パラドックスの恋文

巫夏希

「雨だね」
「うん」

 その日は雨だった。ジョンと僕はもうこの雨のせいで暫く外に出れてはいない。もう一週間くらいは出ていないのかな。いつになったら止むんだろう? とか思ってもみたけれど、思うだけ無駄だった。

「センセイ、いつになったら止むんだろう?」
「どうだろうなあ」

 先生は苦笑いした。先生にも解らないことはあるんだなあ、と小さく刻刻と頷いた。
 先生はいつになっても、僕らを見上げていた。別に見上げているのが悪いわけじゃないけれど、いつかは先生と同じくらいの立ち位置で見てみたいってのもあるなあ。
 会話が途切れて、暫く雨の音だけが部屋に響いた。ジョンはずっと絵を描いていた。青空に、人が二人。それを見て、僕は訊ねた。

「だれ?」
「……だれだろう?」

 訊ね返されちゃった。それも、それで、しょうがないっていうのもある。
 いつになったら、出れるのかなあ。はやく外で遊びたいよ。
 そういえば、イブはどうしたのかな――と、僕が先生に訊ねようとした、ちょうど、ちょうどそのときだった。

「先生!」

 訊ねてきたのはガルベラさんだった。

「ガルベラさん、どうしたんですか。ここに入るときはノックをと……」
「申し訳ありません。急用でして……」
「……聞きましょう。どうしました?」
「――イブが、危険な状態にあります」

 それを聴いていちもくさんに飛び出したのは、先生でもガルベラさんでも僕でもなかった。
 ジョンだった。

「ジョン! 待て!」

 次いで、僕が駆け出す。

「待て、二人とも!」

 後ろから声が聞こえる。
 けれど。
 僕は止まるつもりなんてことさらない。
 イブを、彼女を、早くこの目で見てあげたかった。大丈夫と一言声をかけたかった。ただ――それだけのために。
 イブはいつも僕たちが学ぶ部屋に『いる』はずだった。そこがいつも彼女の好きな場所だとか言っていたっけ。

「イブ!!」

 ジョンは部屋をノックもせずに入った。普通なら、すごく怒られることなんだけれど、今はどうだっていい。
 部屋の中にはたくさんの白衣を着た人がいた。どれも見たことのあるようなないような……そんなぼやけた記憶の人たちが集まっていた。僕らが入ったのを見て、その近くにいた女の人が言った。

「……今は危険だから、遊んでいなさい」
「イブは? イブは大丈夫なの?」
「大丈夫。きっと、大丈夫よ。私たちに任せなさい」

 女の人の顔は怖かった。まるで、僕たちは今要らない人間みたいに捉えられていたようだった。
 確かにこの状況で、僕たちは必要ではない存在かもしれない。
 けれど、彼女は友達なんだ。
 友達が危ないときに、一緒に居てはダメなの?
 そう女の人に僕が言い返そうとしたら――。

「大丈夫だから、待っていなさい」

 先生にそう言われて、僕らは半ば無理矢理外に出されてしまった。
 また、雨の音だけが僕らを包み込んだ。

「イブ……大丈夫かな」

 ジョンは突然に言った。

「大丈夫だよ、先生……博士ならやってくれるよ」
「そうだよね……そうだといいんだけれど」

 ジョンはずっと俯いていた。ぼくも俯きたかったけれど、ひたすらに僕はジョンの機嫌をとっていた。
 ジョンはイブのことが――きっと、いや、確実に好きだったんだろう。そうだと思う。
 イブは話すことは出来なかった。だけど、脳内の電気信号だかなんだかで会話は出来るとか先生は言っていたっけ。
 ならばなんでいつもはつかわないんだというけれど、それをするにはよく解らない難しい何かがあるんだって先生は言っていた。よく解らない難しい何かってのが先生には解るらしい。それはそれでいいんだけれど、その難しい何かってのが解れば、きっと僕らもイブと話すことが出来るのかな。


 ◇◇◇


 先生が出てきたのは、夜になって暫くしてからだった。夕食を二人で食べたけれど、食欲がわかなかった。
 まず、彼女がどうなったのか、それだけが気になったから。
 出てきた先生に僕は訊ねた。

「先生、イブは……?」

 先生は僕の問いに対して小さく首を振った。

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