光輝の一等星

ノベルバユーザー172952

白き龍は淡い夢を見せる

 琴織聖は、小さいころから、自身が周りとは違うと聞かされて育てられたせいか、友達を作ることが下手であった。

 声はかけられるし、苛められることもない。
 物静かな少女だと言われ、遠目から観察されるだけの、学校ではただの置物のような存在。

 熊谷に言われ、将来のために彼らの血肉にも慣れておけということで、人の生血を飲むようになってから、ますます彼女の周りから人は居なくなっていった。
 月に二度ほど、膨大な数の生徒の中から一人を選び、熊谷に連れてきてもらってその血を吸う。熊谷の隠蔽により、その事実は吸われた本人以外は誰も知らない。

 だが、真実というものは時に、噂となって流れ出す。
 中学では二年生の時から、高校の一年後半から、琴織聖は人の血を吸う、吸血鬼などと噂されるようになった。真実なのだから、仕方がないとも思っていたが、そんな少女に友達などできるはずもなく、時間だけが過ぎていった。

 ある日、聖が出合ったのは、とても奇妙な女であった。
 自身の血を吸われながらも、自分と友達になってほしいなどと言ってくる、変な女。凛々しい姿が印象的の、綺麗な女であった。

 初めはからかわれているものだと思っていた。

 しかし、その後、彼女は、『友達だから』などという理由で、毒の蔓延する場で、逃げずに自分を守ってくれた。
 どうしようもないくらいに、嬉しかったのを今も鮮明に覚えている。

 それは初めてできた、友達であるはずだった。

 しかし、そのすぐ後に、聖自身にできた二人目の友達であり、涼の後輩である長峰葵を聖が至らぬ故に、殺してしまった。これは間違いなく、聖の責任である。

 出会った日にこの二人は友達だから、と熊谷に言っておけばよかったのだ。
 たったそれだけで、涼が危険な目に合わなかったし、葵が死ぬこともなかったのかもしれない。

(そう、全部、私のせいです……)

 涼と喧嘩をしてしまった、いや、これは絶交だろう。
 悲しくないはずがない、泣きたくないはずがない、しかし、泣いてばかりもいられなかった。
 罪を償うわけではない。これは自己満足である。

 薄暗い電灯だけがともるくらい地下世界を歩いていく。

『人間とプレフュード、共存はできないというのね』

 悲しそうな顔でいう、涼のそんな言葉が、頭を渦巻いていた。
 その言葉に、聖は、無理だと、答えていた。

 だが、もう二度と、自身の周りでこんな悲しいことを絶対に繰り返さないためには、涼の言った通り、人間とプレフュード、二種族の『共存』が必要不可欠になってくる。
 第9バーンだけに限るならば、その理想を叶える可能性を、聖は持っている。
 『リベレイターズ』との和睦交渉さえ、成功すれば、叶うのだ。 

 命を懸けて、 この試みが成功した暁には旧友たちに少しでも喜んでもらえるだろうか、そんなことを思いながら歩いていく。

 周りには、ガラの悪い十人程度の、制服を着た『リベレイターズ』が、聖が逃げられないようにと、囲うようにして歩いている。
 足跡だけが響く、この気味の悪い洞窟は地獄へ続く道だと言われても、すんなり受け入れられそうなほどに聖の心を不安にさせていた。

 やはり、『天の羽衣』はおいてくるべきではなかったのかもしれない。
 今更そんなことを思うが、もう遅い。
 大体、『羽衣』は先日の毒のせいで以前ほどに物を防げなくなっており、一対一ならばまだしも、大勢を相手にできるほどの面積はなくなっていた。
 囲まれている今の状況では、そんなものを持っていても、敵に警戒心を持たせるだけであり、やはりない方がよかったのだろう。

 どれほど歩いたのかわからないが、ようやく狭い洞窟から抜ける出口が見えてくる。
 トンネルを抜けたそこは大きく開けていた。大空洞である。

 簡素な家が並び、彼らがここで暮らしていることがうかがえる。不自由は多そうだが、少なくとも聖が通った場所は活気に満ちていた。
 自分たちは、日本解放、正義を遂行するために戦っている。彼らの士気の高さはここからきているのだろう。

 ふと、今自分がやろうとしていることは彼らにとってひどい仕打ちになるのかもしれないという不安に駆られた。
 聖が交渉を成立させ、この第9バーンの人々が解放されたのなら、彼らがここにいる意味がなくなる。突然、彼らの存在意義を奪うことになる。

(何を私は考えているのでしょうか……)

 頭を振って変な考えを頭の外へと追いやる。平和になるということがいけないことというのか。

 最終的に彼女が通された場所、それは、大空洞のさらに奥に位置する、宮殿であった。
 宮殿といえばシャンデリアや赤い絨毯と言った煌びやかなものを想像するかもしれないが、ここは建てられた時間こそそう古くはなさそうだが、広さだけの、まるで地上の古代文明の作った宮殿のようである。

 聖が入ると、王座に座る男が、軽い口調で話しかけてきたが、その姿を見て、聖は絶句した。

「いや~、待った待った、くたびれちゃうところだったよ」
「…………っ!」

 ここは『リベレイターズ』の第9バーンの拠点である。そう、人類解放軍のための場所だ。

「そりゃ、驚いちゃうよね。だって俺――プレフュードだもん」
「早乙女真珠! 貴方がどうして……」

 彼は、『ルード』と呼ばれる、このバーンの実質的な支配者である。この第9バーンの中では聖よりも権力があると言ってよい男だった。
 涼の一撃により負傷していた彼は、体のところどころにまだ包帯が見える。涼の一撃を防いだ両手に、壁に打ち付けたときにあばら骨、他至る所を骨折しているのだ。
 そんな彼が、我が物顔でここにいるということは、どうやら敵の本拠地に忍び込んだわけではなさそうだった。

「俺はこの第9バーンの支配者だ。それはどこでも言えること――いいか、良く聞けよ、この最下層を支配してるのも俺なんだよ、ここ地下世界の少し上にいる連中はただの『食料』そして、ここにいる連中は俺の『駒』なんだ」

「ならば……どうして、『リベレイターズ』として、テロリストとして『ジャスティス』と戦わせているのですか。どちらも貴方の『駒』なのでしょう?」

 聖が言うと、ケケケッ、と早乙女真珠は生理的に不快な笑い声を上げる。

「馬鹿か、てめぇがいる限り、『ジャスティス』は俺の言うことよりもお前の言うことを聞きやがる。なにせ廃れたっていっても、お姫様だもんな。それじゃあ、俺の『目的』に支障が出ちまう」
「……目的?」

 高らかに笑いあげた早乙女真珠が、一指し指を店へと突き出して、

「全地上を支配することだよ」

 それは、一介の地下の統治者ごときが、踏み出してよい領域ではなかった。
 彼の言ったことはつまり、地上の王である『デネブ』を倒し、自身が地上を統べる王となろうというのだ。
 そんな彼の言葉に対し、聖は率直な感想を述べた。

「……馬鹿げて、います」

 人間はプレフュードに負けて、ここにいる。つまり、彼らを手駒にしたところで、地上の制服などできるはずがないのだ。

「そう一概には言えないよ、大昔の三国での大戦の遺恨がある。『ベガ』や『アルタイル』を今なお支持している輩も多い。そんな彼らに戦う気を起こさせ、地下からは人間が一斉に反旗を翻す。国なんて簡単に傾くと思うけど?」

 なんと愚かな男だ、そう聖は思った。
 あまりにも、世の中をなめすぎている。覇王『デネブ』がそう簡単に倒せるのならば、百年以上も彼の一族がプレフュード全体を治めていられているはずがない。
 さらに、彼は大きく見落としている部分がある。

「一体どれ程の人が、プレフュードが、死ぬと思っているのですか!」

 今度こそ、どちらか一方が完全に滅んでしまう可能性だってある。ずっと残っていく、戦争の深い傷跡をそんな容易に残すべきではない。
 だが、そんな聖の言葉を真珠は一笑した。

「それがどうした、誰も死ななきゃ戦争じゃねえだろ。戦争になんなきゃ俺が世界を牛耳るなんてできるはずがねえ」
「……っ!」

 平和のための交渉に来た聖は、目の前が真っ暗になるような感覚を覚える。
 この男にはあらゆることが不足している。
 倫理観、想像力、世界観、道徳など、プレフュードとしても、人間としても足りていない生き物なのだ。
 だが、それをまかり通してしまうような力を持ちつつある彼は、本当に『どうしようもない』状態であった。

「平和にしようとは、考えないのですか?」

 聖を上から見下ろした早乙女真珠は、聖を指さした。

「俺が王になれば、平和になるだろう――それに、な」

 真珠の目に、ゾッとして、反射的に逃げようと足の向きを変えるが、近くにいた『リベレイターズ』数人に取り押さえられてしまう。

「俺の新しい国には三国時代の王などいらないんだよ――お前ら、この何も知らないお姫様を散々に辱めたのち、殺せ」
「…………っ!」

 いくら聖が人間よりも能力面で優れているプレフュードだとしても、人間の大人、それも男数人に囲まれれば、抵抗することができなかった。
 その時、初めて無防備でここへ来たことへの後悔が頭の中を支配した。

「私は、『ベガ』の末裔です! 気軽に触れることなど――きゃ」

 これが、プレフュードならば、『ベガ』の血筋ということで、支配先を早乙女真珠から琴織聖へと寝返らせることは難しくない。
 だが、人間とっては、『ベガ』だろうが、『アルタイル』だろうが関係なかった。
 四方八方から引っ張られた服は容易に破け、あっという間に、聖はピンクの下着上下のみの姿にされてしまう。

 今、周りには彼女の味方は居なかった。

 誰一人として守ってくれる者がいない状況など、もしかしたら、生まれて初めてかもしれない。
 こうなることは用意に予想できたはずだ。
 最悪の事態にも覚悟をしていた。

 だから、助けを求めることさえ、願ってはいけない。全ては自分が招いたことなのだから。
 周りからの不埒な視線に耐えられず、聖の心は早くも壊れていく。

「やめて……ください…………」

 震える声で、涙を流して、そう言う聖を、高みの見物をする早乙女真珠は――笑っていた。
 腕が掴まれる、抵抗はできなかった。

(こんな……こんな初めては…………あんまり、です)

 崩壊していく心を抑えきれず、もう、その場の空気に抵抗する気もおきなくなり、自身の無力を呪いながらも思考放棄していく。
 一人の少女の姿が頭に浮かぶ。

 きっと、これは、報いなのだと思った。

「そこまでだ、やめたまえ!」

 だが、その時、宮殿の隅から、聞き覚えのある声が、辺りに響いた。
 周りの注意が一斉に声の方へと向く。
 完全に全てを諦めていた、聖の目に光がともりかけ、彼女はその侵入者を見る。

「誰だ、お前は?」

 侵入者に、問いかける早乙女真珠の機嫌はすこぶる悪かった。よほど、聖が犯され、死にゆく姿をみたかったのだろう。

 そんなこの地下の支配者に対して、侵入者は、ふっ、言い人差し指で眼鏡を直しながら、

「名乗るほどのものじゃないさ、とある百合男子とでも言っておこうか」

 夏目翔馬、聖は彼のことは知っていた。夏祭りの時、涼と仲良さそうにしていた男だ。
 だが、ろくに話したこともないため、知っているのは名前だけ。
 なぜ彼がここにいるのか、皆目見当が付かなかった。

「けっ、お姫様を助けにきた王子様気取りかよ、だけどな――」
「お前は何を言っている。琴織聖の王子様は俺じゃないし、俺は助けるつもりもないんだ」
「……何が言いたいんだ」

 このタイミングで止めておいて、助けるつもりがない。彼の言動は、全く意味が分からないものであった。
 だが、次の言葉で、ここにいる全員が、彼の考えについていけなくなったのである。

「凌辱ものは嫌いじゃない、だが、どうして相手が男なんだ! ここには綺麗な女がたくさんいただろう、彼女たちにやらせるべきだ。そうじゃないと俺は納得いかん!」

 シンッ、と辺りが静まり返った。

 誰も彼の言葉の意味がわからなかったのだ。
 絶体絶命の状況から、突然、おかしな空気に放り込まれた聖は、ようやく、思考を取り戻してきたためか、

「ちょっ、そこは助けてくださいよ!」

 などと思わずツッコミを入れていた。

 聖の叫びにより、凍った空気が溶け、早乙女真珠が、チッ、と舌打ちする。

「てめぇらは続けていろ」

 聖の周りの人間に言った真珠は、懐から一丁の拳銃を取り出し、容赦なくぶっ放した。

 その音により、我に返った人間たちは再び聖を囲む。
 だが、聖は自身の身よりも、また涼の大切な友人を傷つけてしまうことの方が怖かった。
 銃弾は、彼の頬かすめただけに終わる。

「逃げてください! 早く!」

 聖が、腹の底から声を出して、叫ぶが、その声が届く前に翔馬は、柱の影へと隠れていた。
 その間に、聖は、再び、貞操が奪われそうになっていた。

(今度こそ、もうダメ、ですか……)

 そう思った時、再び、彼の声がここへ響いた。
 姿は見せずに、柱の後ろの、真珠の持つ銃が当たらない位置から、しかし、先程から変わることのない堂々とした声で、

「……これは俺なりの気遣いだ」

 翔馬の言葉は、聖に言っていのではないようだった。

「忠告する、お前らのような男たちではな、そこのお姫様を殺すことは愚か、辱めることさえもできん。今すぐにここから逃げろ」
「……何が言いてえ?」
「俺は幼馴染だからな、あいつのことは良く知っている」

 だからこそ言える、と言い放った翔馬の言葉に、聖の周りの男たちの手が止まる。
 苛立っている真珠は柱の方へ何度も乱射するが、翔馬の言葉は続いた。

「お前らじゃ役も力も不足している、その子に手を出すならば、最低ここにいる十倍の兵士を用意しておかなければならないのだ」
「そう簡単にここに来られるはずが――」

 早乙女真珠が、何かを言いかけて、言葉を止めた。
 理由は簡単、ゴウンッ、という音が、辺りに響いたからである。
 何度も、何度も、音は続き、その音量は徐々に大きくなってきているようであった。

「本物の王子様は少し手荒いぞ」

 翔馬の言葉が終わった直後、ズドンッという音と共に、なんと、天井が崩れた。
 一体何が起きたのかわからない聖であったが、驚いた男たちの拘束が一瞬解かれたため、砂煙で方向がわからないままだが、走ってその場から逃げようとした。

 すると、すぐに、壁にぶつかって倒れる。
 いや、壁にしては柔らかすぎる。それに、何か、懐かしい匂いもした。

「あんたそんな恰好で、何やってんのよ」

 懐かしくも愛しい声が、耳へ届く。それは、間違いようのない、彼女の声であった。

「……りょ…う……?」

 彼女の姿を見たとき、不安だとか、恐怖だとか、そう言ったいろんな負の感情が吹き飛んだような気がした。
 同時に、一度止んだはずの涙が、流れる。

「涼! 私は……私はっ!」

 その場で座り込んだ聖は、泣きじゃくる。
 どうしてここに彼女がいるのか、なぜ助けに来てくれたのか。そんなことはどうでもよかった。

 ただ、ここに飛鷲涼がいるという事実だけでよかった。

 ポンポン、と涼に頭を撫でられる。
 耐え切れなくなった聖は、涼の抱きつき、泣いた。
 涼が拒絶することはなかった。

 それが嬉しくて、回された涼の手が温かくて、ほんの少しの間であったが、ここが敵地であるということさえも忘れた。

「手、借りるわよ」
「……えっ?」

 泣き止んだ聖の手を取った涼は、ポケットから真っ赤な宝石のついた指輪を取り出して、
 それを聖の左手薬指へと入れた。

「……ありがとう、ございます」

 戻ってきた指輪を、右手で握りしめた聖は、指輪がいつもと違うことに気づく。
 指輪についている、宝石が、赤く、光り輝いているのだ。

「『羽衣』……?」

 出現した『天の羽衣』は、驚くべきことに、完全に元の姿に直っていた。毒の浸食により、元の十分の一程度になってしまっていたのだが、完全に元の形に戻っている。
 下着姿の聖は、真っ赤な『羽衣』を羽織るように着ると、もう一つの違和感を持った。
 変わったことはあと二つある。

「これは……弓……?」

 一つは袖の中に、白い弓があったのだ。取り出してみるが、今まで、そう、この指輪と十年以上の時間を共に過ごしているが、こんなものは一度も見たことがなかった。

 そして、もう一つは、聖の頬に涼が『結界グラス』の力を使うときに出てくるものと同じような、星に一本の斜線を引いたような模様が浮かび上がっていたこと。
 ただし、涼についた星は蒼に対して、聖のものはピンク色であった。

「お嬢様、服をお持ちしました」

 気づけば、そばに熊谷が、替えの服を持って立っていた。服を受け取ってきていると、ちょうど聞終えた頃に、この場の砂埃は完全に消えていた。

「おっ、お前は、飛鷲涼! なんでここに居やがる、いや、それよりも、どうやって天井を崩しやがった」

 ニコッ、とさわやかな笑顔を早乙女真珠へと向けた涼は、

「それなら簡単よ、第9バーンからぶっ壊してきたんだから、天井から来たのは当たり前よ」
「……化け物が」

 聖は、ここへ来るために、第9バーンの階段から入ってきたからわかっていた。ここから、聖たちのいつも生活をしているバーンまで、長さだけで何百メートルもあるのだ。
 それを、地面を壊して、ここまで掘り進んできたというのか。
 あまりにも馬鹿げた考えで、思いつくことは愚か、実行して、そして成功する奴は真珠の言った通り本物の化け物ぐらいしかいないだろう。

「翔馬の携帯のGPSがここで止まっていたから、上ではちょうど空き地だったしね、ちょっと後始末が大変だけど、間に合ったから結果オーライってことでいいわね?」

 左目を包帯で、隠れている涼だが、その表情はわかりやすいものだった。
 彼女の腕とは思えない巨大な蒼い右腕、この力の底知れなさがわかる彼女の行動だった。

「てめぇら、何とかしやがれ!」

 ちっ、と舌打ちした早乙女真珠が、涼に一撃でやられてことを思い出したのか、後ずさりながら命令する。
 だが、なんといつの間にか背後にいた熊谷が、彼に掴みかかり、あっさりと捕まえてしまったではないか。

「ナイスよ、流石熊谷」

 涼が、熊谷に親指を立てながらそう言った。この二人に接点があったとは聖は知らなかったので、砕けた話し方で接する涼に少し驚きがあった。
 まだ、怪我が治っていなかったとはいえ、あまりにもあっけなく捕まってしまった早乙女真珠を助けようと、先程まで聖の周りにいた男たちが詰め寄ってきたのだが。

「別に、来てもいいけど……命の保証はできないわよ――『フェン』!」

 そう言った涼は、自身の体の五倍ほどに太い柱に向かって、コツンッ、と右手の拳をぶつける。
 カシュッ、ズドンッ、という衝撃が辺りを襲う。
 次の瞬間には、確かにあった巨大な柱は、木っ端みじんに吹っ飛んでいた。
 それを見た『リベレイターズ』は、武器をその場に落として、両手を上げる。降伏の動作だ。

「涼、その名前……」

 今確かに、彼女はその右腕に『フェン』という名前を付けていた。

「正式名称は『フェンリル』、北欧神話で神を飲み込んだ化け物からきているわ」
「どうして、化け物の名前なんか……」

 女性らしさのかけらもないその名前だと思ったのだが、涼は、ふふっ、と笑って、再び聖の頭の上に左手を乗せる。

「やっぱり一度、護るって決めたからには、神でも倒せなくちゃならないでしょう?」
「護るって……」

 聖が聞くと、涼は自分で言っていて恥ずかしくなったらしく、顔をそむけた。

 そんな涼の言葉としぐさに、聖の胸はドキドキと脈打っていた。

 辺りを見ると、さっきまで何もかもが怖いと思っていたものが、別段怖くなくなっている。
 早乙女真珠は捕まった、彼に協力していた『リベレイターズ』も降伏した。

「これで、終わり……ですね」

 聖はそう、呟いた。
 第9バーンの『リベレイターズ』は捕まり、これから聖の計らいにより第9バーンの人間が地上のプレフュードに食われることもなくなる。

 だが、涼の顔色は決して良くはなかった。彼女は、首を横に振る。
 その視線の先は、宮殿の入り口である。

「いや……どうやら、『これから』のようね」

 彼女の視線を追っていく。
 先にあったのは、何かの血で真っ赤に染まっている、筋肉質の体に鋭い瞳を持つ、『生命』。

 そう、絶対的な『生命』が、真っ直ぐに向かってきていたのだった。

                  ※

 幸運なことに、この地下空間の上は、葵の墓がある墓地から、車で二十分数程度の場所であった。もしも、涼たちのいた場所とは、反対方向に洞窟が作られていたのならば、聖を助けることはできなかっただろう。
 翔馬の携帯の位置から、真っ直ぐに掘り進むなどという力技は、結果的に成功したにしろ、失敗する確率の方が高かった。

 だからこそ、琴織聖の救出には本来、飛鷲涼が行うものではない。
 涼がここに到着するよりも早く、ここへは十人の『ジャスティス』が来ているはずだったのだ。

 だが、ここに彼らの姿がない。
 これは彼らが、聖を裏切ったわけではなかった。
 今、涼の前へと歩いてくる『強者』、彼がどうして早乙女真珠のもとにいなかったのか、その全身にこびりついている真っ赤な液体で、大体把握できた。
 この男は、十人もの『ジャスティス』をたった一人で、しかも、この短時間で殺してきたのだ。

 怖気がした。

「てめぇは……」
「合うのは、二度目、ね」

 この人を服従させる独特の雰囲気で、完全に思い出した。
 武虎光一朗、『ミルファーカルオス』の前の駅で、一度会っている。その時彼は涼に地上へ行こうとするなと忠告もしてくれた。
 その忠告を守っていれば、葵が死ぬこともなかったのだろう。

「あの地獄から生きて帰ったか、それならば、この状況もおかしなことじゃねえ……か」

 彼と戦って勝てるとは思えないというのもあるが、エレベーター前での一件というのも大きな理由であるため、彼とは戦いたくはなかった。

「もう全て終わったわ、貴方たちが戦う必要もなくなった。これ以上プレフュードが人を殺すことはないわよ、だから――」

 だから、戦う必要がない、そう言おうとしたところ、横やりが入った。

「おい、武虎! こいつらを殺せ! そして、俺を助けるんだ!」

 早乙女真珠の言葉を聞いた武虎光一朗は、殺気を放ち始める。この殺気は生き物ならば誰でも感じ取れるらしく、武器を投げて投降していた『リベレイターズ』たちが一斉に逃げていく。
 涼は、汗をかいていた。
 これは、運動からくるものではなく、冷や汗である。圧倒的な者の前に立つ、それだけで重圧になるものなのだ。

 人間は、年を取るにつれて威厳を放ち、やがて急激に衰え死んでいく。
 だが、百年以上も生きている不老不死の男は、『威厳』を衰えさせることなく、むしろ成長させながら、人の生を超越する時間を生きてきていたのだ。

「すまねえな、お前らは殺させてもらうぜ」

 そう言った武虎光一朗は、身体を変形させる。
 彼の体内には龍の骨がある、それが不老不死などという人知を超えた能力を彼に与えている。
 身体を変異させた光一朗は、頭に日本の白い角が生え、背中には銀色の龍の翼、手足は白いうろこに包まれ、瞳の色は金色へと変色する。

「『白龍はくりゅう』……ここに来る時点で、出会うことは覚悟していましたし、いろいろと調べもしました。しかし、よもや相対すことになるとは思いませんでしたが……」

 隣で、聖が言う。どうやら、『神器図鑑』の龍の部分に書き込んでいたのは彼女だったらしい。
「調べたのなら話は早いわ、弱点は?」

 アドルフの持っていた毒が、水に弱かったように、この一見最強弱点のないように見える『白龍』にも何か、簡単な弱点があると思ったのだが、聖は首を横に振り、言葉を濁しながら、

「……いいえ、ありません」

 その情報は非常にショックだが、少し考えれば当たり前のことだった。
 あの図鑑を書いた『プレフュードたちが彼の弱点を知っていたのならば、今彼が生きているわけがない。

「要するに、倒すためには……」
「真正面からぶつかって『戦闘不能』にするしかありませんね」
「無茶言ってくれるわね」

 言葉にするのは簡単だが、果たして真っ向勝負ができる相手なのか疑問ではある。
 まるで、作戦も何もあったものじゃない、格上相手だというのにため息が出る。

 しかしながら、涼に迷いも不安もなかった。

 それは、自身にある程度の対抗できる力があるから、というのもあるが、それ以上に、『らしくない』からだ。

「さあ、私たちらしく、いきましょう!」

 翼を大きく羽ばたかせた一匹の龍が、彼女たちに襲いかかってくる。
 涼は右手で迎え撃とうとするが、武虎光一朗と涼の間に、聖が入ってくる。

「任せてください――『羽衣』!」

 聖の纏う羽衣に、龍と化した光一朗の拳がぶつかる。
 龍の拳が布きれごときに妨げられるだろうか、などという涼の杞憂はあっという間に消え去る。

 聖は、いとも簡単に、違う、『天の羽衣』が龍の拳による、エネルギーを完全にシャットアウトしており、その攻撃を止めていた。

 武虎光一朗の止まったこの一瞬、それこそが好機である。

「吹っ飛びなさい――『フェン』!」

 聖の背後から、跳んだ涼は、その拳を、一頭の『白龍』へと、ぶつける。
「…………っ!」

 カチッ、ズドンッ、という爆音が響き、衝撃が辺りに飛んでいく。
 飛鷲涼の指輪の力、『フェンリル』は一撃必倒のものである。膨大なエネルギーの全てを一転に置き、爆発させる。
 例え、一頭の不死身の龍であれど、全身に波のように伝わり、外部内部ともに破壊していく、その力の前では動けなくなる。

 しかし、だからと言って、涼の自身の力自体が強くなったわけではない。
 あくまで右手にその名の通りの『怪物級』の力を持っただけに過ぎないのだ。
 彼女自身の身体能力は常人とさほど変わらない。故に、敵に攻撃を当てることがまず難しい。

 だからこそ、初撃において、龍を倒せなければ、この戦いは彼女たちの圧倒的に不利となる。

「……なん…で、よ……」

 涼は、唇をかみしめながら呟く。
 武虎光一朗は無傷であった。
 ただし、その位置は聖の前ではなく、そのはるか後方で、膝をついていたのであるが。

「ちっ、そいつを食らっていれば、流石にやばかったぜ」

 これが、涼が倒した早乙女真珠や『ジャスティス』と、武虎光一朗との違い。
 彼の能力は確かに、特筆すべき点がある。常人ではとてもではないが、敵わないだろう。

 しかし、もしも、光一朗が何の力を持っていなかったらどうなのか。

 それでも、彼に敵う者は少ないだろう。
 百年以上前の戦から、今までずっと戦い続けてきた男の、経験から導かれる勘と殺し合いに対する覚悟の差である。

(これは……ちょっと、やばいわね……)

 身体能力においては、涼も、聖も、プレフュードの血が濃いかの違いだけで、普通の人間の女子より少し強い程度のものしかないのだから。
 それに涼は、左目がない。視界が、武虎光一朗や聖に比べて乏しいのだ。

 一撃目で、『フェンリル』に無警戒である、最初で勝負を決めなければ、その威力を知った武虎は、確実に涼の右腕を警戒し、二度と、殴らせることはなくなるだろう。
 立ち上がった光一朗は、再び翼を羽ばたかせた。だが、先程のようにすぐに向かってくるわけではなかった。

「あまり気乗りしないが、確実にてめぇらを殺してやる」

 彼の言葉に、直感的に『何か来る』と感じ取った涼は、彼の一挙手一投足を警戒して見る。
 しかし、結果的にそれが仇になったということがわかったのは、彼の金色の目を見てしまってからである。
 体がどこかへ吸い込まれていくような感覚を覚えた。
 ぐるぐると頭の中が回っていく。何が起こっているのか、考えることもできなかった。



 
「あ……れ……?」

 涼が気づいたときには、彼女は宮殿内にはいなかった。
 ここは、良く知っている場所だ。

 二階建てのベッドの上、そう、寮の部屋の寝室内である。
 一瞬、今まで全てあったことが夢のように感じた。
 時計を見ると、時間は七時前、学校へ行くにはそろそろ起きなければならない時間である。
 ベッドから降り、朝食を食べなければと自然と脳が思い、目をこすりながら、リビングへと向かう。

「あっ、おはようございます。先輩!」
「えっ……」

 良い匂いと、ジュージューという食欲をそそる音が辺りに響いたリビングで、彼女がいた。

「せーんぱいっ! どういたんですか?」

 エプロン姿の、長峰葵が、涼に抱きついてきた。
 いつもと変わらない、日常であるはずなのに、なんだか、無性に懐かしいような気がした。

「えっ、ちょっ、先輩?」

 戸惑っている葵を抱きしめたが、確かに実体があり、夢でも幻でもないように感じた。
 だが、なぜだろうか、いつもよりも彼女が遠い気がした。

「葵……」
「今日の先輩、ちょっと変ですよ? まあ、葵としては役得ですが」

 えへへ、と笑う葵の顔は、間違いなく彼女のものであった。
 ちょっと待ってくださいね、といった葵は、パタパタと朝食の準備にとりかかる。皿を並べてトーストとスクランブルエッグ、野菜と次々に食べ物が出てくる。

 その当たり前の光景を見ていると、どうして自分が、葵と会ってこうまで嬉しくなってしまったのか、わからなくなった。
 自分は『ありふれた日常が、すごく幸せ』、などと思うような人間であっただろうか。
 席に着いた涼が、並べられた食事を食べると、

「とても美味しいわ」
「それはよかったです」

 嬉しそうにニコリを微笑んだ葵を見て、一瞬、変な、そう、彼女が死ぬ光景などがフィードバックされる。

(これは……夢……?)

 そうだ、どこからかはわからないが、全てが悪い夢だったのだ。
 酷い夢を見てしまったせいか、脳裏にトラウマが刻まれているらしく、頭が痛かった。

「? どうしたんですか、先輩? まさか本当は不味かったり……」

 不安そうにのぞき込まれる顔を見て、涼は首を横に振って、

「違うわ、ちょっと昨日変な夢を見てね……」
「夢、ですか?」

 一体どういう、と聞かれるが曖昧な笑みを返すだけにしておく、自身が死ぬ夢の話など、彼女も聞きたくはないだろう。

「今日は、部活はいいのかしら?」
「はい、朝練は珍しくお休みなのです」

 そう、と言って再び、皿の上にある野菜を食べる。
 どうしてだろうか、何気ない日常なのに、とても幸せで、それでいてどこか不安の残ってしまう光景であった。
 ねえ葵、と涼が聞くと、「何ですか?」と聞いてくる葵。

「琴織聖、って知っているかしら……」
「…………知りませんよ、そんな女」

 ということは、聖との出会いも夢だったのだろうか。
 そう、といった涼は、今度はスクランブルエッグを食べようと箸で卵を取って口に運ぼうとしたとき、ある違和感に気が付いた。
 卵を皿に戻した涼は、

「どうして、琴織聖が『女』であることを知っているのかしら?」

 琴織聖、彼女が女であることは、実際に会っていないと分からないことだ。『聖』なんて名前は、男でもあるものだからだ。
 つまり、彼女は聖のことを知っている。

「いや、だって先輩は女の子にモテるし、葵は先輩が大好きなんですよ……」

 動揺しながら、取り繕っているのがバレバレだ。それに、その発言もおかしいのだ。
 だが、ほんの少しだけ涼は迷いを見せた。本物の葵ではない、しかし、その姿、声は全く同じなのだ。

 多少の違いで、彼女が『生きている』と言った事実を否定してしまってよいのだろうか、と。

 それでも、目の前にいる女は、はっきり言って不快であった。

「葵は誰であろうと人のことを『知らない』なんていわないわ――貴女は、誰?」

 長峰葵という人物は、他人を悪く言わない。嫉妬心でさえ笑顔で隠してしまう、そんな優しく強い少女である。
 目の前の女はそんな葵を侮辱しているのだ。
 とてもではないが、許せるわけがない。

 次の瞬間、涼は、何が起こったのかわからなかった。
 頭と、背中に痛みを感じ、ようやく、理解をする。この葵に化けた女が涼を投げたのである。涼は壁に頭と背中を打ったのだ。
 当然、本物の葵には人ひとりを投げるような力を持っているはずもない。

「やだなぁ、先輩。葵は葵ですよ」
「これ以上、嘘をつくことはやめなさい、本当に、許さないわよ?」

 けたけたと笑いながら歩み寄ってくる『葵のような何か』はいつの間にか、体のいたるところが欠損していた。
 とても生者とは言えない姿である。

「許せないのは葵の方ですよ、先輩、あの時どうして助けてくれなかったんですか?」
「……っ」

 そう言った葵は、涼の首をつかみ上げる。

 息ができない、苦しい、そんな体の悲鳴が聞こえるが、涼は抵抗することができなかった。

 右手で、彼女を殴ればいい、それだけで彼女は『壊れる』。

 だが、できない。

「葵、先輩のせいで死んじゃったんですよ」

 彼女の言っていることは、正しかった。

 世界でたった一人しかいない、可愛い後輩を、涼は、護ることができなかったのだ。
 これ以上、彼女を傷つけることは、涼にできるはずもなかった。

 体を投げられる。今度はテーブルをひっくり返し、様々なものが涼に突き刺さった。
 いつの間にか、見えていると錯覚していた左目も見えなくなっており、体中が痛んだ。

 そして、自分が今、武虎光一朗と戦っていたことを思いだし、今、自分が見ているのは彼が見せている幻覚であるということも理解した。
 先輩、と言いながら近づいてくる葵もまた、幻覚。
 そうは分かっていたとしても、涼には彼女の殴ることなど、出来るはずもなかった。

『先輩』

 その時、幻聴が聞こえた。
 全く恨みのない、純粋な、葵の声が頭に響いていきたのだ。
 またこれも、『白龍』の力か、などと思うが、歩み寄ってくる『葵』は口を開いていない。

「あ…おい……?」

『先輩は、神様って信じますか?』

 何を言っているの?

『葵は信じますよ。願い、叶っちゃいましたから』

 人は、様々なとき、幻覚を見るという。たとえば、生死の境目であるときだ。
 涼のそばに、もう一人、葵がいた。

 これはさっきまでの葵の仮面被った餓鬼ではなく、本物だとなぜか、直感で分かった。
 ただし、これも、幻覚であることもわかっていた。

『先輩、葵のことわかっているなら、葵が先輩を恨むはずがないこともわかっていますよね。だって葵はまだ死んでいませんから』

「どういう、こと……?」

 言っている意味が分からない、彼女が生きているはずはないのだ。
 えへへ、涼の前へとくる葵は、涼の顔を指さした。

『葵は、いつも先輩と一緒です。そう、ずっと、共に生きていきます!』

「…………………っ!」

 彼女の言葉と、動作の意味が、わかったとき、涼の目に一筋の涙がこぼれた。

 葵が、涼を恨むはずがなかった。

 彼女は、涼のために、その命を最後まで使っていたのだから。

 葵に手を引かれて涼は立ち上がると、今まで目の前にいたはずの本物の葵の姿は消えていた。
 立ちあがった涼は、そっと、左目の包帯を解いていく。
 先輩、先輩、と不快な餓鬼が歩み寄ってきているが、涼は両目を閉じた。

 包帯を解いた涼は、ゆっくりと、両目を開ける。
 よく見えなかった、いや、違う、これは涼自身が泣いているからだ。

「葵……貴女、こんな姿になってまで――」

  私を、助けてくれるの?


「――ありがとう、葵」


 迫ってきた餓鬼へと右腕を振り下ろす。

 仮初の世界が壊れていき、涼は再び宮殿に立っていた。
 そして、涼が殴った餓鬼の代わりに、その場所には武虎光一朗の姿があり、正面から涼の攻撃を受けた彼の身体は、宙へ浮き、やがて地面に落ちた。

 涙をぬぐった涼は、再び両目を開く。
 涼の目は、左右で全く異なる光彩を放っていた。

 右目は、彼女が生まれてきてから今までずっと変わっていない藍色。一方で、左目は亡き親友と同じ真紅であった。
 その赤く輝く左目は、幻覚などを消し去り、涼に真実の世界だけを見せてくれた。

 涼の『フェンリル』の一撃を食らってもなお、武虎光一朗は、起き上ってくる。直撃したはずなのに、やはり、彼もまた化け物である。

「不老不死だとか、百年前の戦争の生き残りだとか知らないけれど、もう一度この世界で多くの人を、プレフュードを、巻き込む戦いをしようとしているなら――それは傲慢すぎる考えよ!」

 多くの人の犠牲の上に生きている涼は、人間一人の『死』というものが。例えそれが血のつながった家族でなくとも、どれだけ辛いものなのか知った。
 多くの人間とプレフュードの『死』で成り立つ、多くの者が悲しむ世界を作ろうなんて、神でさえ願ってはいけない世界。
 迷うことなく走った涼は、立ち上がった武虎光一朗との間合いを一気に詰める。

「そんな考え、私の『フェンリル』が食いちぎるわ!」
「ぐっ――うおおおっ!」

 避けられないことを悟ってか、光一朗もまた、右手の拳を涼へと振り下ろす。

 拳と拳が衝突する。

 宮殿内にダイナマイトのような爆発音と、風圧が、二人の拳の間を中心に起こった。
 この瞬間で、既に勝負はついていた。

「…………」

 何も、口を開くこともなく、その場に倒れる武虎光一朗。やはり不死身らしく、かろうじて息はしているようだった。
 乱れた息を正した涼は、彼女が幻覚を見ている間にも、誰かが殺されていないことを切に祈りながら――辺りを見回した。

 そこには――馬鹿をやっている三人と、目を閉じ、その場で立つ一人がいた。




 まず、涼は全身痛む身体を引きずり、琴織聖の元へ行くと、

「お父様! 今日はどこへ行くのでしょうか!」

 なぜか、そこにはいない『お父様』と間違えられ、聖に抱きつかれる。体型の割に、普段あまり無邪気な笑みというのを見ないためか、非常に新鮮に映る。

「そうですか! 遊園地……楽しみです!」
「いや、私は何も言っていないのだけれど?」

 まあ、きっと、彼女は涼に話かけているのではなくて、見ている幻覚に話しかけ、幻聴という答えをもらっているのだが。

 聖を見ると、ボロボロの涼とは逆で、傷は一つもなかった。おそらく、『天の羽衣』を着ていたから殴られても傷一つつかなかったのだろう。
 外から見れば壊れている聖をもう少し眺めたいとも思ったが、これ以上抱きつかられると、もう一度入院しなければならなくなりそうなので、そのおでこにピシッ、とデコピンをした。

「痛いですよ、いきなり何をするのですか、おとう、さ……ま?」
「お父様じゃなくて悪かったわね」

 かぁ、と赤くなった聖は、どこかへ走り去ってしまった。一応ここは『リベレイターズ』の拠点なのだが、まあ、『天の羽衣』があることだし、大丈夫だろう。

「さて、お次は……と」

 馬鹿をやっている二人目、この中では最もどうしようもない風に見える―――夏目翔馬である。

「ああ! ようやく俺の夢が叶った! 涼×聖もいいが、攻めと受けが逆でも全然いい! 俺は今、長年の夢を見ているのだ!」

 いや、それ本当の夢だから。
 幻覚を見せられている人をいたって冷静な第三者の立場から見るとこんなにも『痛い人』に映ってしまうのか。まあ、翔馬の場合は終始あんな感じかもしれないが……。

 自分が葵の幻覚を見せられていた時、一体どんなことを口走っていたのだろうか、とても不安になるのだが……。
 その間にも、翔馬の幻覚はエスカレートしているらしく、彼は両手で顔を隠して(ただし、指の隙間は空きまくっているが)、

「いかん、それはいかんぞ、涼! お前ら二人とも初めてなんだからそんな激しいプレイは――」
「いい加減にしなさい!」

 一瞬、本気で『フェンリル』でぶっ叩いてやろうかとも思ったが、なんとか、頬への左ストレートだけで勘弁してやる。
 ふぐぅ、と言って倒れた、翔馬は、すぐに起きあがり、キョロキョロと辺りを見回し、

「何をする! そういう約束だったではないか!」
「どういう約束よ!」

 涼がツッコムと、腕を組み、うーんと唸ってようやく、今まで自分が幻覚を見ていたことをわかってくれたらしいのだが、すぐに涼へと詰め寄ってきて、

「なぜ、なぜだ! 俺の、俺の夢を、そう夢でも良かったんだ! どうして起こした!」

 怪我人である涼の身体をグワングワンと揺らしながら叫び始める。目には涙まで溜めて。

 こいつ、本当に一度『フェンリル』で頭を殴った方がよいのではないのではないだろうか。

 うああっ、などと散々涼への非難の言葉を述べた翔馬もまた、何処かへと走り去ってしまった。
 翔馬の退散で、辺りが静かになると思ったのだが、もう一人の馬鹿のせいで、まだ辺りはうるさいことこの上なかった。

「やめろ! やめてくれ! 俺が、そう、俺が悪かった! 何でもする、何でもするから!」

 そう言いながら、何もないところで土下座し始めているのは、早乙女真珠である。額には大粒の汗がにじんでおり、かなり怖い幻覚を見ていることがわかる。
 涼は、少しお灸をすえることも大事だと思い、彼をそのまま放置し、その近くで、佇んでいる老執事、熊谷の元へと行く。

「貴方幻覚をなかったのね」
「武虎光一朗はその眼で、幻覚を見せると存じていましたので、終始目を閉じてございました」
「……それ、逆に危なくないかしら?」

 武虎光一朗が先に早乙女を助けようと向かってきたら一体どうするつもりだったのだろうか。
 すると、熊谷は、まるで涼の心を読んだかのように、

「目を閉じてでも、誰がどこにいるかくらいは分かりますので、勝てぬとわかったときはお二人だけでも担いで帰還するつもりでございました」

 ニコニコ、と平然と言ってのける熊谷。これは冗談ではないのだろうか。
 結局、この数日間で色々な人と会い、別れたわけだが、この爺さんが一番『謎』だと涼は思った。

「いっ、命だけは! いくらでも殴っていい! 蹴ってもいい! 何でもするから!」
「なら、遠慮なく」

 煩いというのもあるが、このままでは精神的に死んでしまいそうなので、早乙女真珠の頭を、ゴスッ、殴ったのだが、あっけなく、彼は気を失った。

 さて、と言った涼は床で倒れている武虎光一朗の元へと歩み寄る。
 驚くべきことに、彼は、まだ意識があった。
 ただ、立つことはできないらしく、その鋭い眼だけをこちらに向けていた。

「言い忘れていたわね――ありがとう」
「……? 一体何のことだ」

 彼の忠告を聞き入れていれば、間違いなく葵は死なずに済んだし、涼も知りたくもないこの世の真実を知ることはなかった。これは優しさがなければ出ない言葉だ。
 この礼の言葉は彼のそんな優しさに向けたものであった。

「なんで、あの男――早乙女真珠の下についたの? 彼はプレフュードで、貴方たちにとって『敵』のはずだけれど……」

 流石は不老不死と言ったところか、もう体が修復されていっているらしく、彼は体を起こした。

「てめぇは一つ勘違いしている、俺の敵は別にプレフュードなんかじゃねえ」
「聞いたんだけど、貴方は、百年前の、『神日戦争』の生き残り……死んでいった仲間のために戦っていたんじゃないの?」
「確かに俺は、戦争で多くを失った。一時は復讐しようともした。だが、それは十年以上前の話だ。今は、安息だけを求めている」
「なら、もっとおかしいわ、それだと貴方がここにいる意味がないじゃない!」

 何でもないただの日常に身を置きたいのならば、『リベレイターズ』の拠点で、戦っていることと矛盾してしまう。
 光一朗は、一瞬、動かなくなった早乙女真珠を見てから、

「俺には、もちろん血のつながりはねえが――娘がいるんだ。今年で八歳になる」
「……復讐を止めたって、その子のおかげかしら?」

 返事はなかったが、それは無言の工程を意味しているように感じた。

「俺の娘――カレンは、今、そこに気絶している男に監禁されている。あいつは俺と違って頑丈さの欠片もねえ娘だからな、簡単に殺されちまう」

 その少女の名前を聞いて、胸に引っかかるものを感じた。
 確か、地上行きのエレベーターから脱出する時だ、結局どうなったのかはわからないが、少女を一人、見つけたが、確か彼女も同じ名前であったはずだ。

「熊谷! あの日、私と葵の他にもう一人女の子がいたはずだけど……」

 涼が聞くと、熊谷はにっこりと柔和な笑みを浮かべ、

「カレン様ならば。こちらに保護しております」

 だそうよ、と涼が言うと、光一朗はちっ、と一度舌打ちして、

「骨折り損のくたびれ儲けって、のはこういうことかよ……」

 ふー、と安心したように、その場で大の字に寝転がった光一朗は目を閉じたのであった。




 その後、一連の出来事は様々な進展が訪れることとなった。

 まず、早乙女真珠は、裁判にかけられることなく、しかし、涼の頼みにより死刑だけは免れて、第9バーン奥の刑務所へと『無期懲役』という名目で入ることとなった。

 落ち目とはいえ、流石は王家の一族らしく琴織聖が、地上と色々と交渉してくれ、この第9バーンから地上へ行くことは禁止となった。

 そして、武虎光一朗はというと、第9バーン内の更に下、つまり、元『リベレイターズ』の人々を娘のカレンと共に導いてくれている。プレフュードと戦いたい残党は、他のバーンの『リベレイターズ』の拠点へと逃げていったらしい。テロ活動をするわけでもなく、かといって、地上に出るということもなく、一つの小さな『町』として、ちゃんとやっているらしい。

 この件に関わった様々な人々の話を聞いたのが、一週間後の、学校の一番奥の部屋の中である。

「それで私が聞きたいのはまず、ここが『何の部屋』なのか、よ。いくら出資者だと言っても貴女専用の部屋ではないのでしょう?」

 部屋の中では、聖がいつも通り、偉そうにふかふかの黒い椅子に座っていた。涼はその前に置いてあるソファに座っていたが、どうもこういう足腰に優しすぎる素材に慣れていないせいか、すぐに立ち上がってしまう。
 十日と少し前には、ここの窓ガラスは割れたはずなのに、すでに綺麗に戻っていた。

「ああ、言い忘れていましたが、出資者というのは嘘です」
「さらりと、貴女ね……」
「私の祖父が、この学校の『創設者』なのです」
「へー、そんな昔から『ベガ』家ってここに住んでいたのね。ということは、まさかこの部屋は『王族』に由来がある部屋!?」
「もちろん、それも嘘ですが」
「私に喧嘩でも売っているのかしら……?」

 にこやかな笑みを浮かべたまま、辺りに『結界グラス』を出現させる。右手には『フェンリル』がその姿を現しかけた。
 不老不死の龍ですら壊してしまった右手だが、聖は見たところで、顔色を変えない。

「本当はですね、作らせたのです。私が入学したときに」
「どうせ、それも嘘でしょう?」

 前二つよりもよほど現実味がないことだ。既存の建物に新たな部屋を作る、しかも自分以外の所有物に、だ。あり得ない。
 だが、世の中、金の力とはすごいものだと痛感する。

「学校の理事長に少しばかりお小遣いを差し上げましたところ、快く了承してくれました」

 学校の一部を工事することをだろうか、それとも、一室の工事代を含めてだろうか。どちらにしても普通に生きている涼には考えられない金が動いた気がしてならなかった。下手したら横領で即逮捕レベルの。
 まあ、世間にばれたところで、聖が手回しするのだろうが。

「それよりも、左目の調子はどうでしょうか」
「ちゃんと見えているわよ、まあ、時々『見え過ぎ』って時があるけど」

 どうやら眼球をくりぬかれていた涼に、目の移植というものを行うように指示したのは他でもない聖の指示らしい。
 本来なら、葵の遺体にこれ以上の傷を負わせるなんて、などと怒るところなのだが。

「長峰葵、彼女が私に告げました、『自分の眼を先輩に使ってほしい』と。彼女からの最後の贈り物、大切に、死ぬまで使ってあげてください」
「……わかっているわ」

 涼が気絶した後、少しの間、葵はまだ生きており、聖に最後の願い言ったあと、安らかに息を引き取ったらしい。
 本当に、最後の最後まで、彼女は涼のことを思っていてくれた。

 それを考えるだけで、涙が出そうになる。

「私、一人じゃ何もできないのに、こんなにも弱いのに、どうして葵は最後まで、自分が死ぬ直前まで、私のことを考えていてくれたのかしら……」

 思わず、そんな言葉が漏れた。
 涼自身、自分が口に出していたとは思っていなかったため、聖からこんな答えが返ってきて非常に驚いた。

「簡単なことですよ、涼が弱いからです。もちろん、物理的なものの強さではありませんよ。涼が、後輩である長峰葵でさえ心配で死にきれなくなるほどに、あまりにも弱かった。それだけですよ」
「あんたね、もう少し――」

 だから、と言った聖に指を突き付けられた涼は、口をつぐんだ。

「……だから、あの子に胸張って誇れるくらいに、強くなってください。迷い苦しみ、間違え後悔し、その先にある強さにたどり着ければ――いいえ、たどり着かねばなりません」

 そう言う聖の姿は、まるで、子供を諭す母親のようであった。
 見た目はお子様体型なので、少し威厳というものが足りないような気もするが。
 強くなる、彼女が言っているのは、きっと身体的なものや精神的なものであるが、それでいて、もっと根本的な、そう、誰もが求めることさえ忘却している、言葉に表せない、透明だが、確かに存在している、そんな強さなのだと思った。

「貴女と一緒ならば、どこまでも強くなれる。歩んでいけるわ。だから、ずっと一緒にいて、私の思いを、受け止めて!」
「えっ……」

 涼がこけそうになりながらも、聖の元へと行き、机の前で、バランスを崩した。
 そのせいで聖の顔の目の前に顔を近づけるような感じになってしまった。

 聖は絶句している。しかし、これはいきなりの告白の戸惑いからではなかった。
 というのは、当然、これは涼が言ったものではないからだ。
 普段の低い声を、裏声まで使って高くし、涼の後ろから全く似ていないモノマネをし、揚句涼の背中を思い切り押す。こんなことをするのは第9バーン広しといえども、たった一人だけだ。

「翔馬、何すんのよ! っていうか何を言っているのよ!」

 ふん、と鼻を鳴らしながら、眼鏡を直した翔馬は、
「お前らは様々なフラグを回収してきた! もはやくっつくだけだろう! だというのに中々進展しないものだからな、俺がひと肌脱いだというわけだ」

 勘違いを肯定化し、偽を真にしようと努力する。それは世の中の常識を覆す人間のあり方で、その努力は称賛に値するが、その熱意をもっとどこか他のところへ向けてほしい。
 だが、その時、不意なことで涼は抵抗もできなかった。

 ちゅ、と聖が涼の頬へとキスをしたのだ。

「どうやってこれ以上の関係になれますか?」
「うっ……おおおおっ! リアルな百合きたぞ! ようやく、俺の、俺の夢が叶った!」

 なぜ、そんなにうれしいのかわからないが、涙を流しながら叫び、喜ぶ翔馬。
 段々と、友達にキスされたという事実に脳の理解がついてきた涼は、

「せっ、聖、貴女、そんな気があったわけ!?」
「? いえ、そう言うわけではありませんよ?」

 自分のしたことの意味を分かっていないのか、素で疑問符を浮かべている聖は補足した。

「『リベレイターズ』の拠点をどうやって探し当てたのか聞きました。彼がいなければ私はもっと大切なものを奪われていたわけですし、別にこのくらいの『ご褒美』は上げてもよいかな、と思ったわけです」

 泣きたいことに、幼馴染なのに反発することしかできない涼に対して、涼よりも翔馬と関わった時間が圧倒的に少ないはずの聖の方が夏目翔馬という男の扱いになれているのであった。

「で、でも、好きでもない人にキスなんか……」
「涼って意外と硬いのですね、頬っぺたではないですか」
「それでもよ!」

「うおおおっ、これ以上のシチュはまだか! まだなのか!」

 うっさい! と涼は翔馬を外に追い出した。

 ちょうどその時、昼休み終了を告げるチャイムが学校内に鳴り響いた。
 終わりのせいで、馬鹿なことをやっているだけで終わってしまったような気がしてしまった。

「授業、行きましょう」

 この部屋にいて、さぼられてはなんとなく良心が許せないため、涼は返事も待たずに聖の手を取って歩き出す。
 キーン、コーン、とこの学校の鐘は少し大きすぎるなと思っていると、

「……何でもない人にキスなんかしませんよ」

 ボソッと、聖が後ろで何か言ったような気がしたが、鐘の音のせいで聞き取れなかった。

「何か言った?」
「午後の授業は私のクラス、体育なので間に合わないな、と」

 それを先に言いなさい、と言った涼は聖の手を引いたまま走り出す。






 ねぇ、葵。
 貴女が死んで少しだけ強くなったような気がしていたけど、そんなことは全然なかったわ。

 戻ってきてなんて無理なことは言わない。

 だから、待っていて。

 きっと、いつかは私もそこにいく。
 その時には胸を張って、会っても恥ずかしくない私になっていると約束するわ。

 絶対に、貴女に笑われないように生き抜いて、立派な先輩として貴女に会いに行く。
 それまでは、私の中で助けて頂戴。

 向こうであったら、また、四人で遊ぼうね。


 バイバイ、アオちゃん。

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