パラドックスの恋文
1
いわゆるタイムパラドックスってやつは今のような状態を指すのだと思う。ジョンと僕の目の前にある光景さえ見ることもなければ僕もこんな言葉を思うこともない。
「なあ……今の状況ってどう取れるよ?」
ジョンが僕に耳打ちしてくるけど、それは僕にだって聞きたい。知りたいものは意外と答えを教えてくれないのが世の中ってもので、それを知るために尽力するのが人間だっていうことを僕はセンセイから聞いている。
センセイは僕にとって生みの親にも等しい。けれど、それを言うとセンセイはひどく怒っていた。「君の生みの親はいるんだから、そんなことは言ってはいけない」とか言っていたけど、生みの親を知らない僕にとってはセンセイが親みたいなものだからやっぱり生みの親みたいなものなんだよね。
「ねえ。……なんの話をしているの?」
僕の目の前にいるヒトが訊ねた。ヒトは女性に見える。長い茶髪に、何も着ていない。だけど、それを恥ずかしいと思わない。だけど僕はそういう姿を見て、目を覆いたくなる。というか一回目を覆ったんだけど。
ねえ、君こそなんでこんな場所にいるの?
今、目の前にいるのはイブという少女。
三年前に、僕の目の前で死んじゃった女の子。
◇◇◇
――そういえば、イブと僕が出逢ったのは五年前のことだったと思う。試験管のような、巨大な水槽に浮かぶ彼女を見て、僕は博士に訊ねた。生きているの、と。
博士は笑う。彼女は少しだけ身体が弱いんだ、と。続けて、彼女は身体が弱いからこういうところに居るんだよ、と。博士の顔は笑っていたけれど、どことなくその笑顔も引きつったような感じだった。
助手のガルベラさんに訊ねた。
「彼女は生きているの」と。
ガルベラさんは答えた。
「博士にはお子さんがいたの」と。
その口調はすこしだけ暗かった。博士に子供がいるなんて、僕は知らなかった。
ガルベラさんは続ける。
「博士のお子さんは小さい頃に病気にかかってしまって、死んでしまった。だけど、博士は彼女を生き返らせたかった」って。
最後に博士には内緒よ、と口付けを送られてしまった。ガルベラさんはいつもこんな感じで僕らにもなんかアピールしている。他の研究員さんたちはガルベラさんと博士が出来てるって噂しているけれど、それはどういう意味なんだろう。僕にはまだ早すぎて解らない、って博士も言ってたから、たぶんそうなんだと思う。なんだか博士の顔が焦っているように見えたけれど。
「……でも、なんでここにいるのか解る証拠にはならないだろ」
隣にいるジョンは言う。僕は今まで彼女について思い出していた。きっとジョンも同じようなことを考えていたのかもしれない。彼は人の考えていることを聞き取ることが出来るから、僕の考えていることだって解るんだと思う。
「久しぶりだね」
目の前にいる彼女は笑って言った。その笑顔はとても輝いていて、水槽に浮かぶ彼女の顔と比べても、全く違う。
「君は」
僕がその先が言えなかった。そのあとに続く言葉。
「――死んでしまったんじゃないの」
と、その続く言葉が言えなかった。彼女は本当に彼女なのか、確かめるのが怖かった。
「――返事」
「えっ?」
「君から、返事を聞いていない」
返事? 僕はその単語を聞いてもピンと来なかった。彼女から僕は質問を聞いていただろうか。その答えを――僕は知らない。
「返事ってなんのことだ? 僕は質問を受け取ってはいないんだけど」
「本当に受け取ってないと言えるの?」
彼女から受け取ったものは何もない。それは事実だ。
「――ほんとうに受け取っていないの?」
僕は頷いた。彼女が少しだけ俯いた表情を示したんだけど、それでも解らなかった。
「ヒント。それでも聞いていないというのなら――あなたは私を忘れているんだ、と考える」
そこまで言われてしまってはどうしようもない、と僕は思った。もう笑うしかなかった。その感じに彼女は眉一つ動かさずに、言った。
「“パラドックスの恋文”。――これでもまだ思い出さないかな?」
「なあ……今の状況ってどう取れるよ?」
ジョンが僕に耳打ちしてくるけど、それは僕にだって聞きたい。知りたいものは意外と答えを教えてくれないのが世の中ってもので、それを知るために尽力するのが人間だっていうことを僕はセンセイから聞いている。
センセイは僕にとって生みの親にも等しい。けれど、それを言うとセンセイはひどく怒っていた。「君の生みの親はいるんだから、そんなことは言ってはいけない」とか言っていたけど、生みの親を知らない僕にとってはセンセイが親みたいなものだからやっぱり生みの親みたいなものなんだよね。
「ねえ。……なんの話をしているの?」
僕の目の前にいるヒトが訊ねた。ヒトは女性に見える。長い茶髪に、何も着ていない。だけど、それを恥ずかしいと思わない。だけど僕はそういう姿を見て、目を覆いたくなる。というか一回目を覆ったんだけど。
ねえ、君こそなんでこんな場所にいるの?
今、目の前にいるのはイブという少女。
三年前に、僕の目の前で死んじゃった女の子。
◇◇◇
――そういえば、イブと僕が出逢ったのは五年前のことだったと思う。試験管のような、巨大な水槽に浮かぶ彼女を見て、僕は博士に訊ねた。生きているの、と。
博士は笑う。彼女は少しだけ身体が弱いんだ、と。続けて、彼女は身体が弱いからこういうところに居るんだよ、と。博士の顔は笑っていたけれど、どことなくその笑顔も引きつったような感じだった。
助手のガルベラさんに訊ねた。
「彼女は生きているの」と。
ガルベラさんは答えた。
「博士にはお子さんがいたの」と。
その口調はすこしだけ暗かった。博士に子供がいるなんて、僕は知らなかった。
ガルベラさんは続ける。
「博士のお子さんは小さい頃に病気にかかってしまって、死んでしまった。だけど、博士は彼女を生き返らせたかった」って。
最後に博士には内緒よ、と口付けを送られてしまった。ガルベラさんはいつもこんな感じで僕らにもなんかアピールしている。他の研究員さんたちはガルベラさんと博士が出来てるって噂しているけれど、それはどういう意味なんだろう。僕にはまだ早すぎて解らない、って博士も言ってたから、たぶんそうなんだと思う。なんだか博士の顔が焦っているように見えたけれど。
「……でも、なんでここにいるのか解る証拠にはならないだろ」
隣にいるジョンは言う。僕は今まで彼女について思い出していた。きっとジョンも同じようなことを考えていたのかもしれない。彼は人の考えていることを聞き取ることが出来るから、僕の考えていることだって解るんだと思う。
「久しぶりだね」
目の前にいる彼女は笑って言った。その笑顔はとても輝いていて、水槽に浮かぶ彼女の顔と比べても、全く違う。
「君は」
僕がその先が言えなかった。そのあとに続く言葉。
「――死んでしまったんじゃないの」
と、その続く言葉が言えなかった。彼女は本当に彼女なのか、確かめるのが怖かった。
「――返事」
「えっ?」
「君から、返事を聞いていない」
返事? 僕はその単語を聞いてもピンと来なかった。彼女から僕は質問を聞いていただろうか。その答えを――僕は知らない。
「返事ってなんのことだ? 僕は質問を受け取ってはいないんだけど」
「本当に受け取ってないと言えるの?」
彼女から受け取ったものは何もない。それは事実だ。
「――ほんとうに受け取っていないの?」
僕は頷いた。彼女が少しだけ俯いた表情を示したんだけど、それでも解らなかった。
「ヒント。それでも聞いていないというのなら――あなたは私を忘れているんだ、と考える」
そこまで言われてしまってはどうしようもない、と僕は思った。もう笑うしかなかった。その感じに彼女は眉一つ動かさずに、言った。
「“パラドックスの恋文”。――これでもまだ思い出さないかな?」
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