それはきっと、蜃気楼。

些稚絃羽

8.酔いが回る

「今晩はいつもより賑やかなんですねぇ。」
小料理屋・みのりの美人女将、鈴村千果すずむらちかさんがいつものゆったりとした口調で言う。LTPメンバーで飲みに来るのはいつもここ。本当なら今頃他のお客さんに囲まれている筈だったけれど、立花さんが連絡をすると気を利かせて貸切にしてくれたらしい。座敷のテーブルを並べて用意してくれていた。実は千果さんは立花さんの幼馴染み。しかも林田君の想い人でもある。

「千果さん。今日も素敵な着物ですね!!」
今日も始まる林田君の褒め攻撃。千果さんは女性から見ても惚れ惚れする様な美人さん。白く小さな顔に強さを感じる猫目と柔らかな口調が特徴的で、千果さんのファンは多いらしい。勿論、日替わりの着物も千果さんの魅力を引き立てているけれど……。
「あら。着物しか褒めてくださいませんの?」
「え、でも前は着物も褒めてって。」
前回、今日もお綺麗です、と言い募った林田君にたまには着物も褒めて、と言っていたのを思い出す。でも着物だけ褒めたら駄目じゃないかな。
「てっちゃん。それは女の遠慮ってもんだよ。」
「え、そうなんですか?」
「ふふ。」
千果さんも林田君をからかっているみたい。いつもこうやって林田君をちょっと困らせている。口元を押さえながら笑う仕草は可愛らしい。大人の女性の雰囲気なのに意外とお茶目で、そこが千果さんの良いところだ。

当然ながら、ここの料理はどれも絶品。
「この煮付け、美味しいですね。」
「本当ね。こんなに美味しいの初めてだわ。」
小鳥遊さんと重郷さんが口々に言う。本当にそうだよね。何か嬉しいな。
「でしょでしょ!!
 千果さんの料理はどれも美味しいんだなぁ。」
「何で金城が自慢気なんだ。」
立花さんの指摘に沙希ちゃんは胸を張って答える。
「立花さん、行きつけのお店の料理褒められたら
 嬉しいじゃないですか。」
沙希ちゃんの言う通り。私も嬉しかったし、それを聞いた立花さんも嬉しそう。自分が良いと思うものを気に入ってもらえるって、やっぱり良いよね。

「庭さん、焼酎派っスか?」
「うん。父が好きで、付き合ってたら自分も、ね。」
テーブルの向こうでそんな会話が聞こえてくる。天麩羅を頬張りながら、耳を傾ける。
「へぇ。守屋君は?」
「自分はビールばっか飲んでます。」
「俺もだなぁ。」
「林田はあんまり飲めないだろ。」
竜胆さんの声が食い込む。そんな事言ったらまた拗ねちゃうだろうな。
「竜胆さん、そんな白ける様な事言わないで下さいよー。」
ほんのり赤くなった顔で林田君が抗議している。
「醜態、晒すなよ。」
「立花さんまでひどい!!」
「俺はもうお前を担いで階段上がりたくないし。」
「何でそれ、ここで言っちゃうんですかぁ…。」
立花さんの言葉に萎れてしまう。以前酔い潰れた林田君を立花さんがおんぶしてマンションの4階まで階段で上がったと聞いている。エレベーターは?と聞いたらその日たまたま故障中で乗れなかった、とげんなりした顔で立花さんは話していた。そういう事があったから、林田君は立花さんに強く出られないらしい。

「実際、一番弱いのはてっちゃんだもんね。
 逆に強いのは立花さんとはるちゃん。」
沙希ちゃんが私の名前を出す。立花さんは確かに強い。でも私は並じゃないかな。
「そんな事ないよ。」
「いや、2人共最後まで顔色変えずに介抱してるし。」
「それは林田と天馬が飲み過ぎるから仕方なくだ。」
立花さんの返答に苦笑いが溢れる。実際そうなんだけど。
「てんちゃんも弱いもんね。」
「いまいちどこで止めたら丁度良いか分からないんです。」
「俺もー。」
静かだった夏依ちゃんが唸りながら答えて、林田君も賛同している。
「俺がやめろって言ったところで止めろっての。」
「だって……。」
2人は口を尖らせる。仕方ないよ、それは。いつも迷惑かけているんだし。

空になった皿を集めてカウンターへと運ぶ。
「千果さん、これお願いします。」
「あらあら、置いておいてくださったら良かったのに。」
「いえ、お一人で全部するのは大変でしょうし。」
「本当にお優しいですねぇ。」
鍋の様子を見ながら千果さんは微笑む。
「菅野さん?」
戻ろうとしたところで呼び掛けられる。
「私、優しい方は大好きですから、
 是非また個人的にご贔屓くださいねぇ。」
その目は内心を探り難く、何かを考えているようで何も宿していないような曖昧さで、私を見つめていた。いつも見る千果さんとは違う人のようだ。
「はい、勿論です。」
対抗するつもりはないけれど、この千果さんの言葉も目も意味がある気がするから。無駄なくらいの笑顔でそう答えた。


「結李ちゃん、違うよー。」
守屋さんに料理を勧めていたら、隣で沙希ちゃんが言う。何の話だろうか。
「結李ちゃん、立花さんと千果さんの仲を
 疑ってるんです。」
「はぁ?」
「あらあら。」
立花さんは鯖寿司を咥えたまま心底呆れたような顔で、千果さんは楽しそうに反応する。私は特に意味もなくコップの日本酒に口を付ける。
「だって呼び捨てだし、
 客と女将の感じじゃないっていうか。」
そう言えばさっき私と入れ違いに鯖寿司を注文していた。立花さんの大好物。
「幼馴染みだからな。」
「そうなんですか!?」
「親同士が友達で、同い年だから産まれた時から一緒だ。」
初めてみのりに来た時と同じ回答。
「好きになったりしなかったんですか?」
「ないよ。兄妹みたいな感じかな。」
何故かどきりとする小鳥遊さんの質問。平然と答える立花さん。無意識に呼吸が浅くなっていく。誰にも気付かれないようにそっと息を吐く。
「千果さんも?」
「居心地はいいですけどねぇ。
 恋人にするには仕事が好きすぎるかしら。
 あ、でも最近はかなりハマってる方がいる様ですけど。」
「おい。」
鼓動が大きく跳ねる。ハマってる人。それは……私?

「えー!どんな方なんですか?」
「社内の人っスか?!」
小鳥遊さんと林田君の食い付きがすごい。立花さんはどう答えるか。聞きたいような聞きたくないような。だってもし、違う人の話だったら。無駄に緊張している今の私はすごく恥ずかしい。
「秘密。」
ほっとする。その人が私でも私じゃなくても隠される方が安心だ。
「どんなところが好きなんですか?!」
「何で教えないといけないんだよ。
 第一、そういう事は本人の前だけで言いたいし。」
追求を躱す。でもそれは私にとって爆弾だった。この人から好きだと言われている私は、好きなところを言われるのだろうか。あの日の告白には確かにその要素はあったけれど、もっと具体的に、言われてしまうのだろうか。愛おしむような瞳を思い出して、顔が熱くなる。……これはきっと、酔っているんだ。

いつの間にか解散の号令がなされていて、沙希ちゃんと林田君がごちそうさまでーす、と声を合わせているのを意識の向こうで聞いた。それに立花さんが言葉を返す。多分また、遠慮しろ、みたいな事だろうけど耳に入ってこない。皆がわっと笑ったのに合わせて、口角を上げる。上手く笑えたかは分からない。
私の頭の中を、あの日の告白が飛び回っていた。

 

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