地上から約3m50cmの酸素

些稚絃羽

新島冴栄という人間

自分の性格は理解しているつもりだ。


周りに合わせられるけれど、一歩引いて見ている傍観者タイプ。
良く言えば冷静。落ち着いて物事を観察して、見合った対処ができる。
悪く言えば冷めている。何かに熱中する事なく、感情の起伏があまりない。
別にそれを悪い事とは思っていない。
皆が楽しい時には私も楽しんでいるし、そこで場の雰囲気を壊したりもしない。人に喜んでもらうのも好きだし、割とムードメーカーだったりもする。でも羽目を外し過ぎないように注意して、気を配るようにしている。


要領良く、且つ合理的に。そして物事は論理的に。それが私のモットー。


友達は私をよく理解してくれていて、初対面ではまず分からない私の微妙な変化に気が付いて、今は喜んでいるとか今は少し怒っているとか、そういうのを感じ取ってくれる。
でもそれは、もう何年もの付き合いになるからであって、初対面の人や付き合いの浅い人には「喜怒哀楽のない、何考えているか分からない人」というレッテルをしっかりと貼り付けられるのだ。


私だって、好きなものも嫌いなものもある。だけどそれは「ある」という事実があるだけ。正直自分の事なんてどうでもいい。周りの人を楽しませられたらそれで。
だから部屋は必要最低限のものしかなく殺風景。自分を着飾る流行の服も、美しく見せるための化粧道具もない。そのお金があるなら他の誰かのために使いたいし、その時間があるならギリギリまで寝ていたい。


自分でも、女から逸脱していると思う。


女性といる時はレディーファーストを心掛けているし、そこらのひ弱な男より力もある。固い瓶の蓋を開けたり、重い荷物を運ぶのも自分でやってしまうし、男性の代わりにしてあげる事もしょっちゅうだ。男より男だと太鼓判を押されるし、女性から言い寄られる事も。


思い出した。私には彼氏というものがいない。生まれてこの方。
男友達はいるけれど、それが恋愛対象になった事はお互いに一度もない。相手には“男”友達と認識されているだろう。
それは仕方のない事だ。自作の黒いショートカットはどんどん短くなっているし、動きやすさ重視と好みで選ぶのは男物ばかり。女性より男性といる方が気楽だし。何より、残念ながら彼氏という存在を必要と思わない。


女に振り回される男も、男に振り回される女も見ている。その度に思う。なんて面倒臭い。


相談にやってくる友達の話を聞いて確かにそう思うけれど、同時に羨ましいとも思う。交際相手がいる事ではない。誰かを想って泣いたり怒ったり、そうやって感情を爆発させられる事が。
多少イラっとする事はあるけれど、それだけ。
映画や本を読んで泣く事はあるけれど、それだけ。
日常生活で何かに対して怒りをぶつけたり、悲しさや悔しさに泣いたり、なんてどれほど昔の事だろう。


結局のところ、私、新島冴栄という人間は、面白味のない人間なのだ。


そんな今の自分を変えたいとは特には思わないけれど、この性格をいつまでも突き通せる程、世の中は甘くないかなとは思う。自分が自分である事は、自由なようで少し息苦しい。
人生を変えるような出会いとか、そんなものを期待してはいない。けれど、何でもいいから少しだけこの繰り返しの毎日に一石を投じてはくれないだろうか。



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