有のものであります。さらに我々プレフュードの中でも、指輪の力の使用は元々の所有者である人物との直系の血のつながりを持っていることが必須条件なのでございます」
「……っ!」

 彼の言っていることはつまり、指輪を使えるのはプレフュードの、しかも、その指輪の持ち主の血族でなければならないということ。

「元々の所有者というのは昔に、指輪と契約したプレフュード。十二騎士、または三王のことを指すのでございます」
「……ということは、つまり……」

 ゴクリ、とつばを飲み込む。嫌な予感がした、ご老人に次の言葉が怖かった。耳をふさぎたくなるほどに。
 その予感は、見事に的中してしまった。


「はい、貴女様は、プレフュードの、それもおそらくは三王の一人『アルタイル』王の直系的な子孫なのでございます」


 眩暈がした、起き上ってからの数時間、ずっと恨んでいたプレフュード。涼自身に同じ血が流れているかと思うと、複雑な気持ちになる。

「ちょっと待ちなさい、どうして王様の血が……」

 人間の、地球のことならば、まだ、あり得ることだ。そう、衰退した王家の血筋が流れているならば、あり得ないことではない。
 だが、元々プレフュードは地球の生物ではないと聖は言った。
 地球外の王の血筋が、ここにあること自体がおかしなことなのだ。

「それには少し、年よりの私が生まれる少し前の、本当の昔話をしなければなりませんが」
「……構わないわ」

 涼が答えると、「それでは」と言った熊谷は、ゴホンッ、と咳払いをとある、どこかで聞いたことのあるような話を始めた。

 昔、プレフュードの住む星、『セブュース』は三つの国に分かれており、各国を、覇王『デネブ』、大聖女王『ベガ』、戦神王『アルタイル』の三人の王様がそれぞれを統治していました。
 三国の間には彼らの先祖の時代からの戦いがあり、それまでは完全な安寧などありませんでした。

 かくいう彼らも、初めは国をあげて大きな戦を何度もしていたのですが、戦のあとの、見渡す限りの兵の屍という状況に心を痛めていた女王『ベガ』が大規模な戦以外の方法で国ごとの争いは決めるべきだと、提案したのです。

 これに対して、当時最高の軍力を保持していた『デネブ』はその提案を拒絶しましたが、一方で『アルタイル』はその提案を承諾し、その方法を、王同士による一騎討ちにしました。

 しかし、『ベガ』の国と『アルタイル』の国の間には、大きな川があり、国境で行われるはずである一騎討ちは、一年に一度、川の流が落ち着くときしかできなかったのです。

 女王の提案から一年後、初めて行われた前代未聞の王による一騎討ちは、両国の間にて、各国の大勢のプレフュードが見守るなかで、始まりました。
 大聖女王『ベガ』は攻撃こそ男である『アルタイル』に敵いませんでしたが、戦神王『アルタイル』はどんな攻撃をもってしても『ベガ』の守りを突き崩すには至りませんでした。

 王同士の戦いは熾烈を極め、結局は勝負つかずとなり、翌年に持ち越されることとなりました。

 それから五年間、毎年二人の王は戦い、引き分けを繰り返すこととなります。
 その頃になると、毎年一度だけ行われる二人の一騎討ちも、一年に一度行われる両国共同の大きな祭りとなっており、国民も楽しみにするようになっていました。
 そんな度重なる衝突の間、『ベガ』と『アルタイル』はお互い惹かれあっていることに気づいていました。
 お互い戦う前は話すこともなく、一年に一度しかあえないというのに、です。
 何度も衝突し、お互いの力を認め合っていたことで、二人以外には見えない大きな『絆』が生まれていたことだけは確かだったのでしょう。

 更に五年が経過し、結局十度目の一騎討ちも引き分けになりました。
 今年もまた、両者ともに無事で何より、と国民が安堵していた瞬間です。

 しかし、その戦いの終了直後、戦いは実質の終わりを迎えることとなりました。

 まだ、興奮なりやまぬ闘技場にて、決闘を終えた戦神王『アルタイル』が、大聖女王『ベガ』へ婚姻を申し込み、『ベガ』がそれを受理したからです。

 誰にも予期できなかった不意打ちプロポーズは、両国民に衝撃と、同時に安心を与えました。
 二人の王による結婚により、二国間は一つとなり、繁栄していくことのだと誰もが思っていました。だが、ここで一人、二人の婚姻を望まぬものがいたのです。

 第三の王、『デネブ』です。
 三国間のバランスが総崩れとなり、自国が危うくなると考えた彼は、結婚が成立する前に、『アルタイル』を始末しようと、表向きでは祝盃をあげるために数人の精鋭と共に、国境内に入り、国をあげての大規模な結婚が行われる前日に、数人の刺客を送り込みました。

 戦神王と呼ばれた『アルタイル』であっても、多数からの不意の攻撃、それも三国のうち最も軍事力の高い『デネブ』の国の精鋭とあっては抵抗もできずに破れ去り、なおもしつこく追ってくる敵から逃れるために、大きな傷を負ったまま、小さな船に乗り、星から逃れたのです。

 結局、翌日、結婚式に『アルタイル』の姿はありませんでした。
 何度もぶつかり、ようやく募った思いが叶うと喜んでいた『ベガ』は、失望し、悲しみくれ、攻めてきた『デネブ』の軍に対しても無条件降伏をしてしまいました。

 その以来、全プレフュードは覇王『デネブ』により統治されることとなり、その五十年後に『デネブ』は全国民を地球へと移住させたというわけです。


「……で、私にどうしろというのよ?」

 それが、話を聞いた涼の感想であった。

 確かに、飛鷲涼と琴織聖の先祖は婚約までした間柄、それが不運によって破棄されてしまった。だから、彼らのせめて子孫である涼と聖には一緒にいてもらいたい。
 こんな身勝手な主張を受け入れるほど、涼はお人好しではないし、第一、涼は自分の先祖が『アルタイル』などと認めたわけではない。
 おそらく、こんな話は口実に過ぎないのだ。

「我々プレフュードの多くは、この後、『アルタイル』様はお亡くなりになったと考えておりました。その途絶えた血が残っていたことは、我々にとって朗報のほかありません。まさか人間と共に暮らし、人間との間に子を儲け、その遺伝子を紡いでいたとは思いもしていませんでしたが」
「つまり、貴重な『アルタイル』の血は早く我々で保護して、けがれた人間の血をまた時間をかけてゆっくりと薄めていこうってことね」
「そういうわけではございません、ただ、私共は敬愛する二人の幸せの行方をこの目で見てみたいだけなのでございます」

 彼の言ったことは、明らかに違うといえるだろう。
 そもそも、プレフュードにとって三王とは一体どういうものなのか。

 確かに『デネブ』こそ、今彼らを統治する王であるが、この老人が生きていない時代のような大昔の王が、まだ支持されているとは到底考えられない。
 つまり、彼らが危惧しているのは『ベガ』だの『アルタイル』だのの、王の血そのものではなく、それに付随する、おそらくはこの指輪の『結界グラス』の力なのだ。
 だから、この老人は、したたかにも、聖と共に、涼を監視するつもりなのだ。

「偽善者ぶるのも大概にしなさい、プレフュードの本性は、既に私、しっているのだから」

 涼が睨みつけると、老人は、困惑した顔を浮かべていた。

「我々にとって――――いえ、度々の御無礼、お許しください」

 何かを言いかけた熊谷は、再びかしずく形を取り、恭しく頭を下げた。

「最後にですが一つだけ、申させていただきますと、人間と同じように我々プレフュードにも、利を超える『情』というものが、ございます。それをどうか、頭の片隅に置いておいてくださいませ」

 そう言った熊谷はもう一度深々とお辞儀をすると、去っていった。
 彼が去った後、静かになった公園で、涼は老人の言葉をしばらく考えた後に呟く。

「まったく、なんなのよ、もう……」




 寂しい夜道を歩いて、家へと帰ってきた涼はまたそのままベッドにダイブしかけた――のだが、外に出て汗をかいてそのままというわけは女子として、あまりにもと思って、我慢。

 風呂に入ろうかとも思ったが、全身包帯を巻かれているこの状況ではそれも難しいと思い、タオルで身体だけ拭いた。

 もう一度、自分以外誰もいない部屋を見ていると、あるものが涼の片目に留まった。
 一度私物整理をしてしまったため、涼の私物も、葵の私物もの一切ないのが、彼女が一つだけ、二人の私物が、届けられていた。

 それは、通学カバンである。
 琴織聖が後で届けてくれたのか、部屋の隅には、ちょこんと、二つのカバンが並んでいた。
 自身のカバンを取ると、随分と重い。

 中身を見ると、聖にもらった、いや、押し付けられたと言った方が正しいか、『神器じんぎ』が載っている図鑑と聖が言っていたことを思い出し、特に理由もないがそっと開いた。
 これはプレフュードたちの間の言葉なのだろうか、中々に詳しく描かれている絵はわかるものの、文字は全く読めなかった。だが、ペラペラとめくっていると、プレフュードに人間が対抗する『力』が少なくないことを知った。
 もしも葵が、この中の一つでも持っており、仕えていたら未来は変わっていただろうか。

 ページをめくる手が止まる、そこには気味の悪い人間の目が大きく載っていたが、涼が目を止めたのはその下の龍の骨である。
 別に絵が気になったわけではない。文字が読めたわけではない。

 ただ、このページだけ何度も引かれた痕跡があり、さらに龍の骨が描かれている周りには多くのメモ書きがあった。きっとこの『神器』について、よほど詳しく調べたかったのだろう。
 だからこそ、これが先ほど熊谷が言っていた、この第9バーンにいるプレフュードたちでも倒せない男の『神器』なのだとわかった。

 そこでふと、不思議に思う。熊谷は戦わないと言っていた。だというのに、どうしてこんなに頑張って調べていたのだろうか。
 もしかしてプレフュードは近々『リベレイターズ』と戦うなんて考えているのでは。

「まさか……ね」

 この辺りが火の海になることを一瞬、想像して、すぐに頭を横に振る。
 そんなことがあれば、この第9バーンにいる何も知らない人々が多く死ぬ。人間、プレフュードどちらにしても利のある話ではない。

 本を閉じると、部屋の中にあるもう一つの――長峰葵の通学用カバンが気になってくる。
 他人のもの、しかもカバンの中など、絶対に見てはいけない。そんなことは分かっている。本来ならば、そのまま焼いてしまうのが、良いのだろう。

 だが、涼は葵のカバンに手を伸ばした。
 興味がなかったとはいない。ただ、それ以上に、どこか遠くへ行ってしまった後輩を少しでも近くに引き寄せたかったというのが本心だ。
 ゴクリ、とつばを飲み込んでカバンのチャックを開けていき、中身を見る。

 別段特別なものは入っていなかった、小奇麗にまとめてある教科書とノート、小物入れに、筆箱、あとは日記帳くらいである。
 涼は、一瞬、ためらったが、深呼吸をして、カバンの中に手を入れ、日記を取り出して、その中身を見た。

「…………っ」

 そこには、小奇麗な字で、一日も欠かさずに、些細な日常を綴っている葵がいた。

 彼女の主観で書かれている文章であるが、そこに出てくるのは彼女自身のことよりも、涼のことの方が多いような気がした。
 その中の一文『今日、先輩は何もないところでこけていた。やはり、ああ見えて抜けている部分があるようだ。私が守ってあげなくては』というのを読んで、思わず彼女が、涼に行っていた言葉を思い出す。


『先輩は、葵が絶対に守ります』


「……馬鹿、守られるのは貴女のはずでしょ…………」

 閉じた日記を、抱きしめた涼は、ふけっていく夜の中、静かに泣いたのであった。



 人は人権をはじめ、様々な権利を持っている。
 この世界に生まれた瞬間から、多様な権利が生まれ、生きていくうちに新たに得たり、失ったりしているのだ。

 そう、権利は失うこともある。

 朝起きると、七時である。聞いていた葬式の開始時間は九時。ここから聖の指定した場所へは二時間近くかかるが、今から出ればギリギリ間に合う時間だ。
 今日は、聖に言われた『葬儀』の日であった。

 しかし、長峰葵の葬式に、涼は言ってはいけないと考えていた。
 彼女が死んだのは、彼女を守れなかった自身にこそ責任があると思ったからである。彼女の親戚がいたら、どの顔して会えばよいのだろうか。

 熱いコーヒーで目を覚ました涼は、いつも通り、制服に着替えて、家を出た。
 そもそも彼女は学生、『葬式』に出ないのであれば、行く場所は学校以外にありえなかった。
 ずいぶん久しぶりのことのように思える登校だが、やはり、何かが物足りないような気がすると同時に、本当に『葬儀』に行かなくてよかったのかという、罪悪感にも似たような感情が彼女を襲った。

 俯きながら、ゆらゆらと歩いていると、ガシッ、と肩を捕まれる。
 驚いて立ち止まると、目の前は赤信号で、車が右往左往していた。

「おい! 死ぬ気か――って、お前、飛鷲……か?」

 後ろからひどく懐かしい声が聞こえた気がして、振り返ると、そこには幼馴染の姿があった。
 翔馬が半信半疑で見てくるのは別れを告げたからというわけではなく、涼の左目や、体のいたるところが包帯で巻かれていたからだろう。
 彼を見た瞬間に、涼の眼から涙が、ほろり、ほろりと零れた。

「なっ、何なんだいきなり。第一俺は常日頃から言っているように――」
「ちょっと、胸を貸しなさい……あと、撫でたり抱きしめたりしたら殴るから」
「…………どうしたんだ?」

 戸惑う少年――夏目翔馬の胸に飛び込んだ涼は、いろんな思いがあふれだして、泣いた。

 ここに帰って来られた安堵感や、大切な後輩であり友達を失ってしまった悲しい気持ち、友達を信じられない不安。

 自分にはどうしたらよいのかわからなかった。

「全部……壊れちゃったのよ…………そう、全部……」

 涼は、少ない期間で大切なものを持ちすぎた。それらを失ってしまい、心が安定しなくなるくらいには。
 もうとっくに枯れていたものだと思っていた涙も、まだ流れている。
 涼に泣きつかれた翔馬の方は彼女とは打って変わって冷静で、はー、と深いため気をついて、から、涼の頭を撫でる。

「全部ではないな、現に俺はここにいる」
「……馬鹿」

 いつも変なことを言うくせに、こういうときだけ、良い格好してくれる。
 そうだ、飛鷲涼が、何か苦しんでいたときに、そのたびに助けてくれる、絶対に壊れない馬鹿は、ここにいた。

「なら、ちょっと、場所を変えようではない、かぁ!」

 翔馬の言葉の最後のところで、涼は、容赦なく、彼にアッパーをくらわせた。
 その顔には、いつもの顔が戻っていた。

「言ったでしょう、撫でたりしたら殴るって」



 その後、涼は、道端に倒れた翔馬を引きずって近くのファミレスに入った。
 下から殴ったので、翔馬の眼鏡には一切の傷がないものの、ずっと涙目で顎をさすっていた。

「で、何を頼むんだ?」

 殴られたことに何一つ文句を言わず、メニューを眺めている翔馬に対して、『あんたは男よ』と、心の中で敬礼をしながら、

「私はドリンクバーとスパゲティハンバーググラタンにするわ」
「……太るぞ」

 ボソリ、と翔馬の声が聞こえたが、無視。朝何も食べていないし、昨日もろくなものを食べていないのだからお腹が空いているのだ。三日間ろくに動いていないとか、そんなことは忘却しておこう。

 無視して注文を終え、とりあえず、飲み物だけがテーブルに揃ったところで、涼は、翔馬に、一通りの説明をした。
 話しながら、我ながらあまりにも現実味のない話をしているなとは思いつつも、嘘を織り交ぜて、疑われるのも嫌だったため、何一つ虚偽は言わなかった。

 嘘のような真実を、ありのままを話した。

 琴織聖と出会い、アドルフに毒で殺されかけ、地上へ行こうとすれば大切な後輩が殺された。
 アドルフの処刑や、プレフュードについてまで、気づけばすべてを話していた。
 悩み事を他人に聞いてもらうと、こんなにも気が楽になるものなのかと思った。

「にわかには信じがたい話だが……」

 翔馬は、涼の話を終始難しい顔で聞いていたが、クイッ、と眼鏡を直し、
「お前が、そんな顔して話すのだから、信じないわけにもいかないな」

「翔馬……」

 テロリストである『リベレイターズ』の元へ行くわけにもいかないし、と言って聖は敵か味方かわからない。つまり、誰にも相談ができなかった状況で、理解者が一人で来たことを、涼は本当にうれしく感じた。
 その時、翔馬が、とても、引っかかることを言った。

「葵の遺体はどうしたんだ?」
「えっ……」

 涼は、彼に対して、葵が死んだ、そのことしか伝えていなかった。だから、その質問はごくごく自然なものであるはずだった。
 彼女の葬儀、そこに参列する人にはどう言って彼女の死因を説明するのだろうか、当然、全く嘘の話をでっち上げるに決まっている。

 ならば、おかしい。

 一体何が変なのかというと、彼女の死因が『プレフュード』に関係しないものとされるならば、目の前のこの男も葬儀に呼ばれていなければおかしいのだ。

「あんた、何でここにいるのよ!」

 ガタンッ、と席を立った涼は翔馬の胸ぐらをつかんで言う。
 聖は、祭りで、翔馬と会っている。つまり、彼女は葵と涼、翔馬の間には何か関係があるということを知っている。
 つまり、彼女が用意した葵の葬儀には翔馬が呼ばれているはずなのだ。

「どういう意味だよ、何で急に……」
「あんたは、今日――ううん、今の時間があの子の葬儀の時間だって知らなかったの?」
「なっ……馬鹿かお前は! なら何でお前こそここにいるのだ!」
「…………っ!」

 翔馬の声で、涼の顔がみるみるうちに青ざめていく。
 つかみかかった手を離した涼は座り俯く。

 彼が呼ばれていないということは、聖が必要ないと感じたからなのだろう。
 それは、第三者に説明するような嘘を、つく必要がなかったということ。つまり、真実を知らない人間で、葵のことを思っている人がいなかった、彼女の死に関心を持つ人間がいなかったということ。

  少し考えればわかったはずだろう、彼女は家族を亡くしており、親戚に引き取られもしなかったのだから。

「私……なんてことを……」

 涼は頭を抱えた。後悔という言葉が頭をぐるぐると回る。
 今日の葬儀というのは、おそらく、涼が葵の遺体と最後にもう一度向き合うために聖がわざわざ用意したものなのだ。

 涼という、故人にとって友であった、たった一人の見送り人だけのために作られた葬儀。

 家族を亡くした葵は、ずっと一人だった。
 そんな彼女を死んだ後も一人にしてしまった……。
 時計を見れば、もう十時。今から走っても、ここからでは二時間以上かかるため、間に合うとは思えなかった。

 でも、このままで、良いわけではなかった。
 泣き言を言っている場合じゃない。
 今、他にやるべきことがあるはずだ。
 そう、最後に、もう一度だけ、葵に、言わなければならない。

 ありがとう、と。

 再び立ち上がった涼は、お会計の札を翔馬に押し付けながら、

「翔馬、一つだけ頼みごとを聞いてもらえるかしら」
「会計のことか?」
「それは当たり前、もう一つ頼み事があるのよ」

 数分の間で、浮き沈みの激しい涼を見ていた翔馬は、戸惑う――ということなく、流石は幼馴染といったところか、やれやれ、と言った様子であった。

「で、一体何だ」
「えっとね、それは――――」




 人間は、いや、プレフュードもきっと、間違ったり、後悔したりすることがあるだろう。
 むしろ、長い人生においては、自身が正しいことをしていると誇れることの方が少ないのかもしれない。
 だが、生き物は、その生がある限り、学ぶことができる。
 修正することなど、いくらでもできる。

 そう信じているからこそ、飛鷲涼は、自身の間違えを認めて、走っていた。
 電車、バス、様々な交通機関を使い、最後はやはり走ることとなった。
 彼女が向かっていたのは葵の葬儀が行われていた『鹿鳴館』という場所である。

 乱れた息を整えながら、その前に立つと、すでに何もかもが終わっている様子であった。
 遅かった、などと後悔しそうになったとき、ちょうど館内から出てきた一人の背の高いお坊さんが目の前を通りかかる。

「あのっ、すみません。今日、ここで葬儀が行われていたと思うんですけれど……」

 声をかけると、お坊さんは驚いた様子だった。翔馬の時もそうだが、包帯が、それも顔に巻かれていると、誰でも重症患者のように感じるのだろう。
 まあ、実際のところ、全身いたるところは痛むのだが……。

「あっ、ああ……はい、足りぬ身ながら、私が経をお読みしましたが……」
「そう、ですか……」

 彼の言葉は過去形であった。
 やはり、もう終わってしまっていた。

 その事実は、ここに着いた時からわかっていたものの、改めて突き付けられると、やはりくるものがある。
 しかし、お坊さんは話を切り上げてどこへ行くでもなく、話しを続けた。

「ひどく寂しい葬式でした。まだお若く、ここまで大きな会場を用意されましたのに、ご参加されたのはたったの一人だったのです」
「……ひとり?」

 えっ、と疑問符を浮かべる。
 涼の考えでは、この葬儀は涼のためだけのものであり、他に出席はないはずだが……。

「綺麗な、あれは、ブロンド、という色の髪でしょうか、年は貴女と変わらないくらいでしたが、小さなお嬢さんでした。他に誰もいないところで、棺の前で、わんわんと泣いていらっしゃいました。それは見ているこちらが辛くなるほどに……です」
「……っ!」

 その時、涼は理解した。

 違う、琴織聖は涼と葵のためだけに葬儀を執り行ったと思ったが、それは全くの間違いだった。
 随分の昔のことのように思えるが、夏祭りの時、聖と葵は初めこそ仲が良いとは言えなかったが、最後には手を取り合っていたではないか。

「……馬鹿だ、私……」

 聖は葵を一人の友人として、自身の最大限の力を使って、一人逝く友を弔ったのだ。

 そこに、涼の存在の有無など関係がなかった。
 葵と繋がりがあるのは、涼だけはなかった。

 当たり前のことを思い出しただけなのに、なぜだか、とてもうれしくて、心が軽くなったような気がした。
 お礼を言って、お坊さんと別れた涼は、遺骨を納めたという、歩いて数分ほどのお墓へと行く。

 不思議なものだった、もし葵が生きていたらまだ現実を見ないのかと笑われそうだが、それでも、生きていた人間が、動かない石として、そこにいるのは、信じがたい事実である。

 涼は、涙を流さなかった。
 ずっと泣いてばかりでは、泣き顔が逝ってしまった彼女にとっての『飛鷲涼』の顔になってしまうと思ったからだ。

 真新しい墓には、すでに綺麗は花が供えられていた。
 線香を上げた涼は、墓前で手を合わせる。
 キラリと、涼の指についている指輪が蒼く光った。

「葵、ありがとう。私は、貴女のおかげでここにいるわ……」

 葬儀に行けなくてごめんなさい、と言おうと思ったが、いざ墓前に立つと、謝罪よりも感謝の言葉の方が先に出ていた。
 しかし、いってみたものの、目の前には葵がいるとは思えず、それ以上の言葉を紡ぐ気にはなれなかった。

「……私、どうかしちゃったのかしらね。貴女が目の前の墓よりも、ずっと、私の近くにいる気がするわ」

 なぜかは分からないが、今、いや、葵が死んで目覚めてからずっと、彼女が生きているときよりも近くに感じることがあるのだ。
 これは彼女の日記を読んでしまったからなのだろうか。

「だから、ここに来なくても貴女には会えるような気がする。そう思うの」

 顔を上げて、立ち上がった涼は、笑顔を彼女に届ける。

「……なーんて、ね。冗談よ、また来るわ」

 ドラマなどで、墓に向かって独り言など、馬鹿げていると思っていたが、いざ自分が同じ状況になっていると、自然と言葉が出た。
 その言葉は、いつも彼女に使っていたような、友人への言葉遣いであった。




 墓前を立ち去り、学校へと戻ろうとした涼だが、彼女が墓地を出たとき、その前を意外な人物が立ちふさがった。

「ご友人へ会いに行った直後で、誠に心苦しいのですが、事態が事態でありますので、ここで待ち伏せさせていただきました」

 そこにいたのは、聖の執事である老人、熊谷である。
 しかし、相当に急いでいたらしく、しわしわの肌には汗がにじんでおり、いつものピシッとした執事服もどうやら、走ったためか、乱れていた。

「何の用よ?」
「単刀直入に申しますと、お嬢様の命が危険に晒されているのです」

「……っ! 詳しく聞かせなさい」

 危険に晒されている、という言葉に涼の顔色が一変する。
 熊谷は、懐から一枚の紙と、指輪……聖の付けていた指輪を取り出した。

「お嬢様は、この第五バーンだけでも変えようと、丸腰で第9バーンの『リベレイターズ』の元へと交渉へと行ったらしいのです」

 熊谷の持っているのは書置きであった。
 確かに、『第9バーンの、全てに決着を付けます』とだけ書かれていた。指輪をつけていないから『天の羽衣』も使えない。故に、彼女を守るものは何一つないと言っていい。

 あのバカ、と内心で呟く。

 このタイミングで、彼女が動いたということは、確実に、涼と葵のことで責任を感じての行動なのだろう。

「交渉……って、どこへよ?」
「わかりません……そもそも我々は『リベレイターズ』が普段どこに潜伏しているのかさえ、わかっていませんので」
「じゃあ、どうすることもできないじゃないのよ!」

 熊谷老人に八つ当たりしても、事態が動くわけではないのだが、声を荒げずにはいられない。
 丸腰で敵の元へ行く、武器を持った使者など聞いたことがないが、王様自ら交渉へ行くなんて話も聞いたことない。

「もう、私たちに関わるなって……全部一人で背負い込むつもりだった」

 どうやら自分の周りは馬鹿しかいないらしい。
 居ても立っても居られないが、どこへ行って良いのかもわからない。
 彼女を助けたくとも、情報が乏しすぎるのだ。
 何か聖の一を知る方法はないかと、考えていたその時、涼の携帯が鳴った。取り出してみると、その相手は夏目翔馬である。

 瞬間、涼は彼に言った『お願い』の内容を思い出し、すぐに電話を取った。

「もしもし、約束は?」

 若干のノイズがかかっており、電話の向こう側は不気味なほどの静かであった。

『……あまりでかい声を出すな、琴織聖なら、俺の目の届くところにいる』
「…………っ!」

 涼が先ほど翔馬言った『お願い』の内容、それは、『琴織聖ともう一度話したいから捕まえておいてくれ』というものだった。
 その『願い』が奇しくも今、聖と涼たちをつなぐ一本の糸になった。

『言われた通りに琴織を見つけたんだが、数人の生徒たちと一緒に学校を出たんだ。怪しんでついていくと、そいつらは『リベレイターズ』だったんだ。それで今、後を付けているところだ。学校近くの廃墟、そこに地下への入り口があってな、そこからもう三十分以上歩き続けているが、まだまだ奥がありそうだ』

 この地下空間の更に下に潜伏場所を作っているなんて、誰が考えるだろうか。道理で今まで、見つからなかったはずだ。

「変なことに巻き込んじゃってごめんね、あと、ありがとう、今度なんかお礼するわ」
『なら、お前と琴織聖のキスシーンを――』

 別に聞きたくなかったわけではないが、彼が全部を言う前に携帯から耳を下した涼は、目の前にいる老人に、簡単に詳細を伝える。
 すぐに熊谷は、この第9バーンにいる『ジャスティス』全員を動かし、翔馬の教えてくれた場所へと向かわせてくれた。
 もちろん、翔馬は傷つけないことも指示に付け加えていた。

「これで、大丈夫……かしら?」

 テロリスト集団『リベレイターズ』とはいえ、相手は所詮人間、『ジャスティス』が出れば人質の一人や二人すぐに取り戻せると思ったのだが、

「いいえ、難しいでしょう」
 熊谷の返事は、芳しいとは言えないものだった。

「それは、昨日も言っていた『不老不死』がいるから?」

 はい、と頷く熊谷を見た涼は、自身の右手についた指輪を見る。

 すると、呼応するかのようにキラリと蒼く指輪が輝く。

 必ず勝てる、などとは思わない。
 でも、今の自分にできることがないわけではない。

「私の、力を使えば……どうかしら?」

 熊谷は、しばらく、何も言わずに涼を見ていた。何を考えているのかわからない。全く表情が読めなかった。
 やがて、彼は首を横に振った。

「無理、でしょう。経験、力、どちらを取っても、天と地ほど差があります」
「そんなの、やってみなくちゃ―――」
「第一ここからでは、あまりにも時間がかかるかと」

 ここから学校の方へと行こうとするならば、かなりの時間が必要になるだろう。その間に、良くも悪くも結果は出てしまうということか。

「違うわ、貴方は、私を殺したくないだけ。私が死ねば、聖が悲しむから、違う?」
「……………」
「何もできない、そんな宣告は聞き飽きたわ」

 力がないわけではない、ならば、絶対に後悔する方法だけは取りたくない。
 だから、傍観なんて選択肢選ぶわけがない。
 それが『飛鷲涼』らしいやり方。

(どこまでも私のままで……そうでしょう、葵)

 駆けだそうとする涼に、「飛鷲様!」と、熊谷が止めにかかってくる。
 だが、振り返った涼はその眼先にビシッと、指を突き付けて、無理などという言葉を投げてきた老人に宣言する。

 どこまでも他人に優しく、人間、プレフュード関係なく友としてどこまでも純粋に愛することができる少女。

 ならば、それを肯定し、彼女自身を愛し、護り通すのは一体誰か。

 そんなもの、決まっている。

「例え周りに悪と呼ばれようと、人類が、プレフュードが、神が敵になったとしても、私は絶対に裏切らない、琴織聖を護り通すわ!」


「現代アクション」の人気作品

コメント

コメントを書く