オリガミ

穂紬きみ

004【鬼の住処・前編】

暗闇で、ミトシは目を覚ました。

冷たい床に横たわる痺れた身体。
頭が割れるように痛い。

何が、どうしてこうなったのか。

話は、ひと月前にさかのぼる。

「おとり捜査?」

出雲警察署、ヤチホの執務室。
ミトシは上司であるヤチホの言葉を繰り返す。

「ヤチホさんが?」
「そうなんだ。ミトシも、最近頻発している失踪事件は知っているよね」
「はい。確か、10代から20代の若い男が次々と失踪しているんでしたよね」

最近ではテレビもネットも週刊誌も、その失踪事件で持ち切りだ。

「そう。警察は失踪に関わっていると思われる組織を突き止めたんだけど……証拠が全く無いんだ」
「で、ヤチホさんがおとり捜査を?」
「あぁ。失踪した男性たちは……その……」

ヤチホが何故か口ごもる。

「ヤチホさん?」

少し思案してから、ヤチホは続ける。

「……同じ、特徴があるらしいんだ」
「特徴?あぁ……」

ミトシは新聞のテレビ欄を思い出した。

「みんな、イケメンなんですよね」

出雲警察署の中で、ヤチホは一番のイケメンだ。
口ごもる理由と白羽の矢が立った理由に、ミトシは納得する。

しかし。

「だからって、ヤチホさんにおとり捜査させるなんて……」

敬愛するヤチホを危険に晒す上の命令。
ミトシは苛立つ。

「……そうだ。ヤチホさん、俺も一緒に行きます」
「……え?」
「俺もおとりになります」

それは自らを『イケメン』と認めたことになるのだが、ミトシは気づいていない。

「本当にいいのかい?ミトシ」
「はい。ヤチホさんひとりを行かせる訳には行きません」

頼もしい部下の申し出に、ヤチホは素直に安堵の笑みを零す。

「で、その怪しい組織って」
「あぁ。ホストクラブだよ」
「ほ……ホストクラブ!?」


その日の夜。
ネオンが煌めく歓楽街に、ミトシは居た。

自分から言い出した以上、逃げ出す訳には行かない。
キノカはミトシの兄・ヤマトの家で、しばらく預かって貰うことにした。

「ミトシ。大丈夫かい?顔色が悪いよ」

隣のヤチホが心配そうにミトシの顔を覗き込む。

「へ、平気です。ちょっと緊張してるだけで」
「そうか。ミトシはおとりは初めてだったね」
「ヤチホさんは初めてじゃないんですか?」
「まぁ、何度かは」

落ち着き払った様子のヤチホ。
ミトシはますます尊敬する。

「今回は、おとりと言うより潜入捜査に近いかもしれないね。大丈夫。私がついているから」

笑顔で優しく肩を叩かれ、ミトシはヤチホの足手まといにだけはならないと誓った。

ホストクラブ【ローズ】は、この歓楽街で一番の人気と規模を誇る名店だ。
綺麗な薔薇で飾り付けられた入口。
ヤチホとミトシは素通りして、路地裏の裏口へと向かう。

華やかな表通りとは違う、薄暗い空間には、微かに腐臭が漂っている。
ヤチホは事前に店へ電話を掛けていた。
『ホスト志望者2名』は、裏口からすんなり事務所へと通される。

事務所の古いソファに座ると、いかにも下っ端らしい風貌な20代の男が、値踏みするようにヤチホとミトシを睨んでいた。
普段のミトシならば掴み掛かっているところだが、現在の状況は把握している。
グッと我慢だ。

「すみません。面接はどなたが担当を?」

ヤチホはニコニコとしながら、下っ端男に話し掛ける。

「面接はオーナーのソウビさんが直々にするって決まってる」

下っ端男は見た目ほど悪い奴ではないらしい。
ぶっきらぼうだが、きちんと答えてくれた。

「そうですか。ありがとうございます」

ニコニコとしたまま、ヤチホは頭を下げる。
ここへ来る前、ミトシはヤチホから組織の詳しい話を聞いていた。
ソウビは『美人オーナー』として知られる女性で、ホストクラブも裏の組織も牛耳る凄腕らしい。
いきなりラスボスが登場すると知り、ミトシは拳を握り締めた。

事務所のドアの向こうから、何やら怒鳴る声がする。
それは女性のもので、だんだんとこちらに近づいて来るようだ。

「だから……何度言ったらわかるのよ。その話は私がきちんと処理するから。余計なことはしないで!」

勢い良くドアを開け、彼女は現れた。
年齢は30代後半。
ダークブラウンのパンツスーツ。
左手には真っ赤な携帯電話。

長い黒髪を苛立ちに任せてかき乱しながら、ミトシたちの向かいのソファへドッカリと腰を下ろす。

「……わかった。あなた、もう明日から来なくて良いから。そう、クビよクビ!」

しばしの間。
一度、天井を見上げてから、彼女は携帯電話を折り畳み低く呟く。

「……本っ当、使えない男」

美しい顔立ちとは相反するその貫禄と迫力に、ミトシと下っ端男は脅えていた。

彼女は慣れた手つきでポケットから煙草を取り出す。
下っ端男は条件反射のように、ライターを差し出した。
長い溜め息と共に紫煙を吐き出した彼女が、ようやくミトシとヤチホの存在に気がつく。

「……どちらさま?」

下っ端男が慌てて、2人がホスト志望者であることを伝えた。

「あ、そう。私が『ローズ』オーナーのソウビです。はじめまして。早速だけど、店に出て貰えるかしら」

「え……面接は?」

思わず声を上げた下っ端男だったが、ソウビにひと睨みされて黙り込む。

「ちょうど何人かホストが抜けて、猫の手も借りたいところなのよ」

ソウビにとってミトシとヤチホの来訪は、渡りに船だったらしい。

「2人とも容姿は申し分ないし、茶髪のあなたは女の子の扱いも上手そうね」

さすがは敏腕経営者。
人を見る目はあるようだ。

「黒髪のあなたは、まだお子様みたいだけど。需要はあるわ」

お子様扱いされたミトシは不服だったが、事実だから仕方ない。

「名前は私がつけてあげる。そうね。茶髪のあなたは『コトヒラ』、黒髪のあなたは『ヨシカタ』ね」

こうして2人は、無事にホストデビューを果たした。

ひと月後。
ヤチホは警察署で、署長であるミオに捜査報告をしていた。
ミオは、警察病院の院長・ヒコナの母親でもある。
厳しさの中に優しさを持った、署員の母親的存在の女性だ。

そんなミオが、ヤチホからの報告に頭を抱えていた。

「……お前ほどの男でも、今回は収穫なし、か」
「申し訳ありません」
「責めてるワケじゃない。相手が相手だ。仕方ないさ。ただ……」
「ただ?」
「……お前は加減というものを知らんのか?」
「加減、ですか?」

キョトンとするヤチホに、ミオはまた頭を抱える。

「……潜入捜査中の警察官が、たった1ヶ月でトップホストに上り詰めて、どうするんだって言ってんの」

そう。
ヤチホは恵まれた容姿と持ち前の人当たりの良さで、名店【ローズ】のトップの座に上り詰めていた。
ミトシはと言えば、その無愛想さが何故か年上の女性客にウケて、3位の座に居た。

「揃いも揃ってバカなのか?お前もミトシも。警察辞めてホストになるのか?」
「……そんなつもりは」

本気で困り果てているヤチホ。
ミオは真面目過ぎる部下に呆れる。

「冗談だよ。で、ミトシはどうした」
「ミトシは今日も店です。2人で同時に休むと怪しまれるので」
「ミトシひとりで大丈夫か?」
「大丈夫ですよ。ミトシは一人前の警察官ですから」

その頃、ミトシは。
ひとり開店準備に追われていた。
人気はあっても新人は新人だ。
雑用は全て押し付けられる。
完璧主義なミトシは、その全てを文句も言わずにこなしていた。

「ヨシカタ」

源氏名で呼ばれて振り向けば、事務所へと続く通路にソウビが立っている。

「はい、何ですかオーナー」
「ちょっと、いい?」
「まだ開店準備が終わっていません」

職務に忠実なミトシ。
本気でホストを目指しているとしか思えない仕事ぶりだ。

「そんなの誰かがやるから。私に呼ばれたら何があっても来なさい」

有無を言わさぬソウビの迫力は健在だ。
ミトシは仕方なく作業の手を止めて、ソウビに従う。

ミトシが連れて来られたのは、店のビルの最上階にあるソウビのオフィスだった。

赤を基調とした、高級感ある部屋。
壁一面の大きな窓からは、出雲の街が一望出来る。

「何ぼんやりしてるの」

王の補佐官の息子でありながら、庶民的なミトシ。
こういう場所には慣れていない。
戸惑う青年に、ソウビは妖しい笑みを浮かべる。

「本当に可愛いわね、あなた」
「……え?」
「どう?私のものにならない?」
「どういう意味ですか」

返事の代わりにソウビの長い指が、ミトシの黒髪を優しく撫でた。
そのままミトシの首にソウビの腕が回される。
甘い薔薇の香りがミトシの判断を鈍らせた。
近づく唇と唇。
その時、ミトシの脳裏によぎったのは、何故かチカの姿だった。

「チカ……」

無意識につぶやいたミトシの前には、チカが居る。

「え……チカ?何でここに」

チカは黙って微笑むと、ミトシにギュッと抱きついて来た。

華奢な身体。
白い首筋。
それは紛れもなくチカだった。
これは夢だろうか。
夢ならば、何をしても許されるはずだ。
そう思って一度は細い背中に手を回しかけたが、ミトシは堪える。

「駄目だ……チカ」

夢の中でも、チカを汚したくはない。
ミトシという男は、どこまでも真面目なのだ。

「何じゃ。何もせぬのか?……つまらぬ男じゃな」
「何とでも言え」
「せっかく、幸せな夢を見せてやったのに」

チカの声が、姿が。
徐々にソウビへと変化して行く。
狐につままれたような気分で、ミトシは呆然と立ち尽くす。

「この術に屈しなかったのは、あなたが初めてだわ」
「……術?」
「好きな女の姿を借りて誘惑するの」
「好きな女って……違う!チカは違う!あいつはただのオヤジの愛人で!」

チカを知らないソウビ相手に、ミトシは必死に言い訳をしていた。

「……可愛い」
「……あ?」
「本当に可愛いわね、あなた」
「……バカにしてんのか?」

ソウビは否定も肯定もせず、ただ笑っている。
どうにも調子が狂う。

「おまえ……何者だ?地祇じゃないな」

ソウビの容姿は黒髪に碧眼で地祇のものだが、変身能力を持つ地祇は多分居ない。

「私が何者か、本当に知らないの?」
「あぁ」

少しだけ、ソウビの表情が悲しそうに歪んだ。
ミトシは罪悪感を覚える。

「……俺が知らないことが、おまえを傷つけたなら謝る」
「いいえ。あなたは悪くないわ。あなたに罪はない」
「ソウビ……」
「少し、昔話をしましょうか」

ソウビが静かに語り出したのは、この地に出雲の国が出来る以前のこと。
この地には、オロチと呼ばれる民が平和に暮らしていた。
しかし、今から30年ほど前。
高天原から下って来たスサノオが、オロチの長を騙し討ちにして殺害。
この地を我が物とした。
長と住む場所を失ったオロチの民は、やがて散り散りになった。
僅かな生き残りは、その特殊な能力を使い、地祇になりすまして出雲に暮らしている。

「私の母も、そんなオロチの民の生き残りでね。私はスサノオへの怨みを植え付けられて育ったの」
「……」

ミトシは何も言えなかった。
ミトシの父親・オオトシはスサノオの補佐官。
詳しくは知らないが、出雲建国にも大きな役割を果たしたらしい。
もしかしたら、オオトシもオロチ殺害に関わっているかもしれない。
ソウビから見たら、ミトシも一族の敵なのだ。

「あなたたち、若い世代の地祇は知らされていないのね。この国が、どれだけの犠牲の上に成り立っているのかを」
「……知らなかったんじゃない」
「え?」
「俺は知ろうとしなかった。すまない、ソウビ」

深々と頭を下げるミトシを、ソウビは訝しく思う。

「何であなたが謝るの?私はスサノオを怨んでいるだけで、ただの地祇に興味は無いわ」
「ただの地祇じゃない。俺は……」

ミトシは迷った。
ここで正体を明かしたら、せっかくここまで進んだ潜入捜査が台無しになる。
ヤチホに申し訳が立たない。
しかし。ソウビに嘘をつき続けるのも限界だった。

「……あなた何者なの」

ミトシは、ゆっくりと顔を上げる。
戸惑うソウビを真っ直ぐに見据えて、ようやく口を開く。

「俺は……スサノオさまの補佐官オオトシの息子だ」

ソウビの顔色が変わった。

「オオトシの……息子」
「あぁ、そうだ」

ミトシは間違った判断をしたかもしれない。
だが、ソウビの哀れな生い立ちを聞いてしまったら、これ以上は騙せなくなった。

「ソウビ……スサノオさまや親父がおまえたちにしたことは、俺が謝ったくらいじゃ許せないだろうけど。だからって、罪もない地祇の若者を誘拐するのは間違ってる」
「若者……誘拐?何の話よ」
「とぼけるな。おまえの周囲で若者が次々と消えているだろ」

ソウビの目つきが険しくなる。

「確かに、ウチの従業員が次々と行方不明になってるけど。言ったでしょ?『私はただの地祇に興味は無い』って」
「……本当に知らないのか?」
「知らないって言ってるでしょ。従業員たちがどこへ行ったか、私が教えて欲しいくらいだわ」

どうやら、警察の調べが間違っていたようだ。
ヤチホとミトシがどんなに調べても、何も出ないのは当然だった。

「……そうか。疑ってすまなかった」
「まあいいわ。許してあげる」

ソウビはミトシをソファに座らせると、別室から飲み物を持って戻って来る。

「あなたは未成年だから、烏龍茶ね」

そう言ってミトシに烏龍茶のグラスを持たせると、自分はワインをグラスに注いだ。

「乾杯」

互いのグラスを合わせてから、2人はそれぞれの飲み物を一気に飲み干した。

「……もしもし。私です。今回の獲物は当たりですよ」

暗くなった部屋。
携帯電話の画面が明るく照らし出しているのは、無表情なソウビの横顔。
ソファには、寝息を立てて横たわるミトシの姿があった。

「あのオオトシの息子です。きっと、ご満足頂けるかと」

眠るミトシの顔を上から覗き込み、ソウビは笑う。
その瞳は、暗闇に赤く光っていた。


【つづく】

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