ようこそ地獄へ

巫夏希

ようこそ地獄へ

「ようこそ地獄へ。先ずはあなたの悪行をここで述べさせていただきます」

 目の前に立つ、黒い着物を着た男がそう言った。
 中央で分けた髪は、男の割には艶々しかった。

「……もしかして、まだあなた死んでないと思っています? あなたは、間違いなく死にましたよ」

 容赦なく、事実を突きつける。
 俺が何をしたというのか、全く解らない。

「あの、俺が何をしたというのだろうか?」
「解らない?」
「ああ」

 頷くと、男はため息をつく。

「……仕方ありませんね。ではこれから言っていきますから。これはあなたが行った罪なのです」

 そう言って、男はノートの表紙を開いた。
 恐らくはそれに書かれているのだろう。

「田中茂樹さん、あなたは『この世』で、動物を殺しました。人間こそ殺しませんでしたが、動物に対する意識が足りなかった……そういうことになります。ですので、あなたは不喜処ふきしょ地獄に落ちることとなります。準備はよろしいですか?」
「ちょっと待ってくれ。動物を殺した? 俺が? 何をだよ!」
「殺していない。そうおっしゃるのですか」
「ああ、そうだ! 俺は虫すら殺したことがない!」

 俺の言葉に疑問を抱いたのか、男は再びノートを見始める。

「ふむ……しかしたしかにあなたの名前になっています」
「それを見せてくれよ。間違いがあるのは確かだ」
「ダメです、機密事項ですから」

 男はそう言ってノートを机に置いた。

「ともかく……あなたが地獄行きというのは間違いない。結果としてあなたは地獄に来ているのですから」
「手違いとかないのかよ!」
「手違い? 地獄の書類事務を間違っている、そうおっしゃりたいのですか?」
「ああ、そうだ! この世だってあるんだ! 地獄だってあるに決まっているだろ!」

 男はそう言うと、俺の元にゆっくりと向かってきた。
 男は覇気でも放っているのか、大きく見えた。おかしいな、その男は俺と同じくらいの身長に見えるのに、その数倍以上の大きさに見えてしまう。錯覚というやつなんだろうが、至極恐ろしい。

「……そんなことはないはずなのですがね」
「証拠はあるのかよ! 例えば……同姓同名だとか!」

 そんな平行線の会話がいつまで続くのだろうか――心が挫けそうになった、その時だった。

「あのー」

 俺の背後には、気が付けばひとりの少年が立っていた。少年の髪は白く、あどけない表情が垣間見えた。
 少年は俺と同じ、白装束の格好の男を引き連れていた。
 そして少年はとても済まなそうな顔をして、黒い着物の男に近づく。

「実は……」

 小声で言った、その事実に男は驚愕し、思わずその少年を殴った。

「何てことをしてくれたんですか、あなたは!」
「す、すいません……まさかこんなことがあるとは思わなくて……」

 まさか。
 ――まさか、ほんとうに。
 そんなことを考えていると、男が俺の方に向いて、小さく頭を下げた。

「……あなたのとおりでした。背後に居る男と書類が入れ替わっていました。あの男は天国、あなたが不喜処地獄へ行くところでした。危ないところでしたよ、もし実際に不喜処地獄へ向かっていたら、戻すのが面倒でしたから」

 ……俺がこのあと、背後に居た男を殴ったのは言うまでもない。

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