オリガミ
005【鬼の住処・後編】
目覚めると、そこは暗闇だった。
ミトシは、ぼんやりした頭を懸命に働かせる。
何度考えてみてもソウビと乾杯をした後の記憶が無い。
冷たい床の感触は、ここがソウビの部屋ではないことを語っていた。
状況を総合的に判断した結論。
「……拉致られたか」
一連の失踪事件は、やはりソウビが黒幕だったのだろう。
油断を後悔するが、すぐに気持ちを切り替える。
幸いなことに身体は自由だった。
痺れが残る手足を動かし、床を這って出口を探す。
その時、微かに風の流れを感じた。
出口かもしれない。
ドアノブがあると思われる高さへ手を伸ばした瞬間、外側から勢い良く扉が開いた。
「~っ!」
突然のことで避けられなかったミトシは、顔面を強打してしまう。
あまりの痛みに声も上げられず、床を転げ回るしかなかった。
「す……すみません!まさか、もう起きてるとは思わなくて……大丈夫ですか!?」
扉を開けた犯人が、慌てた様子でミトシの近くに座り込む。
その愛らしい声には聞き覚えがあった。
床に置かれたランタンの灯りが照らし出した姿に、ミトシは痛みを忘れて見入ってしまう。
「キノカ……」
猫のような大きな瞳に、小さな鼻と、ツンとした唇。
それは正に、愛しいキノカの姿だった。
しかし、キノカがこんな場所に居る訳がない。
そうだ。またソウビが化けて、ミトシを油断させようとしているのかもしれない。
ミトシは勝手に納得する。
「あの……ケガは……」
オロオロとする幼女。
その腕をミトシは力いっぱい掴む。
「痛い!何するんですか!?」
「チカの次はキノカか。勝手に人の心に踏み込みやがって」
「……何のことですか」
「とぼけるなソウビ」
「ちが……僕はソウビさんじゃ」
「……僕?」
よく見れば、彼は確かにキノカと違って髪が短く、服装も少年のものだ。
脅えた表情は演技とも思えない。
ミトシは手の力を緩める。
「悪い……俺の勘違いだ。大丈夫か?」
「……はい」
少年の目には涙が浮かんでいた。
その瞳が赤いのは、ランタンの灯りのせいだけではないだろう。
「おまえ……天神か?」
黒髪に赤い瞳は天神の証し。
ミトシたち地祇と天神は、昔から敵対している。
「そうです」
少年は素直に認めた。
「ってことは……ここは高天原か?」
誘拐された者たちが天神が住まう高天原に連れて行かれたなら、出雲警察がどんなに探しても見つからない訳だ。
しかし、ミトシの仮説はあっさり否定される。
「いいえ、高天原ではありません」
「じゃあ、出雲か?」
「はい」
「何で出雲に天神が居る」
「それは……」
少年は困惑しているようだ。
赤い瞳が揺れていた。
「……言いたくないならいい」
「え……」
「何か事情があるんだろ」
「……あなたは天神を差別しないんですか?」
「天神だからって、全員が全員悪い奴じゃない」
「……っ!」
見開かれた少年の瞳から、大粒の涙が零れ落ちた。
予想外の反応に、ミトシは驚き慌てる。
「待て、何で泣くんだ?俺、何かしたか?」
「……」
少年は黙ったまま首を横に振った。
「だったら泣くなって」
「……ください」
「え?」
「早く……逃げてください!」
「逃げ……って、おまえソウビの仲間じゃないのか?」
「そうですけど……ここはあなたには危険です。早く。今なら逃げられますから」
逃げ出したいのは山々だったが、ミトシが逃げたらこの少年は罰を受けることだろう。
「いや、俺は逃げない」
「何でですか!?食われてもいいんですか!?」
「死にたくはないが……おまえを残して逃げたら、一生後悔しそうだ」
「……バカなんですか?」
「何とでも言え」
出逢ったばかりだが、キノカに似すぎている少年を他人とは思えなくなっていた。
「……わかりました。じゃあ、僕は僕が出来ることをします」
「出来ること?」
少年の温かい手が、ミトシの頬を包む。
「何を……」
一瞬、ミトシの目の前が赤い光に染まった。
「……何だ、今の光は」
同じような光を、以前にも見たことがある。
あれはいつだったか。
「……これで大丈夫。多少の時間稼ぎは出来るはずです」
「時間稼ぎ?どういう意味だ」
「あ……マズい。ソウビさんが来る。じゃあ、頑張ってください!」
少年はミトシの質問に答えることなく、駆け足で部屋を出て行ってしまった。
少年が逃げてから1分も経たないうちに、今度はソウビが扉を開ける。
「ヨシカタ、起きてる?」
「……ソウビ」
誘拐犯なのに平然と姿を表したソウビを殴り倒したかったが、ミトシは堪えた。
ソウビはランタンをミトシの顔に近付けると、美しい眉根を寄せて言う。
「あなた……誰?」
「……は?誰って……ふざけてんのか?」
そう言ったミトシも、自分の声がいつもと違うことに気付いた。
「あれ……あー、あー……」
発声練習をしても、声は治らない。
「あなたヨシカタなの?」
「他に誰が居る。おまえが誘拐したんだろうが」
ソウビは顎に手を当てて少し考えてから、溜め息をついた。
「……ヤノハの仕業ね」
「ヤノハ?」
「ここへ天神の子供が来たでしょう」
「あ……あいつ、ヤノハって言うのか」
「まったく……何だってこんなイタズラを」
「イタズラ?」
「ヨシカタ、あなた……」
「女になってる」
「な……」
言われてみれば確かに声は高くなっているし、手は小さく指は細い。
そして、恐る恐る触れた胸には、慣れない重さと柔らかな感触。
「な……な……なんじゃこりゃ~っ!」
ミトシが絶叫した頃。
出雲警察署は騒然としていた。
ミトシが行方不明になっていることに、ヤチホたちがようやく気付いたのだ。
知らせを聞いたヤマトも、半泣きのキノカを連れて駆けつけていた。
「ヤチホ。状況は」
「それがね、ヤマト。全く判らないんだよ」
「何をやっているんだアイツは。警察官が拉致されるなど、国家の恥だ。もう探さなくても良い。経費のムダだ」
そう言ったヤマトの腰を、キノカが力一杯殴りつける。
「ヤマトのバカ!それでもおまえはミトシの兄か!」
「き……キノカ……すまなかった」
痛む腰をさすりながら、ヤマトは幼い妹に頭を下げた。
誰も逆らえないエリート官僚のヤマトだが、いつの間にかキノカには頭が上がらなくなっていた。
「ヤチホ」
「何だい、キノカ」
「私なら、ミトシの居場所がわかるかもしれない」
「どうやってだい?」
「ミトシのタグの位置を探すのだ」
「タグ?」
「魂の情報だ。地図を貸してくれ」
ヤチホは半信半疑だったが、キノカの前に出雲の地図を広げた。
大きな地図を前にしたキノカは、静かに目を閉じて深呼吸をする。
集中力を高めているようだ。
そして目を閉じたまま、地図の上に指を滑らせる。
迷ったり悩んだりすること10分。
キノカの指の動きが止まる。
「……ここだ」
小さな指先が指し示していたのは、出雲の国の北東の外れにある大江山だった。
「キノカ。ここにミトシが居るのかい?」
「あぁ。間違いない」
キノカの額には汗が浮かんでいる。
かなり体力を消耗したのだろう。
呼吸も苦しそうだ。
「判った。後は私たちで探すから、キノカは帰って休みなさい」
「イヤだ。私も連れて行ってくれ」
「キノカ」
「私が行かなくては、ミトシは見つからない」
キノカは本気だ。
ヤチホは少し悩んだが、幼い彼女の意思を尊重することにした。
「判ったよ。私について来なさい」
慌てたのはヤマトだ。
可愛い妹を、危険な場所にやる訳には行かない。
「ヤチホ!私は認めないぞ!」
「大丈夫だよ、ヤマト。キノカは強い」
「そうだ、ヤマト。私は強い」
「それは知っている。だが、大江山は危険だ。あそこは出雲であって出雲ではない。王の支配が及ばない地だ。酒呑童子が住処にしている」
「しゅてんどうじ?」
「恐ろしい人食い鬼だ。ミトシも今頃は……」
「バカを言うな!ミトシは生きている!行くぞヤチホ!」
キノカは強引にヤチホの手を引き、ミトシの捜索へと繰り出した。
ミトシはソウビの自室に居た。
スサノオが住まう宮廷に似た、朱塗りの柱。
最低限の調度品しか無い、シンプルな和室だ。
「今、下の者にヤノハを探しに行かせたから」
「そうか」
何だか落ち着かずソワソワするミトシを、ソウビがジッと見つめている。
「……何だよ」
「悪くないわね」
「何が」
「なかなか可愛いわよ、ヨシ子ちゃん。食べちゃいたいくらい」
「……殴っていいか?」
女性になりたいと思ったことは一度も無いミトシだ。
誉められて嬉しい訳が無い。
「私は本気だけど」
「おまえ、女も好きなのか?」
「基本的には女が好きね」
「……そうなのか?まあ、おまえの趣味をどうこう言うつもりは無いが」
人の好みを否定するほど、ミトシの心は狭くない。
しかし、ソウビは続ける。
「私だって健全な男子ですもの」
「……は?」
ミトシは耳を疑って聞き返した。
「あなたと同じで、やっぱり可愛い女の子は好きよ」
「……えーと、ソウビ。おまえ、男なのか?」
「えぇ。この姿は仮のものだから」
そうだった。
ソウビには変身能力があるのだ。
この姿が基本形だと思っていたが、どうやら違うらしい。
ずっと女性だと思ってソウビに接して来たミトシは複雑だった。
1時間ほど経った頃。
ソウビの部下らしき黒い着物の男が部屋にやってきた。
どうやらヤノハが見つからないらしい。
「困ったわね……もう時間なのに」
「時間?何の」
「あの方のお食事の時間よ」
「あの方?」
「酒呑童子さまよ」
「酒呑童子……?」
「本当に何も知らないのね、あなた」
ソウビは呆れ顔だ。
しかし、知らないものは仕方ない。
「酒呑童子さまは、スサノオに殺されたオロチの長の遺児で、今は私たちのリーダーなの」
「オロチの長の遺児……」
ソウビはしばらく腕時計とにらめっこしていたが、遂に決意する。
「仕方ない。行くわよ」
「行くって……どこへ」
「鬼の住処へ」
ヤチホの運転する覆面パトカーが、長い山道を登って行く。
昼だというのに薄暗い道。
カーナビの画面は消えていた。
代わりに、助手席のキノカが道案内をしている。
ヤチホはキノカの体調を気遣いながらハンドルを握っていた。
大江山は分かれ道が多い。
一本間違えると、全く違う場所へ行ってしまう。
「次を……左だ」
「左だね」
キノカの苦しそうな息遣いが聞こえる。
ヤチホは待避場を見つけて車を停めた。
「……どうした、ヤチホ」
「少し休もう」
「何を言う……早くミトシを見つけなければ。車を出せ」
「キノカ。無理はいけないよ」
「無理など……」
その時。
車の横を駆ける人影があった。
キノカとヤチホが視線を向けた先には、幼い少年の後ろ姿。
そして、少年を追う、黒い着物を着た複数の男。
「……何事だ?」
ただ事ではない緊迫した雰囲気をキノカは感じ取る。
それはヤチホも同じだった。
「キノカはここで待っていなさい」
そう言い残し、ヤチホは車を降りる。
少年と男たちを追って駆け出したヤチホは、慣れた仕草でスーツの懐から愛用の拳銃を取り出した。
一発、二発、三発。
弾丸が確実に男たちの足を撃ち抜き、動きを止めた。
少し先で転んで動けなくなっていた少年に、ヤチホは歩み寄る。
「もう大丈夫だよ。怪我は無いかい?」
「何で……」
「え?」
「何で皆を撃ったんですか!」
想定外な少年の反応。
しかしヤチホは動じない。
「何でって……君が追われているようだったから」
「違います!確かに追われてましたけど……皆、僕の仲間なんです!」
「どういうことだい?」
「ちょっと……追いかけっこしてただけです」
「そうなのかい?」
ヤチホは悪びれもせず、足を撃たれて倒れている男たちに聞く。
男たちはヤチホを恐れたのか、足を引きずりながら森の中へと逃げてしまった。
「……だから地祇は嫌いなんです。すぐに暴力を振るう。野蛮です」
「君は……地祇ではないのかな」
キッとヤチホを睨みつけた少年の赤い瞳。
「ご覧の通り、僕は天神ですから」
「そうなのかい」
「驚かないんですか?」
「ここは出雲の外れだからね。天神が居てもおかしくないよ。……君、どこかで見たことがあるな」
「僕はあなたに初めて逢いました」
「あぁ、そうか。似ているんだ」
「似てる?」
「ヤチホ!大丈夫か」
車から降りて、ヤチホに駆け寄って来たキノカだったが、少年の姿を見て足を止めた。
「キノカ。どうしたんだい?」
「同じ顔……」
「あぁ。この子、キノカと似ているだろう」
「キノカ……。君がキノカ?あの人が僕と間違えた」
「あの人?……ミトシか!おまえ、ミトシを知っているのか!?」
少年につかみかかるキノカを、ヤチホがやんわりと制止する。
「キノカ。怖がらせてはいけないよ」
「だが……こいつはミトシを知っているようだ」
「そうなのかい?」
穏やかに微笑むヤチホに、少年の表情も緩む。
「ミトシさん……という名前かは知りませんが、地祇のお兄さんは来てます」
「居場所を教えてくれないかい?私たちは、ミトシを探しているんだよ」
すると、少年の顔から笑みが消えた。
「……教えられません」
「何故だい?」
「だって……あなたたちはミトシさんを誘拐した、僕の大切な仲間を殺すつもりでしょう」
「当然だ!ミトシに何かあったら、私が皆殺しにしてやる!」
憤るキノカだったが、またヤチホが制止する。
「もう君の仲間には手出ししないよ。約束する。これは君が預かっていてくれないか」
そう言ってヤチホは、拳銃と弾を少年に手渡した。
「……わかりました。案内します」
宮廷に似た造りの大きな御殿。
その一番奥の扉の前に、ミトシは居た。
ソウビが指を鳴らすと、分厚い観音開きの扉が自動的に開く。
長く続く廊下には窓が無く、暗闇の壁に等間隔でロウソクが灯されていた。
ミトシはソウビに続いて歩みを進める。
廊下の突き当たりで、ソウビは跪ひざまずいた。
「酒呑童子さま。茨木童子です。お目覚めですか」
茨木童子、というのがソウビの本当の名前らしい。
「起きてるよ」
壁の向こうから返答があった。
「お食事をお持ちしました」
「入りな」
その言葉を合図に、壁が横にスライドして行く。
そこには、板張りの短い廊下があった。
右側は庭園、左側に部屋がある。
廊下を進んだミトシは、遂に酒呑童子と対面した。
赤い髪を高く結い上げ、爬虫類に似た真っ赤な瞳。
右肩をはだけた派手な着物姿。
口には長い煙管キセルをくわえて、脇息にもたれ寛いでいる。
「おまえがオオトシの息子だね。ずいぶんと可愛らしいじゃないか。女の子みたいだねぇ」
そう言う酒呑童子も、どこからどう見ても女性だ。
サラシを巻いた豊かな胸が、その証拠である。
「女の子みたいっていうか、女の子じゃないか。イバラキ。どういうことだい」
「はい、アヤナギさま。実はヤノハが悪戯をしまして……このような姿に」
「そうかい。仕方ないねぇヤノハは」
酒呑童子、というのは通り名で、本当の名前はアヤナギというらしい。
てっきり酒呑童子を鬼のような男性と思い込んでいたミトシは、アヤナギの美貌と色気に、しばらく呆然としてしまった。
「オオトシの息子。名前は何だい」
「……え?」
「おまえの名前だよ、名前」
「あぁ、ミトシだ」
「ミトシ。近くに来な」
チラリと横のソウビ……イバラキを見れば、「黙って従え」と目配せされる。
ミトシは数歩、前に出た。
アヤナギまで、まだ畳2枚程の距離がある。
「もっと近くだよ」
「何をする気だ?」
「殺しゃしないよ。臆病な男だねぇ」
臆病者扱いにカチンと来たミトシは、ズンズンとアヤナギとの距離を詰めた。
「これでいいのか」
「いい度胸だ。気に入ったよ」
満足げに笑ったアヤナギの腕が、ミトシの腰をグッと抱き寄せた。
間近に見てもアヤナギは美しい。
「じゃあ、いただくとするかね」
厚い唇を妖しく舐めるアヤナギ。
彼女の『食事』の始まりだ。
ミトシは意地だけで、何とか持ちこたえていた。
アヤナギの唇が額に触れる。
驚いて押し返そうとするが、今は女であるミトシの力では、アヤナギはびくともしない。
「あ……」
不思議な感覚だった。
頭の中をかき乱されるような気持ちの悪さと、全てが鮮明になるような爽快感。
やがて、ミトシは抵抗を止めて、アヤナギに身を委ねていた。
ミトシの額から唇を離したアヤナギが、溜め息混じりに言う。
「……物足りないねぇ」
「お気に召しませんでしたか、アヤナギさま」
「オオトシの息子っていうから、さぞかし欲深くて煩悩を溜め込んでるかと思ったけどねぇ。ほぼ空っぽだよ」
「そうですか……失礼を致しました」
「まぁいいさ。なかなか楽しい食事だった」
「お下げ致します」
アヤナギの腕の中で、ぐったりしているミトシの身体をイバラキが引き取ろうとするが。
「……待て」
そう呟いたミトシが、弱々しい手でアヤナギの着物を掴む。
「驚いた。まだ意識があるのかい」
「アヤナギ……おまえに聞きたいことが山ほどある」
ミトシを引き剥がそうとするイバラキを、アヤナギは止める。
「下がってな、イバラキ。ここまでノコノコやってきたミトシの勇気に、応えてやろうじゃないか」
「……かしこまりました」
イバラキは渋々、部屋の隅へと下がる。
「何だいミトシ。何でも聞きな」
「行方不明の……おまえが誘拐した男たちは……どこに居る」
「あぁ。奴らなら出雲に戻ってるはずさ」
「出雲……に?」
「あたしに食事を提供する見返りに、別人に生まれ変わらせてやったんだよ」
「……どういうことだ?」
「みんな自分の意思で此処へ来た。奴らは今の自分に辟易しててねぇ。だからヤノハの力を使って、全く別人になって帰って行ったのさ」
「ヤノハの……力?」
「あんたも身をもって体験してるじゃないか。ヤノハには、遺伝子を組み替える力があるのさ」
「遺伝子を……組み替える力……」
「奴らを探しても無駄だよ。遺伝子レベルまで別人だからね」
「ヤノハは……あんたの息子か?」
「そう見えるかい。残念ながら、あたしは育ての親さ」
「本当の親は……誰だ」
「聞きたいかい。後悔するよ」
しかし、ミトシは聞かずにはいられなかった。
「ヤノハの母親はチカさ。あんたもよく知ってるみたいだねぇ」
「……チカ」
やはり。初めてヤノハを見た時からミトシは、チカと同じものを感じていた。
だが、ヤノハは天神だ。
地祇であるチカとオオトシからは、生まれる訳がない。
「それはつまり……チカが天神と通じてるってことか?」
遠回しに言ったが、ミトシはチカの不義密通を疑っていた。
「違うよ。ヤノハの父親はオオトシさ」
アヤナギが否定したことにミトシは安心する。
しかし、まだ謎は残ったままだ。
ミトシの表情からそれを感じ取ったアヤナギは続ける。
「ヤノハが天神なのは、隔世遺伝さ。チカの親のどちらかが、天神だったんだよ」
「じゃあチカは……『禁忌の子』なのか?」
天神と地祇の交わりは禁忌とされている。
交わりで生まれた子供は『禁忌の子』と呼ばれ、出雲では忌み嫌われていた。
「チカはオオトシにそれを知られたくなくてねぇ。生まれたばかりのヤノハを、あたしに預けたのさ」
「そうだったのか……」
不本意とはいえ、チカが必死に隠していた秘密を暴いてしまったのだ。
ミトシは罪悪感を覚える。
「ショックかい」
「……え?」
「おまえ、チカが好きなんだろう?」
「ち……違う!」
「照れるんじゃないよ。チカも罪な女だねぇ。オオトシだけじゃなく、その息子まで」
「あ……あんたとチカは、どういう関係なんだ」
「ただの師弟さ。チカに武術やら何やらを仕込んだのはあたしだよ」
「つまりあんたも、スサノオさまの命を狙っているのか」
「昔は、そんなことも考えたねぇ」
「昔は?」
「今は、しがない刀鍛冶だよ」
アヤナギがパチンと指を鳴らす。
開いた扉から、愛らしい幼女が転がり込んで来た。
「ミトシ!無事か!?」
「……キノカ!何で此処に!?」
「ミトシ、大丈夫かい?」
「ヤチホさん!」
「キノカとヤノハが道案内をしてくれてね。無事で良かった。……おや?ミトシ、ずいぶん可愛らしくなったね」
そう言われてミトシは、自分が女の姿であることを思い出す。
「あ……いや、これはその……」
「すみません!僕がやりました!」
「ヤノハ、戻しておやりな」
「はい、アヤナギさん」
ようやく自分本来の姿に戻ったミトシは、事の顛末をヤチホに話した。
「なるほど。つまり行方不明の男性たちは、自らの意思で此処へ来て、別人になって出雲に戻ったんだね」
「はい。アヤナギとイバラキとヤノハが嘘をついていなければ」
「本当なら、彼女たちは罪に問えないよ。逮捕するとしたら、ミトシを誘拐した罪くらいか」
「それは……」
「判っているよ。ミトシも、自らの意思で此処に来た。そうだね」
ミトシがアヤナギたちをかばいたがっていることを、ヤチホは見通していた。
「ありがとうございます。ヤチホさん」
「しかし、驚いたよ。キノカに双子の兄が居たなんて」
「はい。俺も驚きました」
「で、どうするんだい?」
「何がですか?」
「ヤノハも引き取るのかい?」
「それは……出来たらキノカと一緒に育ててやりたいですけど。ヤノハとアヤナギの意思を聞かないと。それから……チカにも」
ミトシがヤノハを連れ帰れば、嫌でもオオトシの耳に入る。
チカが隠していた秘密が露呈することになるだろう。
「俺だけでは決められません」
「オオトシと違って真面目だねぇ、ミトシは」
ふたりに割り込んだのはアヤナギだ。
「ミトシ」
「何だ、アヤナギ」
「ヤノハを連れて行きな」
「……話を聞いてなかったのか?俺とあんたが勝手に決めていい問題じゃないだろ」
「チカにはあたしが話をつける。ヤノハの将来を考えたら、あんたに預けるのが一番なんだよ」
「何でだ?」
「此処に居たら学校にも通えない。友達も居ない。一生、日陰の生活だ」
アヤナギの親心だろう。
ヤノハにも、普通の子供らしく生きて欲しいと願うのは。
「……それはそうだが。俺はまだ警察の寮暮らしだ。キノカだけで精一杯なんだ」
「家の心配はしなくて良いよ、ミトシ。うちで、みんな一緒に暮らせばいいじゃないか」
ヤチホが穏やかな口調で提案した内容に、ミトシは驚く。
「ヤチホさんの家で、ですか?」
「うちは家族だけで暮らすには広過ぎてね。今も下宿人が何人か居るんだ。だからミトシも遠慮しなくていいよ」
「それは……有り難いですけど」
「さすがは大国主。太っ腹だねぇ。じゃ、決まりだね」
パン、と手を叩いたアヤナギは、全員を近くに集めた。
「と、言う訳だから、ヤノハはミトシと一緒に出雲へ行きな」
「え……何でですかアヤナギさん!僕、ここに居たいです!」
「ヤノハ。アヤナギさまを困らせないで。黙って従いなさい」
ピシャリと言い放つイバラキだったが、彼女の瞳も潤んでいる。
6年間、イバラキもヤノハを我が子同然に慈しんで来たのだろう。
「……イヤです。僕はここに居ます!」
「ヤノハ」
「あなたと一緒には行きません!」
「アヤナギもイバラキも、おまえを捨てる訳じゃない。おまえのことを思って言ってるんだ。またいつでも逢える」
「……ウソだ」
「嘘じゃない。なぁ、イバラキ。時々、ヤノハに逢いに来てくれるよな」
「そうね。仕事の合間に逢いに行くわ。だから泣かないで」
「イバラキさん……」
「約束するから」
「……はい」
こうしてミトシは、ヤノハを出雲へ連れて帰ることとなった。
イケメン連続失踪事件とソウビは無関係だったと、ヤチホは署長に報告。
ミトシは自分の意思で連絡を絶って騒ぎを大きくしたとして、署員たちに謝罪。
事件は、すぐに世間から忘れ去られた。
それから間もなく。
ミトシはキノカとヤノハを連れて、ヤチホの家に引っ越していた。
広大な敷地に建つのは、木造三階建ての旅館のような御殿だ。
新たな生活のスタートに、ミトシは気を引き締めた。
【つづく】
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